七話
人間の王国である、ウルタスに設置されたダンジョンへの出入り口。
現在は国ではなく学園が管理しているものの、その場所は学園の敷地と敷地外の境界線を跨ぐ形。学園側を内側とすると、内側と外側からの二つの通路があり、その両方からダンジョンの出入り口へ向かえるようになっている。辿り着く場所は同じだが、その二つの通り易さはまるで別物。俺達内側から向かう生徒などの学園関係者は、簡単な手続きを終えるだけでスムーズにダンジョンに挑戦出来るようになっているが、外側から向かう部外者、特に新規の挑戦者は非常に面倒くさい手続きが必要になるようだ。だから外側の通路はいつも混雑しているようである。
逆に内側の通路に留まる生徒は少なく、いても通路に建設されている装備などの点検を行っている施設や、ダンジョンに持ち込むことを義務付けられている道具を販売している店などに滞在している者だけ。数は少ない。先程まで何も知らず、息苦しい思いをすることを覚悟していた俺としては嬉しい限りである。
人が少ないから通路に立ち止まって話をすることも可能で、ネットと共に俺のダンジョン初挑戦を付き合ってくれる二人に挨拶を交わした。俺のことを知っていた二人はやはり当初は眉をひそめたものの、さすがはネットの選んだ人選と言うべきか、彼らはネットの俺達で補えば別に問題はないという一言で、それもそうだとアッサリと了承してくれた。彼らはどうやら俺とまではいかないものの実力の低い生徒と共にダンジョンに挑んだことがあるようで、カバーの仕方は習得しているようである。非常に頼もしい。
「大船に乗ったつもりでいろよ~! あはっはっは!」
「積極的に動いてもらって構いません。僕達で必ず貴方を守りますので」
初対面から大きな手で俺の背中を叩いて、何が面白いのか大きな笑い声を上げるのはダッグ。体格に恵まれている、日に良く焼けた男。彼は平民であり、貴族に入学が義務付けされる十五歳ではなく、十八で入学したらしい。平民という身分階級ならばよくあること。しかしこうも初対面の貴族とフレンドリーに対応する者は少ない。ネットは敬語を使われるのを拒否するから、その友人となった俺のことも同じように対応しているのだろう。顔は笑顔のままだが、しっかりと目が動いて俺を観察している。抜け目はなさそうだ。
ダッグとは違って敬語で俺に接するのは、優しそうな雰囲気のテスラ。彼も同じく平民だが、ダッグとは違って十五で入学したために俺とは同い年になる。彼はダッグと同じような度胸がないのか、それとも慎重なのか真面目なのか。別に敬語は使わなくていいと一言言うと、あっさりと普通に喋るようになったから、度胸もあって慎重で真面目なのかもしれない。
俺達四人は暫くその場で話しをして、ダンジョン内での動き方について打ち合わせを行った。打ち合わせといっても、三人から俺への講義のようなものである。
簡単ながらも非常にためになる話を聞き終えると、俺達は受付へ。
受付でも同じく、二人と同じように当初は大丈夫なのかと質問を受けたが、信頼の厚い三人がいるおかげで手続きも容易に完了。かくして俺は念願のダンジョンへの入り口に立つ事になったのである。
やたらと仰々しい建物の中、中央に設置されているのは転移の魔法陣。
俺達の習得する生涯の魔法と、ドラゴンが刻むことで発動する魔法陣による魔法は別物であるらしい。それも完全な上位能力。始動語を唱えるだけで、この魔法陣は起動する。一日に何百回使用しても不調になることもなく、常に変わらない効果が発動。転移なんていう、とんでもない現象が起こる。いくらイメージしても、俺達の生涯の魔法では作り出せない現象だ。ドラゴンにとっては何てことはない作業らしいのだから、恐ろしい。
「んじゃ、行くか」
あ、ゲーセン寄ってく?
ふと俺は前世の記憶を思い出す。ネットの体を覆うような黒い外装が、一瞬学生服に見えたからかもしれない。
彼の口調は、とても軽快であった。それは俺の中に気付かないうちに蔓延っていた緊張を解す。驚くことに、緊張の殻の中に眠っていたのは、体が熱くなるほどの興奮であった。
前世と同じように、この世界にゲームなどの娯楽は存在しない。それは当然だが、この世界ではチェスのようなボードゲームや、トランプのようなカードゲームは存在するものの、まるで普及していない。貴族がコレクションとして所持して、仕事の合間の気晴らしに使用されることはあっても、成人はしているものの『学生』という身分である学園の生徒達の中で、そのような遊びが流行っていないのは前世基準で考えると不思議な話だ。
その理由は簡単で、目の前にある入り口の先。ダンジョンが存在することに他ならない。
ダンジョンの中には未知がある。
常に進化し続け、その全容を図ることは出来ない。現在王国が把握しているよりも更なる深淵には、誰も見たことのない魔物や植物が存在するのだろう。始めてそれを見るのは、誰か。
俺は特別になりたかった。誰も俺にはなれない。
いわゆる、物語に出て来る登場人物のような存在。
その証明を得ようと、俺は誰も持っていないような何かを手に入れてそれを証にしようとした。自覚的に行っていた行動ではない。冷静に人生を振り返った今だから分かること。
ゲームでレアアイテムを手に入れようと必死になったり、何の魅力もない限定品を手に入れようとしたり。
当然のように自慢をして、誰かに羨ましがられる。羨ましがったのは所詮は俺に対する気遣いで、心の中で皆バカにしている。データに何を本気になっているのか。そんなものを買ってどうするのか。
俺は本当は理解していて、虚しく感じていたはずだ。
けれどもダンジョンの未知を見つけるということは、それらとはまるで違う。
手に入れて、声高らかに掲げれば、それは栄光栄華となって自分に帰ってくる。自身の絶対の証明となる。
興奮しない訳がなかった。考えてみれば俺はデータ上でしか存在しなかったものを目にしているのだ。異常も日常となれば正常になるが、正しく俺にとって魔法とこの学園の生活は日常となっていた。だから忘れていた。
目の前の扉から広がる、夢のような光景を。ドラゴンの作り出した最高のアミューズメント。
「─────はぁ」
でも、死ぬかもしれない。
「何だ? さっきまで興奮してたと思ったら、急に落ちこんだりして」
バクバクとうるさかった心臓は嘘のように静まり、頭が冴える。
ダッグが俺に声を掛ける。顔は笑顔のままだが、声が凄く心配そうだ。本心で言っている。彼は兄貴肌なのだろうか。
「冷静になっただけだよ。死にたくないからな」
「安心しろって、そんで信頼しろ。俺達は見捨てるようなことはしないさ」
「安心も信頼もしているよ。けどそれは、警戒を緩める理由にはならない」
「あっははは! こりゃ、テスラ以上の真面目君だなぁ!」
「それが当然ですよ」
少しムスッとした様子で、テスラが会話に混ざる。
彼の言うことに全面的に賛成だ。
「お~い、だから行くっての」
返事がないことに痺れを切らしたネットが、俺達に再度声を掛ける。
謝罪をして了解の旨を伝えると、彼は満足そうに頷いて始動語を唱えた。
「ワープ」
魔法陣が光る。眩しい。
思わず瞳を閉じ、再び開いた瞬間、目の前の景色は変わっていた。
土壁に囲まれた部屋。目の前には一本の道がある。
天井には光の魔法陣が刻まれており、ダンジョンの中は明るい。照明が付いているのとはまた違う。空が無いのに、ダンジョン全体を太陽が照らしているような感覚だ。光に暖かみがあり、春の陽気が流れている。また土壁から元気な植物が顔を出していて、少なからず綺麗な花が咲いている。ここはまだ浅いから、それらは地上でも見たことのあるものばかり。
「どうよ、初めてダンジョンに来た感想は?」
ネットが俺に声を掛ける。
「想像以上に穏やかだな。思わず油断しそうだ」
「入り口だからな。生息する魔物も地上と大して変わらない。個体数も少ない。ちょっと散歩に行くのと変わらないぜ」
散歩で死ぬのは嫌だな。全力で警戒をしよう。
ダンジョンは常に変わり続けているものの、急激な変化というものは少ない。特に入り口付近では尚の事。過去の挑戦者によって、正確性はないものの地図というものは制作されており、通路に開かれる店に販売されている。またダンジョンに挑むものは地図との変更点、地図に記載されていない場所を発見した場合はこれを記録し、学園に報告する義務が生じる。挑戦者は地図を持ってダンジョンに挑むのが当然であり、俺達もまたそれを所持していた。
学園は販売する地図に幾つかのルートを詳細に記載している。
俺のような初心者のためのダンジョンを知るためのルートや、特定の植物や鉱物を採取するためのルート。繁殖力が高く危険とされる魔物を定期的に排除するためのルートなどがある。効率的かつ最も安全とされる道筋を調査して、ダンジョン内での死亡者を少なくするための措置である。勿論これも精確ではないが、何組もの挑戦者が同じ道を通ることによって非常に安全性が保証さている道。上級者は地図のない場所を探索するが、俺達学生は殆どこのルートに沿った探索を行う。そこから逸れることはあっても、大きく外れることは少ない。と、俺は聞いていた。
若人というものは総じて無理をするということは、この世界でも同じであるらしい。
学園としてはやるなやるなと言っているものの、監視の目がないダンジョン。多少の無茶をしたってバレることはない。それにルートに沿うような探索をしたって、何の面白みもない上に何の発見もない。さすがに実力に似合わない深部まで探索に行く生徒は少ないものの、地図に存在しない道を見つければそこに行って見るのは最早当然であるそうだ。
地図に存在する道を歩くネット達は非常に気楽であったが、視線と首が自然と動いているのはさすがと言うべきか。緊張する必要もないということは、緊張するほどの警戒をしなくてもこの場所程度の危険なら察知出来るということらしい。しかし新しく出来ていた道に入ると、ネットとテスラは剣を抜いて盾を構え、ダッグはハルバートのような槍を手に取った。俺もまた剣を抜く。
「いつも通り。俺が前、テスラが補助、ダッグが後ろ。ハーンは自由に動いてくれ」
「───分かった」
道の先にあったのは小さな水たまりのある場所。そこには数匹の獣。どうやら彼らの水飲み場になっているようだ。
魔物の造形は狼に近い。地上にも広く生息している種だ。しかし少し違う点があり、それは爪。通常のものより鋭く、太い。土壁に囲まれたこの場所で、長く生息していた影響だろう。土を上手に掘れるように進化したのだ。
ネットが指を三本立てた。人差し指、中指、薬指。薬指から、一つずつ折られていく。
3、2、1。突撃。
「──────ッ!」
風。魔力で紡がれた風だ。
それがネットの体を押し、彼は高速で魔物の元へと駆ける。魔物はそれに気が付くものの、あまりにも遅い反応であった。
一閃。風を纏ったネットの斬撃は魔物の体を切り裂く。また風は傷口に入り込み、抉るようにそれを広げた。
彼の生涯の魔法、『追い風』───自身の味方となり、同時に敵の脅威となる風。
仲間を攻撃された魔物は怒り、ネットを襲う。彼は小さな盾でそれを受け流すと、剣で攻撃を加えて行く。
「はい、こっちもいますよっと!」
ネットに気を取られていた魔物達は、彼の後に続いたテスラの剣に襲われる。それに魔物が混乱をすると二人は背中合わせに立ち、お互いを補うように戦闘を再会する。
二人は同じ剣と盾を使った戦いを行っているが、どうやら流派が異なる。
テスラはウルタスにて最も主流な王国流剣術。丈夫な盾を主体として使用し、相手の攻撃を受けて反撃を行う受け身の戦法。華やかさはないものの安定感があり、ダメージを負わずに確実に相手を攻撃する。
ネットの流派は恐らく彼の家に伝わる、言うなればガスパー流剣術。攻めの戦法であり、持っている盾は補助道具のようだ。テスラの持つ盾とは明らかに大きさが違い、軽量化がなされている。足の動きが多く、常に立ち位置を変えて周囲を把握して襲いかかる攻撃を巧みに受け流している。
ダッグは動かない。新たに乱入してくる魔物がいないか警戒しているのだろう。
それに戦闘は二人で十分のようだ。何時危険が襲って来るか分からない場所で、わざわざ無駄な体力を消耗する必要はないということだろう。想定外の出来事が起きて、その時体力がなくなってしまいましたでは洒落にならない。誰か一人が動けるようにしておくのは、確かに得策と言える。
俺はというと、ダッグと同じように動いていない。
ただ彼と違うのは、俺は警戒ではなく二人の戦いを見ているということ。どんな戦い方をすれば良いか分からないのに、急に実戦を行う気にはならない。まずは見て学ぶことが俺には必要だ。
とは言っても、戦闘は直ぐに終わってしまった。彼らには容易過ぎる相手なのだろう。
二人は剣に付いた血を払うと、懐から取り出した布で剣を拭った。
「何か学べることはあったか?」
「そうだな。想像以上に、血を浴びていない」
「上手い切り方があるんだよ。そこら辺は経験だな。まぁ、浴びたとしても魔法具があるから落とせるんだけどな」
ダッグとの会話を聞いて、テスラが剣を拭った布をこちらに見せる。
剣に付いていた血で赤く染まっていたのに、見ていると段々と消えていく。何と便利な。
「んじゃ、埋葬するか」
驚いて目を見開いていると、そんな俺の様子に笑いながらネットが取り出したのはスコップ。子供が砂場で遊ぶために使うような小さなスコップだ。
ネットはそれを地面に刺すと、一言『ディグ』と唱える。するとそのスコップを中心として土が押しのけられ、一つの大きな穴が生まれた。俺達は魔物の死体をそこへ入れて行く。鋭い爪が一応売れるらしいので、取っておく。大した金にはならないようだが、少なくても金は金である。俺は金が欲しいのだ。
『ベリー』と唱えると、押しのけられていた土が再び元の場所に戻ろうとする。ただしそこには死体があるので、隙間に入り込んで行き、残りは上に重なる。暫くするとその場所だけ土が盛り上がっている、簡単な墓が生まれた。
俺達は拳を眉間に当てて、黙祷を捧げた。
これは命を奪ったものの義務。この国の、常識である。
命を奪うことは即ち愛の証。だから愛なくして命を奪ってはならない。
それでも人間は自然の中で生きている。生きるために命を奪わなければならない。愚かだが、必要な行為。
ならばせめて、土に埋めて黙祷を捧げよ。何よりも自分の罪を見つめるために。
スコップのような魔法具を回収すると、俺達は再びダンジョンの探索を開始した。