六十四話
「ぎやぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「逃げんなごらぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
卒業試験開始から五分。俺は全力でミヤ先生から逃走していた。
「向かってこいや!」
「無理っス!」
ミヤ先生が全力で追いかけてくる。般若かな?
でも逃げる足を止める訳にはいかないのである。上下左右、義足の力を全力で駆使してミヤ先生から逃亡しなければならない。全力で挑むと言ったが、逃げないとは言っていない。情けない話だが、先生の本気を真正面から受け止めるなんて――――自殺行為である。
教えてほしい。同時に十発殴られる体験をしたことがあるか?
「おらぁぁぁ!!」
逃げる俺に苛ついたのか先生は一見がむしゃらに見えるほど、腕を何度も振るった。体中が危険信号を知らせる。冷や汗が噴き出る。義足に込める魔力を高め、現在いる地点から全力で退避した。
その瞬間、耳に入り込む空気の破裂音。―――――地面が、巨大なハンマーで叩かれたかのように陥没した。そして俺の右から猛烈な突風が発生する。これが、拳圧だと誰が信じるんだ?
ミヤ先生の生涯の魔法『波伝』。それは自身の起こした『力』を波のように伝える魔法。
AからBへ。距離など関係なく、全く同じ力のまま対象に伝える。自身の発生させる力が弱ければ大した威力にならないが、先生ほどの実力になれば、それだけでも強力な魔法だ。……そして、それだけじゃないから凶悪だ。
先生の魔法は、ただ力を伝えるだけの魔法。恐ろしいのは、同時に別地点に力を伝えられる。という一つの特性。
つまりは、AからBとCへ。
まったく同じ威力のまま、全くタイミングでの同時攻撃。ただの一発の拳が、何十発もの拳圧となり、まるで巨大なハンマーのように対象を攻撃する。
加えて先生は『狩り』が得意だ。旅人であり、ダンジョンに潜り続けている経験は馬鹿にできない。一つでも攻撃を受け、足を止めたら……その瞬間、流れるような連撃が始まるだろう。普段から殴られ慣れているからよく分かる。
「いやぁぁぁぁぁ!!!!」
だからこその、逃亡である。―――決して、決してビビっている訳ではない!
「気持ち悪い声で叫ぶな!」
「ひやぁぁぁ!!」
「言い直すな! 尚キモいわ!」
勿論俺もただ逃げている訳ではない。逃げながら、先生へのアプローチの方法を考えている。叫んでいるのは、先生の油断を誘っているのである。マジで。――――問題は、何も思いつかないことだけど。
土塊の剣で防壁を作るのは、意味がない。先生の魔法は物体を貫通する。……視界を遮るのは有効だ。魔法は意識しなければ強弱の調整ができない。俺の金剛は硬度の強弱を。先生の魔法は恐らく、その範囲だ。
どこまで伝えるか、それを意識しなければ力を届かせることができない。そして先生の場合は更に、その範囲のどこに力を伝えるか。その対象も選ばなければならない。……恐らくは。
ただ問題は、先生が勘だけで俺を正確に殴ってくること――――――――――――――――――どうしろと?
「おい、ハーン!」
「なんですか先生!?」
「全くお前は気持ちが悪くて、弱いままだなぁ!」
「ありがとうございます!」
逃げる、逃げる、逃げる。僅かに見える勝機は、先生が纏っていた魔力が少なくなっていること。封魔術を開放した影響で先生は本来肉体にある魔力よりも、多くの魔力を使用できる状態にある。だからこそ、機関銃のような連撃が俺に降り注いでいる。その魔力が無くなれば、攻撃は軽減されるだろう。
「初めて会ったときのお前は、人の殴り方も知らない馬鹿だった!」
「そうでしたねぇ!」
先生が話を続ける。何故急に話し出したのか分からないが、俺はこれ幸いと話に乗る。今必要なのは時間稼ぎだ。
「気持ち悪くて、ウザくて、弱い。それがお前だった!」
「ああ、そうですよ! その通り!」
破裂音が、何度も鼓膜を揺らし続ける。音が小さくなっていく代わりに、音の数が増えていく。
「今もまだ、お前は気持ち悪い!」
「何が言いたいんですか!?」
「――――だからこそ、お前は強い!」
その言葉が聞こえた瞬間、俺は思わず足を止めてしまった。
「隙ありだ! 馬鹿弟子!」
「―――なっ!!??」
空中で足を止めてしまった俺に、衝撃がぶつかる。一瞬、体が無くなったような感覚を覚える。前世の記憶を思い出した。どこかで自動車の衝突事故の体験を行った記憶。シートベルトをしてなかったら、きっとこんな衝撃を味わうに違いない。
そんなことを思い出した次の瞬間に、更に体が悲鳴をあげる。口の中で感じる、懐かしい土の味。先生との訓練では、馴染み深いもの。それを味わって、俺はようやく体が地面に叩き付けられたのだと理解した。
「……が、げ…、が」
声が言葉にならない。ただ、何かを口にしなければ意識が飛びそうだった。たった一撃。それだけでこの威力。何故か連撃がやってこないのが救い。体の至る所が悲鳴をあげている。きっと全身を殴られたような痣ができているに、違いない。
「なーに、隙を見せてんだ。舐めてんのか?」
「ち、ちがい、ます、よ」
水晶の心臓が、ドクドクと動き出す。瞬時に体に、力が湧いてきた。よろよろと立ち上がり、言葉を出す程度には。
「はッ! やっぱり、立てるか」
「心臓、の力で、ようやく……、ですけど」
頭にダメージが残っているのか、視界がクラクラとしている。口の中の土を、血と一緒に吐き出す。そこでようやく、頭がクリアになった。
「なぁ、ハーン」
「なんです、か?」
「正直に話すと、私はそこでお前もお嬢様も見捨てて逃げることも考えていた」
酷い話だが、先生ならそれもありえると思える。それでこそ、先生だと。
「だが、意外な……本当に、意外なことにお前が試練を引き受けると言った。―――――そして、生き延びた」
先生は、ニヤリと笑う。
「この世界じゃ、一人ですら生き残るのは難しい。それをお前は、あのお嬢さんの命を抱えた上で生き延びた………ああ、私の命も、か。……――――お前はあの瞬間、間違いなく私よりも生きるのが上手かったよ」
「それは……、違います。俺は、ドラゴンによって生きさせられているだけです」
「違わないさ。お前は、ドラゴンに命を取られないと確信していた。ドラゴンがお前の命を拾うと知っていた――――――――ドラゴンを、利用したんだ。……全く、どこにドラゴンを利用する人間がいるんだか!」
先生は、呆れたように。誇らしげに、笑う。
「なんでお前が自分を卑下するのかは知らん。お前が誰に懺悔しているのかも、知らん。興味ない」
「俺は……」
「だがな、お前には誇ってもらわないといけないことがある」
指が此方に向けられる。
「―――――――お前が、努力したことだ」
……視界がやけに、霞んでいる。
「私はお前が大嫌いだ。気持ち悪いし、性格も卑屈でウザい。……だが、私はお前を認めている。お前の努力を、認めている」
「努力って……。俺は、誇れるようなことはしてませんよ」
「はッ。底辺ほどの魅力で、血反吐吐いても立ち上がって、才能の欠片もないのに剣を振り続ける――――それが、努力じゃなかったらなんだってんだ」
目の前の人物が、俺には誰だか分からなかった。……ミヤ先生という人物は、こんな、こんなこと、言う人ではなかったはずだ。
「なん、ですか……。急に態度が、変わりすぎでしょう…。何を企んでいるんですか」
「うるせぇ! 私だって恥ずいのを我慢してんだよ!」
銃声のような音が破裂し、俺のデコに衝撃がぶつかる。痛い…。思わず手で押さえながら先生を見ると、手をデコピンの形に変えている。
「……努力を出来る奴は沢山いる。ただ、努力の結果何かを手に入れられる奴はほんの僅かだ。―――お前は、手に入れた。そしてお前は試練すら生き抜いた。……そんなお前を、認めないのは私の矜持に反する」
「矜持、ですか」
「そうだ」
ズキズキと、額が痛む。とても、とても、痛い。
「――――ああ、けど。どれだけ私が何かを言っても。お前は誰だか知らない奴に頭を下げて、胸を張らないんだろうなぁ…。まったく、面倒臭い弟子だ」
先生は、ボリボリと頭を掻いた。
「けどな、これだけは誇れ。お前は、弱い」
「……そう、ですよ。俺は、弱い、だから――――」
「だから、お前は強いんだ」
ボトボトと、何かが零れていく。俺から何かが零れていく。
「弱い奴は弱い。強い奴は、強い。それがこの世界の摂理だ。―――お前はそれを、知っている。自分が弱いと自覚している。だからこそ、お前は今まで生き延びてきた」
零れだす何かは、止まらない。
「欲望のためであれ、夢のためであれ、……誰かのためであれ、贖罪のためであれ。お前はここまで生き延びた。――――それは強さだよ、ハーン。生きてる奴が、最強だ」
涙が、止まらない。
「変わらずお前は気持ち悪いが……………強くなったな、ハーン」
地面が俺の涙で濡れていく。先生の言葉が、心を震わせた。
「うわっ、何泣いてるんだよ。キモいなぁ!」
「し、仕方ないじゃ、ない、ですか! ……そんなこと、貴女に、言われたら――――」
――――嬉しいに、決まっているじゃないか。
「……はっ、そうかよ」
俺は、この世界で一番、ミヤ先生を尊敬している。
先生は色々と酷い。オッサンみたいだし、汚い言葉で罵ってくるし、訓練はただのリンチだ。先生の一撃で、何度吐いたことか。俺が金剛を生涯の魔法にしてなければ、きっと命を落としていたんじゃないだろうか?
それでも、先生には救われた。
先生はこの世界の住人だ。この世界の、異世界の、人間だ。……けれども、先生の考え方は一般的な人間のものとは違っている。正確には、基本的な思考回路は同じだけど、どこかズレている。
本音ではないと思っていた。そんな人間はいるはずないと。それでも俺は、そんな先生の考え方に救われた。
それが何故だか俺は知らない。先生に聞こうとも思わなかった。命に関する考え方すら違う――――それは即ち、過去に何か重大な出来事が、先生の身に起こったのだろう。それを聞こうとは、思わない。
理由を知らなくても、その考え方に救われたことは事実だから。
この世界ではなく、前世の世界の『人間らしい』ミヤ先生。そんな彼女の存在が、俺にとってどれほど救いになったことか。
―――そして何より、彼女の持つ生き抜く技術。
逃げ足を速くする方法、食べれる物を選別する技術、危険を察知する方法、気配と痕跡を消す技術。……挙げていけばきりがない。
深層から帰還したのも、試練を乗り越えたのも、全てミヤ先生のお陰だ。
尊敬しない訳がない。感謝しない訳がない。―――――そんな人に認められて、嬉しくない訳がないじゃないか。
「いつまで泣いてんだよ馬鹿弟子! 試験は終わってねぇぞ、さっさと構えなおせ!!」
叱咤が飛び、そこでようやく俺は、涙を止めることに成功する。
「……はい。……――――――はいッ!!!」
服の袖で、乱暴に涙を拭う。肌を突き刺していた冬の風が、何故だかとても温かく感じる。俺は、拳を前に突き出し、先生の姿をもう一度視界に捕らえる。もうこの人の前で、情けない姿を見せたくない。――――心から思った。
「話過ぎちまったなぁ。……正直もう飽きたし、次の一撃で決めようや」
「…望む、ところです」
「へっ。いい返事するようになったじゃねぇか。―――――――――――殴り方は、もう教えたよなぁ?」
先生との授業を思い出す。体で覚えろという、まともに何かを教えられることのない授業の連続だったが……一つだけ、先生からまともに教えてもらったことがある。
「よく、覚えてますよ――――――人を、ぶん殴る方法」
心臓を、動かす。その瞬間、すぐさま体中が熱くなってくる。全身の魔力が一気に活性化した証拠だ。
「行くぞ、ハーン。これが私の、全力の一撃だ」
先生を見ると、纏っていた魔力が右の拳に集中しているのが理解できる。きっと、先生も同じような光景が見えているのだろう。
『金剛』とは、全身を硬化させる魔法。魔力を集め、威力を高めれば高めるほど、硬度は上がり相手の一撃を防ぐ盾となる。……ただ、硬い盾は同時に壊れぬ武器に転じる。全身の魔力を集中させた俺の拳は、最硬の拳だ。
――――教えを、思い出す。
人を殴るときは、躊躇うな。
人を殴るときは、全力で。
人を殴るときは、ソイツの全身を……砕くつもりで殴れ。
「これが俺の、先生が認めてくれた弱い俺の、全力の一撃です…!」
足を、動かす。最も尊敬する、先生の元へ。
「ウオォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
「オラァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
距離が縮まる。先生との距離がゼロになるまで、あと……一歩。
「ミヤ流、戦闘術……ッ!!!」
先生が教えてくれた、たった一つの戦う技術。
それは技と言うには、余りにもお粗末で―――暴力的な技術。腕を振りかぶり、足を踏み込み、拳を、振るう。
「『金剛砕拳』ッ!!!!!!!」
ただぶん殴るだけの、全力の一撃。
「『波伝砕拳』ッ!!!!!!!」
二つの拳が、一点でぶつかり合う。俺の拳がただ硬いだけなのに対して、先生の拳には約『十発分』もの力が込められている。先生の魔法は、別の場所に力を伝える魔法。力の強化は行えない。故に、本来ならばありえない現象。
けれども先生は恐ろしいほどの精密な魔力操作で、殆ど同地点と変わらない別地点に力を伝えている。つまりは、魔法を発生させる場所を僅かにずらすことで例外的に力の強化を行っているのである。
勿論それは自身から離れれば離れるほど、困難な技術となるだろう。しかしながら、それはいま関係のない話。
正しく先生の拳は、全てを砕く拳であった。
「―――――――ッ!?」
押し負けた。土の味を噛み締め、遠くにあったはずの木に体をぶつけたところで、それを理解する。……弾け飛ばされたのだ。余りにも強い力に、体の質量が耐え切れなかった。紙屑のように、吹き飛ばされた。俺が義足の力を利用して、全力で地を踏み込んでいるのに。
右手の拳が、酷く痛む。
「……ははっ。すげぇ―――」
悔しい。そんな思いよりも、その言葉が先に口に出る。
―――上だ。遥かに上だ。ただドラゴンと出会ったときのように、陰鬱とした気分にはならない。寧ろ、……清々しい。
「やっぱり、さすがです……先生」
「はっ、嫌みかよ」
先生が近づいてくる足音が、耳に入る。
「本音ですよ。……見て下さい、全力で硬くしたのに、血だらけだ」
そんな彼女に見せつけるように、痛む右手を上げた。
「だから嫌みだって言ってんだよ。……見ろよ。お前のせいで柔肌がボロボロだ」
血だらけな、俺の右手。それに重ねるように、先生は同じく右手を差し出した。俺の右手に、先生の右手から溢れる血液が零れてくる。地面に流れ落ちた血液は、一見すると何方のものかは分からない。ただその損傷の具合を見れば、どちらの血液が多くを占めているのかは判断できるだろう。
「いつのまにそんなに硬くなったんだぁ? 深層の壁だってそんなに硬くなかったぞ」
「……財宝の力を使って、全力で硬くなったのに―――先生はそれを超えてきましたけどね」
「馬鹿。その程度のズルで負けてたまるかってんだ」
…どっこいしょ。
先生はオッサンのようにそう言いながら、俺がぶつかった木の幹にもたれ掛かる。丁度、俺と隣合う形だ。
「―――合格だよ。ハーン。まだまだ教えられることはあるが……、お前なら自分で見つけるだろうよ」
「……はい」
また、目頭が熱くなる。今日の俺は、どうやら涙腺が壊れてしまっているようだ。
「ああこれで、お前ともお別れだ。―――せいせいするな」
「酷いなぁ……。――……これから、どうするつもりですか?」
「知らん。いつも通り、適当に生きるさ。ダンジョンでも潜りながらな」
そう語る先生の横顔は、どこかつまらなそうで。……だからこそ、俺の口は勝手に言葉を紡ぐ。
「―――――だったら、俺と旅をしませんか?」
「………………はぁ!!??」
―――先生のこんな顔は、初めて見たかも知れない。……そんなに驚くことだろうか。
「俺は、まだ先生から色んなことを教えてもらいたいです。―――だから、俺の修学遠征に同行して頂きたいんです」
修学遠征。それは、学園で授業を受ける必要がないと判断された優秀な生徒に贈られる特権の一つ。見聞を広めることを目的とし、学園の金銭的な援助を受けて生徒は好きな場所へ旅に出ることが出来る。ウルタスという、国の外へも。
詳しくはネットが申請を通してくれたので分からないが、ドラゴンの財宝を手に入れた俺は例外的にその優秀な生徒の枠に入るらしい。俺のわがままを聞いてくれた友人には、感謝しかない。
「………はぁ、そういうことか」
「何がですか?」
「何でもねぇよ」
ミヤ先生は大きくため息を吐いた。全力で魔法を酷使したのだ。しかも先生の技は精密な操作が必要なため、かなりの集中力を使う。疲労が溜まっているのだろう。
「―――でも、そうか。お前、旅に出るんだな」
「はい。……先生に、教わったので」
旅の、魅力を。
「はははっ」
先生は笑う。とても、嬉しそうな顔で。
その笑顔は先程までのオッサン臭い仕草からは想像できないほど―――愛らしい、少女のような笑顔であった。
「――――悪くねぇな」
……つられるように俺も笑顔になるのは、きっと自然なことだろう。それほどに、愛らしい笑顔なのだから。
「……うげぇ。やっぱりお前の笑顔気持ち悪い――――笑うな!」
―――――――――………やっぱり先生は先生である。酷くね?




