五十九話
俺があの指輪を破壊してから、一ヶ月が経過した。学園内の木々は既に枯れはて、地面には生徒によって踏み砕かれた落ち葉が散らばっている。季節はもう冬。俺がこの学園にきてから、二回目の年越しを迎えようとしていた。
この世界の冬は寒い。風が一つ吹くたびに肌がヒリヒリと悲鳴を上げる。俺の『金剛』では温度の変化は防ぐことができないので、夏と同じく辛い時期である。しかもこれから更に寒くなるのだから、本当に憂鬱だ。
しかも動物として強いこの世界の人間。雪が降り積もったとしても普通に平気なので、暖炉などの体を温める物がほぼないのである。正直俺は凍傷になりかけたことが何度もある。当然それは嫌なので今日も俺は厚着をして、授業に向かう。
廊下を歩くと、多数の生徒の視線が此方に向かってくる。それは俺にとって当然のものでありながら、そこに含まれている感情には新しいものが含まれていた。
それは恐怖という感情。
テスラは国の経営する病院へと運ばれた。ドラゴンの誘惑によってアイツの体は既にボロボロで、命を守るために集中的に治療を行う必要が出たのだ。この王国の医学でも当然前世の医療よりは低い技術のため心配だが、どうやら彼には最高級の医療が行われるらしいから、少し安心はしている。
そこは本当に、ネットとグリージャー先輩に感謝だ。
入院ということになったテスラだが、そんな彼のことが学園内で噂にならないはずはなかった。当然、そんな彼と対峙した俺のこともまた。
「師匠! おはようございます!」
そんな中、態度の変わらない可愛い愛弟子であるプランがやってくる。別段何かは教えているつもりはないのだが、彼は相変わらず俺を師匠と呼ぶことを止めない。それどころかテスラとの一件があって以来、彼が俺に向ける尊敬の眼差しがより強くなった気がする。
「おはよう…」
「師匠? 元気がない様子ですが…?」
「いや、なんだ。どの世界も人は簡単に態度を変えるんだなと」
「?」
魅力の瞳の封印による代償で、俺の魅力は最底辺。そのおかげで俺は学園中から侮蔑され続けていたのだが――――現在、俺は学園中の人間から恐れられることになった。
その理由は単純。俺が瞳を開放し、テスラに勝利したからである。
考えてみるとそれもそうだ。負けはしたものの、武闘会で優勝した学園最強と名高いカール先輩に健闘し、偽りながらも財宝を所持していたテスラ。学園内で彼の名前を知らない生徒はいないんじゃないだろうか。それほどに、将来を期待されていた。
そんな彼に、勝利した俺。勿論、俺が実力で勝ったなんて思う奴はいない。全員がこう思っただろう。
――――――アイツはきっと、とんでもない財宝を手に入れたに違いない。
極めつけは、学園中の人間が感じた異常なまでの魅力。これがその考えを、大きく後押しした。魅力こそが強さ。強さこそが魅力。この世界にいる人間が、恐怖を感じない訳がない。ましてや、自分達が邪険に扱っていた人物がその魅力を『持っていた』のだ。報復されることを想像するのが普通だろう。
「……そう考えると、お前はなんで変わらないの?」
「―――? よく分かりませんが、僕は師匠を尊敬しています!」
「そ、そうか」
可愛らしく首を傾げているプランを見ていると、頭の上で俺の元心臓がモゾモゾと体勢を変えるのが分かった。最近のコイツは俺の頭の上にいるのがお気に入りで、鬱陶しいことこの上ない。何故かコイツが頭の上にいる方が、気分的に落ち着く自分がいることにも腹が立つ。……元々は自分の体の一部だから、コイツも俺も密着している方が落ち着くのだろうか。
「そういえば師匠」
「ん?」
俺達は廊下を歩きながら話を続ける。目指すのは教師達がいる職員室だ。そこで、ネットと待ち合わせをしている。
「その聖獣様にお名前は付けられたのですか?」
「あー」
「きゅー?」
よんだ? と言ったのか、俺の頭の上にいるやつが鳴く。聖獣と錯覚されているコイツだが、プランの言うようにコイツに名前はまだない。正直生き物なのかも怪しいコイツに、名前を付ける意味があるのか分からないのが本音だ。
「きゅ、きゅー」
前足をペシペシと頭にぶつけてきた。柔らかいので痛みはないが、クリスが作ったものだと思うとイライラする。まぁ、俺の心臓だけど。
「ほら、聖獣様も名前を付けてほしいそうです」
「えー、めんど」
前足のペシペシが強くなる。生意気にも付けろと要求しているようだ。
「じゃあ、ハートで」
心臓だし。
「ハート? ……いい名前ですね!」
「え? これが良い名前なのか……?」
「きゅー!」
頭の上のコイツ……ハートも喜んでいるのか高い声で鳴いている。本当にお前はそれでいいのか? いや、お前を示す言葉にハート以外に適切なものは無いんだけどね。
「ハート様! 僕は師匠の弟子のプランです! 改めましてよろしくお願い致します!」
「きゅ、きゅー……」
綺麗な直角のお辞儀を見せるプランに、ハートは「まぁ、よろしくしてやるよ」とでも言っているのか、偉そうに鳴いた。器用に空中を飛びながら、前足を組んで胸を張っている。とりあえずムカついた俺は、ハートの首根っこを掴んで適当な場所にぶん投げた。
「きゅぅぅぅ!?」
「聖獣様ぁぁぁぁあああああああああああああ!」
飛んでいくハートをプランが慌てて追っていく。別にどこにぶつかろうがなんだろうが、ハートの体が傷つく心配は一切ない。アイツの体はクリスの特別製。柔らかそうで愛らしい見た目と違って、肉体の防御力はかなり高い。
それに、アイツの体には自動的に『金剛』が掛かるようになっている。
俺の生涯の魔法である金剛は、自分の体の硬度を上げる魔法。当然他者や物質に掛けるなんて、便利なまねはできない。しかしながら、アイツは俺の心臓だ。クリス曰く、お前の体に違いはないのだから、出来ない道理がないだろう? とのことだ。正直意味が分からん。
分からないが、出来てしまうのだからドラゴンはふざけている。
「なにしてんだよ、お前は……」
「ネットか。すまん、遅れたか?」
「いや、時間には余裕があるよ」
気づけば目的地に到着していて、目の前にはネットが呆れ顔で此方を見ていた。
「なんだか意外だな」
「なにがだよ」
「お前のことだから、緊張しているかと」
俺の様子を見たネットは、そう口にした。確かに過去の俺なら、これから会う人物のことを考えると緊張で挙動不審になっていただろう。
「別に、緊張をしていない訳じゃない」
「そうか? そうは見えないが」
小心者の代表とも言うべき俺だぞ? 緊張するに決まっている。何せ、この国の公爵様だ。国王の右腕と言われている男に会うのに、寧ろ緊張しない奴がいるのかと。現に俺の手汗は凄まじいことになっている。
「うん、確かに緊張しているな」
更に緊張で、体が若干震えてしまった。それを見たネットは納得したのか、うんうんと頷いている。
「でも、冷静だな。前のハーンからは考えつかない」
「まぁそれは、間違いない」
過去の俺だったら、体が震えるどころか尿を漏らしていた可能性がある。真面目な話。本当に、真面目な話だ。
「けど考えてもみろ、ネット」
「うん?」
「ドラゴンじゃあるまいし。そんなに心配する必要もないだろ」
「凄い説得力!」
例え、今から会う人物。『ガラフ・グリージャー』が、どれだけ恐ろしい人物だったとしても。ドラゴン程ではない。
そんなことを考えられるほど、俺の中で何かが成長していた。―――――いや、ただ慣れただけか?




