五十七話
俺とテスラの関係は、とても短時間で築かれた。
きっかけは、ネットが俺を友人と呼んだことだ。友達の友達は、もう友達。そんな言葉が正しいとは思わないけれど、少なくとも彼は俺の友人になろうと手を差し伸べてくれた。そのときの彼の心情を知ることはできないけれど、正直嫌だったろう。
ネットは俺と友人になることでイブさんを守ることができると考え、俺に近づいたけれど、テスラには大した利益はない。それでも将来仕える予定だったネットが俺を友人と呼んでしまったから、彼としては手を伸ばさなければならない。それに自分自身忘れがちだが、俺の身分は貴族だ。平民の彼としては邪険にする訳にもいかない。それはダッグも同じだったと思う。……まぁ、あの暑苦しい男は何にも考えてなかったかも知れないけれど。
それでも俺達の関係は、確かに友人関係だった。思い返しても、親友という言葉はそぐわない。そぐわないが、友人だった。それは、信じている。二人で静かに歩く時間は、とても心地の良いものだったから。
彼との仲が深まったのは、いつだったろうか。少なくとも、俺が、彼を親友と呼びたくなったのは、いつだったか。
――――――――――――――………夢だ。
ああ、そうだ。俺達は、お互いに人生の目標を語り合った。―――そして、俺は彼の夢を知った。
彼にとってそれは、何気ない会話の一部だったのだろう。何故ならそれは、彼の人生において絶対に不変なものだから。テスラは決断した。決意した。そして、覚悟していた。俺が生き抜くと約束したように、彼はその夢を魂の奥底に刻んでいた。
人生を掛けて――――命をかけて、そこに行くと。
それは、俺には決してできない『生き方』だった。俺には眩しすぎるほどの、生き方だった。俺には夢がない。夢を持つ資格などない。俺はただ、この人生を生き抜くことに費やさなければならない。だから、俺にはテスラが輝いて見えた。
「やぁ、久しぶりですね。ハーン」
「そうだな、テスラ」
老人のようだった。体中の筋力は衰え、皮膚には皺が刻まれている。髪には白髪が混じり、声はしゃがれていた。瞳に宿る強い意志の光だけが、俺が彼をテスラだと認識させる。彼は震える左手で、右手に付けた緑色の指輪を撫でていた。その行動には、彼の意思のようなものを感じない。無意識のうちに、行っているのだろう。
テスラは俺を無言で見る。憎悪の籠った瞳で、俺を見る。
彼は、俺に怒りを感じていた。それはきっと、俺が財宝をネットに譲ったときから。
俺はその怒りに気づきながら、それを指摘することができなかった。何故怒っているのか、そう聞くことができなかった。………いや、今思えば気付かないフリをしていたのだろう。彼に拒絶されることが、とても恐ろしく感じたから。
テスラには夢があった。必ず叶えると誓った夢。英雄になるという夢。
だから、力を欲していた。ドラゴンの財宝を、求めていた。
それはとても強い願いだった。勿論それを手に入れることは、困難だと理解していただろう。強運がなければならない、人生を掛けても、手に入らない物は手に入らない。ドラゴンの財宝とは、それほどのものだと。けれど彼は諦めず、ダンジョンに潜っていた。
そんな中で、それを手にした者がいた。その人物は自分の友人で、とある男から譲り受けたのだという。
テスラには、理解ができなかった。手にした巨大な力を他者に譲るという思考が。怒りすら感じた。その者は自分と同じで恵まれていなかったから。けれども怒りをぶつけることはしなかった。何故なら、その者は自分と同じで、彼の友人だったから。
彼は、怒りを感じながらも友人であり続けた。何故その力を手放したのか、何故その力で更なる力を手にしないのか。何故お前は、そのままであり続けるのか。その疑問を、投げることなく。
「そういえば、グリージャー先輩はどうしたんだ?」
「…あの人には席を外してもらっているよ」
テスラはそう言うと、腰に巻いた小袋から四角い物体を取り出す。手のひらからコロコロと零れ落ちたそれは強い光を放つと、周囲の空気が変わる。あの物体はチラリとだが見たことがある。武闘会で使用されていたらしい、魔法具の簡易版。周囲に結界を張り、内部の生物の致命傷を肩代わりしてくれるという有用な魔法具だ。欲しい……が、購入できるものではない。噂では王国の財宝の力で生み出している魔法具らしいが、とても希少で一部の王族と公爵家しか所有していないという話だ。
「あの人に譲って頂いたんだ。お前とのケリをつけるためにね」
「……ケリ、か。別に俺は、お前との間に因縁があるとは思っていないけどな」
「そういうところが気に食わないんだよ、ハーン。お前はいつも卑屈で、手にした物の価値を知らない。浴びせられた罵倒の醜さを知らない。……なによりも、受けた仕打ちの憎悪を知らない!」
剣を鞘から抜き取る、鋭い音が響く。テスラはその恐ろしい物体を、ゆっくりと俺に向けた。
「決闘を申し込む。コレに負けた愚かな俺から、誘惑に打ち勝ち、試練を乗り越えた、英雄様への挑戦だ」
緑の光がテスラを包む。ドラゴンが作り出した妖艶さすら感じる指輪から発せられた、恐ろしい光。ゾクリと体中に寒気が走る。目の前にいる生物が、まるで別の生物に生まれ変わったかのように感じる。事実、目の前の男は老人のようだったその姿を変え、勇ましく逞しい肉体を持った青年となった。この姿を見て、先程までのテスラと同一人物だとは誰も思えないだろう。
「さぁ、財を手にしろ! 俺はお前に勝って、俺の価値を証明する!」
俺にはテスラがどうしたいのか理解できなかった。ただ分かったことは、目の前にいる男の目は真剣だということ。冒険祭で、ドラゴンの作り出したあの指輪に惑わされたときのような、曲がった目をしていないということ。
そして、自分の心が、コイツのために何かをしてやりたいと叫んでいること。
「――――ああ分かったよ、テスラ。決闘をしよう。ケリをつけよう。お前が、望むなら」
それが、俺の贖罪だ。
「……名乗れよ、ハーン!」
テスラの口角が上がる。それが何故か、許しのように思える。
義足に魔力を通す。偽りの心臓に魔力を通す。土塊の剣に、魔力を通す。
―――――――――――――――――そして、瞳を開放する。
「――――ッ!?」
この世界の人間は、伝えるという文化が疎かだ。何故なら、命の縁を結んでしまえば言葉はいらないから。言葉よりも抽象的な何かを、簡単に伝えることができてしまうから。だからこそ、人間の文明で文学というものはあまり発展していない。
それでも、この世界の人間は名乗る。お互いに、譲れない何かがあったとき。決闘という場で、自己を名乗る。これまで歩んできた、人生を言葉にする。
即ち、これまで鍛えてきた技術。これまで磨いてきた魔法。そして己の……名を。
「……ミヤ流戦闘術『金剛』、ハーン・ウルド」
「ウルタス王国流剣術『心眼』、テスラッ!」
俺はそれが何故か理解できていない。何故かと問うても答えが返ってきたことはない。――――――つまりは、それが、文化というものなのだろう。
そして俺は、その文化を嫌いになれなかった。いや、嫌いになれなくなったという言葉が正しいのだろうか。
「いくぞ、テスラッ!」
「俺が……勝つッ!」
戦いというものが、こんなにも楽しみなのは、初めてのことだった。




