五十四話
生物の気配が、目の前の小さな生き物しか感じられない異質な空間。その空気が、より清純で野卑な物へと変わるのを感じる。
「どうした? ハーン」
「………随分と、愛らしい姿になったな」
分からないはずはない。クリスだ。―――だが、クリスではない。この身で感じる空気はドラゴンのそれなのだが、目の前の生物がアイツと同一の物ではないと。第六感とも言うべき何かが俺に伝えている。
少なくとも、俺がアイツに「可愛らしい」という感情は抱かないはずだ。それだけは間違いがない。
「何、私は今手が放せない状況にあってね。しかしながら、愛しいハーンを、魔法で観察するのも趣がないと思ってね。コレを使って、このように君と愛を育んでみようという試みさ」
目の前のソレは、前足の爪を使って器用に自分を指す。その動作の愛らしさと声の異質さが混ざり合い、気持ちが悪い。吐き気がする。
つまりは監視カメラということだろう。それも通話機能と、監視対象追尾性能も兼ね備えた高性能カメラだ。更にAIも搭載とみた。さすがは、ドラゴン。
「それはそうと、体調はどうだい? 違和感はあるかな?」
「―――分かっているだろう」
全くもって違和感がない。惚れ惚れするほど完璧だ。まるで、生まれた頃から俺には心臓が無かったかのように。
胸の奥から湧き出る怒りを、必死になって押さえる。その反応を楽しむための質問だと知りながらも、俺はそれを止めることができない。ドラゴンへの怒りを、忘れることなどできるはずもない。
「俺の心臓を、何処へやった」
怒りのままに、俺はその質問をぶつけた。目の前の、生物型のカメラを通して。
「ん? あるじゃないか。目の前に」
可愛らしいはずの小さな生き物。その口が、歪に動く。それが笑顔なのだと理解するのに、数秒時間を労した。
「―――ッ! ……そうかよ」
あの時、薄れゆく意識の中で見たクリス。そしてその手の中にあった、俺の心臓。ソレはグニャグニャと形を変え始めていた。
つまりは、そういう、ことなのだろう。
こいつは俺の足だけでは飽きたらず、俺の、心臓すらも弄んだのだ。
「そう怒るなよ。ほら、ご褒美だよ。君にコレをあげよう」
クリスは生物の羽を動かし、体をフワリと浮かせると、その体を俺の肩へと下ろす。首に柔らかい体毛の感触がした。
「どういうことだ?」
「分からないか? コレが、この偽物の『聖獣』が君へのご褒美という訳さ」
もっとも、偽物だと見抜ける物は同族以外には存在しないがね。
そうクリスは続け、俺の肩の上に器用に後ろ足で立ち、胸を張る動作を行った。見るだけならば微笑ましく愛らしい動作なのだが、それがクリスによるものだと分かると怖気が走る。
人に害を与える生き物を、魔物と呼ぶように。人に祝福を与える生き物のことを聖獣と呼ぶ。具体的な定義は、魔物と同じく決まっていない。彼らは知能が高く、魔法を扱い、人から何かを得る代わりに人に祝福を与えるという。その祝福はとても価値があり、だからこそ人や、知性ある種族は彼らを敬い、害した者を裁く。
とはいえ、それは伝説のようなものだ。噂ではウルタスの王城には聖獣が住んでいるらしいが、所詮は噂に過ぎないだろう。
それもそうだ。共生という例外を除いて、この世界は弱肉強食。それも前世よりもこの世界はその法則がハッキリとしている。人に祝福とも言われる大きな益を与えて、いったい彼らになんの見返りがあるというのだろう。
つまりは、もしも俺が。元俺の心臓である、この生物を連れて学園に帰ったら。伝説に等しい聖獣を連れてきたとされ、非常に目立つ。間違いなく。………まぁ、ドラゴンの財宝を複数手に入れている時点で遅いのかもしれないが。
いや、そもそもコイツは聖獣と認識されるのか?
俺はちょっと変わったペット扱いですまないかと、一縷の望みを掛けてみるが、直ぐにそれは望みに過ぎないと理解する。クリスが偽物だと見抜ける者はいないと断言したのだ。逆に言えば、誰もがコイツを聖獣だと認識するように、作っているのだろう。
「―――――今度は、どんな遊びを考えている?」
俺は肩に乗る白いモノの首を掴むと、その先にいるクリスに睨みつけるようにコイツの目を見た。はたから見たらじゃれ合っているようにしか見えない光景だろう。クリスは操作しているコイツの体で抵抗することもなく、されるがまま、ダランと力を抜いて答えを返してくる。
「ははは。何も考えていないさ。言っただろう? ご褒美だと」
クリスは体を操り、器用に俺の手から抜け出すと小さな翼を動かして飛ぶ。というかそもそも、形は変えられたが俺の心臓だったのだから褒美になるのかそれは。
「さぁ、ハーン。そろそろ時間だ」
俺の立つ地面に、魔法陣が浮かび上がる。
「試練を乗り越えた、英雄の凱旋だよ」
クリスはとても幸せそうに、そう言った。面白くて仕方がないのだろう、このドラゴンは。俺の人生が、歪に変わっていく様子が。
光が俺と、小さな偽の聖獣を包んでいく。ようやく、俺は帰れるらしい。―――そういえば、先輩と先生は無事に学園に帰っているだろうか。いや、ボロボロだった先輩はともかくミヤ先生がいるのだ。俺が心配をする必要はないだろう。
肩の力が抜けていく。ああ、早く風呂にでも入ってゆっくりしたい。
「きゅー!」
クリスが操るのを止めたのか、小さな生き物は愛らしい仕草で俺の肩に乗ってくる。何というかクリスが操っていたときに比べて、あざとさがないような気がする。といっても元俺の心臓だったという事実が、俺にコイツを愛でるのを拒絶させてしまっているのだが。
コイツを撫でるということは、つまりは自分の心臓を撫でるということで……。いや、元なんだけど。
『ああ、言い忘れたが』
光がとても強くなったとき、クリスが縁を通して声を掛けてくる。
『これからは、少しは目立ってもらうぞ』
「はぁ!?」
反射的に、魅了の瞳を閉じたこと。俺はその行動を、自分で褒めちぎろうと思う。なぜなら光が収まった後に、俺の目に映ったのは、人、人、人。
ウルタス魔法学園。そこに在籍する、様々な人々が俺を見ていたのだから。
「――――――本当に……帰ってきた」
その中に、赤い瞳を見たとき。俺は正直、やってくれたなと心の中で罵声を浴びせた。勿論、クリスに対してだ。こんな演出、まるで本物の、英雄みたいじゃないか。
だが、とても。そう、本当に、不思議なことに。
俺の口は、クリスへの恨み言を吐く前に、とある言葉を出していた。
「えっと………ただいまです? 先輩」




