五十話
グッと、こみ上げる何かを堪える。
この何かが、どんなモノなのか。自分から生まれた物だというのに、よく分からなかった。それは一つの何かが塊として存在しているかのように思えるし、色々な何かが複雑に絡み合って一つに固まったかのようにも思える。
『だからアレはどんな物なのか、具体的に教えて下さいよ!』
そんな言葉を吐こうとして、声にならない。俺は別に、この人がどういった経緯でここにいるのか。そしてアレが何故この人を襲っているのか。そんなことを聞きたくて質問を投げかけた訳ではない。ドラゴンの作り出したこの遊びから、玩具である俺が生き残るためのヒント。それが欲しくて堪らない。だから、問いかけた。
それなのにこの人は、いつまで経ってもそれを語らない。俺の質問への回答を口にすることはなく、そこまでの経緯を永遠と語った。もったいぶっているのかと、怒鳴りそうになる自分を抑えるのに必死だった。
けれども、怒りを飲み込んだ瞬間。彼女の話を真剣に聞いている自分がいることに気が付く。そのときにこみ上げる、何か。その感情を表す言葉を、俺は知らなかった。
『—―――ッ!!』
体が震えた。彼女曰く、ドラゴンが与えた試練。ドラゴンが作り出した化け物。その咆哮が、複数。遠目に見えるその姿は、今にもヌラヌラから抜け出そうな化け物を含めると、四体。
「試練、ね」
結局、グリージャー先輩から得ることのできたヒントはそれだけだった。もう話を聞いている暇を奴らは与えてはくれないだろう。何より項垂れている彼女は、語る力を失っている。心底恐ろしく感じる咆哮を彼女もまた耳にしているはずなのに、罰を待つ罪人のように無防備だ。
「ミヤ先生」
「……なんだよクソ弟子」
口にしてみて、疑問に思う。何故先生も、彼女の話を黙って聞いていたのだろう。先生の性格なら、真っ先に怒鳴って答えを引き出そうとするだろうに。公爵家の令嬢だろうとお構いなく、自分ためなら殴ってでも情報を吐かせるはずだ。でも先生は、そうしなかった。
答えは先生の表情に記載されていた。――――きっと俺も、前世の自分の姿を見せられたらこんな顔をするだろう。先生の過去に何があったか。少々聞きたい欲求にかられるが、今は他にやることが多すぎる。
「今度は先生が、先輩を担いでくれませんか?」
「その方が、お前が速く逃げれるってか?」
「いや、そうじゃなくて……」
―――いや、出来たらそうしたいんだけど。残念ながら、そういう訳にはいかない。ドラゴンが『遊んでいる』のだ。それだけで逃げ切れるのなら苦労はしない。だから。
「試練、俺が引き受けようかと」
「はぁ!?」
そんな驚かなくても。……いや、驚くのも当然か。
正直、自分でも自分の言動に驚いている。俺のことをよく知っている先生なら、その驚きもまた一入だろう。目の前にいるのは、本当に俺なのか。そんな目で見られるのも仕方のないことだ。
「本気か?」
「はい」
これが最善です。そんな意思を込めた視線を返す。伝わったのか、伝わらなかったのか、先生は一度鼻で笑うと、間抜けな表情で俺を見つめていた先輩を無理矢理肩に担いだ。
「む、無理だ! 何を言っているんだ、ハーン!!」
担がれたことが引き金になったのか、目が覚めたかのように先輩が口を開く。その声には、心底俺を心配する気持ちが込められているのを感じた。
……しかしながら。先生に担がれているおかげで、此方を向いているものが形の良い尻なのが非常に残念である。まったく感動できません。寧ろズボンが破けている部分があるものだから、何だか変な感情が生まれてしまいそうだ。いかん、いかん。そんなものに、一体何の価値があるというのか。
「無理、ですか?」
生まれそうな奇妙な気持ちを振り払うように、視線を化け物共に向けながら俺は先輩へそう返す。
「そうだ、無理だ。無理なんだハーン。勝てない。ドラゴンには、勝てない。例え誘惑を振り払ったお前でも、この試練は……。だから―――」
「―――だから諦めて、私を置いて逃げろ。とでも言うつもりですか?」
後ろ聞こえてきた、声が止まる。
「無理だから、諦めるんですか?」
「…無理なものは、無理だ」
「生きるのを、諦めるんですか?」
化け物の姿が、近づいてくる。ヌラヌラに捉えられた化け物が、拘束を破ろうとしている。
「俺は嫌ですね。絶対に。無謀でも、不可能でも。立ち向かって、打ち砕いて、生き残ります」
剣を構える。全身に、魔力を行き渡らせる。
「生きて、ますから」
戦闘準備、完了。
「――――あ、一つだけ言っときますけど。別にお前を助けるために、立ち向かう訳じゃねぇからな? 勘違いするなよ、クソ女。ちょっと感動してんだろどうせ」
どうせ瞳に涙貯めてんだろ。尻しか見えないけど。
「――――へ?」
尻が喋る。
「なぁ、どうなんだ。感動してんのか? あぁん!?」
「や、……え?」
尻が困惑する。
「馬鹿じゃねぇの。誰がお前のために命を危険に晒すかっての!」
そんなこと天と地がひっくり返ってもあり得ないわ!
「べ、別に、そんな」
尻がちょっと悲しそうにする。
「お前に巻き込まれたせいで、俺もドラゴンに目をつけられたんだよ。試練の標的になってんの。だからお前を置いて逃げても、奴らはどうせ俺を追って来るの。分かる? だから逃げても立ち向かっても変わらないの。寧ろ正面から立ち向かった方が生存確率は高いの。だから足手まといになるお前と、無関係なミヤ先生に逃げてもらうの! 分かった!? 感謝なんか、絶対すんじゃねぇぞ!?
「は、はいッ!」
うむ。良い尻だ。――――間違えた。良い返事だ。
やっぱ、誤解はよくないからね。早い内に解いとかないと。勝手に感動されても困るんだよね、ほんと。
先輩に話したことは、殆ど本当のことだ。まぁ、俺は恐らく、この世界に生まれたときからドラゴンという種に目を付けられているのだろうけれど。先輩の事情は、俺が今、遊ばれようとしているきっかけに過ぎない。だから本当に、感謝とか止めてくれ。本当に、そういうの、いらない。
だから――――、多少のウソは許されるだろう。
「じゃあ、先生。逃げて下さい」
「―――お前。本当に大丈夫か?」
一見。俺を心配しているように聞こえるが、本当に俺が足止めを出来るのか心配しているところが先生らしい。お荷物を抱えて逃げなければならないのだから、それも当然か。俺が突破されれば、先生は生き残るために先輩を見捨てるだろう。それは、教師という立場として。何よりウルタスという国に所属する人間として、不味いことだろうから。
「大丈夫ですよ。少なくとも、今回に限って言えば先生よりも上手く生き残れると思います」
「……らしくもない自信だな」
「事実ですから」
先生の無言の怒りが伝わってくる。確かに言い方は生意気で失礼だったかもしれない。でも、事実は事実だから仕方がない。
目には目を。歯には歯を。ズルには、ズルを。ドラゴンを相手にするには、反則ぐらいが丁度いい。
「では、また」
「ああ、また」
それが火蓋だった。
化け物は俺達に向かい、俺は化け物に向かい、先生は先輩を担ぎ、逃げる。正直にいって恐怖を感じる。この化け物共に立ち向かって、生き残る自信はあるが……それでも一歩間違えれば。そう考えてしまうのは、どうしようもない。
『―――――ッ!』
化け物共が近づいてくる。体が震える。けれども頭は冷静だった。そんな奇妙な感覚の中で揺れながら、生き残るためのプランを開始する。
俺は、剣を振りかぶった。
「ハーンっ!」
声が聞こえる。反応する時間はない。
「君は怒るかもしれない……。でも、それでも――――ッ」
そして、剣を地面に、突き刺す。
「ありが――――」
「うるせぇ」
次いで、剣に伝える。
「恩返しに、感謝するなよ」
『飲み込め』
さぁ、舞台は深層だ。無様に足掻いてやるから、せいぜい楽しめよ――――ドラゴン。




