四十五話
今も昔も、前世も今世も。学生という生き物は休みを与えられると、狂ったように喜ぶのは同じらしい。それが長期休暇なら猶更。前世を思い返してみると、俺もまた同じように喜んでいたのを明確に覚えている。さして家から出る予定もなく、何かすることがある訳でもないというのに、夏休みという言葉の魅力にあてられて、アホみたいなツラに磨きが掛かっていた。
なら今の自分の顔はアホみたいではないのか。と、言われてしまえば否定はできないのだけれど、少なくとも精神的な面ではこの学園の生徒共には勝っているのではないかと、最近思いつつあるのだ。
ハッキリ言って、今の学園の生徒達は浮かれている。浮かれすぎている。過去の俺のように。
―――言っておくが、過去の俺の浮かれ具合は相当だ。
海に行く予定もないのに、学生の財布事情からするとクソみたいに高い、(当時の俺からすればオシャレな)水着を買ったほどである。因みに、誰かを誘ったりもしなかった。夏休みなのだから海には行くだろう。そして誰かが誘ってくれるに違いない。勿論女子。前に美が付く。……そんな妄想を、本気で信じていたのである。
過去の俺は浮かれていた。そんな俺ほどに、アホみたいな俺ほどに、生徒達は浮かれている。
長期休暇が与えられただけなら良かった。きっと彼らは、その休みを、自らを高める時間として有意義に使うことを考えただろうから。でも、そうはならなかった。
原因は、唯一つ。夏休み前に行われた、イベント。
―――……武闘会。あの憎たらしいイベントが、この学園を、生徒達を狂わせたのである。
いや、武闘会事態は、悪くない。俺にとっては胸糞悪い最低なイベントだとしても、去年はそんなことはなかった。問題は、最後の最後で行われた、あの殺し合い。アレだ。
結論から言ってしまえば、アレのせいでこの学園は、俺にとってまるで地獄絵図だ。毎日のように血が飛び散り、幾つもの命が奪われる。こんな場所を、地獄と呼ばなくてなんと呼ぶ!
「恋の楽園、とか?」
「どこがだ!」
夏休み明けに、カップルが増えている。そんな前世じゃあ誰にでも通じた『あるある』は、どうやらこの世界でも適応されそうである。
爽やかな朝には全く釣り合わない、学校中に染みついた嫌な香り。その中に感じる甘い香りに、自分でも驚くほどホッとした。
「おはようございます。師匠!」
「……ああ、おはよう」
今日もかわいいな、こいつ。―――心的にかなりの疲労を感じている俺は、何がとは言わないが、かなり危険なことを考えつつ、プランに挨拶を返した。
勿論だが、このかわいいは、あくまで容姿に対するかわいいである。と、自分に弁明。
男性でありながら女性的な容姿と肉体を持つ彼、プランには、前世の感覚を持つ俺の脳内で『かわいい』という形容を付けざるをえないのである。当然そこに感情は発生しない。あくまで、子猫を見るような感覚だ。と、自分に弁明。
「さぁ、今日はどこまで進みましょうか!」
武闘会の件により浮かれる学園の生徒達だったが、目の前の女みたいな男の彼には大した変化がない。相も変わらず俺を師匠と呼び、ちょろちょろと俺の後ろについて来る。彼は恋愛というものにあまり興味がないのかもしれない。
「なぁ、ハーン。今日はもう少し先に進もうぜ? お前も財宝を使って大分立ち回れるようになったし、そろそろ大丈夫だろう」
また、そんな彼と同じように誰も彼もが阿呆というわけもなく。浮かれていない生徒は当然存在する。現在俺が座っているベンチで、隣に腰を下ろしている友人。ネットもまた、その一人。彼の場合は恋愛に興味がないわけではなく、既に縁を交わした女性が存在するからだろう。その女性、イブの話をするときの此奴の表情は見るに耐えない。
―――浮かれる生徒達とは、別種の阿保だと言える。
「そんな楽観的には考えられないね。大丈夫だと思って進んで、そして凶悪な魔物に追い回されろとでも?」
モールワイバーンとかな。確かに出会っても逃げることはできるだろうよ。今度は義手にでもなればな。
突拍子もなく命を危険に晒された俺は、内心でも毒を吐きながらそう答えた。ネットの近くで彼を守るかのように立っているダッグは、そんな俺に苦笑い。いつも豪快に笑う彼には珍しい表情である。決まった女性と縁を交わしていない彼は、連日押し寄せる女性達からの告白にかなりの疲労を残しているらしい。
……しかし実は彼。武闘会が終わった直後は、浮かれている側に所属していた過去があったりするのだ。何が切っ掛けとなったか俺は知らないものの、その切っ掛けによって直ぐに彼の熱は冷めたようだが。
どうやら彼は、プランよりもよっぽど恋愛事に興味なさそうに見えて、妹の少女漫画をこっそり読んでいるようなタイプらしい。だから俺は彼に同情はしない。
しないが、記憶に蓋くらいはしておこう。友人として。
「そういう意味じゃなくてだなぁ……。俺達が一緒にダンジョンに潜っているんだ。もう少し冒険しても良いと思うぞ?」
彼の言う事もわかる。魅力からその人の強さを理解することの出来ない俺でも、彼らの実力は高いと理解できる。その上俺にはあのクソドラゴンに付けられた足があるし、ヌラヌラしたまま大して成長していないものの、足止めに使える剣もある。
更にはネットの単発型の財宝もあるのだ。正直、装備だけなら学園の外からダンジョンに挑戦する上位の挑戦者にだって負けていない。俺という足手纏いを考慮しても、この四人の生存確率は他の挑戦者達に比べて圧倒的に高いだろう。ネットの言う『冒険』だって、冒険となりえないほどの確立だ。
ハッキリ言おう。財宝を俺が押し付けられてから現在まで、俺達が行っているのはただの『危険な遊び』レベルだと。
「あはは…。そろそろ新しい素材を、剣に吸収しないとヌラヌラしたままだしなぁ」
「うーん……」
俺はネット達の実力を信用している。それは間違いない。そしていつもより元気のないダッグの言うことも理解できる。俺を助けたドラゴン。クリスという名を名乗った存在は、このヌラヌラしている剣をより強くすることを望んでいる。そのためには、より強靭な鉱物、より妖しい植物、そして何よりより凶悪な魔物の死骸を吸収させなければならない。
ドラゴンがそう望むということは、つまりはそうしなければならない。ということに相違ないのだ。しかしながらそれは、ダンジョンを進むことを意味する。だから迷う。いや、ビビってる。だって、超怖いもん。
体中に残る黒い湿疹の跡。鏡の前でそれを見るたび、本来行くはずもなかったあの場所を強く思い出す。無数の目が、栄養を求めて此方を見つめるあの感覚を思い出す。炎に足を焼き砕かれる感覚を思い出す。
ハッキリ言って、あの経験は俺のトラウマの一つだ。それをこの優しい友人達は理解してくれているらしく、あくまで俺の意志を尊重して強引に連れていくこともない。だから俺はその好意に甘えている。
「いや、でもな~、うーん………」
勿論ずっとそのままではいけない。彼らの友人としてそれは間違っているし、何よりあのドラゴンがそれを許さない。でも、足が動かない。
「―――――おい」
「分かってるんだって、俺もさ。でもなぁ、ほら、分かるだろぉ? うーん……」
やっぱり、行かなくちゃ。でもなぁ…。
「……おいって」
―――いや。もう止めよう。そうやって、悩むのを止めよう。
俺は死にたくない。だからといって、危険を犯さない訳にもいかない。でもそれは、深層に飛ばされる前だって同じだったはずだ。ただ、ほんの少しその危険度が上がるだけ。
「聞いてんのかテメェ……」
―――――違う。頼りになる友達がいる。師匠と慕ってくれる後輩がいる。なら。
「無謀じゃなくて、冒険だぁッ!」
「無視してんじゃねぇぞクソ餓鬼ィィィッ!」
「お、ふッ!」
な、何なんだ、この急激な腹痛。まるで誰かに殴られたかのような……。つか、殴られた。
「こ、こんにちはミヤ先生……。相変わらず、素敵なご挨拶で」
猛烈に痛む腹を押さえながら犯人を確認すると、そこには眉間に皺を寄せた女性が一人。数少ない知り合いの中で、こんなことをするのはただ一人。俺の戦い方の教師。ミヤ先生にほかならない。
「私の声には一回で気づいてすぐさま答えろ。今度は内臓だけ破裂させるぞ」
「すみませんでしたッ!」
久しぶりに額で感じる土の感覚。土下座という格好は、どうしてこうも謝罪の気持ちを伝えるのに適しているのだろうか。格好良く決意したところを邪魔されたとか、怒りなんて湧きません。
「み、ミヤさん……、いや、ミヤ先生。こ、こんにちは」
「おう」
いつも通り情けない俺を華麗にスルーして、普段からは想像できないような震えた声でダッグはミヤ先生と挨拶を交わす。ネットはそれを見て苦笑いを浮かべた。プランはそんな二人の様子に疑問を持ちながらも頭を下げる。
何故彼の声は震えているのか。何故若干頬を染めているのか。何故チラチラと目線をミヤ先生の顔に移したり、逸らしたりを繰り返しているのか。
そこは、まぁ、記憶に蓋をしておこう。友人として。
どうやら彼の熱は冷めてはいなかったようである。―――止めた方が良いぜ? 本当に。
「えっと、急にどうしたんですか先生。ハーンに何か?」
土下座する俺。挙動不審なダッグ。特にミヤ先生と面識のないプラン。まともに疑問を投げ掛けられるのがネット一人だったため、彼が代表して口を開く。腰に手を当てて、主張のある胸を逸らしながら不機嫌そうな顔のままにミヤ先生は答える。
「来い。ハーン」
先生は首だけを動かす。動かした先は、俺達がこれから向かおうとしていた場所。
「久しぶりに、授業の時間だ」
それだけを口にすると、俺の返事を待たずに先生は其方へ向けて歩き出した。分かってはいたが、拒否権は無いらしい。変わらない先生の態度に思わず苦笑する。先生が口にした久しぶりという言葉の通り、俺が彼女に会うのは財宝を手にして戻って来たその日以降、これが初めてだったり。
あの日。先生は授業という名目で俺をとことん殴り倒し、俺が意識を失ったところで姿を消した。次の日も俺を殴りに授業を行うと思っていたが、俺がいつもの場所に行っても先生は姿を見せることはなかった。
別れ際が別れ際だ。きっと先生は俺の顔も見たくなかったのだろう。しかしながら、あれから短いとは言い辛い時間が流れた。どんな切っ掛けがあったかは知らないが、気味の悪い生徒の授業を行ってやろう。もしくは、久しぶりにあいつを殴ろう。とは思えるようになったに違いない。個人的には後者を希望。
「悪いな、三人とも。いってくるわ」
苦笑いのまま、俺は友人達三人に向けて謝罪を行う。プランは先生の豪快さに面食らったのか、唖然とした表情のまま曖昧な返事を返し、ネットは仕方ないなと一言想像通りの反応を見せた。
少し想像と違ったのは、普段と違う様子を見せていたダッグだ。
「ハーン。お前に親友として願いたいことがある」
「はい?」
肩を掴むな。
「ミヤさんって、どんな贈り物をしたら喜ぶか教えてくれ」
「知らんッ!」
――――ドラゴンの財宝でも見つけて、くれてやれば?




