四十四話
結局、恐れていた事態は避けられた。
戦いの勝者は、ビーン先輩。その顔に疲労を色濃く表しながらも、彼女は笑顔で観客に手を振っていた。彼女に強敵を倒した達成感のようなものは見受けられず、代わりに優勝への障害を一つ取り除くことができたという安心感があったのかもしれない。結局彼女にとっては、アネスト先輩に勝つことは通過点に過ぎないのだろう。そういった意味では、テスラとアネスト先輩は、今年の武闘会において少し境遇が似ているかもしれない。
しかし俺は、テスラは尊敬するが先輩のことはマジでどうでもいい。唾でも吐いてやろうか。
まったく、あれだけ大口叩いておいて負けるとか。ハッ! ウケる。先輩の悔しそうな顔が、頭から離れませんなぁ。これで当分、あの人は俺に合わせる顔があるまいて。いやはや、上手い方向に転がるとはまさにこのこと。あとは再び顔を合わせたときの態度によって、災いを転じて福と成してみせよう。こんなチャンスをくれたネットには、感謝せねばなるまい。
先輩が負けたことによって非常に気分の良くなった俺は、その日の内に行われたダッグとイブさんの試合も楽しく観戦することができた。獲物が弓であるイブさんは残念ながら呆気なく負けてしまったが、驚いたのがダッグの試合。なんと、勝者は彼となった。
組み合わせが幸運だったのもあるのだろうが、彼の魔法もまたビーン先輩と同じく、一定範囲に強力な効果をもたらす類のもの。その点において他の生徒よりも優位に立っていたという事が大きいだろう。そう考えると、この日のためにそういった魔法を鍛え上げている生徒もいるかもしれない。優勝した際に得られる、権利を求めて。
誰にでも告白をしてもいい。それはかなり、大きな権利だからだ。
基本的に、王族や地位の高い貴族には常に護衛が付き添う。アネスト先輩だったら、表情の少ないツキミヨという女性。彼女の役目は主の世話を焼くことが最もたるものであるが、主が無防備になる瞬間。どれだけ強靭な生物となろうとも抗えない、例えば睡眠を取る時間などは、主を護衛するのが彼女の役目。
告白。つまりは誰かを殺そうとする行為。それが叶うということは、命を奪うという行為が成功するということ。命を奪われるということは、告白を受け入れるということ。
例えそれが不意打ちだとしても、それは告白の成功とみなされてしまう。
勿論それは、愚かとされる行為。例えるなら、婚姻届けを勝手に作ってあまつさえ役所に届けて法的に結婚しちゃうような行為。しかし前世だったら速やかに離婚できるのかもしれないが、この世界で一度告白を受け入れたら、一生一緒にいることは確定。文字通り、一生離れられない縁が生まれるからだ。
それが例え、告白を受け入れたのが王族で、告白をしたのが平民だとしても。
この世界においても。親として、やはり子供には愛し合った人と。もしくは愛した人との縁を作ってほしいと思うのは当然かもしれない。だから、護衛を付ける。正々堂々告白もできないような相手と縁を作るような、不幸が子供に降りかからないように。
―――まぁ、地位の高い人間は基本的に不意打ち程度で命を奪われるような実力に収まってはいないのだけれど。アネスト先輩然り、ビーン先輩然り。これは推測になるが、ツキミヨさんよりも、先輩の方が強いだろうし。
じゃあなんで護衛を付けるのかという話になってしまうが、護衛をする従者には告白をしようとする者達を追い返す。もしくは選定といってもいい役割も兼ねているのである。
またアネスト先輩を例に出すが、彼女の魅力は高い。それもかなり。つまり女性として魅力的に映るということで、認めたくないが性格も良い彼女に惹かれる男は多いわけだ。その中で彼女に告白をしようとする者がいないわけがない。
当然それら全ての男達の相手をするのは、先輩にとって不利益だ。下駄箱に大量に入っていたラブレターを全て開いて読んで、一つ一つ丁寧に返事を出すのは時間の無駄というものだろう。仮にも先輩は公爵家の娘だ。先輩だって暇じゃない。
そこでツキミヨさんみたいな、従者の出番。主に告白したければ、私を倒してみろ! という感じなわけだ。勿論命は取らずに、試合的な意味合いで。
この武闘会で優勝する位の実力があればそれも関係ないかもしれないけれど、親の反対を押し切ってまで告白するよりも、やはりそれ相応の場所で実力を示して相手に自分が相応しいと証明するのは決して無駄じゃない。特に、ビーン先輩のように親が若干過保護と呼べるような方を愛したら。
詳細はよく知らないが、彼女に付いている従者の数は二桁に達しているらしい。どれだけ娘を渡したくないのやら。
………そこまで考えて、ふと思った。もしかしたら、彼女がこの大会で優勝したい理由は―――。
少しだけそれを考え、自分の思考に苦笑する。何をどうでもいいことを真剣に考えているのやら。仮に真実にたどり着いて、それで何だというのだ。俺には何の関係もない、誰かが誰かを愛しているという、唯それだけの話じゃないか。
しかしそんな、それだけの話は、俺にも影響がでるほどの盛大な話となって学園を騒がせることとなる。シンデレラとか、そういった前世の女性が憧れるようなラブストーリー。けれども舞台は舞踏会ではなく武闘会。
「では、お主等は誰へその気持ちを伝えたい?」
舞台に立つ、シンデレラと王子様。
身分違いな、二人。ただあの物語とは違って、身分は真逆な二人。彼らは互いに勝利を手にし、また命を手に入れるために、大切なその人の名前をお互いに口にする。
「カール」
「クレオ・ビーン」
観客が騒めいた。特に、女性陣の悲鳴のような声が強引に耳の中へ割り込んで来る。無理もない。たった一瞬で『誰かが誰かに告白をする場所』だったはずのこの場所が、『二人の愛が成就する場所』へと変わったのだから。
気づけば会場にいる俺を除く全ての観客の声援を浴びて、二人は互いに剣を抜いていた。
「おい、どうしたんだよハーン」
「―――吐き気がする」
口元を押さえる俺を見ていたネットの視線が、気遣うような優しいものから、侮蔑するような冷やかなものへと変わった。しかしながらこればかりは、どうしようもない。弁解する余地もない。言葉にする意味もない。気持ち悪いものは気持ち悪いのだ。出来たとしても、その程度の言葉だろう。
一体、どこの世界に、笑いながら殺し合うカップルがいるんだ。――――――……ああ、ここか。この世界か。
ただその光景を見るだけならば、とても美しく嫉妬すら覚えてしまいそうな二人。互いに笑いながら、舞う。絶えず変化し続ける会場は、まるでそんな彼らを演出しているかのよう。二人とも本当に嬉しそうで、幸せという言葉がピッタリ当てはまるのではと、勘違いしそうになる。……殺気に近いなにかを感じなければ。
観戦する教師の表情は、苦笑いに近いものだった。どこか恥ずかしそうに、そんな表情を浮かべている。きっと、若いなぁ。とか、考えているのかも知れない。がむしゃらに、愛という気持ちをぶつけるその姿に、若い頃の未熟な自分を重ねているのかもしれない。
会場には温かい空気と、肌に突き刺すようなピリピリとした何かが流れている。
前者はきっと、彼らが戦っている理由が、どちらの方がより強く他方を愛しているか。……という、バカバカしくて恥ずかしくて、でも観客にとっては憧れる光景が、目の前で繰り広げられているから。
両者が愛し合っているならば、この誰にも邪魔されないこの場所で直ぐに命を摘み合うこともできるはずだ。……でも、彼らはそれをしない。それは、どちらの愛が強いのかという簡単な疑問が原因。恐らくは以前、あの二人の会話の中でこんな疑問が浮かび上がったに違いない。
ねぇ、どっちがいっぱい、好きなんだろうね?
そして、二人の答えはこうなったのだろう。
『僕の方が、君を愛している。だから――――』
『私の方が、貴方を愛している。だから――――』
だから。この世界は嫌いなんだ。
『僕が、君を殺す』
『私が、貴方を殺す』
「―――ッ!」
地が動く。驚くべきことに、その変化する速度はアネスト先輩との試合の比ではない。彼女は強者である先輩を相手しても尚、余力があったということだろう。あの試合の後見せた、彼女の笑顔は強がりではなかったということが、これで証明された訳だ。
だからこそ、今の彼女は本気なのだということが、ヒシヒシと伝わってくる。本気で彼女は、世界で一番愛する者の命を奪おうとしている。
「………ッ、ハッハッ!」
対する彼もまた、生涯の魔法をもってこれに抗う。黄金に輝く衣を身に纏い、その光に溶け込むかのような速度で彼女にその刃を向ける。会場には背筋を凍らせるような甲高い音が何度も何度も響き、地が蠢いて彼を捉えようとして空を切る音が絶え間なく轟いた。
実力は均衡。互いに傷を付けあうものの、本番には至らず。
勿論、ハッと息を飲む場面は沢山あった。例えばそれは、地が天となった瞬間。言葉としてあり得ないはずのそれは、確固たる事実として瞳に飛び込んできた。真にあり得ないのは、自らに降りかかるそれを何食わぬ顔で蹴り砕き、破片を足場として猛攻を続けたカール先輩なのだけれど。
激しく攻め立て、何としてもヤッてしまおうとするカール先輩と、ネットリと絡めとるように、確実に堅実にヤッてしまおうとするビーン先輩。二人のせめぎ合いは、長期戦となった。
ゆっくりと、時間を掛けて、黄金の光はその輝きを消してゆき、地はただ愛し合う二人の足場と戻っていく。
―――そして、いつからだろう。……会場に響く音は、一つだけになっていた。
金属と金属がぶつかり合う、とても物騒で、澄み渡るように綺麗な音。
茶化すような声援を鬱陶しいほど送っていた観客が、今では一声も口にしない。会場に差し込む夕日が、二人の体に塗られた液体をキラキラと輝かせる。気づけば俺は、響き渡るその音の数を、頭の中で数えていた。
「ハッ、はっ、はぁぁ……」
その数が、丁度百を超えるとき。とうとうその音は鳴り止み、代わりに荒い二人の息遣いが、絡みつくように耳に入って来る。
続いて耳に届いたのは、コン―――という、靴が地にぶつかる音だった。
コン。コン。コン。
二つの音が、まったく同じタイミングで届くこと、三回。
――――――距離が、ゼロになる。
「愛してるよ」
「愛してるわ」
音は、届かない。ただ、分かる。
―――――二人の愛は、等しかったのだと。
音は日が隠れるまで、鳴り止まなかった。




