四十三話
倒れたテスラを含む選手達が運ばれ、何事もなかったかのように大会が進む。女子生徒の部第一試合が行われ、第三試合まで終わった所で男子生徒の部第四試合。遠くからでも聞えてくる銅鑼の音が、それを俺に知らせてくれた。
つまり、俺はそれらの試合を見ていないのである。だって、ヌラヌラを洗い流したいじゃん? 水で洗い流した後、無駄に肌がモチモチでツルツルになっていたのが腹が立つ。もうこれを女性層を狙って販売してやろうか。間違いなく売れないだろうけど。
そんな無駄なことを考えながら、俺はベッドの上で無駄な時間を過ごす。何だか今は、何かをする気になれない。倦怠感というか、もう動くのも面倒臭い。
今日はもう寝て過ごすか。そんな考えが思い浮かんで、いやいや訓練をせねばならないだろうと首を振る。俺に必要なのは、純粋な強さ。生存するための鍵。努力すれば強くなれるこの世界で、ただでさえ元が弱い俺が、ベッドの上でグダグダと落ち込んでいる暇はないはずだ。
それでも体が動かない。テスラがカール先輩に挑む姿が、網膜に焼き付いて離れない。俺の親しくなる人間達は、どうしてこうも格好いいのだろう。 比べる俺自身が、格好悪過ぎるだけだろうか。無様に生きる覚悟も決意もしているけれど、ああいう姿を見ると、どうしても心がざわめく。前世からの、コンプレックスというヤツなのかもしれない。
部屋の中に、涼やかな音が響く。ネットと友人になるようになってから機能し始めた、部屋の外からの呼び出し音だ。個人的に、結構気に入っている。この音を聞きたいがために、ネットに何度か居留守を使ったのは俺だけの秘密。今日はそんな頭の悪いことはせず、素直に呼び出しに応じる。扉に設置してある魔法具を起動させると、そこから声が響いた。
『おーい、ハーン』
ネットだ。試合が残念な結果になったはずなのに、その声は明るい。俺が彼の立場なら数日は落ち込んでいられる自信があるのだが、彼はやはり俺とは違うらしい。見習いたいものである。
俺は彼を部屋に招き入れる。誰かと一緒かもと思ったが、俺と親しいダッグはまだ先になるが試合が控えているから来ないだろうし、イブさんは絶対に俺の部屋なんかには来たくないだろう。他の人間は一緒の可能性はイブさんが嫌々来る可能性よりも有り得ないし。
「相変わらず私物が少ないな」
「金もなければ必要もないからな」
「心が貧相になるぜ? それだと」
「安心しろ。俺の心は常に幸福な記憶で満たされているから」
「本当かよ? 嘘くさいなぁ」
確かにネットが苦笑する理由も、理解できなくはない。端から見れば色々と残念な人生なのは自覚している。それでも俺は幸せだ。幸せ者だ。今も昔も。間違いなく。
「で、何の用だよ。負けた言い訳でもしに来たのか?」
「するか。相手が強くて俺が弱かった。それだけだ」
「潔いねぇ」
こんな大きな大会があれば、勝敗によっていざこざの一つや二つでもありそうだが、それが殆どないのだから驚きである。その理由は、参加する生徒達が総じてスポーツマンのように潔いからなのかもしれない。
前世の世界も、世界中の人間が体育会系になれば争いが少なくて済んだに違いない。まぁ、暑苦しくて住み難いことこの上ないだろうけど。つまり、俺にとってこの王国もまた非常に住み難い世界だということだ。根暗インドア最高。
「なぁ、ちょっと訓練相手になってくれないか?」
「なんで?」
一呼吸置いてから切り出されたネットの願いは、少し不思議なものであった。訓練相手に、俺は不適合だろうに。
「別に強くなりたい訳じゃないんだ。剣を振りたい気分でな。相手がいると尚善し」
負けは認めるが、悔しくはある。コイツの気持ちを言葉で表すならば、そうなるのかもしれない。そういうドロドロした気持ちを晴らすには、確かに体を動かすのが一番である。
「———そうかい。丁度いい。俺の訓練も兼ねさせて貰うぞ?」
「勿論。最初っから、そのつもりだ」
さすがはネット君。俺がそう言って、頷くのは予想していた訳だ。黒いね。
しかし、こうやってネットと訓練するのは一体何回目になるのだろう。グリージャー先輩に諭され、目の前にいるコイツに頼るようになったのが梅雨の季節だったはずだから、例え俺が迷子になっていた時期を除いたとしても毎日のようにやっているため、その数は多いはずだ。
「はぁ!」
「うぐぇぇ」
ネットの水平に切り込んだ剣が、俺の右脇腹に直撃する。見事なまでに重いその一撃は、例え生涯の魔法によってガードしたとしても、強力な打撃として俺にダメージを通す。
足が一瞬地面から離れると、足の変わりに顔が地面に接触する。
「痛い」
「弱い」
「五月蝿い」
弱いのは知っているっての。そろそろ毎回俺がやられる度に言うのは止めてもらえませんか? 心が辛いので。
「速く起きろよ。もう一度だ」
「―――ありがたいけど、時間はいいのか?」
手くらい伸ばせ。という言葉を飲み込んで、別の言葉をネットにぶつける。丁度、俺の耳に銅鑼の音が届いたのだ。多分、そろそろイブさんの試合なはず。
「まだ大丈夫だ。次の試合は、長引くから」
「何でそう思う?」
「二人」
「は?」
ネットは指を二本立てる。
「とっても強~い先輩が、戦うことになるからな」
強い。その言葉が当てはまる人間は、俺の視点からすれば大勢いる。目の前にいる友人もまた、強い人間だ。でも彼の視点で考えれば、その数はグッと減ることだろう。少なくとも、彼と同格以下の人間は当てはまらない。
更に彼の言葉からは、絶対に勝てないというニュアンスが伝わって来た。となると、特定の人物が浮かび上がって来る。
「ほら、お前も知ってるあの人だよ」
「まさか――――」
ニヤリと笑ったネットが口にした名前は、俺のトモダチの名前。そして現状、世界一苦手な人間の名前。最近、その名前を聞くだけで胃が痛い。そしてその名前を呼ばなければならない事実を思い出して鬱になる。
彼女の提案に頷いてしまってから、俺と彼女はトモダチになってしまった。但しそう悲観的に考えているのは俺だけのようで、彼女は新しい友人との日常を楽しんでいるみたいだ。クソッタレが。
気軽な挨拶は当たり前。日常会話というものを日常的に行おうと試み、俺に話し掛けてくることもあった。酷い時には、軽いスキンシップをされることもしばしば。――――まったく、なんて恐ろしいことをするのだろう。きっと彼女は、イカれてるに違いない。気持ち悪いはずなのに、怖気が走るはずなのに。
ああ、そういえば。言っていたな。応援してくれ、って。
誰がするかという旨を丁寧に投げつけたが、彼女はそれを軽く受け止めて俺に自分の試合が何試合目なのかという情報を投げ返してきたのだった。それもご丁寧に、自分の試合が大体どれ位の時間に行われるかという推測を添えて。
当然それすらも聞き流した俺だが、ネットが名前を出してくれちゃったお陰で思い出してしまった。思えば意外と精確な情報だったようだ。太陽の位置が、彼女の口にした情報と大概一致している。
「そうだ、せっかくだから今から会場に行こう」
「はぁ!? 嫌だよ」
「いいじゃねぇか。見に行くだけだ。ほら、行くぞ」
俺の体は、ネットによって腕一本で持ち上げられる。抵抗を試みるが、無駄らしい。そのままズルズルと引き摺られるように運ばれる。
「本当に嫌なんだって! あの人絶対、応援してくれてありがとう。とか、言い出すんだぜ!?」
「嫌がる理由がねぇだろうが。いい加減、慣れろ」
「勘弁してくれよ……」
ネットは当然、俺が女性と親しくなりたくないことを知っている。だが、彼は基本的に嫌なことでも利益になるなら我慢するタイプの人間だ。だからこそ公爵家の娘という力を持った人物とのコネを、絶対に手放そうとしない。
つまり彼は、俺と彼女の友人としての関係を深めようとしている敵なのである。友人としての関係という点がミソだ。彼は、俺の目的とか超えられないラインを見極めているわけである。
ああ、嫌な友人。あの人も、これ位黒ければ。俺も多少は、多少は素直に、仲良く出来るというのに。
例え打算で始まった友人関係という意味では同じでも、俺とネット、俺と彼女との関係はまるで違うのである。
先程いたはずの会場から、先程までは聞かなかった程の大きな歓声が耳に届いてくる。会場に近づく度にそれが大きくなっているのだから、決めた覚悟も薄らいでくるというものだ。それでも強引なネットによって会場に運ばれてしまった俺は、二人の女性の姿を目にすることとなる。一人は当然、アネスト先輩。そしてもう一人が、最高学年であり彼女やテスラを破ったカール先輩と同じく学園の最強候補と呼ばれる女性。
クレオ・ビーン。
侯爵家の令嬢。先輩と同じく、高嶺の花と呼ばれる女性の一人だ。
「うぉぉ、やっぱり生で見るとあの二人は違うなぁ……」
大歓声の中で、ネットの声が微かに聞こえる。俺は彼女達が人外な動きで繰り広げている戦いに驚いているが、彼は別の意味で彼女達に驚いているのだろう。当然それは、魅力という俺では分からないモノに。
「実際、どうなんだ?」
「何が?」
俺の小さな声による、小さな疑問もネットは聞き逃さずに言葉を返す。
別段質問する必要はなかったが、折角だからそのまま聞いてみるとしよう。
「どっちが、魅力的なんだよ?」
「お前は俺とイブの仲を悪くしたいのか?」
「いや、そんなことはないって。純粋な疑問だよ」
「ならいいけど。どうせイブにも伝わっていることだし。―――まぁ、なんだ。同じくらい、魅力的だよ」
ネットの答えが、やけに鮮明に聞こえた。試合場で、同じ位魅力的な二人が距離を取り、睨み合う。確かに俺から見ても、容姿の整った彼女達は魅力的だ。若干苦手意識がある分、ビーン先輩の方が魅力的に感じるかもしれないがそれは置いておいて。あ、でもビーン先輩は俺好みの黒髪だからアネスト先輩よりも魅力的だな、うん。
「おい、ハーン。……動くぞ」
肩を強く叩かれ、俺は阿呆な思考のために閉じていた瞳を開いて二人を見つめる。
アネスト先輩は、両手に生涯の魔法によって生み出された氷剣を持ち、ビーン先輩へと切り込む。俺からすれば神速と言っても良いほどの速度で剣戟が繰り出され、ビーン先輩から勝利を奪い取ろうとする。ただしそれらは全て、ビーン先輩の両の手によって逆手で振るわれる二本の短剣によって阻まれ、切り傷一つ生み出すことは叶わない。寧ろ反撃を防ぐことを出来ず、アネスト先輩の体からは赤色が染み出ていた。
生物として、人間の女としての格とでも呼ぶべきものが同等な二人。されど、それが同じ位強いということに直結しないという事実を、観客全てがこの試合を見ている中で再認識する。
スペックだけが強さじゃない。剣術や戦闘経験。そして生涯を掛けて磨く、たった一つの魔法の練度。ついでに、運。
それらの要素を兼ね備えることで、ようやく強さというモノが見えてくる。アネスト先輩は公爵家の娘ということもあり、生まれた瞬間から肉体のスペックが若干秀でていたのだろう。だからこそ、最高学年であるビーン先輩の魅力と、四年生である彼女の魅力は、一年というこの世界においては大きく成り得る壁を乗り越えて釣り合っている。
だが、どうしても乗り越えられないのが、時間。
戦闘技術、生涯の魔法。それらを磨く時間の合計数では、どうしても勝てない。
魅力という点において現在アネスト先輩は同じ高見に上ることが出来ていたとしても、別の場所に移動すれば見上げる形になってしまっているのだ。
「―――ッ!」
アネスト先輩の綺麗な声が、高く響いた。見れば彼女は手に持った氷剣を、ビーン先輩に投擲。一瞬、勝負を諦めたのかと疑ったが、直ぐにそんな訳がないと思い直す。彼女の性格こともあるが、何よりも彼女の魔法はその剣を作り出す魔法。彼女は、魔力が続く限り武器を失うことはないのだ。
投げられた氷剣を、ビーン先輩は焦った様子で大きく避ける。ハッキリ言って、それはどう見ても無駄と呼べる動き。隣にいるネットに聞いてもそう答えるだろう。もしそれが、ただの氷の剣であるままだったら。
風鈴の音。例えるならば、その音はそれに近い。魔法の氷が、砕ける音。形を失い、解放された喜びを周りに伝えんとする音。
「これが、あの人の魔法……!」
誰かの興奮した声が聞こえた。そう、これこそが彼女の生涯の魔法である、『氷剣』真価。武闘会が始まる前に自慢されたから、よく知っている。
彼女の膨大な魔力から生み出される、対戦相手からすれば笑ってしまうほど多くの氷剣。それらは全て唯切れるだけの剣ではなく、冷気の爆弾。まともに受ければ体は凍り、触れるだけでも体力を削られる。そんな、理不尽極まりない力の奔流。
あの人は、情熱的な人だ。それは先程までの剣術にも表れてる。二本の剣により、勝利を無理矢理にでも奪い取ろうとする攻めの型。だけど、この瞬間からの戦い方はまるで違う。多重人格であることを疑ってしまうような、急激な変化。
風鈴のような音が、何度も会場に響く。その度に、ビーン先輩の顔は苦し気に歪んでいく。ビーン先輩が上手く避けることが出来ていない訳ではない。寧ろ自分の出来る選択肢の中で、最高のものを選択しているように思える。でもそれ以上に、『氷剣』による攻撃範囲が広すぎるのだ。少しずつ、少しずつ、ビーン先輩は冷気を浴びて体力を奪われていく。
よく言えば堅実。悪く言えば、狡猾。
僅かな間だけ視界に入ったアネスト先輩の瞳は、それでも熱い炎のように赤かった。
「凄いな……」
耳にしてから、それが自分の声であることに気付く。
「そうだな。でも―――」
自然と出てしまった呟きに、ネットは律儀にも声を返してくれる。それでも俺は、分かっていると頷くことで返事をすることしか出来なかった。
何せ、次の瞬間。地面が変化する―――という、もっと驚く出来事が待っていたから。
始まりは地面の小さな石が動く。その程度だったに違いない。しかしそれは時間と共に、ビーン先輩の作り出したイメージ通りに質を高め、この現象を生み出した。まるでダンジョンを作り変える、ドラゴンの力を模倣するような強力な魔法。
「始まるぜ……魔法合戦ッ!」
動く。動く。試合場がビーン先輩に勝利をもたらそうと動き、その姿を絶え間なく変化させる。限られた場所で試合を行うこの武闘会で、決められた範囲内の地を操作するという生涯の魔法。どうやら生存年数以外にも、ビーン先輩にはかなりの部があったようだ。けれども未だに涼しい顔をしているアネスト先輩は、見ているものに一切それを感じさせない。
マジでどうやって、動き続ける地面で攻撃を続けられるのか。教えてほしい。
―――答えはジックリ試合を眺めていると表れた。
アネスト先輩の魔法によって凍った地は、少しだけ動きが鈍っているのである。その変化にムラがあることから察するに、何度も冷気がぶつかり、より深く凍った分だけビーン先輩の支配が薄まっているようだ。アネスト先輩は既にその攻略法を知っていたのか、凍った場所を中心に足場にして、その他の場所はビーン先輩の操作が届く前に恐ろしい速さで移動している。
「すげぇ―――本当に、俺と同じ人間かよ…!」
お前が言うなよネット。お前含むこの世界の人間全てに、俺はいったい何度疑いの思いを抱いたことか。まぁ、自分を見つめ直したら俺も疑わしいからもう考えないけど。主に、俺の目と足。
「ほら、ハーン。お前応援しろよ。声に出してな」
「絶対に嫌だ。見るだけだって言ったろ」
「大丈夫だって。小声で言うだけなら聞こえないから」
「嘘だね。あの人ならここにいる観客全員の声を聞き分けることだって出来るに違いない。寧ろしているに違いない」
「さすがにないって。大丈夫だから言ってみろ、ほら」
「というか、聞こえなかったら応援の意味がないだろうが!」
「バカ。行動することに意味があるんだろうが。例え聞こえなかったとしても、実際に言葉にして応援することで、きっとそれはあの人の力になるに違いない。うん、間違いない。だから言うのだハーン! 頑張れってなッ!」
やたらとネットが押して来るが、そんな恐ろしいことをやる訳がない。誰が好き好んで高速道路に侵入するというのだ。もしそんなことをする輩がいるとしたら、自殺願望のある糞以下の存在に違いない。
「お前が言ってた修学遠征の件、手を回してやるから言ってみろって」
……呟く位なら、聞こえないかな?
「だから言ったじゃないか!」
「けど、ほら、力にはなったみたいだぜ? 見たかよあの嬉しそうな表情」
見たよ! だからゾッとしたよ!
その後の、『ありがとう、絶対に勝って見せる……応援してくれた、お前のためにッ!』的な勇ましい表情も見ちゃったよド畜生め!




