四話
「おお、ハーン。相変わらず、気持ち悪いなお前。吐き気がするわ」
「こんにちわ、ミヤ先生。貴女の素直な罵倒は、とても心地良く感じますよ」
「うわッ! やっぱり声も気持ちわりぃ…………喋るな!」
「それは申し訳ございません」
「うげぇぇぇ。鳥肌立ったぁぁ」
自分の身体を抱きかかえるようにして、鳥肌の立った肌を摩っているのはミヤ先生。俺に戦闘技術を指導してくれる方である。
告白を受け入れたら、文句を言わずに即結婚なこの王国。
好きでもない相手との結婚を回避するためには、戦いの技術を学ぶ必要がある。そのために取った学園の措置が、選択授業。
学園に入学した生徒は、有志で選択授業を受けることが出来る。その授業内容は、戦闘技術の習得による戦闘力の強化。生徒は学園が用意した教師陣営の中から彼らが教える技術を選択し、在学期間中にその技術を習得する。
俺もまた、入学当初に授業を選択した生徒の一人。
掲示板に貼られた、無数の授業紹介。その殆どは、長く継承されてきた、いわゆる綺麗な技術。歴史があるということは即ち洗練されてきたということであり、極めればさぞ強くなれるのだろう。しかし残念ながら俺の才能がないことは、言葉通りに生前から決まっている。ならば俺が求める技術は、勝つためではなく生き残るための戦闘術。凡人が経験によって編み出した、叩き上げの技術だ。
そう思った所で見つけたのが、ミヤ流戦闘術。旅人であり、様々な経験をしてきたミヤという人物が磨いた我流の戦闘術。
教師が女性なのは気になった。女性との接触は極力避けたい。
それに、この戦闘術は剣術と拳術を織り交ぜた、どんな状況でも戦えることが売りの技術。当然、教える際には肉体的な接触が伴う。魅力が最底辺である俺に、まともな訓練をさせてくれるとは思えなかった。厳しくなるのなら構わない。慣れている。しかし、ちゃんとした技術を教えてくれなければ非常に困る。一度選択してしまえば、免許皆伝を貰うまでは他の授業を選択できないのだ。その上、俺の求める授業が他にない。
「んじゃあ、今日の授業を開始するぞ~」
ストレッチを行い始めるミヤ先生。結局俺の危惧は、危惧のままで現実にはならなかった。
彼女は腐りかけた生肉を見るかような目で、俺を見る。訓練中も俺を気持ち悪がり、先程のように声すら聞きたくないと言い切る。非常に心地良い。更に俺にとって嬉しいのが、彼女は授業をしっかりと行ってくれること。
本人に聞くと、俺が入学するまでマイナー、というか魅力のまるでないこの授業を選択する生徒はおらず、毎年旅に出ていたらしい。そして去年俺がこの授業を選択し、教師としての仕事を再開した所で、彼女は学園からの収入で非常に懐が豊かになり生活が楽になったのだとか。だから俺のことは生理的に無理だが、我慢して授業を行っているとのこと。
体で覚えろ。というアグレッシブな授業方法だが、まともに受けられるだけありがたい。
『金剛』の訓練にもなるし。
「はぁッ!」
「ごぼぉぉぉおおお!」
因みに先生の戦闘術、経験によって編み出した技術なだけあって、王国流剣術などのメジャーな流派には必ずある『型』というものがない。そして肉体派で体育会系な先生は、説明が苦手だ。つまりはヒントがない。しかもどんな状況でも柔軟に戦える技術という、授業内容の曖昧さ。時間を有意義なものにするには、先生の攻撃を避けるか、生涯の魔法を使用しながら避け続けるしかない。受けるなんて無謀。現状のように、悶え苦しむ結果となる。演習の授業なんて目じゃない痛みだ。反撃? 無理無理。たまにわざと隙を作ってくれる時だけだ。
俺が弱いだけかもしれないが、先生は本当に強い。
拳術による連撃と、剣術による急所を狙った重い一撃。
流れるような一連の動作は巧みで、敵を素早くも正確に葬ることに特化している。ただ普通の流派と違うのが、全ての動作で完全な隙を作らないことだ。つまりは必殺の一撃というものがない。どの動作も、自然と次へ繋がるようになっている。勝つことではなく、生き残ることを考えて磨かれたこの技術の特徴だろう。
「もうへばったか? ならそのまま寝とけ。私が楽だ」
「───まだ、まだですよ」
「声を出すなって」
「ぐへぇ!」
部屋に現れたゴキブリを退治するような、容赦のない見事な一撃。さすがは先生でございます。
いや~、マジで尊敬するわ。
「お前が私の授業を選択して、もう一年になるのか」
「そうなりますね」
ミヤ先生はボロボロになって地面に寝転ぶ俺を見下しながら、真っ赤な短髪をガシガシと乱暴に掻く。潰してしまった害虫に、いつもと違って不思議と同情を覚えているような、そんな目をしている。
「本当にお前は、才能がねぇなぁ~」
「自覚は生前からしてますよ」
「バカみたいに努力しても、まったく魅力が上がらねぇ。キモいまま」
唾は吐かないで頂きたい。同情の目はどこにいった。
「嬉しいことです」
いや、唾を吐かれたことじゃなくて、魅力が絶対に最底辺のままだということが。
万が一にも好かれることがない。つまりは命を取られることもない。結果、俺は長生きできる。即ちハッピー。
「お前さぁ。戦う技術なんて学ばずに、鍛冶の技でも磨いた方が良いんじゃねぇの?」
「それも考えたことはありますけど、でもそれだと自分の身が自分で守れなくなるじゃないですか」
「なんだそりゃ。お前が告白されることがあるとでも?」
「ないと思いますよ。魅力最底辺の上に常時ゴミ着用の人間に、好意を持つ人間なんていないと願いたいですね」
「じゃあ何で?」
「魔物がいるじゃないですか」
「あんなザコ、ダンジョンの奥にいる奴ら以外は楽勝だろう。──────────いや、訂正。お前じゃ、やられる可能性高いわ」
「でしょう? 多少はマシになりましたけれど、いつやられたっておかしくない」
魔物ってのは動物の一種だ。ゲームに出てくる敵役じゃない。
ただの人間に害を与える動物を分類するために、その言葉が生み出されたに過ぎない。世界中の生物に与えられた恩恵である、魔法を扱う魔物もいるから注意が必要。
「貴族の次男ですからね。それも親には嫌われている。将来は辺境で、魔物に怯えて暮らすのが決まったようなもんです。その時のためにも、腕を磨いておかないと」
「ふーん。そういやぁ、お前って貴族だったっけ」
「ええ、一応」
「それなら多少は自由があるんじゃねぇの?」
貴族の長男は、騎士という階級を除き家督を継ぐのが義務付けられている。その長男が亡くなる、もしくはその長男が家督を継ぐに値しないと判断された場合はその限りではないが、殆どそんなことはない。
なら次男以降の子息はどうなるか。大概は養子や婿に出たり、長男が治める領土の一部を管理する役割に任命される。
しかし当然、俺にその例が当てはまる訳がない。いるだけで他者に不快感を与える上に、才能の欠片もなく、何の利用価値もない存在。そんな者を養子にしたがるマヌケな貴族はいないし、婿に貰いたい酔狂な女性もきっと現れないだろう。兄には嫌われているし、残念なことに弱小貴族である我が家系。貸し与えるような領土もない。
国の措置として俺のような無職になるであろう貴族には、誰の統治も必要なく誰も行きたくないほどの辺境へ、お飾りの領主として派遣を斡旋してくれる。斡旋なので強制ではないが、国の厚意を無碍にする形になるのは貴族として好ましくない。
無職になる前に職を見つければいい話。その場合は平民に没落するが、辺境に行く必要はなくなる。
けれども何の才能もない俺に、まともに金が稼げるのか。すぐに首にされることは明白。なら魔物の危険があっても、まともに生きるためにお飾りの領主を務めた方がいい。
「だからまぁ、仕方ないですね」
「夢もねぇのかよお前は」
「老衰死です」
「アホか」
心底呆れたといった様子で、ミヤ先生は溜息を吐いた。
この学園は全寮制。入学した者は、学園内に建設された寮で暮らさなければならない。
男子寮、女子寮、王族のための特別寮。平民と貴族に住む部屋に違いはあるものの、両者は同じ建物の中で暮らす。男子寮と女子寮は隣り合うように立ててあり、つまりは両建物の間にある広場は、異性の寮に入れない男女の交流の場所として賑わっていた。この場所こそあの噴水の場所が廃れた理由である。
夕日が沈みかける頃。夕食の時間を知らせる鐘が鳴るまで、生徒達はこの場所にいることが多い。
ただ夕食の時間が終わり日が完全に沈むと、まったく違う場所であるかのように生徒はいなくなる。寮に戻らなければならない時間、いわゆる消灯と就寝の時間はまだまだ後だが、殆どの生徒が湯で身体を洗ったり就寝の準備をして、自室で読書などの各々自由な癒しの時間を過ごす。俺のように、この時間も外へ出て訓練を行う者は皆無だ。
「ま~た今日もやってるよ」
「情けねぇ奴だ」
暗闇に近い中、俺は目立たない場所で剣を振るう。しかしこの場所にいるのは俺一人なので、寮から窓を開けてこちらを見られると、どうしても発見されてしまう。まぁ、わざわざ俺を見つけて罵倒をしようと思わなければ、こんな夜中に部屋に虫が入ってくるのを覚悟で窓を開ける生徒は少ないため、非常にどうでもいい。
「あんなふうには、なりたくないな」
「まったくだ。貴族の恥さらしめ」
「どうしてあんな奴が貴族で俺が平民なんだ。腹が立つ」
突然だが、美しさは強さだ。
この世界は努力すれば努力するほど、鍛えれば鍛えるほど、強くなれる。俺が転生先に望んだことそのもの。
ただこれもまた、転生前に想像していたものとは違う。
強くなれる。この言葉の『強さ』とは、『生物として』の強さ。
それはつまり、より自身の遺伝子を残し易くなるということ。
即ち、外敵から身を守る力(肉体的強化)。丈夫な子供を生む力(性機能の強化)。異性を惹きつける力(魅力度の強化)。
それぞれ三つの力が、同時に上昇する。
だからこそ、この世界で強いものは美しい。動物も、他の知性ある種族も。強いものは美しく、同種の異性を惹きつける魅力に溢れている。例外はない。美しさは強さの証明であり、同時に努力の証明。逆に言えば、この世界で醜さは弱さと努力を怠った証明である。
努力をすれば容姿が優れるようになるわけではない。そもそもこの世界の人間は、容姿で異性の優劣を判断するという文化は完全に存在しない。異性と対面する際に六感で感じる、惹きつける魅力によって判断するのである。
恐らく、努力によって遺伝子自体が強化されているのだろう。強者同士が婚約し子供を生むと、強い子供が生まれることが多い。そういう子供は総じて病に掛かることもなく、異性を惹きつける魅力に溢れている。つまりは異性に感じる魅力というものは、より強い子を産もうという生物の本能によるものなのではないか。そう俺は予想する。
俺は『ずる』をした。『魅了の瞳』という力を手にして、封印し、その反動で魅力が最底辺になっている。
と、いうことは。俺はこの世界の人間にとって、嘗てないほどに醜い存在であるということ。
醜いということは、俺は弱者であるということ。そして、努力を怠った愚か者であるということ。
そんな人間が、通常ならば休息の時間に、必死で剣を振るうのを見てどう思うだろうか。
努力していて偉い? そう思う人間は、存在しない。言い切ろう。
前世の世界で、信じられない位の不細工な男がオシャレ雑誌を読んでカッコいいモデルの着ている服装を着ようとしていたら。
努力していて偉いなんて思う奴は少ない。モテない男の無駄な努力。それか不相応だと思うだろう。俺がしていることは、そういう行為。残念ながら嘲笑を受ける行為だ。
その上。この世界で醜いということは、努力を怠ったということ。平民ならまだしも、貴族の人間ならば両親によって鍛えられるはずだ。それが貴族の義務のようなもの。人の上に立つ存在として、最低限の美しさを保つことは国の常識であった。
つまりは俺は努力を怠ったままこの学園に入学し、自分よりも地位が上の生徒からイジメを受け、そうなってからようやく自分の過ちに気付いて、今更努力を開始した性格も愚かで醜い男。罵倒と嘲笑を受けるのも、無理はなかった。
それに俺は一年間この場所でこの時間、訓練を行っている。なのに醜さが変わらない。魅力は反動の力で最底辺のまま。
生徒は俺を見て、当然のようにこう判断するだろう。
ここまで変わらないのだから、どっかでサボっているのだと。
ま、ドンと来いという感じなんだけどな。
これで俺は、性格容姿と最悪な男。万が一にも異性に好かれることはない。
剣を振り続けても魅力は決して変わらないままだから、現状は一切変わらない。完璧である。
ずるの代償の影響で、始まりの肉体能力も低ければ才能もないから戦闘技術の上昇もなく、世界から恩恵を受け難くなっているから肉体の成長度も低い。その上更に封印の反動で全能力が低下している。
不満なんか無い。と、言えば少し嘘になってしまうけれど。でもそれのお陰でモテることもなく、もう一つの代償であった『殺される可能性の上昇』が打ち消されてゼロになった。
後は人並み外れた努力をして、魅力が低いまま、自分の身が守れるほどに強くなればいい。
正しく俺の人生は、順風満帆であった。