三十九話
俺にとって、この世界において生き残るための最強の武器である、魅力。言い換えると、気持ち悪さ。ウルタスという国で生きることを考えると、最も命を失う可能性が高い要因は誰かに惚れられることだ。それを防ぐための武器として、俺はこの代償を祝福として受け入れている。寧ろ自分の持つ力で、最も頼りになっていた武器だった。
しかしながら、彼女にそれは通じない。───いや、通じているのだが、彼女はそれによって全身で感じているはずの嫌悪感を耐えることが出来るらしい。そして相手の本質を見つめ、心で他人を判断する。……そんな、本当に素晴らしい人物なのだ。だからこそ、俺の天敵なのだ。
「顔を見ただけで悲鳴を上げられたら、さすがに私も傷つくぞ?」
そう彼女は口にするが、悲しんでいる様子はまったく見られない。怒りもなく、寧ろ俺の様子に笑みを浮かべていた。
「な、なんでいるんですか!?」
「理由は話したはずだが? 君に、会いに来たんだ」
なんて恐ろしいことを平然と口にするのだろう。怖気が全身を走って、毛穴という毛穴から冷や汗が流れるじゃないか。
前世においては女性に言われてみたい台詞の上位に位置していた言葉であったが、現在においては恐怖しか感じない。他人が言われるのを聞くのも嫌なレベルだ。
「アネスト様。師匠はきっと、どうして会いに来たのかという理由を知りたいのではないかと」
「ん。そうか。では話すとしよう」
というか何で突然現れた彼女に、君は冷静でいられるのだねプラン君? あれか。慣れか。昔からこんなんかこの人は。突然現れる系女子かこの人は。
まぁきっと、俺が気を抜いていたから気付かなかっただけなのだろうけど。
「何、簡単なことだ。君が手に入れた財宝の、印を見せてほしい」
真摯に俺を見つめる彼女は、相変わらず美しい。別に容姿の美しさと強さは比例しないはずなのだが、何だかそれが恐ろしく感じる俺がいる。
それは俺が女性恐怖症的なものを煩っているからなのか、それとも彼女の強さを弱い俺が感じ取って、純粋に警戒をしているからか。自分にも分からない。
「ど、どど、どうしてですか?」
「確認だよ。君が彼に、呪いを掛けていないことの」
彼と言われて、その人物に気付けないほど俺は馬鹿ではない。俺の元友人、テスラのことだ。
「根も葉もない、非常にバカらしい噂だが、噂が噂だ。一応、真実は確かめなければならない」
「あれ、僕の言う事は信じてもらえなかったのですか?」
「ああ。悪いなプラン。お前の魔法は確かなものだが、残念ながら実績はない。念のために、私自身でも調べろとのことだ。まったく、それなら自分で行えばいい話だろうに」
グリージャー先輩はその時になって初めて、僅かな怒りとか不快感という感情を見せた。それが俺に向いていないのが、非常に悔しい。何故なんだ。俺は、こんなにも気持ちが悪いはずなのに。なんだか、前に会ったときに比べて、彼女の耐性が更に上がっているような気もする。
「いやいや、態々師匠に近づきたい人なんていないでしょう。噂がもしも本当だったら色んな意味で危険だし、女性はもう、噂とか関係なく近づきたくないでしょうし」
「……お前は本当に、彼を師として慕っているのか?」
「はいッ! 勿論ッ!」
彼女とプランが話す内容から判断するに、グリージャー先輩は学園に流れる噂の真相を確かめに来たようだ。即ち、俺がテスラに呪いを掛けたのではないか。という噂。ウルタスにおいて、愛以外で命を脅かす行為は巨悪だ。それこそ同性愛者が、人でなしとされるほどに。だから、彼女は俺に会いに来た。
少しだけ安堵する。俺自身への用ではなく、俺に関する噂への用であったことに。ただ、警戒は怠らない。
「彼が身に付けていた、緑の指輪。どうやらアレに呪いを掛けて、無理矢理指に嵌めさせた。───かもしれない、とのことでな。くだらない理屈だが、可能性はあると言えばある。可能性がある内は、確実とも言えない。だからこそ君に、君の所有する財宝に刻まれた印を見せてほしい。ドラゴンは、騙せないからな」
印とは、制作者であるドラゴン毎に違う。精巧なその印はその制作者であるドラゴンにしか再現が不可能であると言われ、人間やその他の生物には真似ることすら不可能。
「そ、それぐらいなら……。でも、それが証明になるんですか?」
「基本的にドラゴンは、自分の財宝を、別の制作者による財宝を既に所有している者には渡さないらしいからな」
───ああ、読みたい本を中古じゃなくて新品で買いたくなる感じね……。
一瞬でドラゴンの考えが分かった俺は、末期だろうか?
「どうした? 遠い目をして」
「い、いえ、何でも。だ、大丈夫ですから、心配するよりも早く、印を見て速く帰って下さい」
「……君は、反省というものはしないのか?」
今度の怒りは正確に俺に向けられている。いいぞ、その調子だ!
「まぁ、いいさ。君の願いを無視して、こうして会いに来たのは私だからな」
良い人過ぎるだろう、この人。
グリージャー先輩の器のデカさに愕然としながら、俺は剣を抜いて彼女の前の地面にそれを突き立てる。微妙にヌラヌラが残っている刃には、一つの印。俺がクリスから受け取った、宝玉の内部にあったものと寸分違わず同じだ。
「うん、やはり違うな」
剣には一切触れず、彼女は印を目で確認して満足気に頷く。やはり。という言葉から、俺への信頼のようなものが伝わって来た。気持ちが悪い。
「なんで───」
「ん?」
気付けば疑問が言葉になっていた。
「なんで貴女は、僕を信じるのですか?」
言っておいて恥ずかしくなる。なんて青臭い台詞だ。でも不思議で不思議で、気持ち悪くて仕方が無い。何故俺を信じる? 何故俺に好意的な感情をぶつける? プランが尊敬の眼差しで俺を見つめる理由は分かった。それがまったくもって間違った理由だったとしても、十分に理解した。
でも、彼女にそれはないはずだ。そしてなによりも、彼女は、『彼女』であるはずだ。性別という、絶対的な違いが存在するはずだ。俺の魅力に耐えられることは出来ても、少なからず嫌悪感は与えられているはずだ。心の本質を見つめることが出来ても、俺の本質は、ただ生きたいという、それだけの欲求。そんな人間を、どうして信頼出来る?
少なくとも、剣を交わしたあの時は、信頼はなかったはず。
「何、簡単なことだ。君が失踪している間に、色々とあったんだよ」
「……またそれですか」
「また?」
「いえ、なにも───」
数ヶ月でこんなにも周りは変わるものなのか? ネットはイブさんの両親に挨拶に行ったという、人生の一大イベントを行っていたらしいし。まともに会話したのが一回だけの人に、凄く信頼を寄せられているし。もう、意味が分からない。
「知ったのさ。前よりも、深く。君のことをね」
「知った……?」
「ああ。そうだ。君の行方が知れないという知らせは、私にも届いてね。君と共にダンジョンへ挑んだ者達に話を聞いている内に、君への興味が深くなった」
冒険祭において、俺とテスラとダンジョンへ挑んだ女生徒の二人。あの指輪を見つけたとき、彼女達は周囲の警戒をするためにあの場にいなかった。
だから、彼女達は詳細を知らない。恐らく戻って来たら一人がいなくなり、一人の手に財宝があるという訳の分からない状態だったはずだ。しかしグリージャー先輩はそんなことを知るはずもないから、彼女達に話を聞きに行ったらしい。
そこで聞いた、俺のこと。
「さて、ここで私は、君に謝罪をしなくてはならない」
「な、なんの……」
「君がずっと、努力をして来たこと。それを、知らなかったことを、謝罪したい」
勘弁してくれ。
「すまなかった。私は、初めて出会ったときの君を愚かな奴だと決めつけた。───けれども君は、ずっと剣を振っていたのだな。周囲の嘲笑を浴びながら、ずっと……」
頼むから。
「ミヤ先生にも、君のことを聞いたよ。勿論、君の友達にも」
彼女は自分は恵まれていると語る。初めから強い肉体を持って生まれ、剣術の才も、溢れるほどにあったという。自分ほど恵まれた人間は、国中を探してもそういないと自負する。
だからこそ。真逆だったらと考える。
もしも、生まれ変わったなら。俺の立場に、なったなら。
自分は、耐えられないだろう。───そう、語る。
「君は、信頼出来る人間だよ。心の強い人間だよ。誘惑なんぞに、負ける筈がないじゃないか」
ああ、止めてくれ。
その目にまだ熱はなくても。俺に向ける、その笑顔は、まるで……。




