三十五話
「性器は付いているか?」
「付いてます!」
「───いや、開口一番何を聞いてんだよ」
茶々を入れるなネット。これは大切な質問なんだ。いや、そうじゃなくて、これからの質問はとても大切なんだ。これから俺が口にする質問に、このプランとかいう存在が出す答えによって俺が今触れている剣の扱い方も変わってくる。
「質問を変えよう………男性器は、付いているか?」
「男性器、ですか?」
「なぁハーン。朝っぱらから急に自分の部屋に半場無理矢理入ってきて、見張ってくれという訳の分からない理由でこんな状況で放置した上に、始めて会う下級生に奇妙な質問をしている友人についてどう思う?」
断言しよう。そんなヤツとは友人関係を解消した方が良い。
でも待って。お願いだから。マジで切実なんだって。怖いんだって。
「そうだ。男性器だ。人間の男として無くてはないものであり、生物として雄である証明。それがお前には、付いているか?」
「そ、それは、男としての覚悟はあるかという、遠回しな質問でしょうか?」
「違う。股にアレがついているのかという、単純な質問だ」
「なら大丈夫ですッ! こんな顔と身体つきをしていますが、しっかりとアレはありますッ! 機能にも問題がありませんッ!」
「お前ら本当に何なの? 朝から何なの? 一応貴族だよなお前ら」
馬鹿野郎。お前には分からないのか。俺の全身から発せられている安堵の気持ちが。尊敬と好意は混同されることがとんでもなく多いんだぞ。俺が怯えない訳が無いじゃないか。
さて、最重要課題を終えた所で、俺は剣から手を離して冷静で落ち着いた心でプランを見つめる。
うん。見れば見るほど、女みたいだ。
着ている服の基本は、男子生徒用の制服。けれどもその程度では証明にはならないほど、この男は女らしい。まずもって、骨格から違う。男という生き物は、どこか必ずゴツゴツした部分が存在する。幼少の頃から武術を学ぶこの世界の人間ならば尚更。けれどもプランは全体的にそんなことはなく丸っこくて、何だか変態のような表現だが、抱きしめたら柔らかそうなのだ。
ネットは俺の質問の意図が分からず、眠そうに欠伸をして、ただただ呆れている。無理も無い。彼はプランに出合った瞬間から、彼が男であることを理解しているのだから。
それは、魅力でもって異性の美醜を判断するこの世界の生物ならば当然のこと。彼は俺がプランに合わせた瞬間に彼にした、こいつは男か。という質問に、思考する時間もなく、当然のように男であると断定した。だから俺はこの時点で安心をするべきだった。
別に俺はネットを疑っている訳ではない。寧ろ、かなりの信頼を彼に寄せている。
……でも、ビビリでチキンな俺は最後の一押しが欲しかった。それほどに、プランは女らしい。
「で、何だっけ。何の用だっけ」
「なぁ、俺は必要か? というか俺の部屋で話す意味はあるのか? はっきり言おう。帰ってくれないか?」
「悪い。もう少し迷惑を掛けさせてくれ。お前にも、コイツの話を聞いてほしい」
「───まぁ、別に良いけどよ」
真剣に頼んだら許してくれる所とか、本当に友達がいのあるヤツである。
ネットの部屋は、やはり伯爵家の貴族の住む部屋と言うべきか。男爵家の息子である俺の部屋よりも、家具からその部屋の広さまで、その全てが一回りも二回りも豪華だ。 そして俺と違って彼には世話役である従者が共に住んでいるようである。ネットは従者に目配せをしてなにやら指示をすると、従者は一瞬の内に薄い紅色に染まっている茶を三人分用意する。
俺が目をパチパチと瞼を動かしていると、二人は従者に礼を言ってから当然のように茶を飲む。従者がいないから分からないが、コレが普通なのか? よく分からない。
「ウルド様、僕を、弟子にしてほしいんですッ!」
「なぁ、プランとか言ったっけ? それはさ、ハーンに騎士の契約を交わして、従者になりたいっていう意味なのか?」
ネットが口にしたのは、ウルタスにおいて一番地位の低い貴族に位置する騎士階級についての話。
実は騎士とは、平民でも国の承認があればなれる階級である。その承認を受けるのは結構困難なのだが、例えば俺はドラゴンの財宝を所有しているが、平民が同じような状況になり本人がそれを望めば簡単に承認を受けることは可能になるだろう。
騎士とは貴族の扱いであるが、その一つ上の地位である男爵との扱いの差は歴然としている。考えてみれば当然だ。貴族としての教育を受けていないものに、貴族の仕事が出来るはずがない。勿論例外はあるのかもしれないが、そういう人物は出世して地位を上げることだろう。
第一の大きな差としては、彼らは決して主にはならないことが上げられる。
貴族の仕事は、所有している土地を管理して、従者と共に経営し、その土地に住む者達の暮らしをよりよいものにする。という感じのものがあるだろう。しかし、騎士は違う。彼らは自らの土地を一切所有せず、男爵以上の貴族の下で彼らを助けるのが仕事なのだ。
つまりは、主ではなく従者。ただ一人の主のために、一生を捧げる。それが騎士。
それのどこが貴族なんだという不満が騎士の中にも僅かにあるようだが、国と主である貴族からの待遇の差を他の平民と比べると、圧倒的に騎士階級の方が良い暮らしをしている。現にプランの着ている制服は、興味本位で俺の周りをウロチョロとしていた平民の生徒達に比べてかなり良い素材を使用しているみたいだ。
「それも魅力的ですが……、僕もまだウルド様のことをよく知りませんし、またウルド様も僕のことを知りません。それなのに簡単に騎士の契約を交わすことを望むなんて、出来ませんよ」
ほんの少し苦笑いを浮かべるプラン。
第二の大きな差としては、騎士という身分は一代限りという点。だから彼らは俺のウルドやネットのガスパーのような家名を持たない。
例えばダッグがこれから騎士になったとしても、ダッグの子は騎士ではなく平民へと戻るのが法律。ただし、その子が騎士でいられるようになるのは、結構簡単だ。
それが、騎士の契約という措置。
俺達貴族には、この魔法学園に通う義務がある。それは騎士であるプラン達も同じこと。俺はまったくの例外になるのだが、貴族にとってこの学園は良い将来の相手を見つけるのに重要な役割を果たしている。騎士階級の貴族もそれを期待してはいるようだが、彼らにはそれよりも大きなやるべきことが、この学園在学中の期間に存在し、つまりはそのやるべきことが騎士の契約なのだ。
騎士の身分は一代限り。だから子は平民。ただ、その子は生まれた瞬間から平民になるのではなく、その時点では貴族。
その子が平民になるのは、この学園を卒業してからだ。それは国が定めた法。騎士のままでいたいのなら、親のように、ただ一人の主を見つけなければならない。男爵以上の貴族の、生涯の主を。
契約だ。自分を、貴方の騎士にして下さいという契約。一度交わしたら、決して破ることの出来ない契約。
別にドラゴンに誓う訳じゃない。だから破った所で呪いが降りかかる訳でもない。ただ、破った騎士は、終わりだ。
それは国が裁きを与える訳でもなく、平民に地位を落とす訳でもなく。他の人間達にとってその存在価値を完全に消される。ああ、アイツは契約を破った騎士なんだ。頭の中に自然と刻まれるその言葉は、重い。
男爵以上ならば、どんな貴族にも騎士の契約を交わす権利はある。だから誰でも良いと思うなら、契約は簡単に交わせるだろう。騎士階級は人数がとても少ない。ただ契約を交わして従者に出来る騎士は一人という制約があるものの、それでも騎士の子達全員が契約を無事交わせたとしても、騎士のいない貴族は多い計算だ。
しかしながら、そのまま平民に戻る騎士の子が存在するのもまた事実。
騎士の契約というのは、願う側も受ける側も、軽視をしていないのは間違いないだろう。
「だから、弟子にしてほしいんです。ウルド様のことをもっと知りたいですし、僕のことをウルド様に知って頂きたいのです」
無駄に女らしいプランだから、真剣な表情にもまるで凄みはないものの、それでも真剣なのは伝わってくる。綺麗な金色の目に吸い込まれてしまいそうだ。フワリと仄かに甘い香りが鼻腔に届く。僅かに残っていた警戒心が、その香りによって完全に消えていくのを感じた。
「───なによりも、ウルド様に、ドラゴンの誘惑に打ち勝ったウルド様に、僕を立派な騎士にしてほしいんですッ!」
「……なッ!」
思わず声を出してしまったのは、俺だ。なんだか心地良い香りに癒されてしまっていたから、その分余計に驚いた。
ネットに話が違うじゃないか。という言葉を込めて視線を飛ばす。しかし彼もまた驚いているようで、首を千切れるんじゃないかと思うほどに横に振っていた。
俺が真実を話したのは、三人だけだ。そこに縁を通して知ったイブさんが加わって四人になるものの、その全員が話さないでくれという俺の切実な願いを破るような人物じゃないことを俺は知っている。ならば、何故目の前の男はそれを知っているのか。真実を知る人間はもう一人いるものの、彼はそれを話さないだろう。
「どこで、知った?」
「はい?」
「とぼけるなよ。俺がドラゴンの誘惑に打ち勝ったなんて、この学園にいる人間は想像すらしていないはずだ。」
「ああ、そうみたいですね。なにやら、よく分からない奇妙な噂が流れているようで」
プランは不思議そうに首を傾げる。そんな動作の一つ一つが、無駄に愛らしいのは置いておいて。俺は彼を睨みつけるように見つめる。そんな俺の様子を理解したのか、プランもまた真剣に言葉を選んで口を開く。
「でも僕は分かるんです。テスラ先輩を治療したの、僕ですから」
「へ?」
「呪いと誘惑の違いは、よく知っています。テスラ先輩に掛かったのは呪いではなく、誘惑です。断言します。だからこそ不思議だったのです。それが誘惑であるのなら、何故ウルド様は、いつもと変わらない様子でいるのだろうと。あまり知られていませんが、一度誘惑に落ちた者は、生きている限り治療を施さなければ誘惑の掛けられていた財宝を求めることが殆どなのです。通常の例に沿うならば、ウルド様はテスラ先輩のいる場所を必死で探し出し、何としてもテスラ先輩から財宝を奪い返そうとしていたはずなのです。───でも、ウルド様は違った。……ウルド様は知らないと思いますが、僕はアネスト様にそれを防ぐためにテスラ先輩を隔離するように進言したのです。そしてその間に、ウルド様に掛かった誘惑を解こうと思っていました。結局、それは意味のない行為でした。テスラ先輩がそれに応じなかったことではなく、ウルド様がテスラ先輩を探そうという素振りすら見せなかったからです。不思議でした。だから僕は、ウルド様を観察させて頂きました。そして、知ったのです」
畳み掛けるように言われた言葉に、俺は反応をすることができない。驚くことと、新たに知る事実が多過ぎる。
「ああ、そうか。この方は、個人の意思の力で、既に誘惑に打ち勝っていたのだとッ!」
瞳がキラキラと輝きだすプラン君。何かもう、その光が体全体から溢れている錯覚すら覚える。
「一体ウルタスの歴史の中で、ドラゴンの誘惑に打ち勝った人間が何人いることでしょうッ! それどころかウルド様は、財宝すら手に入れているッ! そしてそれをまるで自分の体の一部であったかのように使いこなしているッ!」
いや、寧ろ体の一部になったというか。体の一部の代わりになっているというか。
「この方だ……! 僕は、確信しましたッ! この方の元ならば、僕はもっともっと強い男になれると。もっともっと魔法を磨くことが出来るとッ! 僕の夢を、叶えることが出来るとッ!」
もう何か、眩しくて見てられない。
「改めて、言わせて頂きます。───ウルド様。僕を、貴方の、弟子にして下さいッ!」
純粋だ。純粋な向上心と、尊敬の気持ちだ。
小さな子供に、サンタさんって本当にいるの。と、聞かれたような気分。なんだか、この純粋な目を濁らせたくなくて。彼の頭の中にある夢とかそういうものを壊したくなくて。
「あ、うん」
そんな肯定ともとれる曖昧な返事をしてしまったのは、俺が悪いのだろうか。
「本当ですか!? やったぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!」
「え、あ、いや……」
気付いた時には、プランの中では俺の弟子になったことが決定したらしい。まるで靴下の中に、自分の欲しかった物が入っていたかのよう。ああ、これはもう無理だ。
肩を叩かれる。ネットが半笑いで、此方を見ていた。
この日。友人と、初めて喧嘩をしたのは言うまでもない。




