三十四話
四人の間に微妙な空気が流れたものの、別に進化はしていないけれど一応性質は取り込めたということで各自納得をして、俺達は早々に地上へと戻る事にした。何となく。いや、本当に何となくだが、今日はゆっくりと休みたいという意見で全員が一致したのである。特に理由はない。
クリスは無駄と言ったが、それはあくまで進化に対した影響を与えないという意味。この行動が今後起こるであろう複数の進化において、中核を担う柱の一つになる。……かも、しれない。ほら、バタフライが何かする効果的なものってなかったけ? あれだよあれ。あれみたいなことがあるかもしれないじゃないか。
それに、贈り物はその物よりも贈る時の心が大事。───とか、言うし。
実際問題。凄い嬉しかったのは本当のこと。だから、別に無駄だったとしてもそれでいい。
「やっぱ遠慮せずにもっと貰っとけば良かったかなぁ……」
友人のそんな呟きが聞こえたとしても、それでいいのである。
「じゃあ俺達は、飯を食べてくから」
「ああ。また明日」
ダンジョンの入り口に続く道に立ち並ぶ店の一つに、ネット達三人は入って行く。俺も付き合うのも悪くないが、金がない。そして間違いなく彼らは酒を飲むから、酒に弱いであろう俺はそれに付き合うことは出来ない。うっかり飲んでしまって倒れるなんてことは、さすがに嫌である。
「───ふぅ」
向けられる視線の網から抜け出して、人気のない噴水へ辿り着く。空中に広がる水が辺りの温度を下げ、この場所の居心地は冒険祭前よりも良くなっている。それに水の流れる音が涼し気で、聞いていると心が落ち着くのだ。髪にへばりついていた生ゴミを洗い流すのに使っていたのが申し訳なく感じるほどに。
絶え間なく動いている水面に、月が映っている。けれども何故か、夜空を見上げると月は雲で隠れて見えない。
結構頻繁にここを訪れているが、初めて気付いた新事実。この噴水は、大きな魔法具だったようだ。どんな魔法具で、どんな用途で発動しているのかは分からないけれど、水面に映る月を眺めるのも悪くない。学園長がこの噴水に思い入れがあるという話も、あながち間違いではないのかもしれない。
何も考えずに、ただただ時間が流れる。
そんな中で、ふと浮かぶ考え。前世の俺は、こんな時間を過ごしたことがあっただろうか。
少なくとも記憶にはない。きっと過ごしたことはあったとしても、俺はそれを無駄な時間として記憶から消していることだろう。まるでそれが悪い事であるかのように。罪であるかのように。
娯楽が無駄に溢れていた前世で、俺はそれを楽しまないことは間違っていることであるという勘違いをしていたんだと思う。時間があれば俺は手に持った機械を起動していた。電気が切れるということはあってはならないことであり、当然のように充電器を鞄の中に入れていた。
万が一にもそれを使用できない状況になったものならば、俺はどうすればいいのか分からなくなって落ち着きを失っていたはずだ。
前と今。間違いなく俺は変わっている。
水面に映る自分の顔が変わっていることだけではなく、黒い湿疹が全身に残っていることだけでもなく、ドラゴンという訳の分からない存在が作った義足を身に付けていることだけでもない。
どちらがより良い十六年を過ごしたかは俺には分からないけれど。
ただ。俺の心に広がっているのは、幸福感だ。
「──────ッ!」
水面の月から発せられる光に照らされた、鉄。
一点が、俺に迫って来る。
刺突。確実に俺の心臓を貫くための、一撃。
「ぁぁぁぁぁあああああああッ!」
一瞬の内にやって来た恐怖心を隠さず、咆哮を放って体に力を込める。同時に魔力を親指の先、一点に集中。硬化。
接触。俺の親指と細剣の剣先が触れ合い、静かな夜に金属が接触するような甲高い音が響き渡る。
痛みを無視して、次なる攻撃に備えようとするも、細剣は動かない。その持ち主である襲撃者もまた、同じ。
「───やっぱり、凄い」
月を隠していた雲が移動したのか、夜とは思えないほどの光が降り注ぐ。闇に紛れていた襲撃者の姿が、ゆっくりと露になる。
耳に届いた声は高く、水のように清涼感がある。月明かりに照らされた短い茶髪は明るく、フワリと届く心地の良い仄かに甘い香りは恐怖心で張り詰めた心を解きほぐす。剣を握る立ち姿は凛々しいが、同時に愛らしさも感じるその姿。現れた月のように、コチラを金色に輝く瞳の中には───俺への尊敬の念が、込められていた。
「僕はプラン。騎士の家に生まれた、プランですッ!」
剣を鞘に仕舞い、明るく愛らしく元気に自らの名を俺に伝える、目の前の存在。
「ウルド様ッ! 僕を貴方の、弟子にして下さいッ!!」
俺は───────全力でソレから逃げた。
「───突然のことで訳が分からないと思いますが、説明を言わせて頂きますとそれはそれは長く…………って、あれ?? う、ウルド様!? ちょっと待って下さいよ! ウルド様ぁ!!」
無駄に性能の良い義足の力を知ることになる、静かな静かな夜のこと。
前と今で、俺は変わったように。きっと俺はこの日から変わるのだろう。そんな予感が、何故かあった。
そして、その時の俺は幸福なのだろうか。一つの疑問が頭に浮かんで、気付く。
俺には、不幸だった時間なんて、一度もやって来てはいないのだと。
ただ。幸福と不幸という言葉の意味が、変わっただけなのだと。




