三十二話
地上に戻ってみて良く分かるのだが、本当に深部は暑くなっていたらしい。二日ほど体を休めてから外に出て学校生活を再開したのだけれども、季節的には間違いなく夏なのに肌で感じる感覚はまだ春だ。
きっと、熱さに関する感覚が変になっているのだろう。確かに空から降り注ぐ日差しは眩しいし、葉が緑に輝いている。ネットやダッグは暑い暑いとうるさいし、俺達の服は夏仕様に変化した。
基本的に細かいことを気にしない体育会系の性格である人間という種族。一応オシャレ的な感覚も持ってはいるのだが、あくまで実用性が重視。かわいい武器も、綺麗な武器も攻撃力が高くなければ売れない。
そんな人間達が集まる学園の制服は、決められた規則内であれば多少の変更は可能だ。だから夏には、涼しくなれるような変更を施した制服を着用する生徒が殆ど。
涼しくなれる服装といえば、この世界においては着るだけで涼しくなれるような、ダンジョンの深部に生息する魔物から採取できる毛を加工した高級な生地が存在する。ただしそれは王族や公爵、もしくは有力で財力が豊かな貴族にしか購入できるものでなく。決して平民が手を伸ばせるものではない。
それなら平民は熱い夏をどう乗り切るのか。答えは簡単で、肌の露出である。
勿論ウルタスの人間にも前世と同じように大事な場所を隠す文化は存在する。するのだが、別に多少見えてもよくない? と、思う人も少数ながらいるのも事実。それが女性にもいるのだから、目に毒だ。世界の祝福は肉体の大きさ自体には作用しないため、例えば女性の胸とかには個性が出るのだが、大きな女性は大体が蒸れるという理由で谷間を露にしていることが多い。
ただし目に毒だと思っているのは、俺などの一部の例外だけ。何故ならウルタスの人間は、性欲というものがとても少ないから。
これはネット達と仲良くなってから最近になって気付いたことである。そもそも性欲だって人間などの動物にとって非常に重要な機能の一つ。その機能は、子孫を繁栄させるために性交を促すというもの。それなら、殆どの夫婦が計画的に子供を生めるほどの性機能を持っている人間にそれは必要ではないということなのかもしれない。
進化なのか退化なのか。それは俺には判断がつかないが、この世界の人間が非常に理性的に異性を見つめているということだけを頭に入れておくとしよう。
因みに例外とは───まぁ、どこの世界にもバカはいるということだ。
「はっはっは。いやー、以外と静かなもんだ」
「前みたいに、そう簡単に干渉はしてこないさ。一応、俺は財宝を二つも所有しているんだからな」
「それもそうか。考えてみれば、ハーンは貴族だったなぁ!」
女子生徒だけではなく、男子生徒もまたこの時期は肌の露出が多く。限界まで布の面積を少なくした制服に身を包む隣の男もまたその例に沿っている。体の大きく、体毛が濃いめなダッグの姿はむさ苦しいの一言。
彼とは対照的に俺が身に着けている制服は、学園が出している原型の制服に近くてシンプルだ。違う点は、全体的にゆったりとしていて、所々に薄い生地を採用することで風通しを良くしているという所。これが結構着心地が良い。
「それに、今はダッグが一緒にいることも大きいだろうな。お前の機嫌を損ねることはしたくないということだろう」
「正確には、ネットの機嫌を損ねたくない訳だ。アイツも、有名になったものだなぁ」
顎に手を当てて、なにやらしみじみとした様子のダッグ。仮にも未来の主君に対して、アイツ呼ばわりとは。相変わらずコイツとネットは仲が良い。少々二人が仲良くなった理由なんかも気になるが、その話は何れ聞くとしよう。
「───なぁ、アイツが……」
「バカ、止めろって……」
チラッと此方を見てから、あたふたと走り去ったのは同学年の平民の生徒だろうか。
これで何回目か分からないが、直接俺に詳細を聞こうをやってきた生徒はいまだ存在しない。間違いなく、これからも現れないと思う。
噂があまりにも現実性がないのが一つの理由。そもそもこの噂は俺に対する態度を言葉を交わさずに、アイツは俺達にとって変わらずに敵だけどそれで良いよな? と、内輪全体の意思を確認するために流れ続けているものであって、誰も本気で信じていない。更に、誰かをまともな理由もなく同性愛者と決め付けるのはこの国において自分の価値を下げるということもある。
そして何より、ダッグの言ったように俺は貴族。それも財宝を個人で二つも所有している人間だ。
情報だけで俺を判断すると、俺は何をするか分からない爆弾のような人物なのである。貴族という身分は男爵で次男という立場であっても、いや寧ろ次男という立場だからこそ何かをする上で動く際に十分な価値があるし、それに財宝を二つ所有。それがどんな財宝か分からない以上、俺が何を出来るかも分からない。
社交性がなければ貴族社会でのし上がることは出来ないため、他の人間達が噂によって俺を敵と判断することで合意している今。俺が財宝の所有者として通常通りに地位を向上することは出来ないのは、学園の様子を知る人間ならば誰もが分かりきっている。分かりきっているが。もしも俺が財宝によって国に役立てると判断された場合。例え気に入らなくても国は俺の地位を向上させようとするだろう。俺ではなく、その財宝の力を利用するために。
そうなった時に備えて、今から面と向かって俺に敵対表明をしておくのは不味い。普通の貴族ならば、そう判断するはずだ。だから先程のような生徒の中に、貴族は混じっていない。
まぁ、昨年から俺がネットに出会うまでの間にしていたことを考えれば今更遅いような気もするが。そうなった時は、何食わぬ顔で本当はあんなことしたくなかった。とか、自分は噂を信じていなかったとか。そんなことを言い出すのだろうか。……そう考えると少しばかり出世欲が湧いてくるが、絶対にそれ以上に面倒くさいことが待っているので気をつけることにしよう。
「お、悪い。待たせたな」
「丁度お前の話をしてた所だ」
「ええ!? それはもしかして、俺がイブの両親に挨拶に行った話か!?」
「何だそれ!? 初耳なんだけど!?」
「はっはっは。まぁ、お前がダンジョンで生活している内に、こっちも色々あったっていう話だな」
そんな訳で。ちょっとばかり鬱陶しい奴は周りにウロウロするようになっているが、俺は冒険祭前のように結構静かな生活を送れているのである。
「───チッ!」
「お久しぶりですイブさん。舌打ちがとっても上手になりましたね」
うーん。心地よい。
「……お帰りなさい」
え、丸い!? 急に態度変わり過ぎじゃない!?
そんな変化に愕然とするも、見るとイブさんの表情は変わらずの渋いまま。何だか言いたくないけれど、言いなさいと言われて口にしたようなそんな感じ。視線を移すと、ネットが何やら満足気な様子。間違いなく、アイツが縁を通してイブさんに指示したに違いない。凄いビックリしたじゃないかこの野郎。
「ネット。俺は別にそういうのいらないから。寧ろ止めてくれ」
「はっはっはッ! そうもいかないのが、伯爵家長男のお嫁さんってな」
「また俺がいない間に何かあった話か?」
「そういうことだ。ほら、お前も変わったけれど、イブも変わっただろう?」
ダッグにそう言われて、イブさんを改めて見てみる。冒険祭前から考えて久しぶりの直視であまり分からないが、俺に見られて不快そうな表情は変わっていないような気がする。寧ろ変わってなくて安心だけれど、ダッグの言うことはそのことではあるまい。
服装は確かに、俺達と同じく変わっている。ネットが用意したのか高級そうな生地で作った制服に身を包んでおり、イブさんは他の女子生徒に比べて露出が少ないもののそれでも非常にセクシーだ。けれどもそれでもないはず。
「えっと………、魅力的に、なった?」
「何で疑問系なんだよ! どう考えてもそうじゃないか!」
うざい。詰め寄るな鬱陶しい。
しかしそうなのか。そういった所は、俺の弱点なのかもしれない。まぁ、もしも俺が魅力を感じられるようになっていたら。きっとあの緑の指輪から発せられていた魅力を感じていたのだろうけれど。仮定の話をしても仕方が無いのは分かっているが、どうしても頭の中で考えてしまうのは人の性だろうか。
「いいか? お前がいない間にイブと俺達はなぁ……」
「あー、分かった分かった」
詰め寄ってイブさんの努力を伝えようとしてくるネットをあしらっておく。つーか何気に俺をまったく捜索していなかったことを告白しているじゃないですかネット君。酷いよネット君。その様子じゃあ、捜索を考えもしなかったな? 別にいいけどね。いや、本当に。
実際には生きていた訳だけれど、俺がダンジョンで一人で生きられる可能性なんて、ネット達には一つも見いだせなかったはずだ。それにダンジョンは広大。どこに飛んだかも分からないような俺を、探すのはとんでもなく難しい。はっきり言って無駄なのだから、諦めてくれても別に問題は無い。俺は今、ここに立って生きている訳だし。
それにだからこそ、涙を流すほど生きていることを喜んでくれたのだから。
「ほらほら、遊んでないで早く行こうぜ?」
「あ、悪い悪い。ふふふ、ハーン。イブの成長に恐れ戦くなよ……?」
あれ? 今日のダンジョンへ向かう理由は、俺の財宝の力を確認するためじゃなかったか?




