三十一話
噂はあくまで噂。
俺が財宝の力でテスラに呪いを掛けたという噂は、考えば根も葉もないものであるということがよく分かるだろう。
そもそも呪いを掛ける理由がない。
それは俺の心がテスラに怒りを覚えていないという理由ではなく、他の人間の命を脅かすような行為を行うのは、この世界の人間にとってありえないという理由だ。
命を奪うことが愛の告白。それがこの世界の人間が持つ、常識。
同姓を殺せば、ただのカミングアウト。世界の中心で俺はホモだと叫ぶような行為。そして人間の王国であるウルタスでは、同性愛は犯罪だ。
正直俺としては同性愛なんて本人同士が良くて俺に一切の迷惑を掛けなければ、好きにやってくれと思うのだが、ウルタスにおいてはその規制は本当に厳しい。
人でなし。
そんな言葉が存在するが、本当に適応される人間がウルタスにおいては同性愛者。前世においては子供なんて嫌いだからという理由で、結婚しても子供を作らない夫婦は結構いたものだが、ウルタスではそんな夫婦はゼロ。そして更に、子供のいない夫婦も殆どゼロと言えるのだ。
世界の祝福によって努力をすれば性機能は強化される。性機能が強化されれば、丈夫な子が生まれ易い。この生まれ易いは、子供が誕生し易いという意味も含まれる。
無駄に強い人間という種族は同じくそういった能力も高くなり、本気で子供を生もうとすれば大概の夫婦が計画的に子供を誕生させることが出来るのである。 子供のいない夫婦がいるなら、それはまだ新婚であるか、もしくはそれこそドラゴンの呪いにでも掛かったか。そのどちらかだ。
勿論子供を作ろうとしなければ子供は生まれないのだが、ここで子供を作ろうと思わない夫婦がゼロだという話に戻る。ウルタス……いや。もはやこの世界の知性ある種族において、子供を作らないことは罪であるという雰囲気が流れている。考えて見れば当然だ。
子供を作らなければ子孫が残せない。極論を言ってしまえば、子供を作らないのは生物として間違っている。それが極論ではなくなっているのが、この世界。そして子供を作りたくないという人物が、絶対に存在しないとすら思っている人物がいるのがウルタスだ。
前世の言葉でウルタスの中での同性愛者が発見された際のウルタスの様子を説明すると、実は隣人は人間ではなくて悪魔が姿を変えていたのでした。ということが本当に起こっちゃった並みの、とんでもない大事件。
悪魔なんてものは話の中に出て来る存在で、実際には存在しないもんだ。というのが前世においての人々の常識みたいなものであったから、ウルタスにおける同性愛者の扱いについてよく分かると思う。
だから本来ならばこんな噂が流れるのはおかしいのだ。
誰かが誰かの命を奪った。そんな噂が流れたら、それは微笑ましい噂。
ミヤ先生はムカついた時俺をぶん殴ることがある。けれども決して、怒りによって俺を殺すことはない。手加減が無駄に巧みだということもあるが、ある意味で先生は俺を信用してくれているのだ。俺の生涯の魔法である金剛。その練度と、性能を。
また授業の中で魔法の演習があるが、そこで過去に同級生達は俺にガンガン魔法をぶつけて来た。それもまた同じ。同級生達は、一年という年月で俺を信用していたのだ。
───それに、他の生徒も自分の実力とその魔法の威力は理解出来ないほど、愚かじゃない。そしてなにより、監視役の教師は命に関わる正確なラインを見分けるプロだ。万が一にも、俺が演習で命を失う可能性は存在しなかった。
誰かの命を奪うことが告白となり、誰かに命を奪われることがそれを受け入れることになるウルタス。人間と人間の間において命のやり取りとは、即ち愛のやり取りなのだ。それ以外で命を失うことは最大の恥辱。失わせることは最大の罪。同性愛者が完全悪になるのは、それもまた一つの要因。
この世界の人間は、例え他の人間に激しい憎しみを覚えたとしても頭の中に命を奪ってやろうという思いは決して生まれない。殴ることも蹴る事もあれど、決して命は奪わない。相手の命が失われるようなことは決して行わない。
その相手が崖から落ちそうになっていたら、人間の中に崖から落ちても死なない人物が沢山いることは置いておいて、必ず相手に手を伸ばす。それが、人間だ。
冒険祭の日。
よく知らん女子二人と、俺とテスラで一組となってダンジョンに挑んだあの日。
テスラはドラゴンの誘惑に惑わされ、その正確な思考を混乱させられた結果。俺をランダム転移魔法陣によって飛ばした訳だが、通常の状態であったテスラならば、あの時ほどの怒りを俺に覚えていたとしても、そんな俺の命を脅かすような行為は決して行わなかっただろう。
剣を突きつけて彼は俺に所有権を放棄しろと脅したが、本心で俺がその所有権を放棄していなければ間違いなくテスラは呪いを受けた。そのことを分からないテスラではない。
そして何より。少ない時間であったが、俺は彼が友人を犠牲にしてまでその地位を上げようと考える人間だとは思わない。ネットも、ダッグも同じ考えだろう。だから、その野心を知りながら、友人をやっていたのだ。
果たして彼は正常なのか。それともまだ、誘惑の影響を受けているのか。
俺は正常であると判断する。何故なら、噂が広がっているから。
信じられない噂でも、都合が良ければ利用する。それは当然のこと。
一番下にいて、常に侮蔑していた人間が、財宝を手に入れた。そのことに、嫉妬を覚えない訳がない。そして危機感を抱かないはずがない。将来有望なネットの友人であり、持つだけで地位を上げられるような道具を所有している俺のことを。
他の生徒にとって丁度良かったのだ。この噂を利用して、お互いに俺を持ち上げないことを確認するのに。そしてその噂を利用して、俺の地位を上げないように協力することに。
─────これは、俺にとって最高の状況。
財宝を所有すれば否応無しに地位が向上される可能性は遥かに高い。そして腐っても、俺は貴族だ。
特に平民の女子生徒の中には、俺と夫婦になることで、貴族。それも財宝を所有している有力な貴族になろうとする者も、現れない訳ではない。
グリージャー先輩のように、俺の魅力を気にしない平民の女性だっているかもしれない。ダンジョンから生還する際、俺は内心でこのことを恐れていた。
しかしそれは、テスラの御蔭で危惧のままになったのである。
勿論確証はない。ただそんな根も葉もない馬鹿げた噂が広まるためには、誰かが故意的に広めるしかないだろう。それも信じたくなる噂を作るには僅かに信憑性を持たせなければならず、それは真実を知っている人間にしかできない。
当然、作った噂をそのまま誰かに流すのではない。近くにいる人間に真実と嘘を混ぜた断片を少しずつ流し、皆の中で噂を作らせるのだ。テスラは恐らく、そういった能力を持っている。
「そうだろ、ネット?」
「いや、そうだけどなぁ……」
俺の質問に苦笑いで返す、俺よりもテスラとの友達歴の長いネット。それを見て俺は自分の考えが正しいと判断する。
「───そんなことは、どうでもいいんだよッ!」
「ゴベッ!」
「ちょっ、ミヤ先生!?」
突如やって来た衝撃。どうやらミヤ先生は耐えきれなくなったよう。
俺はドラゴンと出会ったという話はしたが、彼女の聞きたい財宝についての詳しい話はまだしていない。
「お前が嫌われようが好かれようが、死のうが生きようがどうでもいいんだよ私は!」
「でもハーンが死んだら学園から金が貰えませんよ?」
「……それは賭けに負けた私への嫌味かネット?」
「いえいえ。ただの事実の確認です」
ニッコリと信用出来ない綺麗な笑みを見せるネットに、怒りからか体を振るわせるミヤ先生。そういえば彼女は俺を発見した際に賭けに負けたと言葉を漏らしていたが、その相手はどうやらネットであったらしい。仮にも生きていたことを泣いて喜んだ友人の生死を賭けにするなよ親友。あー腹黒い。分かってたけど腹黒い。別に良いけど。
賭けの内容をちょっと聞いてみたくもなるけれど、また先生に殴られそうなので止めておく。
先生はその怒りを必死で押さえ込みながら、俺を睨みつけて口を開く。
「さっさとその財宝について話せ。今直ぐにだ」
「─────この足ですか?」
「違う。その剣だ」
俺の横に立て掛けている、一本の剣。先生が日々見ていた俺の所有していた筈の剣と違い、一回り大きくより綺麗になっているその剣。ただし、無駄に精巧な鞘を除いてその特徴は殆ど同じ。毎日のように見ていたそれの変化を、ミヤ先生が気付かない筈も無い。
手を伸ばし、剣を抜く。
魔法具の証明による光を反射したそれは、素晴らしい剣であることは間違いない。ドラゴンの印が刻まれているものの、素晴らしい、普通の剣だ。
「……なんだか、しょぼいな」
思わず口にしたダッグの本音も無理は無い。
「今はな」
そう、今は。
「やはり、宝玉か……ッ!」
「ええ。俺の剣と、合わせました」
輝いたミヤ先生の瞳は、まるで少年のよう。
そして大きく見開かれたネットとダッグの姿は、時が止まったかのよう。
「くれッ! ネットには寄越したんだろう!? なら私にそれをくれ!」
嘗てここまで近くで、ミヤ先生と真剣に目を合わせて向き合ったことはあっただろうか。
先生の剣幕は激しい。心の底から、それを欲している。彼女の俺への嫌悪感は本物だ。
「駄目です」
「なんでだ!? なんだったらお前の言う事を何でも─────」
それなのに、そこまで言える。彼女の気持ちはとても強いのだろう。恐らく本当に、これを渡せば土下座でもなんでもしてくれることだろう。別に何も願わないが、俺の心はこれを渡してしまいたいという気持ちで一杯だ。この義足も、戻せるものなら元の足にでも戻したい。でも、駄目だ。
「約束したので。ドラゴンと」
その言葉を口にした瞬間。先生の落胆ぶりはとても顕著であった。
初めて見るかもしれない。そこまで弱々しいその姿を見るのは。
「そう、かよ…………」
力のない舌打ちを一回。立ち上がった先生は、扉へと歩く。いつもよりも、僅かに肩が下がっていた。
「すみません、先生」
だから俺は、その背中に彼女が最も腹の立つであろう言葉を放つ。
彼女は振り向かなかった。無言で扉をゆっくりと開けて、外へ出ると、丁寧に扉を閉め始める。
「授業は、今日から再開だ」
そして扉が閉じられる瞬間。ギラリと光る茶色い瞳がコチラを一瞥した。
「お前、いくら好かれたくないからってなぁ……」
「あれ以上嫌われてどうするんだよ……?」
「良いんだよ、アレで」
うん。あれこそ─────────ミヤ先生だ。




