三十話
温かい物に包まれている感覚。意識を戻して初めて感じたそれは、懐かしい布団の感覚。夏になり気温が高いので少々熱く感じるが、それ以上に精神的にとても安らぐ。目を覚まして見上げる天井が、土で作られたものではないのもまた懐かしい。ああ、返って来たのだと実感する。
ここは恐らく、無駄に設備の整った学園の保健室。何度か来た事があるから分かる。アルコールのような刺激臭もまた、それを確信に変える。
「うっ、何故か頭に異様な痛みが……」
少し体を動かした所で頭にガツンとやってくる謎の激痛。いやはや何でこんなに頭が痛いのだろう。
「あー痛い、凄く痛い」
「うるせぇッ! もう一発蹴り飛ばしてやろうか!?」
大げさに頭を抱えた所で、ミヤ先生の機嫌の悪そうな声が隣から聞こえて来る。さすがにまた蹴られるのは嫌なので、大げさな痛がり方は止めておく。でも痛いのは事実。眉が眉間に寄るのは仕方が無いと思う。
「お久しぶりです先生」
「久しぶりだなハーン。お前の御蔭で、私は賭けに負けてしまったよ殴らせろ」
「別に大丈夫ですけどそれは授業の時間にお願いしま……ブッ!」
金剛で防げる程度の威力で殴って来た所に、僅かな気遣いを感じる俺は馬鹿なのだろうか。
「……まぁ良い。取りあえず、お前が生き残った御蔭で教職には留まれる訳だからな」
加減はしたものの一発俺を殴って一応満足はしたのか、赤い髪をガシガシと掻くと座っていた椅子から立ち上がる。良いなら殴らないでほしい。凄く安心するけれど。これで泣いて抱きつかれて生きていることを喜ばれたら、怖気が走るというものだ。
「その、何だ─────」
「はい?」
そんな知られたらまた本気で蹴られそうなことを考えていると、言いたい事は直ぐに言うようなサバサバとして前向きな性格のミヤ先生には珍しく、口籠っている様子。何となく背筋が延び、筋肉が緊張する。
そして先生が口を開こうとした所で、保健室の扉が開いた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああん!!」
異性に泣いて抱きつかれても怖気が走るけれど、同性に同じ事をされたら別の意味で怖気が走ると思う。
「良かった! 本当に良かった! 体は大丈夫か!?」
「大丈夫だから! でも大丈夫じゃないから!」
綺麗な青い瞳から、同じく綺麗な涙を流し俺に抱きついているのは俺の友人ネット君。心配してくれていたのは嬉しいけれど、いくらなんでも抱きつくな。熱い熱い! というか君、そんな性格だったっけ?
「本当に心配したんだぞ! でも俺は───」
「分かったから離れてくれ! 頼むから! 謝るから! 謝らせろ馬鹿野郎!」
そんで、俺もこんな性格だったか?
何故か顔が、笑顔で固まったままなんだ。
「はっはっはっ! 生きてたかハーンッ!」
「ああ、足はちょっとだけ変わったけどな」
「違いない! はっはっはっ!」
続いて保健室にやってきたダッグからもかなり暑苦しいハグを受けて、そういえば死んだと思っていた友人が生きていたら自然とハグ一つや二つはするかと諦めた後。
「ハーン。休みたいのかもしれないけれど、話を聞かせてくれないか?」
涙を拭いながら出されたネットの提案もあり、少々落ち着いてから、俺は三人にこれまでの経緯を話すことにした。
ミヤ先生も主に俺の足や所有していた剣について気になるようで、先程まで座っていた席に座って静かに俺の話を聞いてくれている。人払いをしているのか、他の人間がやってくる様子はない。他の人間に聞かれるのはあまり好ましくないだろう。恐らくそう配慮してくれたネットには、感謝の気持ちが絶えない。
「そうだな。まずは、何から話そうか……」
何せ無駄に濃かったダンジョンサバイバル生活だ。
時間も学生という存在にとっては多くの時間が流れたし、俺は見た目的にも変わり過ぎた。いくらこの世界の人間が見た目をあまり気にしないとしても、両足が義足になって体中に黒い湿疹の跡が残っていたら、その理由を詳しく知りたくなることだろう。少々こそばゆい感覚があるが、涙を流して生存を喜べる友人のことならば尚更。
まったく。確かにネットは俺の生涯の友になると宣言をしていたが、涙を流せるほどの友好は果たして築けていたのだろうか。甚だ疑問である。こいつのことは良く分からん。
でも、絶対に直接聞いたりしない。
何故なら真顔で、友情に時間なんか関係あるのか? と言われそうだからである。もしも言われたら、俺はどんな顔をすれば良いのやら。絶対に聞いてやるものか。
ゴーンと響く、鐘の音。そういえば、授業は良いのか?
そんな俺の内心に気付いたのか、ダッグが笑いながら口を開く。
「始めから、ゆっくり話してくれれば良いさ。授業は何日も出なかったんだ、一日位はどうだって良いだろう?」
はっはっはっ。と、豪快に笑うダッグ。いやいや、俺じゃなくて。お前らはどうでも良くないだろう。全然気付いてなかった。
けれども良く考えると別に問題ないのがこの学園。
勉強したいヤツはトコトン支援。したくないヤツは、金さえ払えばそれで良いが基本的なスタンス。でもだからと言って、一応教師であるミヤ先生が一番早く聞きたそうにしているのもどうかと思う。ネットが財宝を手に入れた時のことを考えるとそんな反応も納得だけれど。
「始めからか……なら───」
頭の中で話をまとめてから、俺は静かに口を開く。
冒険祭の最中、俺はとあるモノを見つけたということ。それはドラゴンによる罠、『誘惑』であったということ。移動先がランダムに決定する転移魔法陣によって、テスラに強制的にダンジョンの深部へと飛ばされたこと。そしてそこでドラゴンであるクリスに出会ったこと。
話を終える頃には、再び鐘が鳴って授業の終わりを告げていた。
俺の説明がヘタクソで、途切れ途切れになってしまったことの影響もあるが、三人によって話の途中に挟まれた質問に答えていたからという理由もある。特にドラゴンに出会ったという話は、彼らにとって衝撃的なことだったようだ。かなりの質問をマシンガンで撃たれるように浴びせられてしまった。当初の気遣いはどこへ行ったのやら。
「でも、そうか、だから……」
全てを話終えて、質問が一旦途切れた所で、ネットは神妙な面持ちを見せる。
「どうしたんだ?」
「テスラだ。ハーンの説明を聞いて、全てが繋がった」
俺の質問に答えるのは、同じく神妙な顔を作ったダッグ。
「───アイツは、大丈夫なのか?」
「心配、か?」
「ああ。心配だ。俺にはその資格はないかもしれないけれど、な」
苦笑いを浮かべながらも、俺はダッグの問いに答える。信じられないと言った顔を見せたダッグは、更に質問を重ねようとした。
「どうして───」
「いいじゃないか、ダッグ。今は、ハーンの質問に答えようぜ?」
「……分かったよ」
渋々と言った様子で、ダッグは引き下がる。視線が後で聞くと訴えかけている。別に俺としては、ダッグの疑問になるようなことを言っている覚えはないのだけれど。
「アイツは今、英雄になったよ」
───小さな、仮初めの英雄に。
彼を止めたネットは、俺のいない間のテスラについて語った。
誘惑と、呪いは混同され易い。
同じくドラゴンによって与えられる被害だが、その規模や理由が大きく違う。
誘惑とは、即ちドラゴンがダンジョンに挑む挑戦者で遊ぶために生み出された財宝。その魅力によって挑戦者を引き寄せ、惑わせ、自らの所有者とさせる。そしてその財宝に込められた能力によって、所有者を蝕む。ネットの硬貨のような財宝などが所有者に益を与える正の財宝ならば、誘惑の込められた財宝は負の財宝。
惑わされた挑戦者がその欲を暴走させられ、財宝を求めて争う様を見るために生まれた財宝。そしてそれを手に入れた勝者が手に入れた財宝自体によって落ちてゆく様を楽しむための財宝。
それらの総称が『ドラゴンの誘惑』であり、誘惑を打ち払うことが出来れば栄誉を手に入れられる。という戯言が生まれることからも分かるように、耐えられない程のものではない誘惑も存在する。
あくまでも、ドラゴンが楽しむために生まれた財宝。だが、呪いは違う。
呪いとは即ち、ドラゴンの怒りだ。
罪に対する罰。そんな言葉で表すほど綺麗なものじゃない。
ムカついた、だから殴った。その程度の感情の変化による私刑。ただしその規模は殴った程度とは比較にならない。
例えばダンジョンで財宝を見つけた者にその所有権を与えるという、ドラゴンが決めた法則。そんな口約束ほどに簡単に破れる法則でさえ、破ってしまえばドラゴンはその者に呪いを降り注ぐ。それは死ぬまで続く激痛を与えられるというものであったり、また愛する人が徐々に土塊に変わるというものであったり、またどんな喜びも感じなくなってたりと、それはそれは苦しいものであるという。
だからこそ。緑の指輪の形をした誘惑を見つけたとき、テスラはそれを自分の物にするために俺にその所有権を放棄するように促した。結局それは誘惑であった以上、ドラゴンによる被害は受けてしまったのだけれど。
ただ、誘惑程度で留まれたのは幸い─────いや、そう言ってしまうのは駄目だ。それは俺の、言い訳になってしまうから。
…………ともかく、誘惑よりも更に凶悪な呪い。ただしそれは与えるドラゴンによってその規模に違いがあることもあり、それら二つが人々の中で近づくことも多い。基本的には被害という点で同じであるため、混同されることが多いのだ。特にこの学園では勉強しないヤツは本当にしないため、勘違いをしている学生が沢山いる。
そんな理由があるから、テスラは小さな英雄になった。
誘惑ではなく、呪いを耐えきった男として。
誘惑と呪いの決定的な違いとして、誘惑においては生涯の魔法によってそれを浄化。もしくは軽減することが可能であるということが大きく上げられる。
あくまで遊びで込めたのがドラゴンの誘惑だ。それらは正しく生涯を掛けて磨いたそれ専用の魔法ならば、いくらドラゴンの魔法であっても打ち消すことが可能。ただ勿論それは世界中を見ても数人に限られるのだろうが、軽減する程度の魔法ならば扱える人間はこの学園にもいたらしい。
軽減することが出来れば、耐えることはそう難しいことではない。少なくとも、テスラにとっては。
そして誘惑と呪いを良く知る人間であっても、誘惑を乗り越えた人間を邪見に扱おうとは思わない。寧ろ、その逆。
相手は遊びだからといって、絶対という言葉が付けられることが多いドラゴンに反抗を行えたのだ。誘惑に惑わされて人生を棒に振る人間が、過去にどれだけいたことか。貴族に関する噂は直ぐに国中に轟くが、ただの平民が誘惑によって落ちたとしても噂にもならないことが多い。それらに加えて他の種族の被害者も合わせたら、かなりの数になるだろう。
そんな中。例え他者の協力があったとしても、誘惑を耐えきった人間はよく輝く。
学園という小さな世界で、英雄になれるほどに。
果たして彼は、俺が生きていたという話を聞いて、何を思い、感じるのだろうか。
きっとそれは、罪悪感。
そうじゃなければ説明が付かない。
学園中に、俺が財宝の力でテスラに呪いを掛けていた。……なんていう、テスラの立場を揺るがすような───俺にとって最高にありがたい噂が広まっていたことが。




