二十九話
季節が変わればダンジョンも変わる。それはウルタスなどの四季がある場所の地下に広がるダンジョン限定の変化。
地上に降り注いでいた光が強くなることによって、同時に光の魔法陣によってダンジョンに伝えられる光も強くなる。光が強くなるということは、当然ダンジョン内部もまた熱くなってくる。
どうやら深部の土壁には熱を溜め込み易い鉱物が含まれているらしく、砕けた言葉にするとクソ熱い。瞳を再度封印した影響で体温調整などの機能は下がっている筈なのに、鬱陶しいほどに汗が流れる。
当然それは生きている証。
そう考えると何か悪くない気分にもなってくるが、同時に外敵に自分の居場所を知らせる信号になっているので、やっぱり鬱陶しい。体を動かせば動かすほど、汗は流れて臭いを振りまく。けれども体を動かさない訳にも行かない。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
『ほらほら、急がないと食べられてしまうぞ?』
『次は!?』
『つまらないなぁ……右だ、右』
夏。
蝉っぽい魔虫が、近くで聞いた者を即倒させる怪音波を周囲に鳴り響かせるダンジョンの深部。クリスのナビゲートによって進む俺は、少しずつでありながらも確実に地上へと進みつつあった。
Y字の分かれ道を地面、壁、天井、反対側の壁へと立体的に歩行。襲いかかって来る魔物達を避けながら、右へ。
義足の性能は高く、複雑な動きをしながらも俺の動きは速い。封印の影響は、あくまで俺の肉体の性能を下げるというもの。
義足であるこの足にはそれは関係なく、俺が引き出せる全力の性能を維持している。当初は少々上半身と下半身との性能差に困惑したものの、歩くや走るなどの行動を行う際には僅かな補正が掛かっているのか現在の逃走は自慢したいほど滑らかだ。
「───うらァッ!」
「ギギッ!?」
避けきれない魔虫の一匹に、牽制の意味を込めて剣を振るう。
ボロボロだったはずの俺の剣は、宝玉の力によって嘗てよりも鋭い輝を放っている。常に振るっていたはずの剣から一回り大きくなっているものの、振るったその感覚は以前と比べて非常に軽い。
現在の俺の少ない筋力であっても扱い易く、前へ進む力を利用すればそれなりに素早く威力の乗った攻撃が可能となる。
ただし、所詮は弱者がただの剣で行った攻撃に過ぎない。深部の生物には有効ではなく、硬い甲殻のような体を傷付けることは出来ない。しかし今はまだ、それで良い。
『まだ到着しないのか!』
『そう急くな。そろそろ目的地周辺だ』
制作者と所有者の縁を通して、クリスの言葉が届く。同じく俺の声に出していない言葉も、クリスの元に届いているようだ。念話のようなことが出来ていることは事実だが、どうにも奇妙な感覚である。
『後は自分で探せとか言い出さねぇだろうな』
『言うものか。後は真っ直ぐ進むだけだ』
『そうかよッ!』
最大限の罵倒を突きつけたい所だが、襲いかかって来る魔物を避けるのに必死で余裕が無い。義足の使い方に及第点が付けられたのが昨日のこと。そこから寝る間も惜しまず、夜行性の魔物が休息を始め、昼行性の魔物が目覚めかける時間から、この場所まで延々とダッシュだ。正直な話、体力が残り少ない。
瞳を解放すれば多少はマシだったかもしれないが、地上へ進むにつれて人間の異性と出会う可能性が高まってしまう。バッタリと出会って惚れられるなんて展開は勘弁だ。何よりもクリスが瞳の解放を許さない。他の女に色目を使うなんて許さない! なんて異種族である以上絶対に有り得ない理由ではなく、面白くないからという単純な理由。
ついでに、テストでも兼ねているのだろう。
地上において瞳を決して解放しないのは、俺を観察していたクリスなら分かっていること。ならばその状態で俺が十分に義足を操れるか。そのテストがこの逃走劇。
十分に義足を使いこなさなさなければ生きられないような状況を、あのドラゴンは作りやがったのだ。上手く立ち回った結果、本当に生き残れているから腹が立つ。ドラゴンの性格はとんでもなく悪いが、その能力がとんでもなく高いのは事実だ。俺はクリスとの義足を扱う訓練に置いて、嫌になるほどそれを知った。
「あれか……ッ!」
俺にとって、軽くトラウマになりつつある転移魔法陣。今度こそ間違いなく、本物の魔法陣。
「オオオオオオオオォォォォォォオオオン!」
体に鳴り響く危険信号。
視界を後方に移すと、牙が迫っている。牙だけが迫っている。魔力で紡がれた、巨大な牙だ。牙は俺を狙った他の魔物を切り裂きながら、それでも尚勢いを失わない。必死で前に進むものの、残念ながら速度は魔力の牙が上だ。血液をまき散らしている後方の魔物達のようになるのも、時間の問題。
「クソッ!」
口の中で絡み付く唾を吐き捨て、迫る牙へ向かう。空中を駆けること数歩。牙との距離は一気に縮まる。
「大丈夫でも、痛いんだよ!」
俺は牙を、蹴る。取った行動は、ただそれだけ。
水晶のようなこの義足。強度は水晶よりも遥かに硬い。何せドラゴン製。ゾウが踏んでも、ドラゴンが踏んでも壊れないのは財宝である以上当然の条件だ。
つまりはこの足は、最高の盾になる。伝わって来る激痛を我慢すれば。
「ガァァァァァアアアアアアッ!!」
足が裂けるような痛みを、継続的に受けるのはこんな感覚なのか。新発見。
「ウ、ガッァアア!」
牙が消える瞬間、それを足場に俺は再度魔法陣へ向けて駆ける。痛みは、無視だ。
「ギギギギギギギギギギッ!」
蝉のような魔虫に近づき過ぎてしまったことによって、魔虫が放つ怪音波の影響をモロに受ける。体から平衡感覚というものが一気に失われて行くのを実感した。ただでさえ義足の力で天井を地面にしたり、空中を地面にしていたのだ。そこへ怪音波の追い打ち。俺の脆弱な脳が情報を処理出来なくなり、その機能を強制的に止めようとするのも無理は無い。
『どうした、死んでしまうのかぁ? どうなんだぁ?』
不思議なことに、伝わって来るのは言葉だけの筈なのだが、クリスのムカつく顔が鮮明に映る。
「う、るせ、ぇ……ッ!」
カッと体に湧き立つ熱。それが体に活力を与える。
一歩、二歩、三歩。
触れる、魔法陣。
『おめでとう、ハーン』
祝福の言葉が呪いの呪詛に聞こえたのは、仕方の無いことだと思う。
混乱する頭に、眼球から送られる情報。
「ここ、は……?」
「ん?」
並び立つ大樹。その隙間から、降り注ぐ木漏れ日。
『林エリア』と俺が命名した、馴染み深いその場所。
「お、お前───」
「せん、せい……?」
茶色い瞳を、大きく見開いてコチラを見つめるのは─────ミヤ先生。
「何で生きてんだよお前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!」
そして頭部に受けた衝撃の元凶は、彼女の蹴り。
薄れ行く意識の中で、クリスが大爆笑している声と、賭けに負けたという先生の悔しそうな声が聞こえて来た。
うん、それでこそ先生だ。
取りあえず、クリスは黙れ。




