二十八話
五月晴れ。
正確には太陽暦ではないため五月じゃないのだけれど、桜っぽい木はもう既に綺麗な葉が青々と輝いているし、青く澄み渡る空は正しく五月晴れとしか表現出来ない。
そんな空の情景を、俺は夢の中で見ていた。
「授業に遅れますよ?」
「───へ?」
夢の中の俺は、綺麗に晴れ渡る空を眺めてボーッとしていた。だから、不意に掛けられた声への反応が遅れたのだろう。記憶が曖昧なので、夢もあまり鮮明ではない。
「おお、テスラ。どうした?」
「声を掛けた理由は先程言ったはずですけれど、聞こえていなかったみたいなので、もう一度言葉にするとしましょう。そろそろ教室に移動をしないと、授業に遅れますよ?」
「ん、もうそんな時間か……。ありがとう、直ぐに移動する」
春の温かい雰囲気によく映える、変わらぬ柔和な笑みを見せる俺の元友人であるテスラ。少々色素が薄めの赤い髪は、俺を今の状況へ飛ばした時に見せた激しい熱を彷彿とさせる。
「じゃあ、行きましょう」
「了解」
足並みを揃えて、俺達は授業が行われる教室へと移動を開始した。テスラとは向かう教室が違うが、途中までは一緒なので、自然と共に移動をしている。思えば、この記憶のように彼と二人でいる時間は珍しい。だからこそ、俺はこの記憶を夢に見ているのかもしれない。俺の中に生まれた罪悪感が影響して。
「……」
歩く俺達は無言。
俺達四人が一緒にいるとき、まず喋り出すのは基本的にネットやダッグ。普通に話をすることは可能であるけれど、長いこと一人でいた俺は相手に配慮して会話を開始するということが下手だ。そしてテスラは聞き役に回ることが多く、彼から話をすることは結構少ない。
同時に、俺達は二人とも静かな状況が別に嫌いではないことも、この沈黙の理由。
二人して無言のままに、俺達は足を進める。端から見れば、確実に俺達の仲は良くないと思うことだろう。けれども、当時の俺達の仲は別に悪くない。少なくとも、俺はそうは感じていなかった。
友達の、友達は、やっぱり友達。
そんな子供に教え込むような綺麗な言葉が正しいとは思わないけれど、ネットという大きな存在による繋がりは、通常の交友関係よりも早く仲を深めるのに十分過ぎるほど機能していた。
距離はあった。テスラが俺に敬語のままであることが、その証明。だけど、信頼はあった。お互いに、お互いが友人であると感じているその信頼が。
───まぁ、結局。それはドラゴンによって簡単に壊される程度の信頼だったのだけれど。
それでも、友人にしか話さないことを話せるほどの関係が俺達にはあった。
「君は生きることへの執着が強いけれど、その人生に目標はあるんですか?」
唐突に投げかけられる問い。
いつ切り出そうかと思っていて、ようやく捻り出した質問ではなく。頭に不意に浮かんだ疑問をとりあえず言葉にしてみたような口調。俺もまた、特に深く考えずに答えを返す。
「生きることが、目標と言えば目標だな」
「なら生きれることは前提として、他の目標は?」
「うん…………そうだな」
再び投げかけられた問い。今度は、頭の中で考えを巡らせて、俺は答えを探す。
「旅」
言葉にしてみて、自分の心と合っていることに気が付く。
「旅?」
「そう、旅だ。どこか知らない景色を見に、旅をしてみるのも悪くないかなって思うんだ。他の種族と話をしてみたり、旅先でしか食べられないものを食べてみたり。─────目標という言葉にするほど高尚なものじゃないけれど、最近こう……なんだろうな。心が、その、踊る、体験? とか、そんな感じのことが、したくなったんだよ。ダンジョンに行くようになって、見た事もない物を目にしてな」
勿論命は、最優先で。そう付け足して、言葉を締める。
ミヤ先生と二人でダンジョンに挑むようになって、ふと思ったこと。
前世では写真や映像など、本来ならば普通の学生が見ることの出来ないような景色を、インターネットという便利なものによって簡単に肉眼に刻み付けることが出来たので、正直それで満足してしまっている所があった。
いや、満足したと自分で思い込ませて我慢していたのかもしれない。
自由気侭な旅。言葉にすると凄く簡単に思えるが、前世においてそれは『絶対に不可能』と言えるのだから。
そんなことが、出来る。これって、凄いことなんじゃないか?
「テスラは、どうなんだよ」
「ん、僕?」
なんだか自分の内面を出してみることに恥ずかしさを覚えた俺は、受けた問いをそのままテスラへと返す。テスラは俺とは違ってまるで気恥ずかしさを見せる様子はなく。
「あるよ。目標が」
校舎の中に入り、二階にある教室へ向かうための階段。俺の目指す教室は一階なので、ここで別れ。
彼は柔和な笑みのまま、胸を張って俺の問いに答えた。
「上に」
階段の一段目に靴を置く音と、その言葉。
それらを思い出した時点で、ゆっくりと俺の意識が覚醒へと向かって行く。記憶によって作られた世界が崩れて、ボロボロと剥がれ落ちる。
ああ、夢が覚めるのだ。記憶の中の、夢の中の俺ではなく、夢を見ている俺がそう自覚する。
視界が霞むほどの光。夢の世界だからか、俺は眩しさに目を細めることはなく彼の姿を視界に映し続けた。
「進みたいんだ。もっと、上に」
夢の世界に残る二人の男。そして彼らの立つ、上へと進む階段と、真っ直ぐ伸び続ける道。
階段はボロボロ。今にも壊れそうで、崩れ落ちれば下は奈落。その先は明る過ぎる光によって遮られ、見ることすら叶わない。
道はピカピカ。アスファルトの整備された道のように、真っ直ぐと延びて壊れる様子はない。道を踏み外さなければ落ちることは決してなく。光によって照らされた道は、遥か遠くまで見渡せる。───その道の、最後まで。
「それが、僕の目標。─────夢じゃないよ? それより先に行くための、目標さ」
その答えに、瞳に籠る熱に、俺はどんな反応をしたのだろう。不思議と、そのことを思い出せない。
「俺は進みたいよ。もっともっと、前に」
けれどもきっと、同じ事を言ったに違いない。
「生きているから」
道の最後まで、辿り着きたいから。
俺はその道しか歩けないし、歩こうとも思わない。階段を、上ろうとは思わない。
けれどもテスラに感じた友人としての尊敬の気持ちだけは、紛れも無い事実であった。
「おはよう。いい悪夢は見れたか、ハーン?」
「───御蔭様でな」
そして何よりも。
目覚めた俺の中に沸き起こる罪悪感もまた、紛れも無い事実だ。
「ククククッ。進もうじゃないかぁ、ハーン。さぁ、訓練の続きだ」
辺りは暗く、天井から降り注いでいた光は少ない。
僅かに赤いその光は、朝日だろうか。
果たしてそれは俺が眠りについて一夜が明けた後の朝日なのか。それとも何回目の朝日なのか。そんなことは、最早この状況で気にする必要もないだろう。
「うん? どうした?」
不敵に笑うクリスの顔は、地面に寝転がっている俺から見ると影が掛かって見ることは出来ない。
まるで夢の中で見た、俺の前に真っ直ぐと延びた道。
その道の遥か先にあった、最後。─────そこに蠢いていた、闇のよう。
「ほら、さっさと立て。寝ていては、歩くことは出来ないぞ?」
闇の中で煌めいた、彼女の牙のような歯。眠気が残っており、夢の情景が頭の中に鮮明に残る俺は、道の最後で大きな口を開けた、水晶のようなドラゴンの姿を幻視した。
果たして。
俺が彼女によって導かれる道は、本当に俺がテスラに進みたいと宣言した道なのだろうか。
道の最後は、俺が真に恐れるソレなのだろうか。
「……分かってるよ、十分にな」
彼女によって付けられた義足で、俺の体重で潰れた草木を踏む。
分かっている。寝ていては歩けない。足がなければ歩けない。
その時が来たとしても、俺はこの足で彼女から逃げることは出来ないだろう。しかしだからといって、足を止める理由にはならない。
せいぜい手の平で踊ってやる。
無様に、醜く。
─────そういうのは、得意なんだ。




