二十七話
「うぐッ!」
「ふはははは、見事に才能が無いなぁ! ほらほらもう一度やってみるがいい」
歩きの練習をするのは、前世も含めて三回目だ。
いや、初めの一回は赤ん坊としての本能でやっていたことだから、意識的に練習をするのは二回目か。人間の王国であるウルタスの法律的には成年を既に迎えている身でありながら、歩くという当たり前な行動を練習することになるとは思わなかった。
右足を出して、左足を出す。
動作自体はとても単純なのに、草花のクッションに体を埋める結果に終っている。
最も。歩くは歩くでも、その場所は地面ではなく。
壁や天井。そして水面や空中に及ぶのだけれど。
「うげッ!」
「ふはははははッ! 宝の持ち腐れというヤツだなぁ?」
文字通り。壁を歩こうとして背中から地面に落ちた俺を、何が面白いのか笑っているのはこの宝の制作者であるドラゴンのクリス。同時に、この宝を俺に与えた存在。
この水晶のような見た目の義足は、彼女曰くどこでも歩くことが可能になるらしい。
重力とかそういう本来なら俺の肉体に作用するものを無視して、足の届く範囲ならばどこでも歩けるというのが彼女の話だ。マナとかいう不思議な不思議なエネルギーを常に供給していて、それを動力にそんな現象を発動出来るとか。この義足は本物の足のような感覚で動かすことが出来るが、それもまたマナの力。
つまりはこの義足は、基本的に常時発動型の財宝。
ネットが所有者になった硬貨のような形状の財宝があるが、あれはこの義足とは種類が違い、常時供給しているマナを一気に解放することにより強力な一撃を放つ単発式の開放型の財宝と言える。
「うるせぇよ……」
「減らず口を叩いている暇があるなら、もう一度やってみるがいい」
「───うおッ!?」
何かに押された俺は、体を強制的に宙に浮かばされた。それもかなりの上空に。
ここはドラゴンの作り出したエリア。
彼女と俺の無駄に溢れる魅力の影響により魔物が近くに寄り付かないこの場所。高い草花が生い茂り、深部とは思えないほどに穏やかな空気の漂う広大なこの場所は、この義足を巧みに扱う練習場として非常に適した場所であった。
ただし通常ならば決してこんな場所にいてはいけない。何故なら生い茂る草花は俺の胸ほどの高さ。これは狩人の体を隠すが、決して獲物の体を隠さないという、恐怖の障害物だ。
光の魔法陣から差し込む光は夏が近づきつつあるというのに、春の陽気のように非常に心地よく。花から香る匂いは甘く柔らかで、心を癒す。恐らくは、学園に生えていた桜のような木の花と同じ分類。その強化版。獲物を眠らせ、無防備にし、狩人に狩らせて残った血肉を養分とする。そんな、植物。
深部に挑むという行為は、非常に神経を摩耗させる。このエリア、名前を付けるならば『安眠エリア』は、ドラゴンが遊びで作った、巨大な恐ろしい罠であった。
「こ、のッ!」
足に力を込める。俺を見ていたクリスが、俺の瞳を参考にして一日クオリティーで作り出したというこの足は、瞳と同じくその使い方を無意識に理解出来るように制作されている。
本物の足のように義足を作用させる、その延長線上であるとか。
脳すら弄くられているようで戦々恐々としているのだが、今更だ。現在俺が出来ることは、痛い思いをしないように、必死になってこの水晶のような義足を動かすことだけ。
俺のボロボロになっていた衣服は殆ど裸の状態であったが、クリスによって直され、ボロボロな状態はそのままであるものの局部は隠せている。ドラゴンはその巨体を布で覆うなんてことはしないらしいが、人間やその他の知性ある種族が服を着用する文化を理解している。だから人間の女性のような姿へと身体を変えているクリスは、絹よりもなめらかで美しい服に身を包んでいるのだ。
理解しているなら、ほぼ半裸状態で義足なんか丸見えになっているこの服を完全に直してくれよ。と、思わなくもないが、言葉には決してしない。コイツに何かを頼むのが嫌だからだ。それに、別に局部がモロ出しだったとしても、今更羞恥心なんて沸かない。
義足に力をこめて、俺は壁を踏み込んだ。
その瞬間、落ちる感覚が、道端で後ろに転びかけたような感覚へと変わる。
上が前へ。下が後ろ。壁が地面で下に変わり、俺の頭側の空間が上。そんな感覚の変化は恐ろしく滑らかでスピーディー。唐突な変化であるはずなのだが、身体が違和感を感じない。まるでそれが当たり前であるかのように、俺は壁を道にしていた。
「お、とっ」
先程まで重力の影響を受けていた体は後ろに傾いているので、転ばないために重心を前へと移動する。そしてそのままの勢いで、俺は右足、左足と交互に脚を前へと動かし、歩き始めた。
あくまで『歩く』ことを可能にする水晶のようなこの義足。その延長線上にある『走る』という行動は勿論可能であるが、その場に『立つ』という行動は出来ない。いや、出来るには出来るらしいのだが、歩くや走るという行為に比べて恐ろしく貯蓄しているマナを消費してしまうらしい。
常に供給しているマナによって義足の機能を果たしているこの足。もしもその中からマナがなくなってしまったら、俺は普通に地面を歩くことも出来なくなってしまう。歩けないということは、逃げれないということ。そんなリスクは負う気にならない。再びマナが溜まれば機能を再開するようだが、もしもあのモールワイバーンのような魔物に襲われたとき、アレは待ってはくれないと断言する。
勿論あんな魔物と二度と出会わないことが理想なのだが、ドラゴンという存在に完全に目を付けられた今。あの時と同じような状況に陥ることがないと言いきれるだろうか。少なくとも、ビビリでチキンな俺には出来ない。しようとも、思わない。
だから俺は、『歩ける』ようにならなければならない。逃げ道を、増やすために。
「よ……、ほっ…、と、と」
「─────うむ。ようやくか」
一応、壁の歩行が成功。
練習のためにも極力ゆっくりと歩けるように、歩行に体を慣らして行く。
そして進む先は、エリアの天井。第二段階だ。
「本来ならば、一度で成功するように造ったのだがなぁ……」
うるさいと言ってやりたいが、今は歩くことに集中。
因みにこの練習は朝から始めており、現在光の魔法陣から差し込む光は赤みを帯びてきているのだが、それは今は関係のない情報だろう。うん、まったく関係ないな。
「クククッ。なら開放した時は、一体どうなることやら。─────試してみるとしよう」
「……!?」
両の義足が熱くなる。視界に入った義足は、俺の肉体との接点───太腿の真ん中から、肉体に流れる血液を吸収。水晶のような半透明だった義足は真っ赤に染め上がり、血液に含まれていた化学エネルギーを起爆剤として吸収したマナを爆発させる。
基本的に、常時発動型の財宝であるこの義足。
性能には自信があるとクリスが豪語するのには、ただ『歩ける』というだけなはずがない。
何故なら、その程度ならば生涯の魔法で再現が可能であるから。勿論これほどに滑らかに、彼女曰くかなりの長距離を歩き続けることが可能になるというこの財宝に勝ることは出来ないと思う。ただ、ドラゴンがその程度の道具を、特別性だとか自信作だとか言うだろうか。───有り得ない。
つまりはその答えが、この開放。
義足としての機能を常に果たしている常時発動型の財宝であり、また歩く機能をマナがある限り何度でも行える複数使用型の財宝でもあり、溜めたマナを一気に使用する開放型の財宝でもある。
そんな三つの性質を兼ね備える有能な財宝。それが、この義足。
───ただ、使いこなせなければ、意味はないのだけれど。
「ぬわぁぁぁあぁぁああぁぁああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!?」
真っ赤に染まった義足で、踏み込んだ一歩。
突如そこから弾けた衝撃によって、俺の体は吹き飛んだ。
「フハハハハッ! ウハハハハハッ!」
高速で地面に衝突。体を硬化させて防御したものの、あまりにも速過ぎたお陰で体にとんでもない痛みが走る。
同時に、思わず俺はエリアに生える花の香りを殆どゼロ距離で吸引してしまった。体は痛くてしかたがないのに、矛盾するようにやってくる強力な睡魔。弛緩してくる全身の筋肉。徐々に徐々に。体の痛みが引いて来る。そこからは、速かった。
クリスの不快な大爆笑を子守唄に、俺はゆっくりと瞳を閉じる。
拒もうと思っても、まぶたが鉛のように重い。降り注ぐ光が、まるで大切な人に抱き包まれているように温かい。
─────本当に。ドラゴンなんて、大嫌いだ。
「ククククッ。よい悪夢を、ハーン」
微睡みよりも、もっと深い場所に行く頃。クリスのそんな声が聞こえて来る。絶対にいい夢を見てやるよクソドラゴン。そんなことを薄れて行く意識の中で確かに思い、再び浅い場所に辿り着いた時に見た夢は、どちらとも言えない、過去の記憶の再現。
大切な友人との一時。
心に湧いて来る罪悪感から判断すると、悔しいことに、悪夢と呼べる夢であった。




