二十六話
先程まで自分を喰らおうとしていた存在を、逆に喰らうのは中々に奇妙な感覚がある。
何だかよく分からない躊躇いがあった。
けれども一口だけ口に入れてみると、これが凄く美味くてそんなものは一気に消えた。自分が思っていた以上に体は栄養を求めていたようである。
舌が通常の瞳を封印した状態に比べて敏感になっているのも理由の一つなのかもしれない。肉そのものの旨味をハッキリと感じることが出来るのだ。新しい世界が切り開かれた気分。これからは更に努力をして、舌をもっと強化していこうかな、と思う。
溶けるような食感ではない。脂肪分は限りなく少ないから、殆どが赤身。
弾力があり、噛み切るのは難しい。ただし、噛めば噛むほど味が出る。まるで肉のガム。ミヤ先生が好みそうな食材だ。熟成させたり、干し肉にしてみたりしたら、また違った楽しみが味わえるだろう。ただし俺は料理のレシピなんて分からない上、調理の才能なんて無いのは分かりきっているから作ろうとも思わないけれど。
やっぱり、餅は餅屋。もっと美味い料理を食べたければ料理人に頼むのが一番である。
「食いながらでも、聞くといい」
モールワイバーンの巨体を骨まで全てまるごとペロッと食べてしまったドラゴンのクリスは、表情には出さなかったものの結構感動していた俺に話しかける。食いながらでも、という前提があったので迷わずそのまま口を動かす。何となく咀嚼音を大きく出してみたり。
まぁ、目の前にいる人間の女性に形状がよく似た存在は、咀嚼音どころか鉄よりも硬い羽毛や骨を鋭い歯で噛み砕いて、騒音公害レベルの音を周囲に響かせていたのだから、その程度のこと気にしていないようであるけれど。
「お前は私のモノになった。ドラゴンのモノとなる。それがどういうことか、お前は理解しているか?」
「─────ああ」
ドラゴンドリー。
ドラゴンの従者。ドラゴンの下僕。ドラゴンの、お人形。
彼らは気まぐれなドラゴンの対話者として書物の中に描かれている。彼らはドラゴンの豊富な知識、そして遥かに高度な技術を教わる事を許可され、またそれらを同族に還元することを許される。
何を隠そう、ドラゴンの財宝の超下位変換である魔法具の原型。そして設計図は、彼らドラゴンドリーによって生み出された。
つまり彼らは、魔法具の存在する時代を作り出した担い手。新しい文明の制作者。
魔法具は決して財宝に勝ることはない。けれども、確実に役に立つ。なぜならドラゴンのように遊びではなく、自らの故郷、故郷に住む家族を思って作られた物だから。
別に教わった技術や知識を、自分の国に還元する義務は存在しない。ドラゴンドリーとなった時点で、国や法律という鎖で彼らを縛ることは出来なくなる。何故なら彼らはドラゴンの従者。ドラゴンの所有物。
彼らに対する行いは、その主人、所有者であるドラゴンに対する行い。もしも国が彼らを縛れば、ドラゴンによる最大級の呪いが国に降り掛かることだろう。
ドラゴンのモノになるということは、そういうこと。
それは誇れるものであると言う者もいる。そう書かれる書物も存在する。
だが、ドラゴンのことを詳しく知った者の中にそういったことを口にする物の数は少ない。
寧ろその逆の忠告を発し続ける者も存在する。ドラゴンにも個性は存在するため、ドラゴンドリーの扱いも複数の場合があるものの、基本的には従者ではなくモノ。従者という言葉は、所詮は後世の人間が作り出したまやかしによる所がその起源の大部分を占めており、事実の記録は限りなく少ない。
では従者とモノの違いとは何なのか。
モノとは即ち、人形である。言葉でも分かるように、当然のように従者と人形の扱いは違う。
飼い犬と、犬のぬいぐるみ並みの違い。生き物と、ただの物の違い。それで、説明は済んでしまう。
俺はそれを理解していた。理解した上で、あの状況での彼女の提案を受け入れた。
理由は当然、生きたいから。
ドラゴンが人形を壊す事は、決してない。何故なら勿体ないから。
けれども。それまでのことは、される覚悟が必要だ。覚悟は必要であるし、耐えなければいけないことも多く与えられることだろう。
まったくもってどうでもいい。
見栄えが悪いという理由で左足を取られ義足に変えられたら腹は立つが、生きられるのならそれでいい。ただ、気がかりが一つ。それは俺が人間であること。複数の命を持っていること。
一回くらい別に良いか。
そんな簡単に、大切なこの命を消費させられること。
「一つだけ頼みがある。俺は、命を失いたくない」
心からの懇願だ。正直ドラゴンであるクリスのことは気に食わないが、土下座だってしても構わない。ドラゴンに、土下座という文化が通用するかは別として。
「知っているさ。知った上でお前を私のモノにしたくなった。そして、用意をしたのさ」
クリスがこちらに何かを投げ渡す。
瞳を解放したことによって瞳の機能が遥かに高まっていることで、俺はそれを精確に把握。また上昇した運動能力により、右手でそれを捕らえる。封印状態だった俺なら、きっと恥ずかしいことになっていたと思う。
手を開いて、じっくりとその中に収まっていた物を観察する。
球。
それもただの球ではない。完全な、球だ。
どこから見ても同じ大きさ。半径2センチほどの球体。透明な硬い物質で出来ており、内部には俺の両足に刻まれている印と同じ、クリスというドラゴンの印が浮かんでいるように存在する。
完全な球であることを証明するように、触った感覚はツルツルとして意識していないと手の中から滑り落ちてしまいそう。また仄かな温かさが肌を通して伝わってくる。何故だかその温かさが不快に感じてしまうのは、ドラゴンという存在にかなりの嫌悪感を持っている俺自身が原因だろうか。
「宝玉。確か、そう呼ばれていたよなぁ?」
「……ッ!」
言葉を失った。現物は見た事がなくとも、言葉は当然のように知っている。
財宝の中で、最も素晴らしい物はどれか。そんな議論が人間の中で交わされることがあり、その殆どの結論が一つになる。
それが、宝玉。ドラゴンの宝玉。
「私のドリーになる必要はない。今はまだ、な」
「何を、考えている……?」
訝し気に俺はクリスの顔を見た。
喜ばせるだけなのは分かっているのだが、瞳は解放したまま。彼女によって体は治されたものの、体に尚残る疲労を少しでも早く回復するために、俺はこの状態を維持する必要がある。たかだか彼女を喜ばせたくないからという理由で、瞳を封印するのはあまりにもバカバカしい。
クリスは気味の悪い笑みを浮かべている。彼女の考えが分からない。
いや、何かを企んでいることは間違いないのだが、その目論見が予測出来ない。何よりも、まだ彼女は俺の頼みを了承していない。それがなによりも、俺の不安を駆り立てる。
「その質問には、答えるつもりはない.。ただ、お前のためにこれだけは言っておくとしよう」
声が耳を通して、脳内に入り込んで来る。
その瞬間。彼女の口から発せられていた音は、人間のそれではなく、ドラゴンのそれへと変わっていた。
「───私がお前を生かしてやる」
だから強くなるといい。
「そして最高の、人形になれ」




