二十話
この世界において、魅力とは個体を判別する上で非常に大きな役割を果たしている。
前世で人を判別するなら、まず見るのは顔。そして次に体格や、声や、仕草なんかも判断材料にしていただろう。それらを統合して、名前という個体名称に繋げることで自然と個体を判別していたのだ。
勿論、今世でもそれらは判断材料になっている。
ただしそれ以上に、魅力が大きな割合を占めているだけのこと。
努力によって常に変化することがあり得るものを、判断材料にしているというのは考えてみれば不思議な話だが、いくら変化するといっても急激な変化は通常ならば決して無い。あったとしても、成長期の男性の成長と同じようなもの。気付いた時には、いつの間にかそんなに大きくなっていたのかと驚く。そんな程度。
前世を引きずって生まれた俺にはよく分からないのだが、見た『感じ』で、判断することが可能なのだとか。
俺はその感覚を、恐らく一生感じることはないだろう。ただし、理解は十分に出来る。
何かに願ったことによって、叶えられたずるの一つ。この『魅了の瞳』は、本来肉体全体に行き渡るはずだった肉体強化のためのエネルギーの大半を瞳に凝縮し、更にそれを成長する三つの力の中でも、『異性を惹きつける力』に振り分けることによって生まれた。
だからこの瞳は、俺の核のようなもの。言うなれば、俺の身体の中心。
そんなものを無理矢理封印してしまえば、反動が出るのは当然だ。瞳は身体の一部。本来ならば、動いているのが正常。ドラゴンとまではいかないが、ウルタスの王に匹敵するであろう魅力をバカみたいに周囲に振りまいているのが正常。肉体でありながらも、道具であるこの瞳を異性が見つめると、その魅力が他の誰よりも素晴らしいものだと錯覚してしまうのが、正常なのだ。
そして。
その瞳を見た目の前の存在が。
俺を『他のどんな存在よりも恐ろしいもの』だと錯覚しているのもまた、全くの正常。
魅力とは、力の象徴。自然において、生物とはより強力な遺伝子を残そうと、力ある異性を求めている。
ならばその魅力を、他の種族はどう感じるのか。
魅力とは、判断材料。
個体を判別するための材料であり、また他種族との出会いにおいてはその個体の『危険度』を示す材料である。
俺はその魅力における『感覚』を一生感じることが出来ないと断定するが、それはあくまで前者における話。後者においては、弱者である俺は他のどんな人間にもこの力が劣っていないと誇ることが出来る。
目の前の存在は、危険だ。
同時に目の前の存在ほどではないが、俺を襲おうとしていた周囲の存在達も、危険。
ただし俺は、彼らから感じる危険度によって彼らを判断することは出来ない。もしも今。目の前にいるカバっぽい魔物の同種の個体が現れたとしても、それらを個別に判断することは外見的特長に頼らざるを得ないだろう。いや、前世で人間に近いとされていた猿の個体を外見的特長で判別するのも出来なかった俺には、それも無理なのかもしれない。
もし。
目の前の存在から感じる『危険度』が、一瞬の内に上昇したとしたら。
魅力による個体の判断が出来ないという、この世界において異常である俺は。
未だに残っている中二病的見解によって、『隠されていた力を解放したのか!?』とか、驚いちゃったりするのだろう。
これは異常だ。
いや、精神年齢的に三十を超えているのに中二病の後遺症が残っているのが異常とかそういう話ではなく。
それによって驚く程度であるのが、異常なのだ。
繰り返すが、この世界において魅力とは大きな役割を持つ判断材料。
周囲の魔物達は、正常な感覚によって俺を判断したはずだ。
突如現れた、栄養であると。
外敵ではない。生えている植物と同じ。
ただ違う点は、良く動くことと、毒などの心配もなさそうなこと。
危険性の欠片もない存在。
魔物達は既に俺の判断を終え、どう狩るかではなく、もはや誰が先に食べるかという思考に移っていた。
そんな中で、起きた変化。
突如我が身に鳴り響いた、警鐘。
目の前にある、『危険』を見て。彼らはどういう判断をするのだろうか。
答えは───理解不能。
目の前の存在が、急に『何か』に変わった。
そんな状況で、冷静になれる訳がない。
混乱だ。
深部にいる魔物なだけあって、中途半端にある知能が悪影響を及ぼしている。
目の前の存在は何なのか。そもそも先ほどの獲物は何処にいったのか。外見的には同じ、いや、似ているだけなのだろうか。分からない。しかし同じ個体であるはずがない。そんなことは有り得ない。ならば何が起こったのか。分からない。いや、そんなことを考えている場合ではない。どうすればいいのか。どうすれば逃げれるのか。そもそもコレからは逃げられるのか。
人間よりも遥かに劣る知能だから言葉による思考はしていないだろうけれど。こんなようなことが、頭の中に渦巻いているのではないだろうか。そして鳴り響く警鐘はやがて恐怖へと変わり、恐怖が肉体を蝕んで行動を起こさせなくする。
─────ピシャリ。
一歩。
水が靴に、弾かれる音。
その音は、静寂の中によく響いた。
───ピシャリ。ピシャリ。
俺は一歩一歩、目の前の魔物に更に近づいて行く。
「…………ぐわぁ───ぐ、ぐわぁ」
呻き声。先程まで俺を捕食しようとしていた魔物が、恐怖に身体を震わせている。
ああ、気分が良い。最高だ。
瞳を開放したことによって、全体的な能力も向上している。身体が軽い。これが本来の俺の肉体的能力であり、もしも瞳を要求していなかったら、きっとこれ以上のものになっていたのだから、驚きだ。
今なら、なんだって出来る気がする。
「───ぐ、わぁ?」
俺は。
一拍。手を叩いた。
「ぐわぁ!?」
ビクンッ! と、驚いて身体を震わせる魔物。声が無駄に愛らしい。
「ぐわぁ! ぐわぁ! ぐわぁぁ!」
驚きで恐怖の鎖が取れたのか、魔物は一目散に逃げ出す。
あまりにも機敏な動きなものだから、泥が大量に跳ねて俺は更に色男に変身した。
『───────!』
そして、音。
今度は、我先にと辺りの魔物や魔虫が逃げ出す音だ。
危険を追わず、危なそうだったら逃げる。きっと深部の魔物達はそうやってきたから、ここまで生き延びてこれたのだろう。非常に好感が持てる。
再び。静寂が訪れた。
取りあえず顔に付着した泥を拭って、さっさと魅了の瞳を再封印。
危険な存在がいるかもしれない場所に近づくほど、深部の魔物はバカじゃあるまい。
「───はぁ……」
身体が重い。
再び封印の影響で能力が低下したのもあるが、その理由は心的疲労が大きい。
生き延びたのは嬉しいけれど、俺の気持ちは超ブルー。
「鬱だ………」
もう何か、身体に力を入れるのも嫌だ。そう頭が勝手に判断したのか、ガクンと力が抜けて、その場に四つん這いになる。いっそ寝転がるのもいいかもしれない。さすがに、やらないけど。
「ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ─────────────ッ! 俺って奴わぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあああああああああぁああぁぁぁぁ──────────ッ!」
思い出せば、黒歴史。
「もう嫌だぁぁぁぁッ! こんな瞳抉り出したいぃぃぃッ! なんでそんな要求したんだ俺のクソ野郎ぉぉぉぉぉおおおおおッ! そして何ちょっと─────────俺最強。出来るんじゃない? とか、思ってんだよバァァァカッ! 出来ねぇよバァァァカッ! バァァァカッ! バァァァカァァァアアアアッ!」
封印を開放した際に感じた、高揚感。
脆弱で欲に忠実な俺の根本的な精神は、前世で夢見ちゃった漫画の主人公っぽいことを出来るんじゃないかと思ってしまったのだ。
─────出来る訳が無い。
確かに全体的な能力は上がっているが、それでようやく『普通』レベル。いや、それよりは上かもしれないけれど、どちらにしろ深部の魔物に敵うほどのスペックではない。
恐怖を与えることの出来る俺の瞳であるが、あくまで感情。死にそうになったら、例え恐ろしくても生き残るために立ち向かうのが生物。生存競争を生き抜いてきた深部の魔物なら、自分よりも格上の魔物と相対した経験も少なくはないだろう。
そして立ち向かわれたら、死ぬのは俺だ。
「うぅぅぅぅぅわぁぁぁぁ」
本当に、愚かだった。成長していないにも、ほどがある。
「────────ごめん」




