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十六話

 赤い瞳は美しく、宝石のように輝く。


 その赤は先日見た財宝を連想させる。容姿に優れ、非常に美しく、正しく彼女は宝のよう。前世のままの俺であったら、何としてでも気を惹きたくて、きっとあの財宝をネットではなく彼女にプレゼントしたことだろう。もっともその俺なら、財宝を見つけた時点で驚喜して直ぐに所有者になっただろうが。


 俺にとっては、二回目の会合だ。一度目が合ったことはあったが、それは数に入れる必要は無い。


 雨期に入った王国の空気は、湿度が上がって不愉快に感じる。今日は晴れているから多少はマシなものの、最近は連日雨で嫌気がさしていた。


 室内訓練場はあるものの、こうも雨が続くと殆どの生徒が体を動かしたくなる。よって満員。上級生が優先という暗黙の了解があるので、一応先輩でもあるがまだ下級生という扱いである俺達二年生は、そこで訓練をすることが出来ない。やれることと言ったら、自室での簡単なトレーニングだけ。雨の中で訓練を行う猛者もいるが、そういった生徒は大抵肉体が強く、風邪を引き辛いからこそ行えるのだ。俺のような弱者が同じことを行えば、確実に倒れて死活問題に発展することは明白なのである。


 そういったこともあり、今日は待ちに待った外での訓練。

 土はぬかるんでいて走り辛いものの、本日の朝練もランニングから始めようとしていた。


 始めようと、していた。


 の、だが。


 「さぁ、剣を抜け」


 湿った風が、金糸のような彼女の短い髪をなびかせる。強く美しくなった人は、髪のキューティクルも優れたものになるのか非常に艶やか。香水を付けているのか、甘い香りが風を通してこちらに伝わった。


 また、香り以外にも伝わってくるものがある。鼻孔ではなく、肌で感じるもの。


 それは冷気。


 彼女、アネスト・グリージャーの生涯の魔法によって作られた、氷の刃。その鋭い剣先が、こちらを向いている。


 「稽古を付けてやる」


 そう言えば、俺は将来禿げるのだろうか。

 だって、毛根も弱くなっているってことじゃん? 若白髪だし。


 そんな現実逃避を考える。



 頭皮、だけに。



 「あははっはっはははは!」

 「………!?」











 きっと彼女は、良い人なのだろう。


 始めて会った時。

 俺のお気に入りポイントである、噴水のあるあの場所で上級生から告白を受けていた彼女。


 学園最強は誰だという議論が交わされると、よく名前が上げられる彼女はその実力に比例して非常に魅力が高い。また学問の成績も良く、真面目で性格も良いようだ。更に公爵家のお嬢様という身分も合わさり、彼女に告白を決行する男は後を絶たない。俺も入学をしてから今までの一年間、噴水の場所以外でも彼女が告白を受けるその姿を拝見したことがある。


 何度も告白を受けていたら、煩わしくなることもあるのだろう。噴水の時に見た上級生は、しつこそうだった。その影響から少々気が立っていたあの時の彼女はキツい口調であり、俺はそれ相応の印象を抱いた。けれどもこうやって再び会ってみるとまた違う。


 やはり公爵家のお嬢様という立場もあり、安易に告白を受けないためにも常に張り詰めていて、心構え無しにはこちら側からは近寄り難い雰囲気を纏っているが、その奥からは非常に暖かいものを感じるのだ。


 俺ほど駄目で魅力の無い人間は、この学園に存在しない。


 その理由は周囲から見れば努力を怠った結果であって、決して同情する余地は無い。そして寧ろ怒りを覚えて、ネットと友人になる前の待遇を受けるのは当然とも言える。


 だからこそ彼女は俺を見たときに、その様子ならば仕方がないという辛辣な言葉を浴びせてくれた。


 強さと美しさに比例して、恐らく記憶力も上がっているだろう彼女ならば、俺という強烈なインパクトのある人間の顔を忘れることは、まずあるまい。

 始めてダンジョンに挑んだ際、彼女と俺の視線が合った。正直勘違いであって欲しかったが、彼女はその時世界一醜いはずの俺を見て、ほんの少し笑ったのだ。とても満足そうに。


 俺が気付いていないだけで、その後も彼女は俺を数回見ていたに違いない。

 そうでなければ、説明が付かない。


 「おや? 奇遇だな。─────おはよう。最近お前の姿をよく見かけるな。どうやらあれから、頑張っているようじゃないか」


 陰鬱とした雨期の空気よりも遥かに鬱陶しい俺という存在を目にしておきながら、微笑ましいものを見るように、そんな言葉を放つなんて。


 「………………お、お、おは、よよ、う、ございます」


 挙動不信に挨拶を返した俺を、頼むから嫌いになってほしい。冷や汗が止まらなかった。


 彼女はあれからと言っていたが、俺は一年前から鍛錬を続けている。彼女は俺に興味なんてあるはずもなく、また公爵家の娘である彼女には面倒くさい人付き合いもあるだろう。まともに俺の顔を見る機会なんてなかったはずだし、いくら記憶力が高くても認識しなければ記憶には留まらない。


 それはいい。別に努力を評価なんてしなくていい。寧ろ大歓迎。


 「お前も鍛錬のようだな。私もだよ。…………少々、私は有名だからな。人の集まる場所に行くのは注目を集め過ぎて煩わしく、鍛錬に集中出来ない。だから、この時期の晴れた日には朝から思いっきり体を動かすのが私の習慣でね」

 「え、えっと」

 「聞いた話によれば、お前も有名らしいじゃないか。もしかしたら、お前も同じ理由なのか?」

 「……」

 「─────あ。そ、そうだな。悪かった。意地の悪い質問だった。……………うむ、大丈夫だ。私は努力をして現状を変えようとするお前を、決して不快に思うことは無いから安心しろ」


 だがその結果彼女の中での俺が、彼女の一言によってやる気を出して心機一転。慣れない努力を始めた、情けなくも応援したくなる男になっているのは如何ともしがたい。


 この人は、良い人だ。良い先輩だ。


 生まれてくる際のスペックの差はあるものの、どんな生物でも真摯に努力をすれば強くなれるのがこの世界。魅力値最底辺が維持されるという俺の幸運は本来ならばありえない。だから彼女は、俺の背中を押そうとしている。もしくは、導こうとしている。


 俺は知っている。去年も同じように朝練をしてたから、彼女の言っていることが嘘であることを知っている。薄っぺらい嘘だ。けれども、彼女の中の俺が俺ならば暴かれない嘘だ。そうやって、俺に受け入れ易くしてくれているのだ。


 自分が俺の支えになれるように。地の底にいる俺を。見るだけで嫌悪感を抱くはずの俺の手を、握ろうとしている。───湧き立つ悪寒を、必死に我慢して。



 信じられない。



 ─────────超、ありがた迷惑。



 その気持ちは嬉しいけれど、まったくの不要。本当に止めてくれ。あの時のまま、俺を侮蔑してくれ。


 「君も武器は剣のようだな。どれ、少し君を手伝ってやるとしよう」


 グリージャー先輩の右手に一本の氷剣が生み出されたのは、そんな思考に至った瞬間である。











 氷と鉄が衝突すること数回。氷を避けること数回。


 告白を拒絶する際に見せた剣戟を想像出来ないほどに、手加減を加えられた攻撃。俺が剣で受けることを目的とした攻撃であり、俺の弱い肉体と素人同然の剣技でも防ぐことは可能であった。


 「剣の腕は見るに耐えない。しかし、動きは決して悪くないぞッ!」

 「い、いや、ちょ、まっ」


 ミヤ先生の授業においては、基本的に体術の訓練を行う。剣は二の次。あくまで止め用。けれども一応努力はしているから、悪くはない程度にはなっていないと困る。それでも世辞は入っているだろうけど。


 「ではもう少し速度を上げる!」

 「だから、待って下さいって!」

 「……ん、なんだ?」


 なんだじゃないっての。聞く気はあるのに、手を止めないのは何故なのか。


 「止めて下さい! め、迷惑です!」


 よし、良く言った俺。


 「迷惑? 一人よりも、二人でこうやって剣を交わした方が上達は速い。遠慮はするな」

 「それはそうですけども……!」


 先輩の言うことは正しい。相手のいない鍛錬で、上達する程度は高が知れる。だからこそ、容赦のないミヤ先生との授業を俺は大切にしている。できればこの朝練にも付き合ってほしいと思ったことは、一度や二度ではない。先生が女性であることと、迷惑は掛けられないことを理由にそれは諦めたが、やはり相手がほしいと考えていた。


 だけれどそれが、こうやって先輩にその相手をしてもらうことには繋がらない。


 学園最強候補の先輩に稽古を付けて貰えるなんて、確かに光栄の極みだ。それは疑いようのない俺の気持ち。

 生まれてしまったそんな感情を見抜かれて、先輩の中で迷惑という言葉は俺の謙遜であると判断されたのは完全なミス。


 そういう技術は有力貴族としての必須能力ってか? ……勘弁してくれ。それなら光栄と思う気持ち以上に、俺が嫌がっていることも分かるだろうに。


 あ、もしかしたら。それも謙遜であると判断されたか? いやいや、本音ですから。マジですから!


 「本当に嫌なんです! 一人でやりたいんです!」


 よし、良く言った俺。


 俺の声を聞いた先輩は、行動を停止して体の力を抜いた。やったか……?


 赤い瞳が隠れる。それだけで、先程まで感じていた張り詰めた雰囲気が和らいだ。

 先輩は、数秒の沈黙の後に口を開く。


 「一人でいることに慣れるな。誰かといることを恐れるな。お前には友人が出来たのだろう? 友人に手伝ってもらうのは、決しておかしなことではない。……同時に、お節介な先輩の手を借りるものおかしなことではないぞ?」


 これもまた、正しい。


 きっとネットなら快く応じてくれるし、そんなお願いは友人関係において当たり前なこと。対価が必要ないのが友人関係だが、もし対価が必要だとしてもドラゴンの財宝というプレゼントを渡しているのだから、十分過ぎるほどだ。


 それなのにネットに自主練の相手になってほしいと願わないのは、俺がそんなことを思いつきもしなかったから。


 先輩の言う通り、一人でいるのに慣れ過ぎたのだろう。

 自分の行いの結果だ。自業自得。一人でいることは仕方が無い。だから不満に思った事もないし、辛いと思ったこともない。それが逆にいけなかったのかもしれない。


 ただし、先輩の言っていることには間違いが混ざっている。……いや。ある意味あっているのだが、ある意味で間違っている。



 誰かといることを恐れている訳ではない。先輩といることを、女性といることを恐れているんだ。



 ミヤ先生は問題ない。イブさんは問題ない。何故なら心の底から俺のことを嫌っているから。


 でも先輩、貴女は違う。


 貴女は俺のことを生理的に嫌悪しておきながら、その優し過ぎる性格を持ってそれを自力で押しのけて、俺に手を伸ばしている。俺の心を見ようとしている。ネットと同じく、貴女は心で判断をしようとする人間。女性である分、俺の天敵とも言える存在なのだ。それ所か、僅かに心の中に好意的な感情を抱いている。それは異性としての好意では決してないのを十分に理解しているが、俺にとっての脅威なのは変わらない。


 「先輩」

 「なんだ?」


 正直な話、俺は今直ぐにでもこの場を去りたい。しかしそれは安直過ぎる行動だ。大した面識もない後輩の手伝いをしようとするほどに世話焼きである彼女ならば、きっと今度も俺の前に現れる。


 だから。真摯に丁寧に、完全な拒絶をすることにしよう。


 「ありがとうございます。目から鱗が落ちました。今日にでも、友達に相手になってもらうように頼みます。……だから先輩のおせっかいは、もう必要ありません。先輩は先輩の学生生活を楽しんで下さい。そして二度と、このように僕に近づかないで下さい。僕は信用していない女性と接触するのを極力避けたいのです。その中でも特に、年上で短い金髪で赤い瞳の女性は見たくもないんです。視界に入れたくないんです。———それに、貴女の事はまったく信用していません、これから会う事もないでしょうから、信用することも有り得ません。ですから、これで、さようなら」


 先輩の眉間に皺が寄る。見事成功。よく言った、俺。


 「そうか」


 肌にぶつかっていた冷気が消える。正直怖かったので、これで一安心。


 「ならば、私は去るとしよう。君が高みへ上れることを祈る」


 大人だ。俺が先輩の立場だったならば、確実に一発殴っている。


 「ああ、それと─────」

 「え?」


 先輩が、視界から消えた。


 「─────────────ハァッ!」

 「ブベラッ!」


 鳩尾に感じる衝撃。体が浮く。

 次いで生じる痛み。二度目の衝撃。こんにちは土の味。


 「ゴホッ! ガボッ!」

 「無礼はこれで許す。それでは、さようならだ」


 前言撤回。意外と先輩は子供っぽいかも知れない。表情は無かったが、何故か頬を膨らませた小学生を連想した。

 まぁ。公爵家に対して男爵家の落ちこぼれが話していい内容ではなかったから、チャラにしてくれるのはありがたいけれど。


 ぬかるんだ地面から、衣服に水分が染みて来る。先輩の魔法から感じる冷気は心地よく感じたけれど、この冷たさは不快だ。けれども俺はそのまま地面に寝転がって呼吸を整えると、空を見上げた。


 雲がやって来た。明日は、また雨か。


 「─────ありがとうございました、先輩」


 二度と会いたくないけれど、感謝はしている。


 一歩進むのは大変だ。大変だから、価値がある。


 その一歩を後押ししてくれたなら、それは大きな恩。


 いつか、恩を返さなければならない。………二度と会いたくないけれど。

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