十五話
誰か。
いや、人ではない何かが、俺を見ている。
感覚で理解しているのではない。ただの予想。妄想と言っても過言ではなく、寧ろ俺の被害妄想であってほしい。何で俺みたいにちんけな存在を見ている?
「いぎゃぁぁぁぁぁぁああああああああ! 助けてぇぇぇぇぇぇえええええ!」
「うるせぇぞハーン! 黙って足動かせ!」
まるで狙ったようなタイミングが二度。
これを偶然と呼ぶのは、少し頭が悪過ぎる。
「なんだよアレ!?」
「新参者だろう! 確か山の方に住んでる魔物だ!」
大きな口からダラダラと涎を垂れ流して、四人の中で一番後ろを走って逃げている俺に食らいつこうとする魔物。ワニに似ている形状の魔物は歯が鋭い。
後方から聞こえて来る、ガチガチと歯と歯がぶつかり合う音で冷や汗が止まらない。足が遅くて俺の鈍足でも逃げ切れているものの、正直ギリギリだ。もしも少し力を抜けば、俺はやられる。
試そうとしているんだ。俺を。
コイツが現れたのは、ネットが財宝の所有権を手にした直後。
本来ならば俺が財宝を手に入れて、その所有権を手にするのに十分な時間。まるで俺に、その力を使って倒してみろとでも言わんばかりのタイミング。
力が欲しいと思ったときに目の前にその力があり、その力を手にした瞬間に試す機会がやってくる。
気持ち悪い。つまらない演出にもほどがある。なんだそれは。
「す、すまん! そろそろ足が限界なんだが!」
「─────なっ、さけないッ!」
「すみませんッ!」
本気でキレた表情で俺を睨みつけるイブさん。思わず身が竦んだけれど、足を止めなかった俺は偉い。
そしてそう怒鳴りながらも、走りながら高速で矢を射るという偉業をやってのけて下さったイブ様。更にその矢は正確に魔物の目に命中する。もう最高。一生付いてきます、姐さん!
痛みに苦しむ魔物。その内に俺は距離を取る。
見計らったダッグは、入れ替わるように魔物に近づいた。
「耳ぃ、塞いどけ!」
大きく息を吸うダッグ。
体に力が入らなくなって来た俺だが、反射的に何とか耳を抑える。
「─────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────!」
空気が割れた。同時に俺の頭も。
そう勘違いするほどの、轟音。
ダッグの『生涯の魔法』は、『咆哮』と言うらしい。
ただ声を大きくするだけの魔法で、聞いた時は正直ダセェとバカにしたのを反省しよう。単純な魔法だから成長し易く、脅威となり易い。大き過ぎる音は、それだけで武器となる。
魔物が悲鳴を上げている。しかしそれを俺が聞き取るのは不可能だ。
彼の魔法は、ある一定の範囲から音量が格段に下がる。そして俺のいる場所は、恐らくその範囲外。
魔物は範囲内だ。そこで生まれた音は、彼の咆哮によって掻き消される。
「─────はぁッ!」
音が消えた。同時に、ダッグの呼吸音がやけに耳に障る。
声を大きくしている以上、その声が出なければ魔法は発動しない。彼の魔法とその肺活量は凄まじいが、限界がやってくるのは当然だ。けれども魔物は、未だに混乱している。格好のチャンスというヤツだ。
俺の頭も混乱してなければ。
「───おうぇぇぇぇ」
弱い俺の肉体は、同時に三半規管も弱いらしい。すげぇ気持ち悪い。なんで他の二人はピンピンしているのでしょうか?
「ちょッ!? 何吐いてんだよハーン! 早く逃げろって!」
「む、無理─────────────おげぇぇぇぇ」
吐き出される内容物。その臭いが更に俺の吐き気を加速させる。
同時に小学校で皆の前で吐いたトラウマが蘇ってきた。気分も最悪だ。
「────役立たずッ!」
そんな俺を本気で見捨てたそうにしながら、イブさんは未だ混乱している魔物に矢を放つ。しかしそれは逆効果であったようで、痛みで体を奮い立たせた魔物は怒りで血走った目をこちらに向けると、無理矢理に筋肉を動かしてこちらへ向かって来る。当然のように、標的はイブさん。デカイ図体のわりに、動きが速いのが腹が立つ。
「ふんがぁぁぁ!」
取りあえず俺も魔物を見習って、無理やり身体を稼働。魔力を使って、全身を最大まで硬化。
魔物の口内が視界に映る。というか大き過ぎて、それしか視界に入らなくなる。超怖いじゃないかこの野郎。
魔物が口を閉じるよりも早く、俺は手に持った剣で舌を貫く。大した腕力の無い俺だが、このぐらいは可能。本当ならば更に下まで貫いて下顎を貫通し、地面に縫い付けることが出来たら最高なんだが。しかしその最後の部分が無駄に硬い。残念ながら、不可能。
ならばいっそのこと、このまま噛まれてしまおう。
「ハーン!?」
「問題なし!」
魔物の歯は鋭い。だからこそ、歯と歯の隙間は不安定ながらも足場とするのに十分であった。
一つの歯を跨ぐようにしっかりと踏みしめて、腕を高く迫り来る上顎に向けて伸ばす。手もまた同じようにピンと真っ直ぐに。両手の平を合わせて、俺の身体を槍に見立てる。注意する点は、その手の先が確実に隙間の柔らかい部分に当たること。その両側にある、鋭い歯に当たってはならない。直感だけれど、普通に噛まれたら俺の身体は貫通される。
「─────ぐぅぅッ!」
硬い物と硬い物がぶつかり合う音。両手に肉を裂く感覚。そしてその奥にある、歯に先がぶつかった痛み。
同時に、身体全体に強い衝撃。特に間接に半端じゃない負担が掛かってる。
「イブさんッ!」
それだけで、彼女は理解してくれたらしい。
素早く放たれた矢は俺の身体を的確に避けて、柔らかい魔物の口内に突き刺さっていく。閉じて避ける訳にもいかない。何故なら、俺がつっかえ棒になっているから。
魔物が取る行動は一つ。口を大きく開けて、俺や刺さった矢を吐き出そうとするしかない。
凄い痛かったから俺も素早く脱出。剣を回収して、一太刀浴びせておくのを忘れない。ふはは、痛いだろう。
「─────────────ぶべッ!」
調子に乗っていたら、痛みに暴れる魔物に身体を吹き飛ばされる。
防御力は上がっているが、体重は変わっていない。こういう所が、金剛の弱点だったりする。
「うはっはっ! カッコいいのか、情けないのか」
「情けない方でお願いします」
その爆笑。盛大に迎え入れようじゃないかダッグ。
イブさん。何ですか一応命の恩人っぽい存在に対して、その余計なお世話をするなとばかりの、冷やかで俺を蔑む視線は。
─────甘い。もっと行けるはずだッ!
「で、準備は出来たの?」
「完璧」
さてさて、ここまでの戦闘で何もしなかったサボり君が一人います。
サボりっていうか、必殺技の溜めをしてた感じ? 正確には、財宝の使用方法を制作者たるドラゴンに聞いて、その使用のために準備を行っていたようだ。
例え財宝の所有者になったとしても、その財宝と制作者との繋がりが断たれることはない。
所有者が願い、制作者が容認すれば会話を行うことも可能なのだ。残念ながらそんなことは稀というかほぼゼロに近いのだが、使用方法など所有している財宝についての質問ならば、サポートセンターなみに親切に答えてくれることが多い。らしい。
「取りあえず、皆下がってくれ」
財宝の力は、決して戦闘において絶大な効果を発揮する物だけではない。
ネットが手にしたコインのような財宝は見た目からするとまるで戦闘には関係のないような物に思えるのだが、その力は『一瞬で楽して強くなる』という俺がふと思い付いた要望通り、戦闘に関係する力のようだ。
是非とも俺を見ている何か─────恐らく、ドラゴンが。
試そうとしているのが、そんな自ら作り出した財宝の性能であればいいのだが。
それは少し、楽観的過ぎるだろうか。
『────力を』
ネットの右手によって、空中に弾かれた財宝。
空中でそれは膨大な魔力を発して、光を放つ。眩しさに目を細めながら光の中心を眺め続けると、その中に影が生まれる。始めは一点だった影は肥大化していき、一つの形を生み出して行く。同時に、俺の頬を風が撫でた。
『バンクル』
右腕に絡みつく赤。
まるで太陽のように、真っ赤な翼。
大きな翼はネットの生み出す風に、その欠片を乗せる。
欠片は自らを運ぶ風を更に増幅させて、使用者たるネットを目とした渦を生み出す。
「すごっ─────」
肌にぶつかる風から感じる、絶大な魔力。
思わず俺は、声を漏らした。ちょっとだけ、惜しくなったのは秘密だ。
魔物もそれを感じたのか、背を向けて逃げだそうとする。
「イブを傷つけようとして、無事でいられると思うな」
かっくうぃー。
『放て』
暴風。
翼の欠片は、炎となって魔物へ向かう。
炎と風の檻に捕らわれた魔物は、一切の容赦なくその身を焼かれる。風が熱を逃がさず、また体感温度を急激に上昇。そして炎になりきらなかった欠片は刃となって肉を裂き、そこから熱が進入して内部から更に魔物を焼く。
まだ攻撃は終わらない。
魔物を身体を傷つけていた欠片は次第に炎へと変わって行き、檻の中の熱量が上がっていく。
炎による光も比例するように増えていき、魔物は光に包まれる。
それはまるで、小さな太陽。赤く染まる光球。
ダンジョンの一角に生まれた赤が、その姿を見せなくなる頃。
その場には、もう何も存在しない。骨もまた灰となり、風に舞い、ダンジョンの土に混ざり合って消えた。
「はぁ、驚いた。想像以上に凄いなぁぁ……」
ネット、その一言で台無しだぞ。
ちょっとした想定外の強敵が現れたものの、ネットと彼が所有する財宝の力によって無事に俺達は生還。
財宝を手に入れたというニュースに、学園中が俺の想定していた範囲を遥かに超えて盛大に賑わった。確かに財宝が宿す尋常ではない力を肉眼で見た後に考えると、これほどに賑わう理由も真に理解出来る。財宝の数が、そのまま国力の差になると言っても過言ではないだろう。
そして財宝の所有者となったのが、学園で人気且つ将来有望且つイケメンなネットだという所も要因の一つ。
クラスの人気者が部活で全国大会を優勝したような熱狂。有名人が転校して来たような驚き。少々嫉妬を持つ生徒もいただろうが、それ以上に素直に凄いと思ってしまったのだろう。ネットは尊敬を掻き集め、彼の中心として形成されていた輪は更に大きく広がっていた。
彼の婚約者であるイブさんだが、この出来事によって彼女は完全に周囲の女性陣に認められたようだ。どうやらダッグの言っていた、一緒にダンジョンに挑戦していた者達も評価が上がるという話は本当だったらしい。
ネットの、彼女がいてくれたから俺は財宝を手に入れられたんだ。的なフォローがあったことは明白だが、彼女の周囲に対する謙虚な姿勢と一貫したネットへの愛が生み出した、必然的な結果であろう。
気になって調べてみたのだが、財宝を持ち帰った生徒は数年ぶりのようだ。曖昧な表現になっているのは、そういった資料が学園には無い、もしくは生徒には閲覧出来ないようになっているから。そして俺が手に入れた情報が、一人の教師が漏らした、一体何年ぶりになるだろうか。という呟きを耳に入れることが出来た事のみだからである。もしもその情報が本当ならば、なるほど所有者以外の評価が上がるのも、頷けるというもの。
平民で何の後ろ盾も無いダッグだが、彼の評価もうなぎ上りだ。
彼はどうやら将来ネットの部下として働く事を決めているようだが、それを知らない他の貴族の嫡男達が、彼の勧誘を引っ切り無しに行っている。
例え財宝を所有した本人ではないとしても、財宝を手に入れた者の同行者というネームバリューは比較的大きく、部下にすることで自身の格を上げようとしているのだろう。
この王国の貴族社会において、注目を集めるというのは非常に重要。
注目を集めていなければ功績を重ねても大した評価は上がらない。
ふーん、凄いね。で、君は誰?
こんな感じでスルーされるのが常識。
侯爵以上になればそんなことを気にしなくても有名であるから問題はないのだが、伯爵以下の貴族は社会に出る前に学園でその注目を集めることに必死になる。周りの人間が全て未熟且つ自由に動ける今の時期に、それを行うのが一番効率的だ。そのためダッグは、この出来事によって非常に魅力的な物件に変わったのである。
さて、有名になった三人と共に挑戦をした俺ことハーン・ウルドであるが、俺にもまた輝かしい待遇が待ち受けていた。
なんと俺は三人に偶々付いて行った時にネットが財宝を見つけただけで、俺は棚から牡丹餅な幸運野郎であるらしいのだ。しかも、本来ならばネットと仲の良いテスラがその功績を手に入れるはずだったのに、それを運だけでかすめ取った非常に苛立ちを集める存在なのだとか。
つまりは、他の三人の分まで嫉妬が集まったのである。やったね!
ダッグが良い意味で注目を集めたのなら、俺はまったくの逆。
悪い意味で注目を集めた、同行者としての失敗例。
今まで疎ましく下だと判断していた存在が、注目を集めた。ムカつく。もしかしたら、これから台頭してくるかもしれない。かと言ってネットの友達だと言うから、手を出す訳にもいかない。よし、ならば更に周囲で連携していないものとしよう。
俺に多少の魅力があれば、全力で潰しに掛かるだろう。だが俺がまともな貴族としての将来を歩めないのは、決まったようなもの。唯一ネットと親しいのは危惧であるが、例えネットに優遇されても他の全ての貴族から無視を決め込まれたら、何も出来ない。
結局は、この世界も上手に生きるに必須なのはコミュニュケーション能力だ。そして堅固な人間関係を気付き上げること。それがなければ、貴族なんて勤まらない。
「キモいッ!」
「ぶめらッ!」
その結果、凄い出来事が起きたのに俺の日常は対して変わらず。
多少変わったことと言えば、財宝を見つける事が夢の一つであったミヤ先生に嫉妬され、より訓練が厳しくなったこと。今までは手加減をしてくれていた事を、よく理解出来た。
もうすんごいの。すんごい痛いの。
凄まじい威力の拳で体を吹き飛ばされた俺は、地面を転がって土の味を堪能する。
取りあえず、死んだフリ。でも当然バレて、胸ぐらを掴まれて強制的に起き上がさせられる。
「おい、ハーン。ムカつくから、授業は延長だ」
「はーい」
まぁ、金剛の威力向上訓練になるから別にいいのだけれど。
「ごげぇッ!」
俺の生涯の魔法はまだ弱過ぎる。未来の安寧のためにも、この魔法の強化は必須。
何発も殴られようが、死にはしない。なら、受け入れる。
多少理不尽に感じるが、何の問題もないさ。