十二話
そもそも、俺はどうしてこの場所にいるのだろうか。
あの不思議な空間。そして職員のような存在。考えてみれば、意味が分からない。
何故、当時の俺は、それを容易に受け入れていたのだろう。
今以上にバカだった俺の思慮が足りなかった。そして、過去の俺の目が欲望にしか向いていなかった。
この二つの、有り得るというか、完全に当てはまっていた要因を考えても少しおかしい。あまりにも簡単に話が進んでいたような気がする。
まあ所詮は、俺の中にあるちょっとした後悔の気持ちが生み出した疑念なのかもしれない。しかし、どうせ身体の休息のために取った時間だ。まるで価値のないことを考えてみるのも、悪くないだろう。
「─────ふぅ」
俺は自分で入れた茶を飲みながら、自室で考察を続ける。
アレは一体、何だったのだろう。
無神論者。という訳ではないが、あの存在は神様ではなかったような気がする。いや、俺に神聖さというものを認識する能力が備わっていたのかは知らないけれど、俺の当時の感覚としてはアレは神様ではない。絶対に。
なら何なのか。天使的な存在か。
それも違う。けれども、『使い』という意味では当たっているかもしれない。つまりは俺に状況と、普通ならば笑い飛ばしてしまうような話を受け入れさせるための、作られた存在。スーツを着て、笑顔で俺に対応してくれる、何と言うか『できる』職員さん。相談をしても安心できて、頼れて無条件で信用してしまうような人。
俺は学校の提出物の期限を友人に聞くような、人に頼って生きる恥ずかしい人生を送ってきた。
そんな俺にそういう存在が対応を行ってくれたから、俺は状況を受け入れたのが早かったのだろう。
その結果として、安心しきって信用しきって欲望を全開にしてしまったのだけれど。
「なっさけないな~」
いやいや自己嫌悪は、取りあえず角に置いておくとして。今は無駄な考察を続けるとしよう。
「切り替え切り替え」
頬を叩く。
使いという認識が正しいのなら、当然のように使いを寄越した存在がいるという話になる。
それはつまり。いわゆる神様なのか。──────何か違うような気がする。
神様なんていう高尚な存在がいるとして。俺なんかの前に使いを寄越すことがあるのだろうか。必要もないだろう。俺の魂とその転生先に、大した価値などないはずだ。そして、それ以上に意味が分からないのが、俺の我が侭を聞き入れてくれたという点。既に俺の次生は決まっていたと言っていたのに、何故それを曲げるような要求を許容したのか。あのとき職員のような存在は渋い顔をしていたが、最終的には俺の望みを受け入れてくれた。おかしな話だ。無条件で転生させればいいのに。
俺には望みがあった。そしてあの存在は、俺に道を示した。
真っ白なあの空間。そこに生まれた真っ黒な扉。
『では、こちらになりますね』
興奮が体を包んでいた俺は、迷わずに扉を開けた。
沢山の美女に囲まれた、幸せな人生。それを夢想していた。そしてそれが、俺の判断力を鈍らせていた。
扉を開けた俺は、真っ暗な空間の中に伸びる白い道を歩み始めた。最初は僅かな恐怖があった。けれども大丈夫だと判断すると次第に足が早くなり、やがては走って道を進んだ。白い道の先にある、光に包まれた場所。そこを目指して、一心に足を進めた。呼吸が乱れて来る。肉体であったとは思えないが、確かにあの時俺は疲労を感じ始めていた。
進め進め。辿り着かなければ、俺は夢を手にする事が出来ない。何よりも、俺は生きられない。
頭がクラクラした。視界がぼやける。もう少しなのに、倒れてしまいそうだった。もう少し、なのに。
一歩、二歩。ゆっくりと、俺は足を進める。何としても辿り着こうと足を進める。
『あ』
体が倒れているのを自覚した。白い道に、俺はキスをする。痛みはない。ただ、呼吸が出来ない。そもそも呼吸をする必要があるのかと考えたが、あの時は息を吸わなければ終わってしまうのだと本能で思っていた。
白い道が、黒に飲み込まれていく。そこに倒れていた、俺もまた同じように。
這いずった。立ち上がることはできない。足も動かない。呼吸も出来ない。
それでも何故か、腕が動いた。だから、腕の力で体全体を前へと移動させた。呼吸が出来ていないから、非常に苦しい。本当ならば、体を動かしたくない。けど動かさなければ、俺は終わる。それは絶対に、嫌だった。
『こちらだ』
フワリと、体が浮くのを感じた。同時に何かに包まれる感覚も。
疲労が体から抜け落ちる。呼吸を再会する。視界が元に戻る。俺はそのとき、道から外れて黒に落ちそうであった。
力が戻った俺は、俺の体と同じように復活した白い道を進む。
そして、光に辿り着いた。
眩しくて瞳を閉じる。段々と光に慣れて来て、俺は再び瞳を開いた。
「よし、止めよう」
考えるのを止めよう。時間も時間だ。就寝するとしよう。
明日はネット達とダンジョンに行く予定がある。早々に寝た方が良い。
というか、過去の事を考えてどうするというのか。
大切なのは現在だ。これから何をするかだ。前を見ることだ。
別に後ろを見るのも悪い事ではないけれど、過去が変わる訳ではない。過去は過去。後悔をしていればそれでいい。
俺は愚かだった。それだけ。
俺は生きる。複数あるこの命を、一つも絶やさずに生き続ける。それだけだ。
「ほっ! はっ!」
クルクルとハルバードのような槍が回る。
柄の先に付いている穂が真っ直ぐに魔物を貫き、横を向く斧のような刃が魔物を裂く。ダンジョンには狭い場所があるため、柄は短く小回りが効く。またそれに比例するように斧のような刃も小さく、軽量化を図っている。
ダッグはその槍を両手で扱っているため、当然盾を持たない。そのため攻撃を受けないようにするには、魔物との距離を計ることが重要。しかしダッグの槍は短いため、それも難しい。だからダッグは曲芸のように槍を振り回す。攻撃の届く範囲を、常に知らせているのだ。魔物だってその武器が自分を脅かすことは理解出来る。容易に近づこうとは思わない。その結果攻撃もし難くなるものの、生き残る可能性は上がる。
警戒した魔物はどうしようか躊躇う。その瞬間。それを待っていたとばかりに、ダッグは攻勢へと変わる。
最初の攻撃は、相手も警戒しているから当たらない。だから、あえて避けさせて自分の攻め易い状況に動かす。そして猛攻。その全てを避けきれる魔物は少ない。
「あらよっと!」
それを隙と見て襲う魔物は、ダッグにとって格好の得物だ。
ダッグの攻撃は動作の少ない突きが主体。容易に標的を変えることが出来る。
血をまき散らして、その場にいた全ての魔物が倒れたのは五分に満たない時間であった。
「あっはっは! 終わったぞ!」
ダッグが一人で戦っていたのは、俺の我が侭を聞いてくれたから。
単純にダッグが戦うのを見たくて、お願いしたのである。うん、良い経験になった。ありがたい。
まぁ、役に立てられるかは別の問題だけれど。残念ながら、あんなに器用に戦えるとは思えない。
『金剛』に頼って相手の攻撃を受けることを前提とした戦い方をしている俺では、当分は無理だろう。金剛の防御力が唯一の長所であるが、もう少し先に現れるネズミのような魔物には抜かれてしまう。まだまだ浅い場所なのにだ。この戦い方では直ぐに袋小路に入るだろう。もっと、頑張らねば。
「さすがだな。我流とは思えん」
「え? 我流なのか?」
ネットの口にした言葉に驚く。
「見本はあったが、教わったことはないなぁ!」
つまりは見ただけで、技を吸収したということ。
彼の綺麗な動きの中に、どこか荒々しさがあったのはそれが原因だろう。しかし荒々しいのが悪いのではない。それもまた、彼の戦い方の長所になっている。まったく凄い話だ。
「見事なもんだなぁ……」
倒れているトカゲのような魔物。この世界で爬虫類は動物として扱われるため、魔物で正しい。
その魔物達は綺麗に一撃で仕留められている。凄いのが突きの一撃で殺している所。魔物にも急所があるが、動く魔物に当てるのは難しいはず。それもこの魔物は小柄な部類。どれほど腕を磨けばこうなれるのか。
「慣れだよ慣れ。最初は苦労したもんだ!」
笑っているけれど、本当に苦労したのだろうか。
疑ってしまうのは仕方ないと思う。
「─────話してないで、早く手伝って」
「あ、す、すみません」
何故か俺だけに注意をしたのは、ネットの婚約者であるイブさん。
ネットは苦笑である。お前は縁を通して彼女の心情を知ったのかもしれないけれど、俺も今の彼女の心情を知っているんだ。顔を見ればよく分かる。気持ち悪い。返事をしないで。でも返事をしないのはムカつく。つまりはさっさと目の前からいなくなればいいのに。そんな所だろう?
ならなんで彼女がいるのかという話だが、俺と理由は似ていて、強くなるためである。
仮にも彼女は伯爵夫人になる人。しかしそれにしては、残念ながら魅力が低い。
貴族は強く美しくあることが、暗黙のルール。俺はそれを破っている訳だがそれは置いておいて、伯爵夫人になる彼女がそれを破る訳にはいかない。ネットの立場が悪くなる。だから強くならなければならない。そのために、ダンジョンへやってきた。
彼女にとって不幸だったのは、俺が先に共に行く約束をしていたということ。ネットがそういう約束を破るような人間ではないということ。
でも俺だって一緒にいたくないやい。
溜め息が出そうになるのを押さえながら、魔物を掴んで魔法具で作った穴に埋めて行く。トカゲっぽい魔物の体は、ネズミっぽい魔物よりも小さいのだが体重はこっちの方が重い。皮が分厚くて硬いからそこに質量があるのだろう。だから結構大変な作業である。
皮が売れるそうなのだが、時間がないために我慢。
暫く作業を進めていると、イブさんは不意に自らの武器である弓に手を触れた。
「─────えい」
「おっと」
この世界のカップルは、キスとか手を繋いだりはしない。
けれども遊ぶことはある。縁を結んでいて、お互いにお互いの思考を完全に知れるから出来る遊び。
「えい、えい」
「よっ、そいやっ」
イブさんが素早く矢を放つ。ネットは華麗にそれを手で掴む。
御見事! ─────じゃねぇ。ちょっとでもミスをすれば、ネットは矢を喰らうんだぞ。
何処に矢を射るか分かっていて、何処に放てばネットは取れて、何処に放てば取れずに貫かれるかを理解し合っているから、大丈夫なのだろうけど…………見ているこっちは、心臓の鼓動が激しくなるばかりだよ。止めてくれ、マジで。ハラハラするから。トラウマがマッハで刺激されるから。
「イチャイチャしていないで、早く手を進めろよ〜。あっはっは!」
この世界のカップルはイチャイチャなんかしない。
俺はこれをイチャイチャとは認めない。絶対にだ。
ふざけ合うというか、戯れ合うという意味では合っているかも知れないけれど!
これは只の危険行為だから! バンジージャンプだって俺は遊びとは認めない!
─────というか、俺に注意したのに遊ぶとは何事だイブさんよ。
「何か?」
「い、いえ」
注意もしない。絶対にだ。
怖いもん。同じように矢を射られそうだもん。