一話
「え~い!」
「はははッ! 止めろよ~」
キャキャキャ。ウフフ。ブンブン。ガキンガキン。
「クソッ! アイツら見せつけやがって!」
「羨ましい限りだね~」
羨ましくなんかねぇよ。
「でも新学期だからね。仕方ないさ」
「恋の季節ってか? 俺達魅力低い組からすれば、関係ない話だな」
「努力しないとね。僕達も女性に魅力的に見られるように」
努力はするが、絶対に見られたくない。寧ろ嫌われたままでいたい。
「春だね~」
今年も一年、女性陣に生ゴミを見るような目で見続けられますように。
ウスタス魔法学園。人間の王国、ウルタスに建設されたこの学園にも、春の風がやって来ていた。
桜によく似ている木が淡い桃色の花を咲かせ、風によって攫われたそれらは学園を美しく彩る。桃色は空気中のマナと感応し、光となって空中に消える。その場には、ほんのりとした甘い香りが残り、春の暖かい陽気と合わさって心地の良い眠気を誘う。木下で眠れば、さぞよく眠れるだろう。近くに設置されている掲示板の注意文、『御昼寝の際は、永眠しないように注意!』の一文が不安を掻き立てる。なんて刺激的な学園だろう。
俺は設置されている長椅子に座りながら、無言で木々を眺めていた。花の美しさに見惚れていたのか、甘い香りを楽しんでいたのか、それとも元の世界を思い出して感傷的になっているのか。それは自分でも分からない。まるで記憶が無くなったかのように、頭の中は空っぽであった。
ただ、近くを通る女生徒達の汚物を見るような視線と、こんな綺麗な場所にお前のような汚らしい存在がいるんじゃねぇよ。という、彼女の内の誰かが吐き捨てた言葉を聞き流して、いいぞいいぞと満足したのを覚えている。もっと罵れ! と口走って、悲鳴を上げられたような気もする。
何の問題もない。俺の二度目の人生は非常に平和で、幸福に満ち溢れている。
過去の俺、この世界に生まれ変わる前の俺は、今の俺を見てどう思うのだろうか。きっと、ふざけるな。と激しく怒るのだろう。昔の俺は、性欲に忠実であった。風の強い日には幸福が訪れるのを見逃さないように周囲を常に警戒していたし、部屋に隠された財宝の数はかなりのもの。当然のように、自室はとある臭いが漂っていた。
──────愚かなことだ。性交に、子孫を残す意外の、何の意味があるというのだ。
人は成長する。死というものを体験して、新しい人生を前の人生と同じくらい歩めば、学べることは沢山ある。ましてや、異世界に転生だ。様々な文化の違いがあったし、思想も違う。前世と今世を合わせて三十二。まだまだ若造ではあるが、濃密な時間。性欲の固まりのような少年が、女性への大した関心を抱かなくなるには十分な時間であった。
女なんてものは、今の俺にとってはどうでもいい存在である。
「好きですッ!」
「ひぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいい!」
悲鳴じゃない。これは怠けていた体への鼓舞だ。
ガクガクと愉快なダンスを始めようとしていたのを必死で抑えると、周囲を見渡す。一組の男女が、近くにいた。どうやら、女子が男子に『告白』をしようとしている。当然、対象は俺ではない。
「お、おお、お、おど、脅かせやがって……」
取りあえず、酸素を供給しよう。この世界でこの体に必要な物質が酸素なのかはしらないが、空気を吸う必要がある。心臓がバクバグと五月蝿い。過呼吸気味だ。落ち着こう。対象は俺じゃない。落ち着こう。大丈夫だ。大丈夫。俺はモテない。俺は底辺。俺はゴミ以下。ふぅ、落ち着いた。
「ありがとう。君の気持ちは嬉しい……。でも─────」
呼吸を整えている間に、男女の方に進展があったようだ。男子が口を開く。
「ごめん。……俺には他に、好きな人がいるんだ」
ああ、これは。始まる。
「そうですか─────。なら、仕方ないですね」
女子は、腰に差した剣を抜く。
男子もまた、それに答えるように剣を抜いた。
「力ずくで、『告白』を成功させてもらいますッ!」
「本当に、ごめん!」
カキーン。カキン、カキーン。
鉄と鉄がぶつかる音は、どうしてこうも恐ろしいのだろう。
「ああ、ホント、やだ……」
涙ではない。汗だ。
「クソッ! アイツ、また告白されてやがるッ!」
「大変だね〜」
「大変? 女に好意を寄せられて、嬉しくない男がいるか! 内心喜んでるんだよ、羨ましい!」
「でも殺されちゃったら、好きでもない人と婚約確定じゃん?」
「あんだけ可愛い娘となら大歓迎だよ!」
「そりゃそっか」
何故それで納得する!? 殺されちゃうんですよ!?
俺には一生、この世界の文化を理解出来ないだろう。
「そこをなんとか! そこをなんとか!」
「困るんですよねー。そういうの」
俺はあの時、文字通り人生を掛けた土下座をかましていた。
「最近多いんですよ。チートでしたっけ? 何か来世で、ずるをしたいっていう人がね」
「お願いしますッ! 何とぞ、何とぞ、私めに施しを下さい!」
そこの事を説明するなら、『死後の世界』で事足りる。死んだら、行く場所だ。
「あのねぇ? 貴方、何が不満なんですか。確かに平均寿命からすれば早く死んでしまいましたけれど、優しい家族にも良い友人にも囲まれてましたし、娯楽も充実していて争いもない。毎日幸せだったでしょう?」
「でも彼女が出来ませんでしたッ!」
「─────貴方ねぇ……」
十六歳で死を迎えた俺は訳の分からないまま、ここにいた。詳しい事は一切説明されない。目の前にいる、銀行の職員のような存在によって、俺は転生することを知らされた。それだけ。
だから俺は土下座をした。目の前に夢がある。それを掴めるかもしれない。当然の選択である。
「何度も言っていますが、来世でも同じような幸せが待っているんですよ? 彼女なんて努力次第で作れますよ」
「でもその俺は、俺じゃなくなるんでしょう!? 意味がないじゃないですか!」
「そう言われましてもねぇ。前世の記憶を保持するとなれば、色々とリスクが生じるんですよ。当然ですが、ずるを行えばもっと大変な、リスクが待っています」
「大丈夫です! それすらチートで乗り越えますッ!」
「そんな簡単な話ではないんですよ。絶対にそのリスクは覆せないんです」
「ち、因に俺がほしいチートなら、どんなリスクがあるか分かりますか?」
「調べてみましょう。取りあえず座って下さい」
真っ白な空間に、黒い机が一つに、黒い椅子が二つ。
片方は職員のような存在が座っている。見た目は人間だが、空気が神々しいような気がしなくもない。
空いている椅子に座ると、職員と俺は机越しに向き合う形となる。それを確認されると、職員は机の中央を触る。
すると、タブレットほどの大きさが白く染まった。
「まずは前世の記憶の保持でしたね」
白い部分に、黒い文字が現れる。俺に分かるようにか、日本語だ。
『前世の記憶の保持───代償:別世界への転生、また転生先の世界から恩恵を受け難くなる』
「当然ですが、転生先は記憶を持っていても大した問題のない異世界に移ってもらいます。貴方は人間に転生する予定でしたので、その世界には人間は存在しています。そこはご安心を」
「恩恵って、何ですか?」
「世界から受ける祝福です」
それ以上の説明は、してくれないようだ。
「他には何か欲しいんですか?」
「魔法とか使いたいですッ! 後ゲームみたいに頑張れば強くなれたり、後ハーレムを作れるように一夫多妻! それと───」
「理想を叶えられそうな世界でよろしいですね?」
「あ、それで大丈夫です!」
妄想を繰り広げる俺に、嫌そうな顔をせずに淡々と職員は話す。俺の理想なんて、説明を受けなくても分かるということだろうか。もしかしたら始めから俺の考えていることは分かっていて、それでも俺が正常な思考と判断が出来るように、職員は会話を行ってくれているのかもしれない。
先程現れた文字の下に、新たな文字が生まれた。
『理想を叶えられそうな世界への転生───代償:あらゆる才能の低下』
「理想というのは、自分の力で探り出すもの。最初から理想が見えている場所に行くのなら、理想への道が険しくなる。当然の処置ですね」
まぁ、頑張れば強くれるなら、努力次第でなんとかなるだろう。俺はその時、楽観的に考えた。
「それと、超絶モテモテになる能力を下さい!」
「また欲望丸出しな要求ですね。具体的には、どのような能力ですか?」
「え、良いんですか!? 結構クズな要求ですけど」
「自覚があるのは良い事だと思いますよ。後は改善ですね」
「精進します! 見ただけで、相手を惚れさせるような能力が良いです!」
『魅了の瞳───代償:初期能力、特に魅力の低下。封印時、全能力、特に魅力の低下』
「瞳とありますが、魅力を大幅に上げる能力ですね。目を合わせれば、より効果が高くなります。肉体を形勢する際、その肉体をより強くするための力を眼球に凝縮。その力で能力を作り出します。結果的に、生まれた肉体が極端に弱くなる。強くなり辛くなる。などのリスクが生じます」
「えっと、この封印時のリスクは何ですか?」
「この能力は強力です。それを無理矢理抑えるならば、激しい反動が生まれるというわけです。眼球は肉体の一部ですから、反動は肉体全体に効果が及びます。特に本来上げるはずだった魅力の低下は顕著なものです。来世で貴方がどれほど容姿に優れていたとしても、必ず道ばたに放置されている排泄物並みの扱いを受けるはずです」
「でも封印しなければ、生まれたときに体が弱いだけなんですよね?」
「ええ」
「なら、問題ありません」
大有りである。生まれるときに体が弱いということは、生存出来る確率が恐ろしく低くなる。前世では医療技術が発達していて、子供の死亡率は減ったものの、幼いまま亡くなる子はいる。その選択を選ぶということは、生まれ変わった先の親の心労を増やすことにほかならない。ましてや大きな悲しみを抱かせることになるかもしれなかったのだ。
俺はとても愚かであった。
「他には、ありますか?」
「これだけは、絶対に譲れないものがあります」
『人よりも沢山の命───代償:命を失う可能性、特に前世の死因をなぞる可能性の急上昇』
「当然ですね。多くの命を望むのならば、より多くの死が貴方を付け狙う」
「構いません。追い返してみせる。俺はもう、簡単に終わりたくない。不老が無理なら、出来るだけ長く生きたいんです」
「これだけの要求を許容出来る世界は、一つしかありません。そこへの転生で構いませんか?」
「はい。よろしくお願いします!」
よろしくありませんでした。
バシャ。
調理場から持って来たであろう、大量の生ゴミが掛けられる。本日は肉料理がメインらしい。獣臭い。
にしても、毎日毎日大変なことだ。これだけの量、持って来るのも大変だろう。正確に目標にぶつけるのも大変だ。どうやら彼らは、魔法の腕が非常に優秀のようだ。是非ともその才能を、他のことに利用してもらいたいものである。
「おい。見ろよ」
「似合い過ぎだろ」
「大変だわ。私どっちがゴミなのか、分からなくなっちゃった」
犬のように体を震わせ、体にくっ付くゴミを払う。それでも取れないものは素手で掴み、森の方へぶん投げる。毎日のように行っているものだから、それを食べに野性の動物が近くへとやって来ていることを俺は知っている。恩返しがないかを期待をしているが、今の所その兆しはない。残念。
俺は誰も寄り付かない古い噴水のある場所へ到着する。昔は生徒の憩いの場とされていたようだが、新しい広場が他の場所に出来てからは、この場所に来る者は俺のようなボッチか迷子の生徒だけ。それでも噴水が正常に機能しているのは、この学園の学園長がここに深い思い入れがあるとか、ないとか。詳しくは知らん。
そんな大切かもしれない噴水で、俺はガシガシと生ゴミで汚れた頭を洗う。動物の血が噴水を赤く染めた。本当ならば体を覆うマントも洗いたいが、元から既に汚れきっていて洗っても意味はない。この黒っぽいマント。元々は白かったと誰が分かるだろうか。
まだ動物性の油がベットリと付いてしまっているが、多少は気分が良くなった。獣臭いのは我慢。もう慣れたことである。
「いや〜、今日も平和だ」
『魅了の瞳』を封印して、魅力が低すぎてあらゆる人間、特に女性から気持ち悪がられる。
何と言う素晴らしき日常。あの職員っぽい存在には感謝の念が尽きない。
ゴーン。
鐘の音。時間を知らせる鐘である。
休みの時間は終わり。毎日髪を洗うだけで時間が過ぎてしまうのは、少し残念だ。
「うし! 次の授業も頑張るか」
俺は、新しい人生を満喫していた。
それはつまり、幸せということだ。