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彼の話

作者: ねこしお

彼の話


 彼は、昔からそこにいた。いつ頃からいるのか、彼にも分からない。

 彼は山に住んでいた。

 山の暮らしは穏やかで、過ごしやすかったがとても退屈だった。

 しばらくして、山の(ふもと)に人里ができた。

 彼は時折、人里に降りて悪戯をした。

 大声を出して脅かしたり、物を隠したりした。

 里の人々が驚いたりあわてたりする姿が、面白おかしかった。


 彼は、里の外れで女が独りで住んでいるのが、面白くなかった。

 両親を流行り病で失ってから、ずっと独りで暮らしている。

 気立てのいい子で里の者達も、生活の手助けをしていた。

 それが彼には、面白くなかった。彼もずっと独りで暮らしているから。

 ある時、女は検非違使(けびいし)という役人に(とが)められた。


「帝がお通りになられるというに、なぜ頭を下げぬ。この痴れ者め」


 彼はとても愉快な気分になった。

 女が名も知らぬ役人とやらに、足蹴にされる姿がとても愉快で面白かった。


「申し訳ございません。そのように身分の高い御方とは知りませなんだゆえ。なにとぞ」

 女は、深く頭を下げ地面にひれ伏した。

 その姿を見て、彼は大声で笑った。

「何奴じゃ!」


 彼は検非違使の目の前にいた。そして彼は、目一杯の力で検非違使を殴った。

 このやたらと偉そうにしている役人を殴れば、もっと面白いことになると考えたのだ。

 鼻から血を出して、地べたを転げる検非違使を見て、彼はゲラゲラと笑った。

 とても愉快に、本当に楽しそうに笑った。

 それを見た検非違使は、怒り狂い立ち上がると同時に腰の刀を抜いた。

「無礼者め! そこになおれ! 叩っ切ってくれる!」


 彼は腹を抱えて笑っている。

「やあ!」

 検非違使が刀を振り下ろす。

 しかし彼はそれを片手で受け止めると、刃を握り刀身を折ってしまった。

 手から血が(したた)る。

 かまわず血の滲む拳で、検非違使をもう一度殴った。

 検非違使は、あえなく昏倒してしまう。


 彼は女を見た。

 怖い役人を殴り倒した自分を見て、女が恐れおののくと思った。

 しかし、女はとても優しい表情をしていた。

 おもむろに、自分の着物の一部を噛み千切ると彼に差し出す。

「血が出ています。これで傷口を押さえてください」

 そう言うと、彼の手のひらに着切れを巻く。彼は面白くなかった。

 彼は何も言わず、山に帰った。

 帰ってからずっと、どうやってあの女を脅かしてやろうか、怖がらせてやろうかと考えていた。


 それ以来、事有るごとに彼は女の前に現われた。

 とても綺麗な鳥を捕まえた時も、こんなに綺麗な鳥を殺した自分を女は忌み嫌うと考えた。


「まあ、(キジ)ですか。ご馳走ですね」

 微笑む女に綺麗な鳥を渡すと、彼は肩を落として山に帰った。


 彼は山で、とげに覆われた木の実を見つけた。

 これを女に投げつけてやろうと、彼はたくさん集めた。

 彼は女の家で初めて栗を食べた。


 ある日、彼は川で奇妙な生き物を捕まえた。

 手足の無い鱗で覆われたそれを見せて、女を驚かせようと思った。

 しかし女は家にいなかった。


 彼は近くの家に怒鳴り込んだ。

 家の主は彼がなぜ来たのか、すぐにわかった。

「おキヌなら都に連れて行かれたよ。綺麗な子は貴族の(めかけ)にされちまうんだ」

 彼は持ってきた(マス)を家主に渡し、すぐさま都に向かった。


「お受けできませぬ」

 女はきっぱりと貴族に言い放った。その言葉が何を意味するか女はわかっていた。

 それでも女は自分の気持ちに正直になろうと思っていた。

「なぜじゃ? 何が不服なのじゃ」

 問いただす貴族の顔には、明らかな(いきどお)りが見える。

「申せません」

 山に住む物の怪を好きだなどと、言えるはずが無い。里に迷惑がかかる。

 この問答が何度も続いていた。


 とても大きな音が屋敷に響き、貴族があわてて近くの者に問いただす。

「何事じゃ?」

「はっ! 物の怪の類かと」

「なんと!」

 彼は屋敷の庭で暴れていた。

 刀を構え取り囲む役人や武士をものともせず、屋敷にむかって進む。

 そしてついに貴族の部屋にたどり着く。

 血にまみれ必死の形相の彼は、この世のものとは思えない有様だった。

 その姿に女は涙を流す。


 貴族に詰め寄る彼を、女は止める。

「お止めくださまし! この御方が悪いのではございません」

 女の制止を振り切り、貴族を捕まえると彼は生まれて初めてしゃべった。

「この女を今一度連れ去ってみろ、俺が貴様を冥土に連れ去ってくれる」

 そう告げると、彼は女を抱えいずこえと消えた。


 彼は何もかもが、面白くなかった。里の人間も都も貴族もそして女も、面白くなかった。

 連れ去られた女を救ったのに、里の者に(うと)まれた。

 貴族の御触(おふ)れで、かくまえば咎められると。

 それを女が聞いて、里を離れるといった事も面白くなかった。

 結局、女と一緒に山で暮らすことになったことが面白くなかった。

 その事で、女が嬉しそうにしていることが面白くなかった。

 里や都や貴族や役人に、仕返しを考えない女が面白くなかった。

 いつも穏やかな表情の女が、面白くなかった。


 しかし、そんな生活も永くは続かなかった。

 女は彼の子を産むと亡くなった。

 最期の時、女は彼に願いを告げる。

「どうか、この子を頼みます。この子が、この子の孫がいつまでも暮らしていけるように、どうかお願いします。あなたのお力で、お守りください。どうか……」


 彼は面白くなかった。女のいない世など面白くないと…… 彼は生まれて初めて泣いた。

 彼はそこにいる。今も、これからも、ずっといる。女との約束を守って。

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