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秘説・西遊記

 ひとりの僧侶が山中を歩いていると、激しい雷雲と共に桶をひっくり返したような先も見通せないほどの豪雨に見舞われた。

 僧侶は必死でこの雨を凌げそうな場所を探した。するとぬかるみに足を取られ、僧侶は泥水の中へ倒れてしまう。

 持っている杖を立ててゆっくりと立ち上がると、その側には大きな洞穴があった。


「これも何かのお導き・・・。お釈迦様のお導きに感謝します。」


 僧侶は服が泥まみれになったことよりも、雨を凌げる洞窟を見つけられたことを感謝した。

 僧侶はもしや自分と同じように雨を凌ぐためにここに先人がいるやもしれぬと思い、洞窟の入口で声をかける。


「もし、ここに誰かおられますか?申し訳ございませんが、この酷い雨を凌ぐ間、こちらにお暇させていただいてもよろしいでしょうか?」


 洞窟に僧侶の声が響く。

 しばらくして僧侶とは別の声が返ってきた。


「ええ、どうぞ。ごゆっくりなさってください。その代わりと言ってはなんですが・・・。」


 しわがれた老人のような声が真っ暗な洞窟の奥から聞こえてくる。


「わたくしの御伽話でも聞いていただけないでしょうか?」


 豪雨だと言うのに、その老人の声の通りはよく、とても透きとおっていた。

 僧侶はまるで老人の声が、あの時の方の声に似ていると思い、胸が温かく清らかな気持ちになった。

 僧侶は礼をし、それから洞窟に入ると壁に背を預けて座り込んだ。それに気がついたかのように、老人は話し始めた。


「それは昔昔、大昔のこと。山中で群れを統べる一頭の猿がおりました。」


・・・


 それはそれは強い猿で、山の中全ての猿の棟梁でございました。またその猿は仙人とも交流があり、仙人から様々な術を会得しました。

 猿は自分たちの群れを統べるだけでは飽きたらず、人まで統べようと考えておりました。思えばなんと強欲な猿なのでしょう?

 それに気がついたお釈迦様は、その猿を岩の隙間に封じ込めました。猿は体の殆どを岩に阻まれ、顔だけ出して身動きの取れない状態になりました。

 その閉じ込められた場所は自分たちの群れを見下ろせる山の中腹でした。

 それを知った仲間達は猿を心配し、助けようと試みたり、見舞いに訪れるようになりました。しかしそれもつかの間のことで、やってくるものは少しずつ減り、最後には誰も訪れなくなりました。

 叫んでも叫んでも、傘下にいた猿達は見向きもせず、岩に挟まれた猿は孤独で毎日泣き腫らすのでした。

 そんな猿の孤独を次第に癒したのは、自分が孤独であることを受け入れたことと、野山の草花や季節の移ろいでした。

 猿は草花な季節の移ろいを詩にして吟じ、次第に心が穏やかになっていくような気になりました。

 そんなある日、可愛らしい訪問者が現れたのです。

 メスの小猿が道に迷い、岩に挟まれた猿の所までやってきてしまったのです。

 猿はメスの小猿に帰る道を教えました。メスの小猿はお礼にと、道端に生えた小さな花を摘んで猿の前へ置いてくれました。

 猿はその小猿の優しさに触れて胸が温かくなり、大粒の涙を流したそうです。小猿は猿を慰めながら、その小さな手で猿の涙を拭ったそうです。

 やがてメスの小猿が戻った頃でしょうか。辺りはとっぷりと暗い闇に覆われた頃でした。

 猿の群れのある辺りから火の手が上がり、争いあう猿達の声が聞こえてきたのです。

 かねてから強い猿が居なくなったことで、猿達の派閥争いが激化し、とうとう争いに発展したのです。

 猿はそれを見て、あのメスの小猿はどうなったのだろう、今すぐこの争いを仲裁しに行きたい!そう空に向かって叫びました。しかしその声を聞いてくれるものはおりませんでしたし、猿が岩を壊そうとしてもやはりびくともしません。それでも群れの中の火の手や争いの声は激しくなり、猿はただただ見ていることしかできませんでした。

 せめて自分が欲を出さなければ、こんな争いもなく、メスの小猿も生きていられたはずなのに、と猿は自分の欲深さと非力さに一晩中嘆き悲しみました。

 そして、何年、何十年と、同じ争いは猿達の中で繰り返されてきました。

 猿はすでに皆の中から忘れ去られており、ただただ彼らを諌めることもできず、傍観するしかなかったのです。

 争いが起きてそれを目の当たりにする度、猿の胸は痛み、掻き毟りたくなる思いに駆られるばかりでした。

 ひたすら争い合う悲しみに暮れて居た時、お釈迦様がやって来てこうおっしゃいました。


「これから天竺へ経を取りに行く者がお前の元へやってくるだろう。お前はその者を守るというのなら、この罰を解いてやろう。」


 その言葉に猿は涙を流し、ようやくこの罰さえ償えれば群れに平和を取り戻せると、胸に一陣の希望が射しました。


 そんな折、ある日一匹の小猿が猿の元へやってきました。

 その小猿は群れの中では珍しい毛の色をしておりました。それはまるで全てを平等に照らすような明るい太陽の光のような金色の毛の小猿でした。

 しかしその毛色とは反対に、小猿は淋しげにしていました。見ると、額には石をぶつけられたような痣や引っかき傷、そしてところどころ無理やり毛をむしられて地肌が見えるような可哀想な有様でした。

 小猿は岩に閉じ込められた猿を初めて見て腰を抜かしました。もう猿達の村では岩に閉じ込められた猿のことなど忘れ去られていたからです。

 警戒する小猿に、猿は自分のことを簡単に説明しました。小猿はいぶかしがりながらも、岩に閉じ込められた猿の側に座り込みました。

 小猿は群れからいじめられ、この誰もやってこない山でひとりで暮らそうと思いつめた表情で語っておりました。

 猿はこの小猿と、あの時のメスの小猿とを重ねあわせてしまい、不憫でしょうがなくなってしまいました。

 そこで、まずは近くに生えている薬草で傷を癒す術を教え、辛くなったらまたここへ来てこのおかしな岩猿と話にくればいいと、猿は言いました。

 金色の小猿は毎日のように猿のいる岩を訪ね、猿も小猿がいじめられないよういろいろな知恵を授けました。


 ある日、とうとう経をとりに行くという男が現れ、長年猿を苦しめていたくびきが解かれました。

 しかし、この経をとりに行くという男はあまりにも粗野で、猿はこの男の扱いにほとほと困っておりました。そんな時、お釈迦様が猿に緊箍児きんこじという金色の輪っかを授けました。

 猿はお釈迦様から言われた通り、男に緊箍児を付け、粗野な行いをすれば猿が緊箍呪を唱えて男を懲らしめました。

 男と猿は天竺へ経をとりに行く旅をこうして続けるのですが、男は病に伏して死んでしまいました。

 なぜだ?どうしてだ?なぜお前は死ぬのだ?と男の死体に問いかけた所、お釈迦様が現れ、こう仰いました。


「人という生き物は寿命が短い。お前の様に仙人の桃を食べたものとは違うのだ。そして、天竺へ行くにふさわしい清らかな心と慈悲の心を持つまで、この男は何度も何度も生まれ変わらねばならないのだ。それも、この男にとっての天竺まで行くまでの修行なのだ。」


 そんなあまりにも不条理なことがあってたまるか!と猿はお釈迦様に言いたかったが、人も自分たち猿同様に、強欲で争い合う生き物だということをこの男と旅をして痛いほど思い知らされていたのです。

 もしこの男が死を通して修行を終え、天竺のありがたい経を手に入れれば人間たちも悪い過ちを繰り返さないで済むのだと猿は思いました。ですので猿は反論をすることもなく、男の亡骸から緊箍児を取り上げ、次の男が生まれ変わって自分の元へやって来るのを待つことにしたのでした。

 そして何人もの男が猿と共に旅をし、死んで、また輪廻を繰り返していくのでした。

 猿にとって天竺の旅はとてもとても長い長いものでした。男たちが死ぬたびに、猿は打ちひしがれ、涙を流し、身を切り裂かれるような思いを何度も何度も味わいました。

 そのせいでしょうか。不老不死の桃を食べたはずの猿は何度もやって来る悲しみのせいで、じょじょにその命を削られていくのに気が付きました。

 それと同じくして、猿と共に旅をする男もだんだんと心が澄み渡り、慈悲の心を持つような者が現れ始めました。

 ああ、これは俺の命の代わりに男を助けたいと思う思いが、新しい輪廻の糧となっているのだろうと納得するのでした。

 そして何度も何度も同じことを繰り返し、ようやく猿は天竺へ行く者と巡り会えました。しかし、猿にはその者のお供をする力も命ももう残っておりません。


・・・


 僧侶はその御伽話を聴きながら自然と涙が溢れて止まらなかった。まるで猿本人の悲しみが伝わるようなその言葉の一つ一つに、懐かしいさや寂しさが涙と共に僧侶の胸に不思議と込みあげてくるのだった。

 

 やがて雨は止み、空は雲ひとつない青空になり、僧侶の足元を太陽の光が照らしていた。


「ところで最近、その猿と同じように、イタズラのすぎる強欲で強い金色の毛をした猿がこの近くの岩に閉じ込められているそうですよ。」


 老人は洞窟の奥から僧侶にそう言った。僧侶は探している者の場所の近くだということを知り、このめぐり合わせに対してお釈迦様に感謝するのだった。


「とても良い話を聴かせて頂いてありがとうございました。」


 僧侶は立ち上がり、洞窟の前で話を聴かせてくれた老人に祈りを込めて礼をした。

 そして僧侶が立ち去ろうとしてふと後ろを振り向くと、いつの間にか洞窟は跡形もなくなくなっていた。僧侶の後ろには、年老いた白髪だらけの猿がおぼつかない足取りで去って行くのが見えた。


―ああ、あの猿が・・・。


 僧侶はようやくその猿が洞窟の御伽話の老人であり、自分の輪廻に命を削りながらずっと付き添い続けて来てくれた大切な方なのだと気づいて再び涙した。


―どうか、あの方が救われますよう・・・。


 僧侶はよたよたと力を振り絞りながら遠くへ行く猿に、感謝と敬意を込めて涙を流しながら礼をするのだった。



西遊記に関して最近思っていたことがあって、もし孫悟空が何百年も岩に閉じ込められていたら普通に悟っていたんじゃないかと思ったのです。

それに、ブッダみたいに普通の人間の一生で悟れるほど三蔵法師がチートを持っているようにも思えなかったわけです。

そこで、実は猿のほうが悟っていて、三蔵法師は三蔵法師になる前までに何度も何度も猿と一緒に天竺への旅と死への旅を経て三蔵法師になれたのではないかという話を思いつきました。


・・・どうかお釈迦様、こんな勝手な説を考えた私に罰を当てないでくださいお願いします。

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