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その7


 色々なことがあって長かった七月が終わったのに、セミの鳴き声は止むどころか、これからが本番ってぐらいに元気に、けたたましい鳴き声を叫ぶように上げている。

 夏本番の八月に入れば、本格的に学校関係が全部夏休みになり、スーパーにもお客さんが増え、またテレビのニュースには毎日熱中症の患者の数が報じられ、海の混雑具合や高速道路の渋滞状況、この暑いのに背広で官邸を歩く政治家の話題ばかり。

 ヘルメットがわたしの家に来た日からちょうど一週間、週末の金曜日。

 わたしはヘルメットに『宇宙人の集会』を開いてくれないかと昨日の段階でメールをしたら馬以外の二人は予定が空いていて、今日もいつもの池袋のビアガーデンで開かれる運びとなった。

 今日のわたしは、スーパーでの仕事を終え、自宅に帰ってシャワーを浴びて出かけるために着替えた。

 そして携帯を手に取り、もしかしなくても春人以外に自分から初めて東京の人間に電話をかける。

「もしもし? 昨日のメールの件だけど、平気かな?」

「うん! おっけ~」

 電話口の向こうの声は明るく、背後からは腹の底に響くような地の底から聞こえるような音楽が微かに聞こえる。

「タイミングはメールで伝えるから、本当にお願い」

「うん、お姉さんの頼みならなんでもするよ。それに――あ、うん……なんでもない」

「……?」

「お姉さん、大好き。お姉さんの行動、絶対無駄にはしない! でも……なにするの?」「秘密。あとで全部話してあげる。――あ、ごめん。わたし、そろそろ出かけるから、あとでよろしくね」

「はーい! それまで一人でカラオケしてる~。今度、お姉さんも一緒にしようね」

 どうやら一人カラオケの途中だったらしく、電話口の向こうから聞こえていた音は隣の部屋の音楽だったよう。

 ニールって家にいることがなさそうなイメージ。

 そんなわけで、わたしもこれから家を出て、池袋に行く前に寄り道をしなければならないっていうほどじゃないけど、駅前の百円ショップでお買い物。

 いくら無職からスーパーでパート勤務してお給料をもらっていても、節約はしないとね。

 料理できないからコンビニやスーパーの出来合いの食事が多い、それが一番の出費だったりする。あとお菓子と飲み物……。

 支度をして家を出て、百円ショップで必要と思われるもの、いくつかを見繕う。

 そして電車に乗り、今日も池袋を目指す。



 池袋東武百貨店のビアガーデンはすっかりわたしの行動範囲になってしまった。

 そしていつものようにいつもの席に行くと、今日はまだタイガーだけしかいなかった。

「こんばんは。今日は馬、来ないんだってね」

「こんばんは。夏風邪だそうですよ」

 すでにビールと枝豆で一人宴会を始めているタイガー。

「……マスク、ずれてるよ」

「おや、すみません。紙袋さんを見つけて、慌てて被ったものですから」

 そう言いながらタイガーはマスクを正すのだけれど、今さら顔を隠されてもしょうがないような気しかしないでならないのは、わたしが紙袋を初日のあのときにしか被っていないからだろうか。

 ヘルメットの素顔も知ってるしね。

「紙袋さんもお好きなの頼んでください。ヘルメットさんもそのうち来るでしょうから。あ、もちろん、今日も奢りますよ」

「いいの!」

 驚いた風を装ってみたものの、タイガーの懐事情を知るわたしは、それに甘える気満々だった。

「ええ、どうぞ。その代わり、ヘルメットさんが来るまで話し相手になってもらってもよろしいでしょうか?」

「うん! わたしなんかでよければ、全然いいよ。すいませーん、ウーロン茶とからあげとサラダ」

 ウエイターに注文をして、わたしの正面の定位置に座るタイガーを見る。

「話ってなに? わたしでよければなんでも聞くよ」

 これはチャンスかもしれない。

 終始無関心を決めるつもりの孤独好きな振りをする癖に、すべての話に聞き耳を立て、話に割り込んでくる馬がいないのだ。変に勘繰りされなくて済む。

 わたしは昨日の段階で馬が欠席と聞いていたので、動くのなら今日しかないと踏んでいた。

 邪魔な馬がいない、いてもいなくても変わらないヘルメットを追い払う手はずもあるし、お金も十分にお財布の中にあるし、必要なものも買ってきた。

 わたしは今日、東京に来て一番大胆な行動を取る覚悟がある。

 わたしはこの会の四人を幸せにする――最初のターゲットは一番簡単そうなタイガー。

 そのために今日、わたしはこの人を徹底的に探り、素っ裸にする……もちろん、物理的な意味ではなくて。

 それが向こうから話を振ってくれるのであれば、わたしは尻尾を振って便乗して、タイガーという人間を、温厚で優しいお金持ちのおじさんという表面的以外の情報を聞き出すチャンスだ。

「ありがとうございます。お恥ずかしい相談なのですが……女性は男性から下着を贈られるのはどう思うのでしょうか?」

 下着ですと!

 あまりに明後日の方向に向いている相談ごとに、わたしは椅子からずっこけ落ちそうになるも、今一歩のところでお尻に力を込めて踏ん張り、動揺を悟られないように、いつもの作り笑顔を見せて正面のタイガーに微笑む。

 気を緩めたら、頬が笑いで引き攣ってしまいそう……。

「あの……素朴な疑問なんですけど、上と下どっち?」

「え? 普通は上下セットではないのですか?」

「そうだよね。あはは」

 男の人のことだからパンツだけかと思った。

 スーパーとカタログ通販の安物しか持ってない十八歳のわたしが男性から下着なんて贈られたことがあるわけがない。

「でも、男の人でも買えるの? 人目とか気になるんじゃ……」

「最近はプレゼント用に男性でも買えるお店が増えてるんですよ。ほら、ホワイトデーとかでもらいませんでした?」

「……もらってない」

 そもそもホワイトデーってバレンタインデーにあげてなくてももらえるものなの?

「まあ、女の人が父の日にネクタイを買うようなもんだと思えば納得……できないな」

 ちょっとお高そうなランジェリーショップに男性客が一人でいたら、わたしはそこに用事があったとしても店には入らずに逃げる。例え、予備の下着がなかったとしても。

 そんな羞恥に立たされるぐらいならカタログ通販の激安上下セット二千円のでいい。

「サイズとかは?」

「それは公式の――いえ、その、わかるんですよ」

「まあ、好きな人のなら……わかるのかな?」

 わたしは体重も身長もスリーサイズも把握されたくないけれど。

「タイガーとその好きな人との関係はなんなの?」

 運ばれてきたウーロン茶片手にからあげに箸を伸ばす。最近、こういう脂っこいものばかり食べてる気がする……家に体重計がなくて嬉しいような、怖いような。

「恋人とはちょっと違いますが、他人とかそういう関係でもありません。でも、わたしの好意は彼女には伝わっていると思います。たまに、デートなどもいたしますし」

「へえ。タイガー、意外だね。相手は何歳ぐらいの人?」

 タイガーの年齢が三十代後半ぐらいだとしたら、やっぱ同じぐらいなのかな?

 でも、下着をプレゼントするような相手ならもしかして若いのかも。

「二十八歳です」

 わたしの十歳年上だけど、タイガーからすれば若い女性なのかな。それならわたしは小娘レベルと思われて、タイガーに女として見られなくても悲しいことに納得できてしまう。

「その人に下着をあげるの?」

「どうでしょう?」

「お仕事とかは?」

「……飲み屋で接客などを」

「……居酒屋?」

 なぜ、その女性に下着をあげることになるのか、わたしにはわからない。

「でも、その人にあげて、その……引かれない?」

「大丈夫だと思います。彼女、なんでも喜んでくれますので。その……そろそろ、わたしも年も年なので勝負に出たいと言いますか、その、お恥ずかしい」

 真剣に恋に悩んで照れるタイガーは、ちょっとかわいいとさえ思った。

 これが恋する人間だけが発する幸せオーラってやつなのかな。

 夏喜チーフのことを話していたわたしも発していたかも。

「え……勝負?」

 下着で勝負ってお相撲さんの褌とかではなくて、やっぱあっちだよね……。

「はい、勝負下着という意味での勝負です。こんなおじさんが、若い紙袋さんのような方にこのようなことを言うのはまるでセクハラですかね、すみません」

 ビールのせいではなく、耳まで顔を赤くするタイガーは本気で照れている。

「……あの、よく考えたら、プロポーズとかするのなら指輪とかじゃないの?」

「そういうのはすでに何度も贈っていますので……」

 宝石類は贈り続けたから、今度は変化球で下着をあげて、二人の関係を物理的に近づけようとするのか……わたし、下着もらったからってエッチしてもいいって思うのかな?

「……エッチがしたいんだ」

「あ、はあ……えっと、その……はい……端的に申しますと……そう、です」

 テーブルの向こう、椅子の上で体を小さくしたタイガーは俯いてしまった。

「わたしの方こそ、ごめんなさい。こういうこと相談されたことなかったから……」

「いえ、わたしの方こそ、下着だなんだと、うら若き紙袋さんにこのようなこと、はしたない」

「でも、タイガーの本気、伝わってきた。やっぱり、付き合ったら男の人はしたくなるものなの?」

「……えっと、紙袋さんにはありません? 好きな人とキスをしたいとかいう感情は」

 キスなんて、ドラマで見るだけでチャンネルを替えたくなってしまう。

「わたし、そこまで深く付き合ったことないからわかんない」

 でも、そうか……。

 春人とキスなんてしたことないけど、やっぱ春人はしたくて、わたしがそんな素振りを見せなかったから嫌気が差したのかな。

「ごめん、タイガー。わたしには、その女性に下着をあげて喜ぶかどうかはわからない。でも、わたしはもらったら困るけど、タイガーみたいに相手のことを思いやれる人が、その相手の人に相応しいと思って下着をプレゼントしたいって言うのなら間違ってないんじゃないかな。だってタイガーって……すごく、いい人だし」

 ニールの男性との体験談を聞かされ続けたわたしは終始赤面しっぱなしだったけれど、男も女も十人十色。どんなプレゼントが好感度が上がるなんていうのはわからない。

 それこそ、相手をよく知り、自分をよく知ってもらっている人の間でなければわからないこと。普通に考えれば下着なんてもらったら引くけれど、タイガーのような出来る大人の男がそれをプレゼントしようとしたこと、きっと間違えじゃない。

「わたし、その……経験もないし、恋も片思いの方が長いくらいで、ニールみたいに、男の人との付き合い方とか、全然熟知してないから、役に立てなくてごめん」

「いえ、十分なアドバイスです。――思いやり、ですね」

 ついつい熱くなって、柄にもないことを熱弁振るってしまったけれど、少しでも役に立てたのなら嬉しいな。

「それに、紙袋さん。片思いを出来る人は素敵な恋が出来る人ですよ」

「そうだといいな……とは思ってる」

 夏喜チーフと付き合えたら――とは思っているけれど、研修期間の終わった今週はほとんど喋る機会がなかった。

 店内や事務室で顔をあわせれば挨拶はするのだけれど、今までみたいに張り付いて教えてくれることもなくなったし、挨拶以上に会話の発展はなく、商品補充の人たちみたいに店内を動き回ることもしないでレジの中にいるだけなので夏喜チーフと会うことはほとんどなくなってしまったと言っていい。

「すみません、お待たせしました」

 背後から足音とともに近寄ってきた声に振り返ると、息を乱したヘルメットがヘルメットを小脇に抱えてやってきた。

「遅かったですね」

 ヘルメットがヘルメットを脱いでいるのにヘルメットと呼ぶのはいかがなものかと最近思い始めているのだけれど、だからって本名もあだ名も知らない。ニールは彼のこと、ヘッドと呼んでいたり、携帯で赤外線通信をしたときにも、ヘッドと名前があった。

「こんばんは、ヘッド」

「や、やめてくださいよ、あなたにそう呼ばれるのはなぜか恥ずかしいです」

「わかった。これからは気をつけるね、ヘッド」

「わかってませんね……」

 わたしは笑って、半分食べたサラダを差し出す。

「はい、ヘッドは栄養偏ってるみたいだから、野菜食べなさい。というか、こんなには食べれないから」

「……相変わらず、容赦がありませんね。そして名前を正す気はないんですか」

 ヘルメットが困った顔をしながら、わたしの隣に座り、ヘルメットを被ろうとしたのを、手を伸ばして制す。

「それ被ったら食べれないでしょ」

 タイガーがパーティーセットとビール、わたしとヘルメットにウーロン茶をそれぞれ追加注文してくれた。

 先週、わたしの作ったオムライスを食べてくれたけど、基本的にヘルメットはここで食事を取ることはなく、自称する通り、食が細い。だから体も細いし、色白で不健康そうな顔をしているに違いない。

 先に運ばれてきたウーロン茶二つとビールを持って三人で乾杯する。

「そういえば、ホースさんはお休みなんですね。珍しい」

 サラダに二口ほど口をつけただけで食べ飽きたのか、それを誤魔化すようにヘルメットが話題を提供しようと、いつもそこにいる、夜の八時になったらリュックからノートパソコンを出す馬がいないことを口にする。

「ヘルメットは知らないの? 休む理由。リーダーでしょ」

「いえ、ぼくは欠席とは聞いていましたけれど……。ホースさんは、あまりぼくには心を開いてくれないんです――って、ぼくが閉ざしているから、ホースさんの言葉が届かなかっただけなのかもしれませんけど」

 栗色の髪を揺らして、少年のようなあどけない顔で笑うヘルメット。

「タイガーと馬は仲いいんだ」

 ヘルメットではなくタイガーに問うと、タイガーはこちらも首を傾げた。

「いえ、どうなんでしょう。わたしはみなさんと仲良くしたいのですが……。馬さんはわたしに話しかけてくれますね。同期のメンバーだからでしょうか?」

「同期って……ここは何年度入会とかあるの?」

「そういうわけでは……。ぼくは会を開く幹事みたいな役回りにはなっていますが、特にぼくがここを作って以降、あなたを勧誘したときのように、適当です」

 わたしは適当に勧誘されて、適当にここに居座っているらしい。

 まあ、わたしがいないと、馬を含めた男三人はまったく会話しないからね。

「前にも言っていますが、この会を通して仲良くなり、恋人が生まれれば、素敵だとは思っていますから、恋愛も友情も自由です。プライベートで連絡先を交換して遊ぶのもありだと思いますよ」

「そうかもね……。わたし、ニールとお友達になったし、カラオケにも誘われちゃった」

「カラオケですか……。やっぱ演歌ですか?」

「どういう意味かな~、ん~? ヘッドくん」

 咄嗟にヘルメットを被って防御体勢に入ったヘルメット。

「まったく……」

 わたしゃ田舎者かもしれないけれど、演歌よりも最近の流行の音楽の方が好きだよ。ただ、語りあえる友達もいないし、カラオケに行く相手もいなかったから、テレビで見たのしか知らないけれど。

「さっきのお返しです」

 素顔を知っているだけにヘルメット越しに会話をするのは聊かシュールさを増す。

「ははは、二人は仲良しですね」

 タイガーがわたしたちのやり取りを見て笑い、

「もしかして、お付き合いしているのですか?」

「なっ――そんな、そんなことないよ」

 わたしがヘルメットと漫才みたいなやり取りをしているのをタイガーが微笑ましそうな顔をして静観していた。

「そうですよ。彼女に悪いですよ、ぼくなんかじゃ」

 ヘルメットはヘルメットの下に表情を押し隠し、苦笑する。

「彼女には、もっと素敵な男性がいいですよ。ねえ?」

 わたしに投げかける、ヘルメットからの問いかけ――なんでだろう。

 先週のこと――わたしを探してスーパーに来たこと、下手くそなオムライスを食べてくれたこと、ヘルメットの涙のこと。

 走馬灯のように一週間前のことが脳裏に蘇る。

「う、うん……。ヘルメットじゃ頼りないよね」

「相変わらず酷いですね」

 声だけで薄ら笑いを浮かべながらウーロン茶に口をつけようとして、自分が今ヘルメットを被っていることを忘れて、コツン、とジョッキをぶつけるヘルメット。

 春人や夏喜チーフとは背も雰囲気も性格も全然違うせいか、わたしはヘルメットがいると自分を偽ることなく、ありのままでいられる。

 それがすごく楽しくて、嬉しい。

「好きか嫌いかで言ったら、二人とも好きだよ。馬は微妙だけど」

「あはは、本人が聞いたら悲しむかもしれませんね」

「う~ん。馬のことだから『せいせいする』とか言いそうじゃない?」

 素っ気無い馬のモノマネをしてみると、タイガーには受けた。

「お、似てますよ。最近の紙袋さんは活き活きしてますね」

「そう?」

 給料は前の会社に比べれば全然少ないけれど、どうにか東京でギリギリ生活していけるだけはもらえているし、片思いだけど恋はしているし、ニールっていう友達もできたし、この『宇宙人の集会』で定期的に普段会わない、仕事でもなんでもない、プライベートな人たちと会えるのは、北海道から単身東京に出てきた身としては嬉しい限り。



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