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その5


 翌朝土曜日、寝る前に起きたら家に帰ると言っていたニール。

 昨日の夜、わたしはニールの愚痴らしい愚痴は一切聞いていない。

 あの彼氏は○○だった、あの彼氏は○○に連れて行ってくれた、あの彼氏は○○を買ってくれた。

 そんな楽しかった思い出話ばっかりなんだけど、その思い出ごとに恋人の名前が違うから、苗字だけが一緒の歴史の偉人を覚えるように難しかった。

「おはよう」

「……おはようございます」

 狭い台所で昨晩の片付けをしているとき、敷いた布団の中でもぞもぞ動き出したニールに声をかけると、寝ぼけ眼のまま上半身を起こした。

「顔洗っておいで。新しい歯ブラシとか洗面台の周りに置いてあるから」

 ぼけっとしたまま立ち上がって顔を洗いに行った。

 その間に、わたしは布団をベランダに干し、簡単に朝食の用意をした。

 お湯を注げば完成のカップのコーンポタージュに昨日買った惣菜パンを引っ張り出したテーブルに運んで、冷蔵庫から牛乳を取り出す。

「ありがとう、お姉さん」

「昨日、楽しかったね」

「お姉さんはやっぱり大人ですね。男の人と違って手際がいい」

 仕事も休みだし、他にすることもなくて暇ってのもあるんじゃないかな。

 惣菜パンの封を開け、二人で黙々と噛り付き、熱いスープに息を吹きかけて、ちびちび飲む。

「夏にスープって変かな?」

「おいしいから好き」

「よかった」

「ねえ、今日、帰る前にお姉さんのお店行ってみたい」

 わたしは休みだし、駅とは反対だけど、ニールが行きたいというのならわたしは別に構わない。

「お姉さんの好きな人を見たい」

 こういう行動的なところは女子高のノリだ。

「変なこと言ったりしないでね」

「遠くから見るだけだよ~」

 パンを食べ、スープと牛乳を飲み、わたしたちはそれぞれ着替えて、わたしはニールのバッグを持って、ニールは今日も降水確率ゼロの真夏日宣言をする気象予報士に逆らって、コンビニで買えるビニール傘を大事に持ち、戸締りをして家を出る。

 日本は世界で一番ビニール傘を使い捨てにするとかってテレビで見たことがある。

 洋画に出てくる中国人はビニール傘を買えないほどに貧乏な人が出てきたりすれば、ボロボロになって穴が開いた傘を大事に使う。

 それなのに日本人は簡単に捨てる。

 雨が降るとコンビニの入り口に並べられる傘。

 わたしは前の会社で帰りに突然大雨に降られて仕方なく買ったけど、それは捨てずに大事に玄関に、丈夫な傘と一緒に立てかけてある。

 なにはともあれ物を大事にすることはいいことだ。

「今日はありがとう、お姉さん」

 わたしが勤務するスーパーに向かいがてら、ビニール傘を差してご満悦なニールは、わたしの前を歩いて、笑顔で振り返る。

 透明なビニール傘は夏の日差しを遮ることは、当然ない。

「気にしないで。ヘルメットにお礼もしたかったし、同性の友達もほしかったんだ」

「友達……。あたしと、友達になってくれるの?」

 こちらを向いたまま、後ろ歩きをしていた足をニールは止めた。

「……ダメ、かな?」

 小学生、中学生、高校生――どれも生徒数の少ない田舎の学校だから、特定のグループを作る、ちょっと不良っぽい子たちはいたけれど、それ以外の子たちはみんな男女関係なくみんな友達って感じだった。

 でも、そんな中にも親友と呼べるような特別な友達がいて……どうやって作ったか思い出そうとすると、何度もお昼を一緒にしたり、何度も下校を一緒にしたり、共通の話題や好きなものがあったりで、自然と特別親しい人というのができた。

 だからこうして、友達になりましょうって漫画みたいに手を差し伸べてなるのって初めてだし、漫画では普通でも現実だと変。ドラマでも狙ったような演出にしか感じない。

 そういうわけで、わたしは今、すごく違和感を覚えることをしている。

「ううん、すっごい嬉しい! あたし、友達いないからっ!」

 元気にネガティブな発言を大きな声で言いますね……。

「でも、あたしなんかでいいの? あたしがかわいそうだから、ヘッドに友達になれって言われたの?」

「そんなことないよ。恋話、楽しかったよ」

「あたし、とっかえひっかえの尻軽女だよ」

 ニールは傘を差したまま、両手の人差し指をくっつけたり、離したり。

「わたしだって好きな人はすぐ変わるよ。初めて付き合った人と別れてから四日で好きな人ができた」

「初めてでそれは早いかも……。あたし、初めて振られたときは三日ぐらい泣いたもん」

「わたしも泣いた。でも、ヘルメットたちに出会って救われた。すぐに立ち直れたのも、北海道に帰らずに東京に残ってもう少しがんばろうって思えたのもみんなのおかげ。だから、わたしは迷惑だと思われても、お節介って言われても、詮索するなって怒られても、ニールもわたしも含めた五人が幸せになればいいと思う。みんなで恋を成就させて『宇宙人の集会』を卒業してさ、もっと別の――縁起のいい集まりを、一から作ろう」

「あたし、幸せになれるのかな?」

 いつも笑顔のニールの表情が、申し訳なさそうな顔をして沈んだ。

「なれるよ」

「お姉さん……?」

「だって、悩んでる。迷ってる。苦しんでる。諦めなければ誰だってなれる」

「うん、なれたら、いいな……」

 ニールはわたしに背中を向け、肩にビニール傘を担いで歩き出す。

 その傘は透明だから、ビニールの向こうでニールがどんな顔をしているのかわからなくても、ちょっとだけ上を向いていることがわかる。

 上を向いて歩けば、きっといいことあるさ。



 外から覗いた限りだと夏喜チーフはレジにはいなかった。

 スーパーにパート勤務をすることになってから初めての週末で、週末の混雑具合を従業員目線でみると、土曜日の仕事は心休まる暇もなさそうな忙しなさだった。新人の研修生のわたしがここにいたら邪魔になるだろうな。

 レジに並ぶ人の列が絶えることはなく、並ぶお客さんのほとんどが買い物カゴを二つのせたカートを押している。

 平日の開店直後は数量限定の品物を買い漁るおばさんがカゴをいっぱいにしてくることもたまにあるが、お昼のピーク時はサラリーマンや土木関連と思われる作業服の人たちがお弁当を買いに来る。コンビニではないので「あたためすか?」は言わなくていいけど、箸を入れ忘れたら大変。あと、お客さんを見ただけで割り箸の有無を聞かずとも把握、もしくは常連さんを覚えるように言われている。

 そういうお得意様もあって、このスーパーは他店との競争に勝っているそうだ。

「見えないから、中に行こう? これだけ人がいればわからないよ」

 自分の勤めるスーパーに休みの日に行ってはいけないなんて法律はないけれど、どうも行き難いのはわたしの性格だからだろうか。

 どうも足の重くなるわたしはニールに連れられて店内に入る寸前で、力いっぱいニールの手を引く。

「待って。傘、畳んで」

 ニールは雨も降っていないのにビニール傘を差したまま店内に当たり前のように入っていこうとしていた。いや、雨が降っていても店内では傘は差さないでください。

 傘を畳ませて、土曜日で人の多い店内を目的もなく散策した。

「チーフはレジにいなかったらどこにいるの?」

「事務室がほとんど。あと、人手の足りないところにも助っ人に行くみたい。色々できる人なんだ」

「奥への侵入経路は?」

 畳んだ傘を大事に持って、使っていないお泊りセットの入った大きなバッグをわたしに持たせたまま、まるでどこぞの怪盗みたいなことを聞いてくる。

「働き初めて一週間のわたしにわかるとでも?」

 そもそも、ここはお客さんがたくさん来る大きなスーパーであって、大金持ちの豪邸とか、国宝の飾られている美術館などではない。

 ニールは店内を、商品を探すのではなく従業員を探して練り歩く。

「あ、試食出てるよ」

 夏喜チーフを探すのに飽きたのか、店内にお客さんの多さに嫌気が差したのか、ニールはデリカコーナーの前に並ぶ試食品の数々に目を輝かせている。

 平日はお客さんも少ないから試食は出ないことが多いけど、土日は財布の紐の緩い一家のお父さんがいるから、揚げ物とかの出来合いのもの、ビールのおつまみや、財布の紐の固い主婦には売れにくいものが売れやすいんだって。

「たこやきとローストビーフ」

 爪楊枝を持って一人で何個も食べている。

「こら、行儀悪いよ。そういうのは一個だけ。試食なんだから」

「でも、あたし買わないよ?」

 それを言ったら元も子もない。

 試食は子供が食べても、それがおいしかったって親に言ってくれれば、売れやすい傾向にあるみたいだけどね……ニールの保護者であるわたしは当然買える余力はありません。

「でも、わたしも一つ味見」

 ハムでペースト状にしたマヨネーズで和えたゆで卵をを衣で包んで油で揚げたフライ。

「おいしい、これ」

「――なら、一つ買って行くか?」

 突然の声に振り返ると、バックヤードの従業員スペースの方からではなく意表をついて背後、店内から夏喜チーフが現れた。

「げほげほっ」

 おいしいはずのハムエッグフライが喉に詰まって窒息死しそうになった。

「おいおい、あんまがっつくなよ。うまいか?」

「は、はい。か、買って行こうかな」

 あはは、と笑ってパックに詰められたハムエッグフライを手に取る。

 四切れ(大きな丸いのを半分に切られてる)で二百八十円。ちょっと痛い出費。

「それ今日のオススメだ」

 にっこり笑う夏喜チーフ――仕事のときには見せない、お客さんに見せる優しい笑顔。

「夏喜ー、そっち手空いたなら、こっち手貸して。サーモンフライ揚げるから、あんた餃子焼いて」

 すぐ傍のバックヤードから顔を出してきたのは、デリカのチーフ。

「バイトがいんだろ」

「あの子は今、お弁当の食材の下拵え中。餃子焼きまで任せられない」

「まったく……仕方ないやつだ。すまないな、土日は忙しいんだ」

 夏喜チーフはそう言って、バックヤードの方へと引っ込んでいく。

「レミは新人の育て方が下手なんだよ。なんでも自分でやろうとするな。それなのに週休二日で、どれだけ他が苦労してるんだか……。ちゃんと教育して新人を育ててだな――」

 レミって……デリカのチーフのこと、なのかな……?

 そういえば昨日、わたしを家まで送ってくれたとき、レミさんを夏喜チーフが呼びに行くって同乗させてもらったんだよね。

 夏喜チーフはレミさんと、親しいのかな。

 自宅を知っていて、寝ているレミさんを直接起こしに行く関係で、休日は家で寝ていることを知っていて、電話番号も記憶していたみたいだし……。

「偶然だよね……」

 そうだよ、事務室でも他の女性とも親しみ深く、気さくに話していたし。

「お姉さん、もしあの人なら、よくないよ」

 たこやきを口に含みながらニールが寄り添ってきて、小さな声で囁いた。

 わたしたち、客側からデリカコーナーの調理場がガラス越しに見える。

 二人は肩を並べて、餃子を焼き、フライヤーで揚げ物をしながら、なにかを喋っている。

 なんか、仲良く見える……。

「どうして?」

 わたしは二人から視線を逸らせない。

「どうして……わたしは……」

 まだそうと決まったわけではないけれど、ちょっとだけ憂鬱。

 胸の中をぐちゃぐちゃに掻き回されたかのように、言葉にできない複雑な――自己嫌悪な感情が渦巻いている。

 わたしはハムエッグフライを商品棚に戻して、ニールと一緒に店の外へと出た。



 ニールを連れて三十分近く歩いて駅まで送り届けた。

 自宅のある最寄り駅までの切符を買ってあげて、改札でお見送り。

「はい、バッグ。忘れ物はないはずだよね」

「うん……。お姉さん、色々とありがとう。迷惑かけちゃったね」

「ううん、そんなことないよ」

「あたし、あたしの幸せをお姉さんに見つけてもらいたい。だから、あたしがお姉さんの幸せを見つけてあげる! だから、一緒にダサい名前の『宇宙人の集会』を卒業しよ!」

 バッグを足元に落として、ニールがわたしに抱きついてくる。

「ちょ、ちょっと」

 人前で、駅で恥ずかしい!

「抱きしめてもらうとね、心のモヤモヤが少しだけなくなる。だから、あたしがお姉さんにほんのちょっとの恩返し」

 ぎゅっ、としがみ付いてくるニールの優しさが胸に染み入る。

「ありがとう……。がんばろうね」

「うん。前向き、上向き。お姉さん、携番交換しよ? あたし、いつでもメールも電話もできるから、なにかあったらすぐに連絡して!」

 恋の熟練者に、わたしは敵わない。

 有無を言わさぬ間の速さで、迷いのない大胆な行動に出るニールに、わたしのように男の人も振り回され、いつしか彼女のペースに引き込まれてしまうのかも。

 赤外線で携帯番号とメールアドレスと、彼女からは写メが送られてきた。

 アイラインを濃く塗りたくって目元を強調し、目の横で横ピースをして舌を出している。普通に見ればちょっと引いちゃうけど、ニールの本性を知っているから、こんな写真もすごくかわいくて好感が持てる。

「また近いうちに、池袋で会おう」

「約束」

 ニールから差し出される小さく、細い小指に、わたしは応じる。

 切符を改札に通して、中へと入ったニールはバッグを担ぎなおしがてら振り返り、笑顔で大きく手を振ってくれた。

「ありがとう!」

 これもヘルメットから齎された『宇宙人の集会』を介した、不思議な出会いの一つ。

 普通にOLをしたり、スーパーで働いていては絶対に巡り合えないわたしとは全然違う場所に立ち、違う考え方を持って生きる人間。

「でもね……『宇宙人の集会』はわたしが名付けたんだよ」



 月曜日、わたしは平常心を取り繕って――土曜日のレミさんのことは忘れて笑顔で出勤した。

 春人と別れたときは勢いで仕事も辞めてしまったけど、今回はそんな愚かな真似はしない。

 わたしは確かに夏喜チーフに惚れていたけれど、付き合っていないし、夏喜チーフとレミさんが付き合っているって確証があるわけでもない。

 夏喜チーフは若い有望株のせいか、色々な先輩方に扱き使われている節がある。

 だから、あれもその一つってことも十分に考えられる。

「おはようございまーす」

 事務室に挨拶をすると、店長と夏喜チーフを含む数人の社員さんが返事をしてくれる。

 挨拶を終えたら隣の更衣室で着替えて、研修生のバッジをつけて、もう一度事務室に戻って、タイムカードを出社にして通す。

 これから、わたしが働きますよ~。まだ役立たずの新人ですけど。

 この日も、学ぶべきことそはそう多くなくとも、間違えないように慎重に、でも手早く行うという作業を体に叩き込むように、夏喜チーフ監修の元、一つのレジの中で実施訓練を、お客さん相手にたくさんした。

 ただ、やっぱりアイスを買ったお客さんにドライアイスを求められたらサービスカウンターを案内したり、落ちて潰れたり、割れてしまった商品を取り替えるなどの配慮まで、まだ一人では気が回らない。

 三回ほど、期限間近で値引き商品のバーコードの打ちなおしを忘れて、指摘されたり、まだまだ本当に一人前までは先が長い。

 先週一週間、夏喜チーフと一つのレジの中で、その背中を見ながら仕事を覚える時間は楽しかったのに、今はそんな余裕がない。

 土曜日に目撃したこともあるし、余計なことを考えなくてよかったけど……。

 モヤモヤだけは常に胸の中に燻り続けている。



 その日の夕方、わたしは人生経験が豊富そうなタイガーにメールを出してみた。

 最初にヘルメットにメールをしないのは初めてだ。

 そもそも、あの三人からメールをもらったことは、ヘルメットからの『宇宙人の集会』のお誘いメールだけで、プライベートなものは一切なし。

「わたしの好きな人に好きな人がいるかも」

 的を射ないメールだとは思ったけど、「年の功」のタイガーなら、先週の『宇宙人の集会』のときにノロケ話ではないが、夏喜チーフのことを話しているので、大体のことはわかってくれているだろう。

「されは残念でせ」

 タイガーからのメール、「さ」行のボタンを一回ずつ押しすぎてる。

 しかし、それより問題なのは、タイガーからのメールにわたしがどう返事をすれば話が広がるのか、まったく見えてこない。

 聞き上手かもしれないけど、機械に苦手なこともあってかメールでは思った通りの反応が得られない。

「そういうとき、どうしたらいいのかな?」

 悩んでいても始まらないので、こちらからタイガーの方へと踏み込んで尋ねてみると。

「紙袋さんが好きならされでいいと思います同じ人間を一人の人間しか好きになってはいけないリールはないと思います」

 食べながら喋るときは、会話は途切れ途切れなのに、メールになると改行も句読点もない。

 しかも、「さ」行をまた一回多く打ってるし、リールじゃなくてルールだし。

 メールの苦手な人とメールをすると、打つ側も大変かもしれないけど、受け取って読む側も大変だ。

「でも、それって、いいの?」

「愛はひとつではありますん」

 いいことを言っているように思えるのだけど、日本じゃ重婚は許されないし、ありますんだし。

 でも、ちょっと意外。真面目そうな感じがしたタイガーが、多重恋愛を匂わすような考えを持っていたなんて驚き。

 まあ、わたしの聞きたかった役立ちアドバイスにはならなかったけど。

 タイガーがどんな恋愛をしているのか、気になっただけで終わり。



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