その4
わたしはヘルメットの案内で池袋の西口公園までやってきた。
週末ということもあってか、夜の八時になろうとしているのに特になにがあるわけでもない公園と呼んでいいのかわからない一帯に騒音が鳴り響き、眩いネオンの光に照らされた、たくさんの人たちに呆気に取られてしまう。
これが東京の繁華街、週末の夜バージョン。
「ああ、たぶん、あそこにいます」
わたしは一際目立つヘルメットの後ろ頭を無数に向けられる好奇の視線の中、見失わないように追いかけ、ベンチのような腰掛けの前で止まる。
「こんばんは、ニール」
ヘルメットの声に、足元に大きなボストンバッグとビニール傘を置いて、携帯を両手で大事そうに持っていた少女と思わしき小さな女の子が顔を上げた。
「ヘッド!」
少女の顔に、花のような笑顔が咲いた。
ぴょん、と飛び降りて、ヘルメットのヘルメットをぺしぺし平手で叩いている。
「やめ、やめてください」
茶髪の少女は、犬を撫でるかのようにヘルメットを叩いて笑っている。
いつも余裕のあるヘルメットも、告白された過去を持つニールのことは苦手みたい。
「今日はどうしたんですか?」
両手でヘルメットを押さえて、ヘルメットはニールに尋ねる。
「ん~? 先週、新しい彼氏ができました~。パチパチ」
屈託ない笑顔で手を叩き、口でも「パチパチ」言っている。なんかかわいい子。
「でも、別れちゃいました~」
「なんで別れたんですか? 今度の彼氏は優しいって言ってたじゃないですか」
「優しいだけの男なんて物足りないの」
すごく大人っぽいことを言ってるよ。
見た目中学生か高校生かってぐらいで……東京の子は平気で化粧とかしてるから、道産子のわたしには見分けがつきません。
「お金はヘッドより持ってるけど、ヘッドの方が優しいし、ヘッドの方がなに考えてるかわからない。謎めいてる男に、女は惚れるの!」
謎しかないよ、ヘルメットには。
「それにさ~、どいつもこいつもヤることしか考えてないんだもん。別に、セックスはいやじゃないけどさ、あたしはもっと懐の深い男がいいの!」
最近の子は進んでるのね。
それとも、東京の性が乱れてるのかしら……。
わたしは、春人とはそこまで至らなかったのに。最近の子は出会ったその日にとか、雑誌で読んだことある。
「ところで、その後ろの冷えピタ貼ってる人、誰?」
元気なニールが、セックスという単語に恥らっているわたしを見てきた。
今、見なくてもいいでしょう。
「ああ、彼女は紙袋さん。ぼくたちの集会――『宇宙人の集会』の新しい一員です」
「うわっ、なにそのダサダサなネーム。あたし宇宙人とかちょー興味ないんですけど」
どうせ北海道から東京に出てきてしまった場違いな女の考えた名前ですよ。
「でも、女の人は久しぶりだね。よろしくね、お姉さん」
元気で、よく喋るニールが、にっこり笑顔で手を差し伸べてくるので、わたしは握手に応じる。いいよね、握手って。
「あたしはニール。ビニール傘のニール」
「そういう意味だったんだ……」
ニールはビニール傘を開いて、柄を肩に当てて、くるくるとビニール傘を回した。
今日は降水確率全然高くなかったはずだけど、なんで傘持ってるんだろう。
「ねえ、もしかして二人は付き合ってるの?」
ニールは傘を差したまま、先ほどまでと同じように腰掛けに座り、投げ出した足を前後に揺らす。
「いいえ。彼女は先週失恋をして、今週新しい思い人を見つけ、絶賛片思い中なのです」
「うわ~、おめでとう! あたしも負けないように、新しい恋を見つけないと! というわけで、ヘッド、今日も泊めて?」
どういうわけだろうか。
東京の女の子は挨拶と同じ要領で男の人に「泊めて」と言って、泊めてもらえるのか。
「今日も?」
「ええ……ニールは失恋の度にプチ家出をする子なんですよ……。それでぼくが月に一、二度面倒を見ているんです」
ヘルメットは、わたしがさっき踏み込んで直接問い質しそうになったが、恋をしていないし、もしかしたら他人にすら興味がないのかもしれない。
でも、わたしに声をかけてきたり、この名前のなかった集会を開き続け、タイガーや馬のために集まって食事をしたり、まったく他人には興味がないわけではないのだろうけど、自分の恋とかそういう方向に感情が向かないのだろう。
だって、こんな元気でかわいい子に言い寄られても、ちっとも靡きそうにない。
「本当は男の家に泊まるのはやめて、家に帰ってもらいたいんですけどね……」
ニールに対して、ヘルメットは恋を応援するのではなく、家に帰って落ち着いてもらいたいらしい。
「でも、ニールがこのような行動に出るのも、全部恋が絡んでいるからなので、ぼくも蔑ろに出来ないんですよ。応援したいし、放っておけないし、ちゃんとした人との付き合い方を教えてあげたいんです」
いつも恋をしているニールに冷静になって、ちゃんと考えて欲しいのだろうか。
そういえば馬、さっきこんなこと言ってたよね。
「本当にダメなのは、過去の失敗を認められず、振り返ることせずに生きる人間だ。過去を振り返れない人間は経験をすべて無駄にする。後悔をしないってことは、自分を顧みない、反省もなにもしないやつだ。そういうやつは絶対に成功しない」
たくさん恋をしているであろうニール。この楽天的な性格と元気な様から見て、この子はわたしのように好きな人に振られて、別れても泣かない。
過去の経験と呼べる恋の成功と失敗をすべてただの過去として通り過ぎていく。
馬の嫌いそうなタイプだ。あはは。
なんとなく、この『宇宙人の集会』のヘルメットが世話を焼く理由も、ビアガーデンという場所柄もあるが、馬に会わせないように向こうをお開きにして迎えに来てしまうのも、得心がいった。
「自分を大事にしてもらいたいんです。こんなことをしていて、大きな問題が起きてからでは遅いですから」
ニールは棒付きのキャンディーを口に含んで、楽しそうに傘を差したまま足を振っている。
それにしてもなんで傘を持っているんだろう。
わたしに紙袋を被せようとしたのは、ヘルメットがヘルメットを被り、ニールがビニール傘を差すからなんだろうか。よくわからない基準だ。
「今日、ヘッドが泊めてくれなきゃ、あたしはお小遣いをくれそうなおじさんを待つよ。パンチラですぐに釣れるよ。入れ食いだよ」
それは脅迫と援助交際というやつじゃないのかな。
「……わかりました」
いつも空を見上げるヘルメットが地面を見て、ため息を漏らすのは珍しい。
「あの、もしよければ、わたしの家に来る? 土日はどうせ仕事休みだから」
「い、いいんですか?」
ヘルメットが珍しく大きな声を出して、顔を上げた。
ヘルメットの感情は心停止の心電図みたいだけど、今は鼓動を取り戻した感じ。
きっとヘルメットの中は神様の慈悲に賜ったような、希望に満ちた笑顔をしているに違いない。
「知らないおじさんのところに行くよりは……ヘルメットの知り合いみたいだし、同じ『宇宙人の集会』のメンバーとして、女同士仲良くしたい。わたし、三月に北海道から出てきたから、こっちに友達いないんだ」
今までのわたしの人生の中で、接点のない元気はつらつタイプ。
「もし、ニールが迷惑じゃなければ、部屋はそれなりに広いから」
「お願いします! あたしも、大人のお姉さんのお話聞きたいです!」
わたしは、ろくなお話はできないから期待には応えられそうにないんだけど。
「いいんですか、紙袋さん」
不安げにおろおろしているヘルメット。
「いいもなにも、わたしは友達になりたかったし、困った人がいれば助けるよ。それに、かわいくて元気な子で悪い子じゃないんでしょ? ヘルメットの知り合いなんだし」
「ええ、まあ……。すごくいい子なので、面倒とか迷惑はかけないと思います。その点に関しては心配してません」
知らないおじさんのところに行くのは不安だけど、ヘルメットとて男。
どんな過ちが起こるかわからないしね。
誰かを愛する心を失っていても、体は――って、わたしはなにを言っているんだ。
東京での初めての同性の友達が『宇宙人の集会』のメンバーなんて素敵じゃない。
あそこにいるのは、恋をすることに共通の思いや願いがあるんだから。
「ニールはいいんですか? 迷惑かけないようにできますか?」
「うん! 今日一日泊めてくれれば明日には家に帰るよ」
プチ家出の計画を聞くと、家出という言葉が入っていても、実際は全然大したことないように思えてしまうから不思議。でも、家で待ってる家族とかは心配してるんじゃないのかな、こういうの。
北海道でもご近所さんで仔牛が逃げ出したら、みんなで探したりするぐらいだし。
「でも、お家の人、心配しないの?」
「平気。どうせ、あたしのことなんて見ちゃいないから。帰らなくたってわからないよ」
どこまで子供に無責任で無関心で、いい加減な親なんだろうか。
でも、詮索しないのがここのルール。
相談されれば、わたしも経験の少ない知恵を振り絞るけど、今は楽しいお話をいっぱいしたい。これが女子会というのかな。
だから、今は我慢。
「じゃあ、お願いしてもいいですか? なにかあったらメールなり電話ください。あと、これを……」
ヘルメットのポケットから折り畳まれた五千円札が差し出された。
「彼女お金全然持ってないと思うんで、交通費と食事代などに使ってください」
「ありがとう。でも、いらない。わたしは友達になる予定の年下の子を家に招くんだもん。それなのにお金もらって任されたら託児所みたいじゃない」
「すみません……」
「タイガーにいつもご馳走になってるお礼も兼ねて、『宇宙人の集会』メンバーの助け合いの精神だよ」
「本当に、紙袋さんに出会えてよかった」
今日のヘルメットはいつもの宇宙うんたらとテレビのナレーションみたいな喋り方が少なく、どこか感情の宿った言葉が多い。
馬もヘルメットも、ちゃんと人間で、ちゃんと血の通った男だ。
池袋から渋谷に出て、渋谷から京王井の頭線で明大前へと出て、明大前から京王線に乗り換えて、わたしはニールの大きなボストンバッグを抱え、わたしの肩に頭を預けて寝ているニールを連れて、地元駅へと帰ってきた。
バッグはわたしが預かったのだけれど、ビニール傘だけは決して手放さなかった。
マンション下のいつものコンビニに立ち寄り、今日は奮発してお菓子とジュースをカゴいっぱい買った。スーパーでレジ打ち(見習い)をしているわけだしね、無職のときとはわたしの懐具合は違うのだ。
眠そうにしていたニールも目を輝かせて、他にお客さんのいないコンビニを忙しなく動き回り、わたしはニールに振り回された。
家に帰ると、わたしたちは二人でお風呂に入った。
名残惜しいけど夏喜チーフの貼ってくれた冷却シートともさようなら。
本当は先にニールに入ってもらおうと思ったのだけど、一緒に入りたいと……どうやら、懐かれてしまったようだ。
一人っ子、生徒数の少ない田舎の学校で、後輩らしい後輩もおらず、運動部にも関わりを持たなかったので、年下の同性というのは実に珍しい。
それに、お風呂上りにわたしの服を着たいと言い、服を貸すと、ちょっとぶかぶかになったニールはかわいかった。
男の人がニールに惹かれるのって、すごくわかる気がする。
笑顔で、元気で、嫌味にならない程度の按配の甘え上手で、それが同性のわたしでも不快じゃなく、極自然に近寄ってくる。
家出少女のニールは野良猫のようだけど、実際は生まれたばかりの仔犬って感じ。
今どきの、感情豊かな子って意味がわかる。
楽しいことは楽しいと表情から滲み出ている、行動でも言葉でも、うそを吐けない素直な子。
「――ニールはいつからあの集まりにいるの?」
馬がわたしの頭の中で、ため息を吐きつつあまり詮索するなと口うるさく言っているけど、そんなのお構いなしで追い払う。
「二年ぐらい前かな……。そのときはまだ、集まりじゃなくて、ヘッド一人だったよ。あのときはまだあのへんてこなヘルメット被ってなかったけど」
それはそれで興味ある。
わたしたちはレンジでチンできる、レトルトの親子丼を食べている。味が濃くてちょっとしょっぱいけど、ご飯が炊飯器で炊くよりもおいしいのは不公平。
「ヘルメットがヘルメットを被ってなかったら……宇宙人の彼は首なしとか?」
スプーンでご飯を掬った手を止めて首を傾げているニール。
「へ、ヘッドはどんな人なの?」
「う~ん。あたしにもよくわからないけど、かっこいいよ」
ユニクロとエドウィンをこよなく愛している宇宙に思いを馳せるロマンチックなヘルメットの下の素顔はかっこいいらしい。
それはそれでちょっと見てみたいかも。
「あと、今いるメンバーだと虎さんのお腹はぷにぷに。馬さんはよくわからない。全然、あたしと喋ってくれないから。だから、あたしが会うのはヘッドだけ」
わたしが入る前は四人の集まりだったけど、ニールはあの集会には参加せず、今日のようにヘルメットにだけ連絡を取って関わりを持っている。
「あたしがいなかったら、ヘッドは今いなかったかもしれない。だからヘッド、あたしに逆らえないんだよ」
にしし、と白い歯を見せて笑う幼い顔のニール。
「でも、ヘッドがいなかったら今のあたしもいなかった。ヘッドはすごくいい男だよ。だから、お姉さんがヘッドの彼女になるなら、あたしは素直に手を引くよ。あたしは、優しい二人が大好きだから」
「ありがとう。でも、生憎とわたしも宇宙人じゃないし、宇宙人にも興味がないの。それにね、好きな人、いるから」
コップに注いだペットボトルのお茶で異様に乾く喉を潤す。
わたし、好きな人のことを女の子に相談するように口にするの初めてだ。
あのデリカシーのない三人は知らない。あれは電柱に話しかけたのと一緒。
「どんな人どんな人」
屈託のない笑顔で顔を寄せてくるニール。
やっぱ女の子は総じて人の色恋沙汰に興味を持つもので、あの三人が詮索するなっていうのは女に対して遺伝子レベルの欲求を抑止しろって言われるようなもの。
他人の色恋沙汰に興味を持つのは当然だけど、それを聞きたい人間がいれば、話したい人間が多いのも、女というものかもしれない。
だからわたしは素直に話した。
『宇宙人の集会』では他人の詮索は禁止だけど、当事者が口を開いて相談するのはありなんだもんね。
「――同じお店で働いてるんだ。やっぱり、憧れみたいな?」
「それもあるかもしれないけど……。ぶっきらぼうなんだけど優しい笑顔とか。あと、前に好きだった人に似てるところとか」
「それわかる~。あたしも、好きになる人のタイプは似てるかも。お金持ち!」
わたしたちは修学旅行の夜のようなテンションで、そんな恋話を日付が変わるまで話していて。
すごく楽しいのはいいのだけど……わたしより恋愛経験値が何十倍もあって、わたしがたじろいでしまうようなことも平気で口にしちゃうニールって何歳?




