その13
馬の顔がヘルメットと同じように紫色に腫れ出した頃、二人は石畳の上に大の字になって寝転び、全身で雨を受け止めた。
「二人とも、これでお互いに分かり合えたの?」
「いや」「いいえ」
馬とヘルメットが声を重ねて言葉を紡いだが、二人とも唇を切っていて喋りにくそうにしている。
「でも、向き合えた」
馬が可笑しそうに言う。
「今までは冷静さを失い、頭ごなしに否定していたヘッドの言葉を初めて聞いた」
今のヘルメットは宇宙に思考を逃げ込ませることはなく、ちゃんと現実と向き合い、悩み、苦しみ、努力している。
「ぼくも、やっと正解の道を踏み出せました。これも、全部あなたのおかげです」
ヘルメットが笑う。
「ねえ、もしかしてさ『宇宙人の集会』のみんながなにか被り物をするのってさ――」
わたしはこの一月ばかし、ヘルメット、タイガー、馬と接触して気付いたことがある。
「みんなが被り物の下に隠しているのってさ『戸惑い』や『不安』な気持ちだよね」
恋に臆病になり、愛に不安になり、生に迷う。
タイガーの恋に対して、わたしは助言すべきかと悩み、ヘルメットと馬に相談したとき、その恋が間違えであっても、自分で決めた道にしか進むことができない。
例え、その道がヘルメットのように現実から目を逸らした『逃げ』であったとしても、誰も助けてくれない、教えてくれないからそのまま、その道を進んでしまう。
タイガーのだって冷静に考えればキャバクラの女性と客という立場、可能性がないとは言わないが、すごく難しいことだって大人なんだからわかるはずだ。
当然、馬の幼馴染、亡くなってしまったロトさんのことにしても。
「自分の間違えを指摘されたくない。結局、他人の言葉なんて聞きたくない。まあ、恋は盲目――自分の考えを貫き通したいよね」
周りからなんと言われ、それが正しいとわかっていても、戸惑いや不安な気持ちを探られないように被り物で顔を隠す。
自分たちの行動が正しいと信じているから、間違っていると否定されても、聞き入れたくない。
「間違ってはないよ。でもさ、宇宙人じゃないんだから、話し合えば、分かり合えるよ」
大の字になってわたしの言葉を黙って聞いていた二人に手を差し伸べると、力強く握られる。
「まあ、正直、わたしには男同士の殴り合いとかさ、あんたたちの気持ちまったくわからないから、あんたたちはわたしにしてみれば十分宇宙人の素質あるよ」
「それは酷くないですか?」
「おれはおまえがわからないがな」
「ええ、わかりますよ。彼女はですね……えっと、単純なんですよ」
「ああ、それでいいなら、おれにもわかる。単細胞」
「あんたたち……変なところで意気投合しないでくれる?」
力いっぱい引っ張って二人を立たせる。
「ふふ、変な顔。本当に、あんたたちは宇宙人だ」
「鼻血出してたくせに」
「誰のせいよ!」
馬がわたしの抗議の声を無視して歩き出す。
「ほら、ロトの墓に案内する。紙袋、おまえを紹介してやる。世界一お節介な女がいるぞってな」
一人歩き出す馬の背中をヘルメットが感慨深く見つめているので、わたしは肩を押してやる。
「行こう。ロトさんに馬の性悪振りを告げ口してやらなきゃ」
わたしの反対側、ヘルメットの左肩にミリさんは手を置く。
「ちゃんと挨拶してね。あの子は、あんたのこと好きだったんだから」
「はい……」
悲しみに表情を歪ませながら、ヘルメットは俯きながら歩き出す。
「ねえ、今のあんたにとってこの空はどう見える?」
どんよりとした雲が空を覆い隠し、目を開けていられないぐらいの大量の雨粒を地上に落とす。今の地上から宇宙なんて絶対に見えない。
どんな天気であれ、空はわたしたちの上に存在し、そのさらに上には宇宙が存在する。
でも、宇宙人はわたしの隣にいる。
わたしにはヘルメットの考えもなにもわからない。
ヘルメットはロトさんの墓の前で号泣し、何度も何度も、空を見上げて謝った。
天国なんてあるのか知らないけれど、やっぱり泣くのなら下より上を向いて、宇宙人に見せ付けてやらなきゃ。
「――きっと、許してくれるよ」
感情を露わにするヘルメットの痛ましい姿を見たら、彼を愛していたロトさんは許してくれる。
死者の言葉なんて当然わかるわけないから、生きているわたしたちの都合のいい解釈だけど、絶対にロトさんのこと、わたしたちは忘れないよ。
八月下旬――去年まで学生だったわたしにしてみれば「ああ、夏休みが終わっちゃうな」と憂鬱になる季節。
セミはまだ元気に鳴いているし、夏の暑さも全然衰える気がしない。
東京の夏は暑くて、体力がなかったら倒れてしまいそうだ。
ここ最近、ニール以外の『宇宙人の集会』のメンバーとは会ってもいないし、メールも電話もしていない。
「ニールは宿題終わった?」
窓辺に飾った、買ったばかりの風鈴の音色を聞きながら、わたしとニールはソファーに座ってアイスを食べていた。
「さあ、宿題あるのかな……。それよりカラオケ行こう」
「やらなきゃダメだよ。でも、カラオケかぁ……。わたし、音痴だよ?」
「いいよ、一人より絶対楽しいもん」
今日も今日とてニールはわたしの家に泊まっているが、今日は一泊二日の二日目。
「駅ビルにあるし、行こうか」
茹だるような暑さの中、わたしたちはカラオケに行く約束を果たすため、初めてカラオケへと行く。
わたしはニールに気付かれないようにこっそりヘルメットに来るようにメールをした。
カラオケ店はやっぱり混んでいたが、待つほどではなく、すぐに部屋に入れた。
わたしが部屋の設備に見惚れている中、ニールは曲名の書かれた本ではなくメニューの方を手に取り、飲み物とハニートーストを部屋に備え付けの内線で注文した。
「慣れてるね」
「もしかして、お姉さん、初めて?」
「まあね」
「じゃあ、教えるよ。この機械で曲を入れてね――」
ニールと過ごす東京で最初の、この夏最後の思い出は絶対に忘れない。
わたしたちは最近の流行り曲ばかりを片っ端から入れて、一人で歌うのではなく、マイクを持っても、持たなくても、好き勝手に喉が嗄れるまで歌い続けた。
二十曲ぐらい歌った頃、部屋のドアが外からノックされる。
店員さんはほとんどノックなしで入ってくるのだから、今回の訪問者は――。
「あの、これはなんなんですか?」
「ヘッド! なんでここにいるの?」
テーブルの上には半分ぐらい二人で穿るようにして食べたハニートーストや、ピザやポテトに飲み物などがたくさん。
わたしはリモコンで再生された次の曲を終了させて、部屋に静寂を招きいれた。
隣の部屋、向かいの部屋の歌声がはっきりと聞こえるぐらい、この部屋は静かになる。
「あのさ、ヘルメット、ちゃんとニールの思い聞いてあげてよ」
互いの気持ちを知っているからこそ戸惑うニールとヘルメット。
「わたしの最後のお節介をニールに対して使わせてもらう。ニール、ヘルメットのことどう思ってるの?」
「お、お姉さん……。で、でも――」
ニールの肩に手を置き、微笑んで勇気を与える。
「あたし、ヘッドのこと好き。大好き! ずっと、ずっと昔から、ヘッドのファンで、ヘッドの歌に元気と勇気をもらって――死にたくなるほど辛かったとき、ヘッドの歌で救われた。あたし、色んな人と付き合ったけど、でも、ヘッド以上にいい男いないよ」
ニールの幸せを考えたとき、わたしにはヘルメット以外、ニールには幸せを与えられないと思った。
ニールがいつだったかナンパしてきた男たちに言っていた「あたしを救えるのは二種類の人間」――その言葉の真意。
その一つがわたしやヘルメットのようにニールのことを詮索せず、ただ黙って助けてあげられる人であるのなら、もう一つ……いや、もう一人は――。
「あれ、あたし……好きなのに……本気で好きなのに……なんで、涙」
驚き顔で涙を流すニールがビニール傘に手を伸ばそうとするので、わたしはそれを引っ手繰って背中に隠した。
「ニール、それはニールの涙。他の誰でもない、ニールが今まで我慢していた本音の涙」
二人はたぶんわたしが想像する以上に一緒にいて、長い時間を過ごしている。
これはわたしのお節介だけど、ニールにこれ以上傷つく恋をさせたくない。
幸せを確実に手元に置いてあげたい。
「ぼくは……こんな人間ですよ?」
「でも、音楽捨ててない!」
「…………」
ヘルメットの視線とわたしの視線が交錯する。
「ニール、ぼくが歌いますから泣き止んでください。あのときのように――」
家出をして初めてヘルメットの路上ライブを聴いたニールは心を奪われた。
なにもかもを失って死のうとさえ考えていたニールに勇気をくれたヘルメットの歌。
それはたぶん、どんな言葉よりも優しくて力強い、愛の歌。
ヘルメットは機械を操作して、インディーズで発売された自分の――ロトさんとのユニットUMAの曲を入れる。
最初からこの二人は結ばれるべきなんだ。
支えては支えられ、支えられては支える、二人の関係。
ヘルメットが歌う、ニールが嬉しそうに手を打って喜ぶ。
「お幸せに」
わたしは静かに部屋を出て、家路についた。
これでいいんだよね。
支払いはヘルメットにお任せ~。
翌金曜日――わたしはいつものようにスーパーに出社すると、駐車場に見慣れたバイクが滑り込んでくるところを目撃してしまった。
後ろに乗せた女性を下ろし、ヘルメットを受け取った運転手の男はヘルメットを脱ぎ、先に下ろした女性とキスをした。
同じ職場の違う部門で働く二人――レジや色々なところを管轄する夏喜チーフとデリカ担当のレミチーフ。
わたしはそれを見ても不思議なことに、落ち着いていた。
今度もまた失恋――ってほどにわたしは恋にのめりこんだ記憶がないぐらい、この一月は色々なことがあった。
こんなことでへこたれないし、もう泣かない。
でも、なんか悔しいから『宇宙人の集会』を久しぶりに開いて、愚痴をたっぷり聞いてもらおう。
「今日、『宇宙人の集会』開催決定。みんな来てね」
夜、いつものビアガーデンに行くと、すでに三人は揃っていてビールを飲んでいた。もちろん、ビールを飲んでいたのはタイガーだけ。
わたしは三人の素顔を知っているし、三人の関係を知った今、わざわざ隠す必要などないと思うのだけれど、三人とも被り物を手放すことなく律儀にそれぞれの名前を表す被り物を被っている。
「なぜ、呼び出したおまえが一番遅い」
馬の苦情を無視し、
「ヘルメットも来てくれたんだ。ニールとは上手くやってる?」
「上手くですか……。夏休みの宿題を全部やらされるのは上手いのでしょうか?」
「あはは」
わたしがやれって言ったからね。
「でも、ヘルメットが来るとは思わなかったよ」
「いえ、ぼくはまだあなたの恋を叶えていませんし、あなたの全員を幸せにするという言葉、リーダーとして微力ながら協力させてもらいたいのですよ」
躍起になってくれているヘルメットはいいのだけど、わたしは端的に今日あったことを教えた。
「――やっぱりですか……。ニールの言っていた通りです。彼女の恋に対する観察眼は相当ですよ」
「なんだ? 泣きたいのか?」
「泣くのならハンカチはあります」
「ありがとう、馬にタイガー。でも、大丈夫。もうわたしは泣かないから。人間は恋をして強くならなきゃいけない」
どんなショックなことがあろうと、この三人が味方でいてくれると思うと、失恋だって笑って話せる。
でもさ、わたし、こんなに恋を経験して、他人の恋に力を貸してるのに、キスの一つもしていないんだよ。それにもうすぐ――。
「ところで、九月最後の金曜日、みなさん予定を開けていただきたいのですが、どうでしょうか?」
「突然だね。どうしたの?」
「いえ、ここが九月いっぱいなので、池袋での『宇宙人の集会』も来年までお預けになりますから、最後ぐらい、派手にと思いまして」
幹事とお財布はタイガーだけど、すべてのリーダーはヘルメット。
ヘルメットがそういうのであれば、わたしも最後の記念にここで『宇宙人の集会』を開くのもいいだろうと思う。
この日の集会はわたしが泣かなかったせいか、いつものなにもないときと同じように、ただ実のあるような、ないような話を午後の八時過ぎまでした。
八時になると馬がパソコンを開いてロトさんのブログを更新。
八時になるとタイガーがミリさんのお店に行くために発つ準備。
八時になってもヘルメットは常と変わらず、アルバイトの時間まで渋谷で路上ライブをするためか、テーブルを指で叩いてリズムを取っている。
もう、ヘルメットは空を見ない。夜空に逃げることをしない。
そんなわけで今日の集会はすごく簡単に終わってしまった。
「でも、ここに入れるのも、あと一ヶ月なのか……」
地元で働いている以上、池袋までわざわざビールも飲めないのにビアガーデンに来ることは、この三人に会う以外の目的はない。
次の会場がどこかも、開かれるのかもわからないけれど、一つの区切りがつく。




