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その12

 電車に乗り、一度だけ乗り換え、目的駅からバスで二十分でヘルメットの記憶の中にある、ロトさんの眠る霊園へと辿り着いた。

 そして最寄のバス停の片側二車線の大きな道路の向こう側には予想通り大きな花屋があり、隣には丁寧にコンビニまである。

「ロウソクっているの?」

「いえ、お線香とライターだけでいいです」

「あ、こういうのもお供えするんじゃないの?」

 レジの前には、わたしもたまに食べたくなって買うことのあるお饅頭やお団子が並べられていた。みたらしにすべきか、餡子にすべきか……。

「あの、普通はこっちの蒸かした饅頭だと思うんですけど……。いえ、あなたが食べたいのならお好きなのどうぞ」

「わたし、そんなに食べたそうな顔してた?」

「はい。みたらしか餡子か悩んでいる顔をしていました」

 わたしの顔は漫画のフキダシみたいに心の中の声が勝手に出てしまうようです。

「じゃあ、饅頭でいいよ。でも、黒糖にしていい?」

「あなたはかわいい人ですね」

 ついさっきのような心の底からの笑顔ではなく、いつもの感情薄い笑顔を顔面に貼り付けてヘルメットは恥ずかしいことを言った。

「そういう余裕ぶってるのむかつく」

 わたしは頬を膨らませてトレイに載せられて並べられていた黒糖饅頭を全部カゴの中に突っ込んでやった。

 ヘルメットに会計を任せ、荷物もヘルメットに任せ、今度は隣の花屋に来た。

 エプロンを纏った女性が二人、中でなにかの作業をしていたけれど、わたしたちは店先に出ていたお墓参りにこれでいいのかどうかわからない、数種類の花で作られた花束を今度はわたしのお金で買った。

 いつかは男の人から花束でもプレゼントされたいものだ。

 こんな四百八十円の投売りのような花束ではなく、年齢の数だけ集めた赤い薔薇とかいいかもね。でも、値段を見るとチューリップでもいいやって思えるぐらい薔薇はお高い。

「花はさすがに置いていきますが、饅頭は全部差し上げますからね」

「それは俗に言う『花より団子』じゃないかな」

 まあ、花なんてもらっても花瓶も鉢植えもないから、そういうのセットでもらわないと家では持て余してしまうんだけどね。

「そういえば、喪服とかそういうのじゃないけど、いいよね」

 ところで、命日に墓参りってどうなのだろうか。

 四十九日とか三回忌とかはよく聞くけど、一周忌っていいのかな?

「わたし、身内誰も死んでないからこういうところの作法とか知らないんだけど」

 お焼香とかもテレビのマナー番組で見たぐらいしか記憶がない。

 人間は人生で何人の人間をこうやって送ることがあるのだろうか。

 わたしの十八年の人生ではまだ一人もいない。

「お線香をあげてお供えして手をあわせるだけで構いませんよ。ぼくも、そんなに知ってるわけではありませんから」

 霊園の敷地の中に入ると、右を見ても左を見てもお墓ばかりなんだけど、色も形も大きさも、刻まれた名前も歴史も全部違うんだけど、等間隔に並ぶ墓石はやっぱりどれも同じに見える。

「ところで、場所は……わからないよね」

 ヘルメットはわたしのマンションの郵便受けでわたしの部屋を探していたように、お墓一つ一つ名前を確認して回っている。

 しかし、こういうお墓って有名人なら個人のを持てるかもしれないけれど、一般の人は家族一緒に入れられたりするのではないのかな。

 そして、当然のことながらわたしはロトさんの苗字など知るわけもなく、ヘルメットが目的のお墓を見つけるまで、花束を持ってヘルメットの後ろを歩くという傍から見たらアホみたいなことをしているのである。

 本当はわたしも手伝うべきなんだろうけど、額に汗を掻きながら真剣に一つずつ墓石を覗き込んで名前を確認するヘルメットの横顔はギターを弾いているときのように真剣で、邪魔をするのは邪推だと思った。

 生きることにさえ無気力だったヘルメットがドラッグに溺れて一度は捨て、再び拾い上げた音楽。

 その大事な音楽を一緒にやっていたロトさんのお墓を今、真剣に探している。

「お待たせしてすみません。絶対に、見つけ出しますから!」

 ヘルメットは振り向くことなく、区分けされた隣のお墓を見るために移動する。

 石畳の上に影が落ち、周りも一気に暗くなり、先ほどまでは照りつける太陽に焼かれるだけだったわたしたちの体から急激に熱を奪おとしている。

「夕立がきそうですね……。あなたが雨に打たれて風邪でもひかれたら堪りません。帰ってくれてもいいですよ」

 遠くで雷の音が聞こえる。本格的に降りそうだ。

「田舎者はそう簡単に風邪はひかないよ。それより、わたしはあんたの方が心配だよ」

 男と女の体格差は確かにあるけれど、わたしたちが同性なら絶対にわたしの方が体は丈夫で強いと思う。

「すみません、ぼくは大丈夫ですから」

 この霊園は巨大だ。

 今、ヘルメットが見た一区画だけでどれだけの時間がかかっただろうか。まだ数倍の数の墓石がある。

「わたし、傘買ってこようか?」

「ぼくには構わないでください。あなたが濡れたら困りますから」

 今のヘルメットを茶化すこと、わたしにはできない。

 嗾けたのはわたしだし、やる気になったのはヘルメットなんだから、気が済むまでとことんやればいい。

「うん、そうさせてもらう」

 霊園を出て、歩道橋を渡って先ほどのコンビニに行くついでに、飲み物とタオルでも買ってきてあげようと考えながらヘルメットの後ろ姿を見送り、踵を返すと――。

 水を溜めた桶と柄杓を持った礼服に身を包んだ男性と、こちらも礼服を着た女性が花を持って立っていた。絵にでもなりそうなモデルのような二人。

「おまえ……」「あなた……」

「紙袋」「センチさん」

 二人の見知らぬ男女がわたしのことを別々の特殊な呼び方で呼んだ。

「ミリさん?」

 男性の方はわからないけれど、女性の方はもしかしなくても新宿二丁目の隅っこにあるキャバクラ『Queen Bee』に体験入店させてくれたミリさん。メイクも衣装も髪型も声音も全然違うからその名前を呼ばれるまでまったくわからなかった。

「えっと、そちらの方は彼氏さんですか?」

 キャバクラで働く女性はホストの男性と付き合う人が多いらしいけど、ミリさんもそのパターンかな。

「いいえ、彼氏ではなくて――」

「おい、おまえがなんでここにいる?」

 ミリさんの言葉を遮って、男性がわたしの前に迫ってくる。

「あ、あなたは……?」

 男性は眉根を寄せて、わたしを睨んでいたかと思うと舌打ちをした。

「馬だ。いや、まあ本当は馬ではなくホープなんだが、おまえが馬、馬言うから馬だ」

 馬、馬と流暢に日本語を喋る人間は、どうやらわたしの知る馬らしい。

「ええ! あんたがあの無愛想な馬?」

 いつも憮然とした態度で『宇宙人の集会』に参加し、わたしの左隣に座って、夜の八時になるとノートパソコンをリュックから出してなにか、こそこそ、している馬。

「いつもの馬の被り物は?」

「普段からそんなの被ってるアホがどこにいる?」

 確かにあんなのを被って街中を歩いていたら変質者にしか見えない。

 タイガーのはまだプロレスラーかも、と思わせる余地があるし、ヘルメットのはバイク乗りだと思わなくもないが、馬の被り物はコンビニ強盗には使われない、露出魔とか変態が着用するものの印象が強い。

「そんな顔してたんだ……。へぇ」

 鋭利な刃物のように鋭く尖った目に、和一文字に結ばれた唇。実に男性らしい顔つき。

 無愛想に、無言で睨まれたら、なにもしてなくても謝ってしまいそうな威圧感がある。

「で、おまえは墓でなにをしてる? また誰かのお節介か?」

 馬は被り物を脱いでも刃に衣着せぬ物言いで、わたしがまたお節介ごとをしていると断言する。間違っていないだけになにも言い返せないけど。

「ヘルメットの手伝い」

 ミリさんは首を傾げたけれど――馬の表情は一変した。

 また、わたしのことを怒るのかと思いきや、馬が手に持った桶を落とすと、中に入っていたたくさんの水が辺りにぶちまけられ、柄杓が音を立てて石畳の上を転がる。

「ちょっと――」

 ミリさんの制止を聞かず、馬は物凄い形相と剣幕でわたしの隣を風のように通り抜けた。

 振り返ると、馬の登場に驚いているヘルメットと対峙している。

「な、なにがどうなってんのよ……」

「センチさんは知らないのね」

 わたしには知らないことだらけ。でも、ヘルメットが縛られる過去に、わたしは触れて、ヘルメットに上ではなく前を向いて歩かせる覚悟を持たせ、ここまで連れてきた。

「叶――あなたたちの間では『ロト』と呼ばれているわたしの妹の彼氏よ、彼――あなたたちが馬と呼ぶ彼のね」

 馬が好きな人がいると言っていた相手がミリさんの妹のロトさん。

 でも、そのロトさんは一年前に事故で亡くなっていて――じゃあ、馬が『宇宙人の集会』にいても恋が成就することなんて、絶対にないんじゃ……。

「というか、ミリさんがヘルメットに音楽を続けるように言ってくれた人……」

 ミリさんに確認するでもなく対峙する男二人を見るわたしは、つい癖のように独り言を呟く。

 頭の中の整理が上手くできない。

 単純な関係図はすぐに思い浮かぶのだけれど、それを理解するのにわたしの頭が拒む。

「ロトと馬は幼馴染ってやつでね――馬にとってヘルメットは殺したいほどに憎い相手なのよ」

「まさか、そこまで」

「ヘルメットから聞いてるんじゃないの? ロトにどれだけ愛され、ヘルメットがどれだけの過ちを繰り返して今まで生きてきたか」

 ヘルメットにより、人生を狂わされ、間接的に命を失ってしまったロトさん。

 そのロトさんを愛していた幼馴染の馬が、ヘルメットを怨むのも頷けるけど。

「けど、じゃあ、なんで、馬は『宇宙人の集会』なんかに――ヘルメットと毎週顔を合わすような場所に来るの?」

「――復讐と監視。馬は乱暴でがさつだけど、面倒見がいい。たぶん、わたしよりロトのことを本気で心配して、ヘルメットから離れるように苦言を呈していた。馬の言葉を聞かず、ロトは事故で死んだ。それ以来、馬は泣かなくなったし、笑わなくなった。ヘルメットを殺すまでは絶対にあいつを逃がさない――それがヘルメットに近づく理由」

 ミリさんもまた、自分の妹と妹の幼馴染のことをまるで他人事のように話す。

「なんで、そんなに淡白になれるんですか?」

「死んだ人間に生きている人間のしてやれることなんてなにもないの。誰かが覚えていれば、その人のことはきっと死んでも永遠に現世に残る。ロトを語り継ぐのはわたしの役目じゃないから」

 視線を二人の方へと向けるので、わたしも同じように向ける。

 どん、とどこか遠くに雷が落ちた音がお腹の底に響く。

 雨が、ぽつり、ぽつり、と石畳に染みを作るように空から落ちてくる。

「でも、馬には……それがわからない」

 ぴかっ、と空が光り、直後、どーん、と間延びした落雷の音がした。

 雷が近い。

 勢いを増す雨空を見上げようと首を巡らせた瞬間、二人が――馬がヘルメットの胸倉を掴み上げた。

「え、ちょ、ちょっと」

 なんで、そんなケンカみたいなことをしているの。

 ここでは二人の声が聞こえない。

 雨が石畳を叩く音の中、二人のケンカを止めようと走った。

 馬は体の大きな春人を簡単に投げ飛ばすぐらいに強いけれど、ヘルメットはたぶん女のわたしよりも弱い。

「二人とも、やめ――」

 一瞬のうちに本降りになったバケツを引っくり返すような雨の中、ヘルメットの胸倉を掴んだ馬が、鋭い拳でヘルメットのことを殴り飛ばした。

 小さなヘルメットの体は人形のように後ろに吹き飛び、背中から石畳の上に倒れた。

「ヘッド!」

 わたしは駆け寄り、手に持っていた花を投げ捨てヘルメットの体を抱き起こす。

「その名前で呼ぶのは……いえ、それよりも傘、買いに行ったんじゃないんですか?」

 唇を紫色にして、血を滲ませながらヘルメットは適当な愛想笑いを浮かべる。

「こんなところに跪いたらスカートが汚れてしまいますよ」

「馬鹿! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」

 ハンカチでヘルメットの唇を拭う。雨が降っているからわざわざ水で濡らす手間はいらないのが唯一の利点。

「どけ、紙袋」

 同じように雨でびしょ濡れの馬が軽々とわたしの腕の中からヘルメットを片手で持ち上げる。

「やめて!」

 男の人が片手で簡単に持ち上げられ胸倉を締め付けられるシーンなど見たことがない。

 わたしは馬の腕を叩き、ヘルメットを助けようとするも。

「うるさい!」

「きゃっ」

 軽く振るわれた腕に、わたしの体を抵抗むなしく軽々と吹き飛ばされ、泥水の溜まる水溜りの上に尻餅をついてしまった。

「おまえのせいでロトは死んだんだ! なんで、それなのに――それなのに、なんで、おまえがここにくる! あいつの墓の前で、おまえはなにを言うんだ! おれは前に言ったはずだ。ここには絶対に来るなと。それなのに、おまえは!」

 馬が片手でヘルメットを持ち上げたまま顔面を殴る。

「いや、やめて」

 雨に混じってヘルメットの口から血が飛び散る。

 わたしは、その光景にただ恐怖し、立ち上がることができなかった。

 ただ、殴られるヘルメットを見上げしか。

「おまえをロトには会わせない。――帰れ」

 馬はヘルメットの体を、まるでゴミでも投げ捨てるようにブロック塀へと放り投げた。

「危ない!」

 泥水の上を這うようにして、ヘルメットの落下点に飛び込む。

「うぐっ」

 ヘルメットの頭とブロック塀との接触を避けるために飛び込んだわたし――その顔面にヘルメットの後頭部がぶつかり、その勢いでわたしの後頭部が、まるで板ばさみにされるようにブロック塀にぶつかった。

「だ、大丈夫?」

 腕の中に倒れるヘルメットの目が大きく見開かれた。

「あなたの方こそ、大丈夫ですか?」

 鼻と頭が痛いけど――と思った瞬間、鼻頭が熱くなり、赤い液体が膝の上、腕の中に倒れるヘルメットの頬に落ち、すぐに雨で流された。

「鼻血」

 ヘルメットは慌てて起き上がり、血が滲んだ顔でわたしの顔を覗きこみ、あたふたしている。

「鼻血ぐらいで騒がないでよ、男でしょ」

 わたしは上を向いて、首の後ろにチョップする。

 鼻血なんて滅多に出さないけれど、出したことがないわけでもないし、小学生じゃないんだから鼻血ぐらいで動揺はしない。

「まったく、センチさん。あなた女の子なんだから、男のケンカに突っ込んでいくんじゃないの」

 ミリさんに怒られながら、綺麗なハンカチで鼻を押さえられる。

「すみません」

 毎度わたしは人様のハンカチにお世話になってばかりである。

「頭は平気? 打ったみたいだけど」

「頑丈が取り得ですから、ご心配なく。あはは」

 下着が肌にぴっちり張り付くぐらいびっしょり濡れ、鼻血も止まらずにミリさんに介抱された状態。実に情けない。情けなくて涙が出てくる。

「馬、あんたも気が済んだでしょ?」

 肩で荒く息をする馬は、わたしたちに背を向けたまま、ミリさんの言葉になにも反応を示さない。でも、少しだけ落ち着いているように思える。

 馬にとってミリさんは大好きな幼馴染のお姉さん。もしかしたら、馬が唯一抗えない存在なのかもしれない。

「ヘルメット――って呼んでるけど、まあ呼び名なんてなんでもいいよね。あんた、ちゃんとわたしの妹の死に向き合う気になったの?」

 顔を腫らしたヘルメットに確かめるように問うミリさんの言葉はどこか重々しく、先ほどの自分の妹をまるで他人事のように言っていたのとは全然違う。

「はい……。その方に、ぼくは奮い立たされました」

「一年前、わたしがどれだけ誘おうとあれだけ来ることを拒んでいたのにね」

「いえ、その……」

 ミリさんがわたしを見てくる――せっかく貸してもらったハンカチがすっかり赤く染まってしまった。

「馬は知らないと思うけど、ヘルメットはね、ロトに対する贖罪として、わたしにお金を送ってたのよ」

「それは……売れていない時代、あなたにぼくもロトも金銭面で助けられたから――ほんの少しずつで申し訳ありませんが」

 深夜のコンビニで働くヘルメットはドラッグを止め、食事を削り、今のようにやつれたまま時給の高い夜中のアルバイトをして、路上でギターを弾いて、ミリさんとの約束も守っている。

 その少ししかないお給料も売れなかった時代に金銭面で支えてくれたミリさんへ返している。ヘルメットのことが人伝いにどんどんわかってくる。

「わたしは音楽で売れたら返してって言ったんだよ。あなたからのお金、受け取ってはいるけれど、そのまま手をつけずに残してあるから。それに大好きな妹の夢のためにお金を出し惜しむ姉はいないわよ」

「でも……そのために、あなたをキャバクラで働かせるような真似をしてしまいました」

「住めば都じゃないけど、働いてみると結構楽しいもんよ? 悪いと思うなら、あんたがビッグになっていつかお客で来て、わたしにお金を使いなさい。そうすればずっと指名NO.1でトップを保てるんだからね。一応、わたしの夢、自分のお店を持つことだから、そのときはよろしく」

 ヘルメットとロトさんの音楽ユニット――UMAが売れることは、みんなの夢だったのだろう。

 当人であるヘルメットとロトさんはもちろん、ロトさんの姉のミリさんも、ロトさんの幼馴染の馬も。

「馬鹿らしい……。みんな同じ方向向いてるのに、なんでみんなバラバラなの?」

 鼻を押さえていたハンカチを握り締め、この三人に対して怒りが込み上げてくる。

「馬もヘルメットも同じ人を大切に思っていて、大事に思ってるのに、こんなことをしてて、ロトさんが喜ぶと思ってるの?」

「おまえになにが――」

「なにもわからないわよ!」

 相変わらず、馬は頭ごなしで否定してくるけど、今のわたしは負けられない。

 だって、絶対にこの三人の関係って間違ってるから。

「なん、だと……?」

「あんたたち三人がロトさんのことを大好きだってこと以外、わたしにはわからない。ミリさんは死んだ人に対して出来ることは忘れないことって言うけれど、誰か一人が覚えていても、それって悲しいじゃん。記憶は一人では絶対に語り継げない。ロトさんを大事に思う、あんたたち三人が一緒にロトさんのことを覚えてないでどうすんの? 馬だけがロトさんの素敵なこと、好きだった記憶、そんなのを覚えていたって、誰にも話せないじゃない! 思い出とか記憶って、誰かと語らうために積み重ねるものでしょ? あんたたち三人は一緒にいるべきなの。仲違いしてるなんて、本当に馬鹿!」

 喉の奥で血の味がする。

「忘れるわけないだろう! おれは……おれは毎日、ロトのやつのブログを死んだ日からずっと更新してるんだぞ!」

「『宇宙人の集会』のときに、パソコンを開いてるのって……」

「ああ、そうだ。おれはずっと、世界に対して偽りの情報を流し続けている。――ヘッドとロトの音楽を待ってくれている何百、何千……何万人のために、ロトの死を伏せ、いつか必ずUMAが世間に向かって再始動できる日を、おれは待ってるんだ。あいつの笑顔がまた見たいから」

「それって……」

 ぞぞっ、とわたしの首から上に寒気のようなものが駆け巡り鳥肌が立った。

「おれは……宇宙人なんてもんを信じない。生きている人間も信じない。死んだ人間こそが正義で、おれにだけ微笑んでくれる」

 こいつは馬鹿だ――それはもう本当にしょうがないぐらいに。

「馬鹿!」

 春人を投げ飛ばし、ヘルメットのことを殴り飛ばすほどに常人の男性よりも遥かに強いであろう馬の頬を、足を震わせながら自分の鼻血で汚れた手で引っ叩いた。

 正直、反撃される以前に、わたしのビンタなど簡単に捻り上げられるのかと思ったが、本気で振りぬいた全力の一撃は馬に当たった。

「あんたも、なんで……上ばっかり見て、前を見ないで生きてるの? 死んだ人は帰ってこないんだよ」

 馬の大きな胸板を両手の拳で叩く。

 叩くこっちの手が痛くなるぐらいに筋肉がついていて硬い。

「死んじゃった人間はなにも答えてくれないんだよ! あんたの都合のいい解釈しかできないんだよ! 馬、あんたこそ、周りが見えていないんだ。あんたが守りたかったのは、そんなあんたにだけ都合のいいロトさんなの? みんなに愛されて、音楽をしているロトさんじゃないの?」

「……紙袋、おまえ」

 鼻から垂れてくる鼻血を音を立てて啜る。

 涙も流れてくるけど、これは悲しいとか悔しいとかじゃなくて、痛いんだ。

 鼻も頭も、なにより心が――。

「うるさい! わたしは、どうせお節介で馬鹿で、考えなしで動いて、余計なことばかりして、場を掻き乱すアホだよ! 馬は、こんなわたしも信じてくれない? わたしがあんたたちにどれだけ感謝して、どれだけお節介と怒られても恩返ししたいって気持ち、わかってくれないの?」

 いくら訴えかけても、馬の心がすごく遠く感じる。

「なんで、そこまでする?」

「あんたが間違ってるからだよ! なにが『赤信号みんなで渡れば怖くない』よ。怖いに決まってんじゃん! それって結局、周りが見えてないだけで、あんたのその浅はかな行動こそが周りに迷惑かけてんの。それに気付け! わたしは、あんたたちみんなが好きなんだよ。わたしを助けてくれた、『宇宙人の集会』のメンバー全員に幸せになってほしいって本気で思ってるの。これも、あんたはお節介って鼻で笑うんでしょうね」

「おれを、幸せにする……?」

 目を丸くする馬が、不思議そうな顔をしてわたしを見下ろしている。

「人間同士でも、他人の心なんてわからない。それこそが、あんたたちの言う『宇宙人』の正体だよ。ヘルメットの伏せていた過去、馬の伏せていた過去、タイガーの好きな人、ニールが傘を手放さない理由、ミリさんが、ロトさんが、春人が、夏喜チーフが、レミさんが……わたしには誰のこともわからないし、わかったつもりにはなれない。でも、ちゃんと心は通って、言葉を交わして、理解し、分かり合うことはできる。わたしたちは宇宙人であって宇宙人ではない。もし、本当に宇宙人がいたとしても、ちゃんと意思疎通ができれば、分かり合えるんだよ。それなのに人間のわたしたちが分かり合えないでどうすんの? 動物以下だよ」

 死んだロトさんのブログを更新して、生きていることを偽り続ける馬こそ、ヘルメットとのユニット、UMAを待っているのではないだろうか。

 ヘルメットがロトさんに好意がないことを馬は知っているだろうし、ロトさん自身も知っていたはずだ。それでも、ロトさんがヘルメットを好きでいたことが、馬の逆鱗に触れ、共通のロトさんという人を知りながらに、近くも遠い関係を続けていた。

「馬が、ヘルメットといるのも、UMAが復活してくれるのを楽しみにしてるからなんでしょ?」

 同じ目的で生きているのに、なんでこいつらは――。

「馬、わかって。あんたが怒るのもわたしが理解するから、ヘルメットがロトさんに謝りたいって気持ちもわかってあげて。ちゃんと過去を背負っているから。ちゃんと前を向いて歩き出そうとしているから。ちゃんと……ちゃんと、生きてるから」

 馬の顔を見上げると、馬の頬から雫が垂れてきた。

 これは雨粒? それとも――。

「許してあげて」

 馬の頬に触れる。

 雨の冷たい水滴の中に、一粒、二粒、生温かい水滴が指に触れる。

「馬さん、すみません! ミリさんも、本当にごめんなさい! ぼくは……謝ることとロトの夢を叶えてあげることしかできません!」

 ヘルメットが――石畳に膝をつき、石畳に額を押し付け、二人に対して土下座している。

「許してもらえるとは思っていません。一時は死んで詫びることも考えました。でも、それでは間違えだって……ぼくには生きて、ロトの意志を汲んで、彼女の夢を叶えて報いることこそが――ちゃんと彼女の死と向き合い、彼女の墓前で詫びたいのです」

 ヘルメットも雨と血と泥で汚れながら、懸命に許しを請う。

「おまえたちは本当に馬鹿だ……。でも――」

 馬はわたしの両肩にあてた手に力を込めて、わたしを引き剥がし、ヘルメットの前に片膝をつき、手を差し伸べる。

「おまえ……こんなに体力を失って、本当に全国ツアーができると思ってるのか?」

 未だ頭を下げ続けるヘルメットの肩に馬は手を置く。

「本当に、おまえの言葉に偽りがなく、本気で挑む覚悟があるのなら顔をあげろ。そして立て」

 ヘルメットは酷い顔をしながら、額を泥で汚しながら、顔をあげて、震える体を奮い立たせる。

「おれを殴れ!」

 馬の言葉にわたしは思いっきり首を傾げた。

 隣でミリさんが笑っている。

 戸惑うヘルメットを他所に、馬は後ろで手を組んで無抵抗のポーズ。

「でも、ぼくには……」

「おれの気が済まない! 殴らないと言うのなら、おまえをロトには会わせない!」

 まるでお嫁さんをもらいに相手のお父さんに挨拶に行くみたいなノリなんだけど、男同士ってこういうものなの?

 ヘルメットは意を決したのか拳を握り、馬の頬を殴った。

「もっとだ!」

「くっ」

 ヘルメットは言われるままに馬を殴る、殴る、殴る、殴る。

 それでもやっぱり体格差とか元の体力とか、力の差とかが全然違うんだけど、同じ数殴っていても、ヘルメットの拳の方が悲鳴をあげそうだ。

 殴っている方が辛そうな顔をしているヘルメットを止めようと足を踏み出した瞬間、わたしの肩にミリさんの手が触れる。

「男同士の青春に女が入るのは無粋。やりたいなら、とことんやればいいのよ。センチさんがみんなに対して行っているお節介と一緒で、本人たちが気が済まなきゃ誰も納得できないし、後悔だけが残る」

 雨の中、周りにたくさんのお墓を見ながら殴りあうなんて、昔の青春映画みたいだ。

 わたしみたいな小娘に、いい年した男たちの青春の決着のつけ方なんて理解できない。

 それでも止めることができないのは、これが正しいと思えるからなのだろうか。

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