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その11

 土曜日の午後――午前中にニールは家に帰るというので、駅まで荷物を持って切符を買ってあげて、改札の向こうに送り出した。

「この夏休み中、どこかに遊びに行けたらいいね」

 ニールから熱烈なデートのお誘いを受けてしまうぐらい、わたしたちは仲良くなれた。

 ニールを見送り、駅前の大きなスーパーで買い物をして、昨日の夜の雨がうそのように晴れ渡った太陽の下、荷物を両手に持って家路を急ぐ。

 家を出る前に布団は干したけど、掃除はまだ手付かず。平日にする気がなかなか起きないので、明日の日曜日を有意義に過ごすためには、土曜日の今日に面倒なことはすべて片付けておきたい。

「ふう……」

 マンションのエントランスホールに入ると、一気に気が抜け、荷物を地べたに下ろしてしまった。

 重いやら暑いやらで夏の買い物は大変だ。

 車かバイクでもあればいいんだけどね。

 ないもの強請りをしつつ、郵便受けになにか入っていないか確認しようと荷物を持ち上げて足を運ぶと、そこには郵便屋さんがハガキやら封筒を部屋番号を確認しながら投函していた。

「ご苦労様です」

 白いヘルメットを被ったおじさんに挨拶すると、その影になにやら黒いヘルメットが蠢いているのが見えた。

「なにやってんのかな、ヘッド」

 部屋番号とネームプレートの掲げられた郵便受けを一個ずつ――まるでストーカーかなにかのように確認している黒ヘルメット。

「あ、こんなところで会うなんて偶然ですね」

 郵便局のおじさんも訝しげにこちらを窺っている――ヘルメットの見てくれは不審人物でしかないから仕方ないのだけれど。

「なにしてんのかな?」

「いえ、あなたに会いに来たのですが、部屋番号がわからないので郵便受けで名前を探ろうとしたのですが、名前書いてないのでわからないんです」

「普通に書いてあるから、探せば見つかるんだけど」

「いえ、すでに三周目の確認なんですが、紙袋という名前がどこにも――」

 ぺちん、と平手でヘルメットの天辺を叩いた。

 駅から炎天下の中歩いてきたのか、天辺部分が熱を持っていてすごく熱い。

「なにをするんですか、ぼくはいつでも真面目に――」

「そういうのがわざとっぽいの。ほら、それを脱ぎなさい。あんたは一体、なにをしにここに来たんだか」

 ヘルメットのヘルメットの中は相変わらず保冷剤がたっぷり入っていて、大量の氷の中に手を突っ込んだみたいにひんやりしている。

「いつか風邪をひくか、凍傷するわよ、これ……」

「なにをしにって……ニールからので伝言を頼まれたんですよ。えっと……オムライス食べたかった、です」

 昨日の夕飯、地元に戻ってきた頃にはどこもスーパーが閉まっていて冷蔵庫には材料がなく、初めてニールを招いたときにだした、電子レンジでチンできるレトルトの親子丼になっちゃってたのだ。

 そんなわけで、現在両手に大荷物なのである。

「ちなみに、いつニールからのメールがあったの?」

「今朝、メールが入っていたのを確認して、直接来ました」

 ヘルメットは伏せているけれど、ヘルメットはコンビニでアルバイトをしている――ニールが教えてくれたからね。夜の遅くから朝方まで働いて、現在のこの時間にここに来たってことなんだろう。

 それにしても、なんというニールとのニアミスだろうか。会っていたら会っていたで、わたしの部屋でニールとヘルメット、二人を持て成す勇気はない。

「……この間と一緒か」

 わたしがせっかくオムライスを作ろうと息巻いている間に眠っていたのは、夜勤明けだったからなんだ。

 元より体力のなさそうなヘルメットなんだし、無理をされたらいつかぶっ倒れそうだ。

「で、なにをしに来たの?」

「彼女の言葉はよくわからなかったのですが、ニールがあなたにぼくや彼女のこと、色々話したとメールに書いてありました」

「あ、うん……。ごめんね、タイガーのときみたいに、勝手に裏で探るようなことをしちゃって」

「許しません」

「ごめん!」

 この件に関しては完全にわたしが悪い。馬にも釘を刺されていたのに、わたしは興味本位でニールの甘い言葉にたぶらかされ、ニールの誘惑に抗うことができずに、ヘルメットの秘密をいくつも知ってしまった。

「うそです。ぼくは嬉しいんです」

「本当に許してくれるの? お詫びにオムライス作ってあげようか?」

「……それは遠慮します」

「まあ、こんなところで立ち話もあれだし、買ってきた冷凍食品とか溶けちゃうから、はいこれ持ってね」

 大きな荷物を一個ヘルメットに預ける。

「容赦と遠慮がないですね……」

「わたしたちの仲じゃない」

 感情が平坦なヘルメットの声音はヘルメットを脱いでも相変わらずだけど、表情がちゃんと変化するから、やっぱ素顔の方がいいね。

「アメリカ人宇宙飛行士が初めて月に降り立ったときの映像は学校の教科書とかでしか見たことないけど、宇宙服のヘルメット部分の透明度ってどのぐらいなんだろう? 今の宇宙飛行士でもいいや。宇宙での船外活動なんてテレビじゃ見れないし、それこそ静止画かCGだよね。日本人宇宙飛行士が宇宙に行ったときも、宇宙から日本の総理大臣とか子供たちに衛星テレビ電話で繋いだけど、そのときは素顔だったしね」

「あの、なんの話ですか?」

 狭いエレベーターの中、荷物が半分に減って軽くなったわたしの口はよく喋る。

「ヘルメットのヘルメットの話。それ、中からは見えるマジックミラーみたいになってるんだろうけど、外からじゃヘルメットの顔見えないじゃん」

「まあ、そうですね……。それと宇宙飛行士の話にはどういう関係が?」

 エレベーターの昇降機が目的階に到着し、わたしは先に降りて、ヘルメットを部屋まで先導する。

「宇宙って真っ暗じゃん」

 鍵を出して、玄関のドアを開く。

 今日はニールがいたから下着をそこらに出しっぱなしだったり、テーブルの上に食べた食器そのままってこともないから安心して招きいれられる。

「右も左も、上も下もわからない。ヘッドが前にうちに来たときに、世界を見たくないからヘルメットを被るって言ってたからさ」

 ヘルメットと出会ってから宇宙という単語を日常の中でどれだけ使うようになったかというと、わたしの脳内検索ワード何週もぶっちぎりで一位を独走している状態である。

 今まで宇宙なんて言葉はそれこそ、日本の衛星が宇宙の惑星から微粒子を持ち帰ってきたとか、月食や日食がどうとか、金星が地球に一番近づくとか――最近だと七夕も宇宙に関係することだけれど、宇宙という言葉はテレビニュースでしか見ないし、聞かない、使われない言葉だった。

「もしかして、ヘルメットは宇宙にいるのかもねってこと。――荷物は下に置いて」

「ぼくが宇宙にですか……」

 冷蔵庫の下に荷物を置いて、ビニール袋の中身を片付け、麦茶を氷を入れたコップに注いでソファーで寛いでいるヘルメットの前に持っていく。

 ヘルメットは放って置くと、気付かぬ間に寝てしまっていた過去があるから、あまり放置は出来ない。

「ありがとうございます」

 一口つけ、ヘルメットは一枚のDVDを差し出してきた。

 近所にレンタルビデオ屋はあるけれど、わたしの家はDVD再生屋かなにかだろうか。

「なにこれ? ホラー映画とか、エッチなやつならならお断りだよ」

「見るか見ないかはお任せします」

 だから、答えになってないんだよ。

 ヘルメットのことだから無意味なものや、嫌がらせってことはないんだろうけど。

「じゃあ、その前に一つ聞かせて。――あんたたちにとって、わたしってなに?」

 ニールとヘルメットとはすごく親しくしていると思うけど、馬とは根本的に合わないし、タイガーとは年齢差もあるけれど共通点らしいものはない。

 それなのに、いつものテーブルにわたしたち四人はいつも揃い、ヘルメット伝いに知り合ったニールとは東京での最初にして一番の同性の友達になった。

 わたしは楽しいけれど――馬に空気が読めないと怒られるわたしは、あそこで誰かの役に立てているのだろうか。

「上手く、言葉は見つかりませんが……。すごく大切な方です。だからこそ、これを見てほしいと思って今日は会いに来たんです」

 テーブルの上にある一枚のDVD。

 ニールが持ってきて、持って帰らなかった(つまらないから、いらないって)DVDみたいなトールケースに入ったものではなく、ラベルもなにもない表面が白いDVD。

「ヘルメットってさ……ずるいよね。わたしが踏み込もうとしても、なにかをしなきゃ得られないことばかりでさ。秘密が多すぎる」

「……すみません」

 恋をする相手も、どんな人かも全然知らずに、相談事のあるときだけ相談に乗ってくれという、言ってしまえば都合のいい関係。

「わたしが新入りだから、仲間はずれなの?」

「そういうわけではないんです。それも、たぶん……」

 ヘルメットの視線がDVDに落とされる。

「わかった、わかった。見ればいいんでしょ」

 言葉数の少ない人間の相手は本当に疲れるったらありゃしない。

 ニールみたいに、ぽんぽん、話してくれれば楽なんだけどね。まあ、抽象的過ぎてわからないこと多すぎたけど。

 DVDをケースから出し、普段の生活では電源すら入れることのほとんどなかったDVDプレイヤーに電源を入れて、ディスクを挿入し、トレイを引っ込め再生。

 ニールとならソファーに並んで座るけれど、ヘルメットの場合は、わたしはキッチンを背にして少しばかり距離を取って座り、テレビを注視する。

 テレビに映し出された映像はどこか都内のCD屋さんの前に組まれた小さな舞台の上に並び立つ楽器と、昨日ニールの携帯ムービーで見たヘルメットと――キーボードの向こうに女性が立っている。

 たぶんだけど、ユニクロとエドウィン。細身で短髪の女性。

『――本日は「UMA」のデビューシングル発売記念のミニライブにお越しいただきありがとうございます。早速ですが、デビューシングル「星の煌き」をお聞きください』

 CD屋さんのスタッフだろうか、拙い司会捌きで演奏が始まった。

 ヘルメットのギターと女性のキーボード。

 ロックっぽいけれど、ロックではない。

 心に訴えかけるような歌詞と、耳に残る音楽。

 正直わたしには歌が上手いとか、歌詞が素敵とかわからないけれど、映像の中の二人の真剣な顔と、お客さんたちの盛り上がりが、すべてを物語っている気がした。

 演奏が終わると、マイクの前に立ったヘルメットが、

『最後まで聴いてくれてありがとう! おれたち、今はまだインディーズだけど、将来は絶対メジャーデビューして、ここにいるみんなが将来自慢できるようなビッグアーティストになることを約束するぜ!』

 ヘルメットがマイクに叫び、キーボードに固定されたマイクに向かって、後ろにいた女性も喋り出す。

『わたしたちの音楽で一人でも元気になってくれる人がいたら嬉しいです。音楽って人を幸せにさせられる不思議なものなんです。どんなに気持ちが塞ぎこんでいても、音楽を聴いたら、元気になれる――そんなアーティストになります』

 その後、二人は「よろしく」と挨拶をし、ライブイベントは恙無く終わり、CDの即売会&握手会になった。

 その人ごみの中に見知った後ろ頭が映っているのだけれど……。

「ニールもいたね」

「彼女はいつもいますね。このDVDはレコードショップの店長さんが焼きまわししてくれたものなんです」

 東京の人はCD屋さんではなくて、レコードショップでしたか。口に出していたら恥ずかしかった。

「――それにしても、あなたに昔の映像を見られるのは恥ずかしいです……。でも、大事な過去です」

「ニールに聞いたけど、この女性の人はヘルメットのこと好きだったんだよね」

「……はい。ぼくは彼女の気持ちを知っていましたけれど、応えられませんでした」

「好きな人がいた――ヘルメットが傷つけ、傷つけられた人」

「よく覚えていますね。この会場に、その人は来ていました」

 司会の人ぐらいしか他の女性の顔なんて映っていなかったはずだから、カメラの外かな。

「正確には、このときはまだぼくは誰とも付き合ってなく、彼女の気持ちもまだ知りませんでした。この日、この後、ぼくはある女性に出会ったんです」

 わたしは止まったDVDを完全に停止させてディスクをケースに戻し、テレビを消した。

「ぼくはこの話をあなたに聞いてもらいたい。あなたがどう思うか、正直わかりません。あなたは真面目な人だから、ぼくのことを怒るかもしれない、嫌いになるかもしれない……もしかしたら、一生口を利いてくれないかもしれない――」

「まどろっこしいよ、そういうの」

「すみません……。人に話すのはあまり慣れていないので、ちょっと変になるかもしれません」

 今に限らずいつも変なんだけどね、ヘルメットは。

「このイベントの後、ぼくに声をかけてきた女性は大手メジャーレコード会社の人間だと名乗っていました。しかし、そんなことを抜きにしても、ぼくは彼女に惚れてしまいました。彼女はぼくの音楽を好きでいてくれる――足を止めてくれる人の少なかった路上時代が長かったせいか、音楽を好きで、認め、聴いて、理解してくれる人って、それだけですごく嬉しいんです」

 わたし、全然わからなかったよ。

 昨日の渋谷でも、ニールの携帯ムービーでも、今日のDVDでも。

「音楽のことはわからないけど、認められなかった時間が長くて、誰かに認められると、成長を感じられて、特別な気持ちになるのはわかるよ」

 スーパーで研修中のバッジが外れたとき、わたしは一人前になったんだって、社会に認められて嬉しかった。

「当然のように、ぼくたちは付き合いだし、ぼくと彼女は一年ほど同棲していました」

 交際から同棲ってよく聞くパターン。そのまま上手くいけば結婚とかね。

「ぼく自身もよくわからないことばかりなので、脈絡なくなっちゃうんですが……彼女はある日突然、忽然と姿を消しました。CDの売り上げやらなにやら全部を持って――」

「それってお金が目的で近づいてきたんじゃないの?」

「……端的に言うと、そうなるのかもしれません。でも、ぼくは彼女が戻ってきてくれると信じていました」

 恋は盲目――周りの言葉――キーボードの女性だって一緒に音楽活動をしていれば、その女性が怪しいことなんてすぐにわかるだろうし、消えた時点で警察なりに相談することだって出来たはずだ。

「えっと……キーボードの彼女の名前はロトって言うんですけど……ロトはずっとぼくが騙されていると言っていて、何度かケンカをしたこともあります」

 それでもそのロトってキーボードの女性がヘルメットを見捨てなかったのは、ヘルメットのことが好きで本気で心配していたからだと思うし、音楽も一緒にがんばっていきたかったんだろうね。

「ぼくは彼女を失い、すべてのことにやる気を失い、音楽もギターも一度全部手放してしまいました。でも、ロトはぼくを心配して……毎日食事を届けてくれたりして……ロトの優しさが嬉しいと同時に、うざったく思っていました」

「それは酷いけど、そのときは、いなくなった女性のことしか考えられなかったんだ」

「はい……。でも、今ではすべてのことを後悔しかしていません。ちょうど一年前の今日、東京は雨が降ったんです」

 一昨日の天気すら思い出せないわたしは一年前の天気など覚えているはずもない。

「ロトは毎日愛車のバイクでぼくのところに来てくれて……その雨の日も例外ではなく」

 ヘルメットの重たい口調から、わたしは一つのもしかして――最悪の答えがヘルメットの口から出る前に、頭の中に浮かんできた。

「想像通りです。大雨で視界も悪い中、バイクで来るもんですからスリップして対向車線から来た大型トラックに激突し即死です……」

 ヘルメットから紡がれる言葉は震えている。

 それでも、わたしにはヘルメットを止められない。今、止めてはいけない。

「……ぼくは、その現実を受け入れられず、ドラッグに手を出してしまいました。日本でも、探せば簡単に手に入ってしまうんです。ぼくは現実から逃れ、この予備用としてぼくの部屋に置いてあったヘルメットを彼女の形見として持っているんです」

 その事故の経緯などを知ったロトの家族はヘルメットのことを許さなかっただろう。

 他の女に現を抜かし、腑抜けたせいで娘の命を奪われたら、トラックの運転手よりもヘルメットのことを怨むに違いない。

 しかし、ヘルメットはその形見である予備のヘルメットで世界を見ないように自身の世界を閉ざし、覆い隠している。

 そのヘルメットの本来の持ち主は、当時のヘルメットにとってヘルメット唯一の味方。

 それを捨てずに、遺族に返さずに持っているのはヘルメットにとって失って初めて気付いた、大切な存在――ロトさんに包まれている気になれるのかもしれない。

「こんな話、わたしに聞かせてどうしたいの?」

「……すみません。あなたに隠し事、したくなかったんです」

「わたしはこれを聞いて同情すればいい?」

「いえ」

「同情なんてしないよ。悪いのはヘルメットだもん。でも、その気持ちは痛いほどにわかる。悪いとわかっていても……信じたい気持ちって、周りからなんて言われても、聞けないよね。でも――」

 ヘルメットの肩をわたしは力なくグーで殴った。

「ドラッグに逃げたヘルメットは最低だよ。死んじゃった人はなにをしても帰ってこないよ。ちゃんと、現実に向き合おうよ」

「はい……」

 わたしはもう一度、ヘルメットを殴る。

 薬なんてやるから、食欲もなくなり、食が細くなるし、顔と体が不健康そうになるんだ。

「それが宇宙人の誕生だって言うなら、わたしは宇宙人なんて絶対に認めない!」

「……泣かないで、ください」

「馬鹿! 泣いてない!」

 言葉でどんなに強がろうと、両目から溢れる涙は止まらない。

 なんで、わたしはヘルメットの前だとこうも素直になれるんだろう……。

「あんたは宇宙人に逃げてるだけだ! どんな言葉を並べ立てて、偽ろうとロトさんは死んだ現実は変えられない」

「だからぼくは……今を生きてるんです……。ロトのご両親には死んで詫びろと怒鳴られましたが、ロトにはお姉さんがいて、その方は生きて責任を取れと……」

「責任?」

「……音楽を捨てないで、諦めないこと」

「なら、このままがんばりなさいよ」

「はい……」

 わたしは時計を見上げる。

 午後の一時過ぎ――せっかく日が高くて天気がいいのに、勿体ないけど布団を取り込もう。

「準備するから待ってて」

「あの、なにを……?」

「出かけるよ」

 布団を取り込み、財布をポシェットに入れて、準備完了。

「えっと、どこに……」

 ソファーに座ったまま、わたしの行動を一部始終見ていたヘルメットの腕を引いて立ち上がらせる。

「どこかは知らない。でも、行かなきゃ」

「あの、意味がわからないんですが」

「あんたたちの言葉もいつもわけわかんないの! それを聞かされて毎度毎度首を傾げるわたしの気持ちが少しはわかった?」

 ヘルメットにヘルメットを持たせ、靴を履いてマンションを飛び出し、駅へ向かって歩き出す。

「怖いならヘルメット被っててもいいから、とにかく行くよ」

「どこにですか?」

「わたしが知るか!」

 汗ばんだヘルメットの腕を放して、隣を走る車の騒音に負けないように叫ぶ。

「わたしの気持ち、少しはわかった? わたしはこうやってわけのわからないまま、あんたたちと一緒にいるの。それを探ろうとすれば失敗するし、怒られるし……正直、どうしたらいいかなんてわからない」

 ヘルメットの色白な額に浮かんだ玉の汗が鼻の横を伝って唇の横へと流れ落ちる。

「だけどね、わたしにはこういうお節介な生き方しかできない。だって、わたしはあんたたちに助けられたんだから、ヘルメットのために……わたしはなにかしてあげたい」

 前の会社でも、今のスーパーでも、わたしはずぶの素人から始まり、徐々に仕事を覚えていった。その成長を自ら感じられることに喜びを覚えたが、それ以上に上司や先輩が喜んでくれていた。わたしが仕事を覚えたら、それだけでわたしに教えてくれた人への恩返しになる。

 わたしは助けられたのだから、周りからはお節介と思われても、わたしに出来るやり方で恩返ししていくしかない。

「だから、教えてよ。ロトさんのお墓の場所」

「ろ、ロトの、ですか……。あの、そこに、なにをしに」

「お墓参り! ロトさんのお墓に挨拶に行くの」

「……そ、それは、ダメです。ぼくは――」

 うじうじするヘルメットを見ていると、腸が煮えくり返りそうになる。

「やるべきことをしろ!」

 ヘルメットが憎いわけでも、嫌いなわけでもない。

 簡単に語られただけでも、壮絶とも思える人生を今知っても、悪いのはヘルメットなんだから同情することはやっぱりないけれど、あのとき、わたしに声をかけてくれたヘルメットにお礼がしたい。

 宇宙に逃げようと夜空ばかりを見上げるヘルメットの足を地につけ、しっかりと現実を見せてやりたい。

「恋なんて、他人を傷つけ、他人に傷つけられることの連続だ! 確かに、あんたのはロトさんの死って酷い経験をしちゃったかもしれないけど、ちゃんと……弔ってあげようよ……。死んだ人は宇宙人でも生き返らせてくれないけれど、死んだ人が幸せに成仏するように願うのは生きている、残された人間の義務だよ!」

「でも……」

「でもじゃない! あんたのことだから、どうせお墓参りも、お線香もあげてないんでしょ? しっかりしようよ……。大人で、男でしょ」

「はい……」

 まったく、ヘルメットを見ているとイライラする。

 皺が増えたら、絶対にこいつのせいだ。訴えてエステ代でもふんだくってやろうか。

「行くよ、わたしはお墓の場所知らないんだから――ヘルメットは知らないとか言わないよね?」

 ここまで話を進めて、知らなかったなんて言われたら、もうなんか情けなさ過ぎるけど。

「行ったことはありませんが、ロトのお姉さんから聞いているので知ってます」

「さすが真面目人間」

 勇気も根性もやる気も感じられない、生気すら感じないヘルメットはたまに非常識な行動を取るが、思考は大分常識人寄り。

 家族に疎ましく思われ、墓参りなんてヘルメットのような消極的な性格の人間が出向けないことは頷けていたけれど、情報だけは知ってると思ったんだ。

「わたしがついてるから。途中のコンビニでお線香とお花買って行こう。お墓の近くって絶対そういうお店あるじゃん。儲かるから」

 世間とはそういうもんである。

 夏の海岸に海の家が出るのも必要とされるからあるのであり、冬に海の家はない。

「あなたは強引ですね……。でも、不思議と勇気をくれる。ありがとう」

 ヘルメットが外人の少年のような顔で柔らかく微笑んだ。

「ばーか!」

 わたしも同じように笑ってヘルメットの細っこい手を取って歩き出した。

 これは未練とかそういうのじゃないけど、春人といるとき、わたしはいつも背中を追っていた。手も繋がず、置いていかれそうになると小走りになって追いかける。

 でも、今、わたしは自分より年上の男の手を引いて歩いている。

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