無意識な優しさに救われて
由紀と初めて会ったのはまだ真央が五歳のときだった。
――約束よ。
真央は十年間もの間、その約束を忘れたことはなかった。
「姫…どうしました?」
あの頃よりも随分と成長した由紀は自分の隣りで俯いたまま動かない真央を見た。あの頃は自分の方が大きかったのに、由紀はいつの間にか真央の身長を遥に越していた。あの頃より沢山のことが変わってしまった。外見、立場、由紀の態度。変わらないのはこの気持ちだけだ。
「私は姫ではありません。真央です。由紀…姫なんて呼ばないで。」
私はあの時から由紀を他の護衛の者と同じに見たことなどなかった。いつでも自分のそばにいて、優しく守ってくれる由紀を一人の男性として想っていた。
でも国一つ動かしてしまえるほどの権力をもった帝の娘。由紀に想いをよせることがばれたら由紀がどうなるかぐらいわかっていた。それでも…。
「真央よ。由紀…だれも居ないんだから姫なんて呼ばないで。」
「ですが……わかりました。すみません。真央。」
由紀は辺りに人の気配がないことを確認してから真央の名前を呼んだ。言葉が敬語なのが少し不満だったが、由紀の立場上これ以上は望めない。
「ありがとう。」
悲しそうに微笑んだ真央に由紀は心配そうに訪ねた。
「どうしかしたのですか?」
真央は由紀の優しい静かな言葉にきゅっと唇を結んでゆっくりと口を開いた。
「…大きくなるにつれて沢山のコトが変わってしまった。だけど、なにか変わらないモノがあるって思いたかった。それだけなの。時がたてばたつほど、私の名前は薄れていってしまうのよ。真央じゃなくて、暁の一の姫として皆の記憶に残るの。それがほんの少し寂しかっただけ。」
由紀がなにか言おうと口を開きかけた時襖の向こうでカタンという音がした。隣りの部屋にだけかが来たのだ。そうなれば由紀は真央のコトを名前では呼べない。
「暁の姫よ。ワタシは姫の幼少の頃に誓った約束を違えたりはしません。それだけは忘れないで下さい。さぁ、もう遅い。横になってください。お風邪を召されたら大変です。」
由紀に手を引かれて真央は床へと向かった。そして由紀だけに聞こえるように呟く。
「ありがとう。」
そういって真央はゆっくりと瞼を閉じた。
「暁の一の姫。救ってあげましょうか?」
「だれ?…由紀?いないの?」
真央はゆっくりと辺りを見回した。真っ暗な空間。いつも真央を守っていてくれる由紀も居ない。恐怖で足がすくんだ。
「彼が好きなんでしょう?叶わぬ恋が苦しいのでしょう?」
その声が合図となったように美しい少女が姿を現した。
「あなたは?」
真央はその幼い姿に恐怖心を忘れ真央は訪ねた。
「ワタシは…遼子と申します。さぁ、一の姫。あまり時間がありません。あなたの言葉を必要としている人がいます。そしてあなたの必要とする人が待っています。葉月の満月の夜、神託へきなさい。貴女が貴女であなたでいられる場所です。その身に導かれるままに…。」
それだけを言い残して、少女は姿をけした。
それが二人がココにきたときの様子だという。
「そっか…。真央は本当にお姫様だったんだね。ねぇ真央?ちょっと二人で話さない?」
「え?…いいわ。」
真央と澪架は部屋の隅へと移動した。
由紀に会話を聞き取られないためだ。
「ねぇ…真央は由紀…君が好きなんでしょ?」
「…えぇ。昔、まだ幼くて立場とかそういうのが理解できていなかったことに、由紀と約束をしたの。ずっと…傍で守ってくれるって…。」
――姫っ!暁の姫!初めまして。ボクは由紀っていいます。今日から姫の話相手になります。だから…姫?
由紀は不機嫌そうに俯く姫の顔を覗き込んだ。
――姫じゃないわ。私には、真央という名前があるんだから、真央でいいよ。「暁の姫」なら沢山いる。だから、ねっ「真央」。真央は一人だもの。わかった?
そう、暁の姫とは暁の帝の娘のコトをまとめて示す。つまり真央も真央の妹のみな暁の姫なのだ。
――うん。いまはまだお話しかしてあげられないけど、いつか、いつかもっと強くなったら、ボクが真央を守ってあげるから。
――ずっと?
――うんっ。
「本当に嬉しかった。今までだれも、誰も私を真央とは呼んでくれなったから。」
由紀一人だけだったけど、本当に嬉しかった。
由紀が居なかったら、きっと私は私で居られなかった。
「由紀には本当に感謝してる。」
澪架はそう言って涙を流す真央をそと抱き寄せて、「そうだね」と言った。
「私ね…人が信じられなかったの。私のいた時代に夕日なんてなくって、この髪の色は異色とされて、悪魔の子だっていわれ続けた。両親は優しかったけど、近所の陰口に耐え切れずに壊れちゃった。それで生きているのも耐えられなくって…自殺、しようとした。」
澪架の手はかたく握り絞められていて、微かに震えている。真央は心配そうに澪架の手にそっと自分のそれを重ねた。
「でも、でもね。遼介がこの髪を綺麗だって言ってくれたの。それで…生きようっておもえた。助けられてばっかりなの。」
「うん。そうだね。私たち…助けられてばっかりだ。」
「真央!」
「澪架!」
二人で微笑むと由紀と遼介も話しが終わったらしく二人を呼んだ。
四人が一箇所に集まるとふいに天井のすき間から見える紫色の空が輝いた。そしてどこからか聞き覚えのある声がした。
「四人の子供達…別れのときが来ました。お帰りなさい。百年後の葉月の日まで…。」
するとさっきまでの空の光が部屋中が光り輝いて四人を包んだ。
「懐かしいですわね。あれからもう、二千年もたったなんて…信じられないくらい。」
真央は由紀に寄り添って微笑んだ。
「そうだね…。」
あの時はまさか自分がこうして同じ場所に居られるなんておもわなかった。
「私は、あの時のコトがずっと忘れられない…。」
「きっと一番寂しかったのは、彼女ですよね。」
真央は澪架に向き直った。
「あの方は自分が人間の温かさを知っていながら、共に生きる事が出来なかった。だから同じ思いを私たちにさせたくなかったのでしょう。それ以前に私たちにあのまま生きてほしくなかったのよね。」
「そうだな。人間なんかよりよっぽど優しくて温かい…。」