プロローグ
暗い場所だ。
少女のほかにはなにもない、ただ静かな悲しい場所。少女はただ暗闇の中で立つくし、そして涙を流していた。
ヒトの記憶は毎日の様に書き換えられていってしまう。
たとえば大人が子供の頃の思い出を忘れてしまうように。
たとえば誰かを愛おしく思った気持ちが薄れていってしまうことのように。
決して変わらない物などこの世に存在せず、ヒトは移ろう日々の中を生きている。
ヒトは人は自分が歩んだ道さえも簡単に忘れてしまう。それがどんなに幸せな道であったとしても。人間は皆忘れていく。さも自分が一番悲しいような顔をして……。
憎いのだろうか。
少女はかつてこの場を去ったモノを思い浮かべる。
ソレがどんな顔をしていたか。どんな事を話して、どんな風に生きていたか。それを少女は今でも覚えている。しかし、ソレはもう少女を覚えてなどいない。
失いたくなかった。
たとえこの身を犠牲としても良いと思った。
この孤独から救い出してくれるなら、そのためならばどんなことでもできると思っていた。
少女はもうずっとずっと前の記憶を手繰り寄せた。
ここに迷い込んできた人間。
無理だと知っていたけれど、ソレがくれる言葉は孤独な少女にとって心地よかったのだ。
生気のこもらない冷たいこの手を握って。
――君と、生きていきたい。
これはしてはならない約束だ。
ソレと少女がともに歩むことは、許されていない。
それを知っても尚、ソレは少女をまっすぐに見つめて、に手を差し伸べてくれた。初めて触れた、ヒトの手の温もりに心躍るのを確かに感じた。
そして少女はヒトがとても温かい事を知った。
だけどもう、決して戻る事はない。
交わされた不用意な約束ごとがソレを少女から奪っていった。
もう、何百年も昔の話。それでもまだ、少女の心の中の温もりは消えなかった。
ヒトではない少女に、忘却はない。
そして、いまでもまだ、ソレを愛しているから。
少女は紫色の空を見上げた。
「この空の色だけは、何年たっても変わらないのですね。あのヒトが消えたあの日から」
ヒトは皆、誰かを求めなければ生きては行けないのだとソレはいった。だが少女は誰もいない、異界でただ一人。
少女は永遠を確かめたかった。そしてあのヒトには幸せでいてほしかった。例え生まれ変わって、全く違う人生を歩んでいる他人となっていたとしても。