盗作
俺はこの九十余年の人生を静かに迎えようとしている。周りには花やフルーツなど見舞いの品であふれ、俺の最後を看取ってくれようと集まってくれた家族たちもいる。絵描きとなってこれまで様々な賞を受賞し、世界的にも高い評価をもらっていた。幸せな人生だった。素直にそう思えたらよかった。この死の間際になっても、一つだけ、どれだけ拭おうとしても、こびりついて取れない後悔がある。
俺の成功は、盗作だった。
若い頃の俺は、掃いて捨てるほどいる売れない画家の一人だった。その日も何をするでもなくモチーフを探してくると言って街に繰り出していた。そんな風に街をぶらぶらしていると、ちょうど展示会をしている画廊があった。俺のライバルたちはどんな絵を描いているのか、ちょっと見てやるか。そんな気持ちでその展示会の門をくぐった。
展示された絵を見ていくが、小手先ばかりの技術でお高く留まってる。そんな感想を抱く作品ばかりで少しせいせいしていた。こんなんだったら俺もすぐに大先生の仲間入りだな。そんな風に思っていた。
その作品を見るまでは。
そこだけ空気が違った。そして絵を見た時、自分を恥じた。構図、光、人物。何一つ勝てる要素が見つからなかった。そして、こんな絵を描きたいとあこがれた。
脳に刻み付けるようにその絵を観察した。どのような色で、素材で、筆運びで。頭の中で何度も再現をした。
家に帰ってその絵を再現する。でも何かが違う。納得がいかず、それから何十枚と描いた。そして、ようやく納得できる模写ができた。そしてそこに少しだけ手を加えた。納得いくものが描けたと満足もした。そこで、魔が差した。この絵がどこまで行けるのか試したかった。
自分が知る中で一番大きな公募展に作品を出した。佳作ぐらい貰えれば十分だと思っていた。
結果は最優秀賞だった。
俺の人生はそこから変わった。そして、何かに追われるように死に物狂いで努力し、成功を手に入れた。
「あの作品だけは、俺の物じゃない」
という思いだけが消えなかった。
死ぬ前に告白しようと思う。
しかし、相手の名前も思い出せない。
そばにいる家族にこのことを伝えたい。
だが眠気が強くなる。
意識が遠のく。
人の声が聞こえる。何かを揚げたような匂いがする。それに風も感じる。......風?ここは病室のはずだ。目を開いてみる。俺の目には商店街が映っていた。なぜ商店街にいるのかわからなかった。でも見覚えがある。そうだ、昔に住んでいた町の商店街だ。ここは。大きな声が聞こえてくる。そちらの方を見ると魚屋がある。その店先で男が呼び込みをしている。そうだ、あのオヤジいっつもサボって嫁に怒られてたやつだ。懐かしい。そうだ、そうだ。その向かいは八百屋だったな。店の奥に座ってる男。いつもはラジオを聞いてて、店の前を通るとあのギョロっとした目でこっちを見てくる。八百屋の前を通るたび何か言われるんじゃないかとビクビクしていた。
これが走馬灯ってやつか。
そう思えば、この妙な状況にも説明がつく。
なら、もう死ぬのだろう。
......いや。
それなら、なぜ風を感じる?
まあ、そういうものなんだろう。
でも、こんな死の間際に昔の街を見せてくれるとは。
神様も粋なことをしてくれる。
ご慈悲にあやかって、少しこのあたりを歩いてみるか。
魚屋、八百屋の前を通り過ぎると肉屋がある。そうか、ここのメンチカツうまかったな。そういえば最初の何か揚げたような匂いはここからきていたのか。そんな風に思いつつ商店街を進んでいく。
そして電気屋の前に差し掛かる。ガラスの向こうにはテレビが展示されていてニュースを流している。内容は大規模な国際展覧会についてだった。
その内容に覚えがあった。あの展示会の一年後に開催されたものだ。
そして、あの展示会こそ、俺の人生が変わった場所だった。
そのニュースの内容を細かく知りたくてテレビに近づいていく。
その時、ガラスに映った男と目が合った。
一瞬、誰だかわからなかった。
......いや。
わからないんじゃない。
知らない。
そこに映っていたのは、俺ではなかった。
だがガラスでは上手くわからない。
そういえばこの先の公衆トイレに鏡があったはずだ。急いで走っていき、鏡で自分の姿を確認する。間違いなく俺ではなかった。でも誰なんだ?そんな疑問が浮かんでくる。何か身分証がないか探してみる。ポケットの中に何かある。取り出してみると財布だった。申し訳なさを感じつつも中身を確認する。中にはいくらかのお金と免許証が入っていた。
免許証に書かれた名前を見る。
「......誰だ?」
知らない名前だった。
そう思った。
けれど、なぜか胸の奥に小さな引っかかりが残った。
どこかで、この名前を見たことがある。
住所を確認する。
「......え?」
そこに書かれていた住所には見覚えがあった。
昔、俺が住んでいた家から、歩いて数分の場所だった。
どういうことだ?
俺はその住所を知っている。
だが――
この男のことは知らない。
俺は昔の記憶を頼りに免許証に記載されている住所へ向かっている。
この角を曲がった先だったと思う。そして曲がった先にある屋敷を見て思い出した。
そこは幽霊屋敷と呼ばれた家だった。
扉には鎖と鍵がかけられ、誰も入れないようになっていた。
そういえば噂があったことを思い出した。
ここに飾られている絵をみると、呪われるだとか、幽霊を見るのだとか。
それが怖くて俺はこの家には近づかず遠くから見た程度だった。
財布の中を確認したとき、鍵があった。
おそらくここの鍵なのだが入っていいものだろうか。
いや、これは俺の走馬灯なんだ。何をしてもいいはずだ。
そう自分を説得し鍵を差し込んだ。
そんな迷いとは裏腹に鍵はあっさりと開いた。
扉を開け中に入る。
真っ暗で周りがよく見えない。だが、あまり埃っぽくはない。
掃除は定期的にされているのだろう。
壁を探り、なんとか明かりのスイッチを探し出し、明かりをつける。
そこには大量の絵が飾られていた。
一枚一枚見ていく。どこか見覚えのあるタッチの絵ばかりであった。
そして、ある絵の前で立ちどまる。
これは見覚えがある。
いや、忘れられるわけがなかった。
あの絵だ。
俺の代表作。
最初に認められた作品。
そして、俺が盗作した絵。
それが目の前にあった。
心臓の鼓動が速くなるのを感じる。
なんでこの絵がここにある。
だが、この構図、光、人物。
いや、何か少し荒い?
あの時見た絵とは何か違う。
そうだ、構図。人物の位置関係が違う。
周りを見れば同じような構図の絵がいくつもある。それに何度も書き直したものも。
少しずつ違うのだ。
そして見つけた最後の一枚、布がかけてあった。
意を決して、その布を取る。
そこにはあの絵があった。あの展示会で見たままの姿でそこにあった。
薄々は考えていた。そしてこの絵を見て確実になった。
「ここは......あの絵を描いた人間の家だ」
そして、
「俺は今、盗作された本人の体にいる」
そうだ、謝らなくては。
何か手掛かりになるようなものはないか。
一階には絵が置かれていてほとんど埋まってしまっている。
それならば、と階段を上っていく。二階には書斎があった。
本棚には絵の勉強に使っているのだろう参考書が並ぶ。そのほかには文字の形からドイツ語らしき本が並んでいた。
机の上には筆記用具とランプが置かれている。引き出しを開いてみると一通の手紙が入っていた。
俺の中の何かが父親だと言っていた。
その手紙には短く、
「約束の日までに画家として結果を出せなければ、病院に戻れ」
と書いてあった。
その時、頭に記憶が流れてくる。
父は有名な医師で大病院を経営している。
そしてその病院を息子に跡を継がせるつもりだということを。
しかし息子の夢を完全には否定しなかった。
その代わり、期限だけを決めた。
画家になって生きていけることを証明できなければ諦めろと。
そして、その期限は明日だった。
俺は一階に戻り、再び絵を鑑賞する。この男は才能がないわけではない。
むしろ俺より優れている部分もある。だが、時間だけが足りなかった。
そして初めて理解する。自分が盗んだのは構図ではない。
この男の「途中まで描いた夢」だった。
主人公は、自分の人生を変えた展示会のことを思い出す。
明日。この男の絵が展示される。俺はそれを見る。そして盗作する。
その言葉を理解した瞬間、視界が暗くなった。
――翌日。
あの男は、自分の絵を展示会に出した。
俺は、その絵を見た。
この展示会に来て、自分の絵がみんなに見られることに喜びを感じていた。
その中にひときわ熱心な男がいた。キラキラした目をしていた。
その姿を見るとなぜか意識が沈んでいった。
―― 一年後。
いつの間にか時間が飛んでいたようだ。どうやら彼の記憶のようだ。
約束通り、彼はもう表向きには絵は描いていなかった。
だが、いまだに絵への未練が断ち切れず、こんな風に公募展や展示会へ顔を出したりしていた。
今日は楽しみにしていた展示会に来たようだ。
やはりこの公募展はレベルが高い。素晴らしい作品ばかりであった。そして次は最優秀作品らしい。
最優秀賞の作品の前に、人だかりができていた。
彼も、その中に混じった。
最初は何も思わなかった。
ただ、上手い絵だと思った。
光の使い方がいい。
人物の配置も悪くない。
そして。
一歩、近づいた。
「......」
呼吸が止まった。
似ている。
いや。
そんな言葉では足りない。
これは俺の絵だ。
間違いない。この構図、何十枚も描いて導き出した。
この光の表現、何百枚も絵を鑑賞して試行錯誤の上生まれた表現だ。
この人物、何十人という知り合いに頼み込み、時にはお金を払い描かせてもらった末の表情だ。
この絵のために二十何年という歳月をかけてきた結晶だ。
ふと、絵の横にあるキャプションに添えられた写真では、作者の男が笑っていた。
この顔には見覚えがある。一年前の展示会で熱心に見ていた男がそこにはいた。
その瞬間、世界から音が消えた。
周囲に人がいて何かを話している。
けれど、何も聞こえない。
ただ目の前に、自分の絵がある。
いや。
自分が描いた絵ではない。
自分の人生を盗んだ絵がある。
その夜、彼はキャンバスに向かっていた。
筆を取り、これから絵を描こうとしている。
だが、十分ほどたっても彼は書き出さない。
そうしているうちに筆を置いてしまった。
そして書斎に向かい、引き出しを開き、便箋と封筒を取り出した。
しばらく目をつぶった後、書き始めた。
「あなたの絵を見ました。」
俺は肝が冷える思いがした。これから俺を責める言葉が並んでいくのだろうと受け入れる覚悟を決めた。
しかし続きは違う。
「最初は、私の絵によく似ていると思いました。」
「でも、見ているうちに違うと思いました。」
「あの絵は、もう私の絵ではありませんでした。」
「私にはあんな構図の改良も、光の透明度も、人の生き生きとした表情も描けなかった。」
「あの絵の先が見えなかった。」
「私はあの絵を描きたかった。」
「あの絵を完成させたかった。」
「でも、私はあの絵を完成させることができなかった。」
「あなたは、私には見えなかったものを描いた。」
「だから、私は筆を置こうと思います。」
「あなたの成長の一助になれたなら嬉しい」
なんで。理解ができなかった。あの展示会を出た時の顔は明らかに怒りに染まっていた。
でも今手紙を書いている彼の顔は穏やかだ。そして書き終えた後、すっきりとした表情だった。
また景色が変わった。
ここは覚えがある。俺の自室だ。
コトンと玄関の方で音がした。
何か郵便物が来たのだろう。立っているついでだ。取りに行こう。でもなぜだか、行ってはいけないような気がした。だが気のせいだろう。
ポストには一通、封筒が入っている。差出人は書いていない。
気にせず開けて見る。その内容をざっと見る。震えが止まらなかった。盗作したことが、ばれた。
終わったと思った。
しかし、そこに書かれていたのは、怒りではなかった。
「あなたの成長の一助になれたなら嬉しい」
いつの間にか俺は泣いた。この一言に救われたわけではない。心の片隅にあったちっぽけな罪悪感が無視できないほど大きくなっていた。
「こんな人間に勝てない」
あの展示会で見た絵。あの絵を見て感じたことを再度認識させられた。
盗作した自分。盗作されても自分の成功を喜ぶ相手。
俺は手紙を引き出しにしまった。
それ以来、一度も読まなかった。
年月が経って俺は成功をおさめていた。
賞を取る。
世界的な画家になる。
しかし、成功するたびに、あの手紙が頭の中にちらつく。
だから、思い出さないようにしていた。
名前も展示会も手紙も、彼に関係しそうなものは情報を遮断した。
だが、今すべてを思い出した。
「俺は忘れたんじゃない」
「忘れたことにしたんだ」
意識が途切れる。
俺は病室で目を覚ます。
家族がいる。
しかし、もうほとんど見えない。
主人公は思い出す。
すべて。
盗作したこと。
手紙を受け取ったこと。
そして、盗作された男が筆を折った理由。
主人公は少し笑う。
「最後に思い出せてよかった」
その時。
病室のドアが開く。
誰かが入ってくる。
俺には顔が見えない。
ただ、懐かしい気がする。
周りの家族が頭を下げている。
足音が近づく。
そして誰かが言う。
「父から、ずっと預かっていたものがあります」
主人公の手に何かが置かれる。
古い封筒。
主人公はもう文字を読めない。
しかし、何が書いてあるのか知っている。
「あなたの成長の一助になれたなら嬉しい」
主人公は目を閉じる。
その人物が言う。
「父は、あなたのことをずっと気にしていました」
「自分の絵が、あなたの人生の一部になったことを誇りに思っていたそうです」
「だから......」
「ありがとうございました」
その声を聞いた瞬間、なぜだか胸の奥が温かくなった。
顔はもう見えない。
けれど、誰なのかは分かっていた。
あの人の息子だ。
そして俺は――
今度は、その名前を忘れなかった。




