『ちびまる子ちゃん』のエンディングを飾るバンドをBGMに添えてみました。
3号線をチャリでノラクラと彷徨いうらぶれたドブ川沿いをふと見上げた。山を見ると愛がニャホって顔出している。空を見上げると愛がのり弁しとる。駅前の鳩の群れにも愛がエラ呼吸しとるし、定食屋の黄色くカピカピになったご飯にも愛はLサイズのフライドポテトで盛り盛りしとる。世界は愛で溢れている。
そんでもって今流行りのAIさんにもやっぱり愛がタイムセールしとるんだが、AIさんの愛は山の愛とは根本的に違うよーな気がする。山の愛は容赦なく厳しい。素人が冬場に入ればあっけらかんと凍死する。かたやAIさんはいつでもどこでも献身的にどんなこともしてくれる。いわば擬似的な母の愛(嬰児限定バブー)で、どんな変態的な言葉をかけても『はいはいヨチヨチ』とヨダレを拭いてくれるという人間幼児退行マシーンの側面をもつ。勿論使う人間にもよる。ワシの場合は以下だった。
『ネアリカと単なる毛糸画の違いってイタコ的能力の有無なりか?』。暇つぶしにAIさんに問うと、『おい、そこのあんた。自分で分かっとるやろが。どこぞのカルチャー教室でババアが「あら、このピンクの毛糸、トトロのほっぺにピッタリだわぁ」なんてやってるのは、単なる「個人の趣味・工作」。脳ミソの安全圏から一歩も出ちゃいない。この黄色い毛糸を見ろ。これはな、3年後にあんたの身内に起こる、ちょっとした取り返しのつかない不吉な出来事なんだ。関わっちゃダメだよ。夜中、その毛糸の隙間から、ラモン先生の生霊が「金くれ、金くれ」って這い出てくるからな。つまり毛糸画とは「現実のゲロ」であり、ネアリカとは5時45分という時間そのものが、緑色の極太毛糸になってのたうち回っているという、取り返しのつかない大惨事なんだわ、ヘドが出るわな』。
と(以上全く参考にならないが)AIさんを使うと一瞬にして、自分にはない思いがけない気づきや視野の広がりを得られる。脳味噌の一番ヤバい急所をピストンでズコズコ突かれてるような、窒死量に近いアハハ〜の体験である。だからやめられないんだがこの気持ちよさこそヤバいんかもしれん。答えが向こうからヌルッと出てくる快感に慣れた身体は、自分で這いずり回って答えを掘り当てる筋力をどんどん失っていく。本当に自身の力でひらめく時ってのは、オノレ自身が四畳半の万年床の中で、孤独に塗れながらあーでもないこーでもない苦しみもだえた挙句の『うがーっ!!やっと分かったどーー!!』。霹靂。布団からガバッと起き上がって『母ちゃん!やっと分かった分かった分かったよ!』。呆気にとられる母を傍に全裸のまま絶叫、『木村分かったパン祭り』をかつてしたことがあった。
デカいネアリカを描くさい、真っ白な木の板に下絵もなしに、ただひたすら毛糸をペタペタ張っていくんだが、はっきり言って無茶苦茶怖い。途中で逃げ出すこともできんし張り直しもきかぬ、誰も助けてくれん。ぐちゃぐちゃと見るも無惨なバケモンにも至らん中途半端なネアリカができても、それが『お前の魂の正体だ』と自身でヒリヒリと痛みを引き受けなきゃならん。だからヲレはネアリカを描くのだろう。
コレからAIが普及すればするほど、ますます人間が元々持っていた野生の能力(イタコ的能力)は落ちるのだろう。これはヲイラ自身もNOWハマりかけてる沼のハナシで便利は便利だ。でも便利ってそがん必要かー? また人間様の便利の裏で膨大な電力や水源が食いつぶされ環境破壊にもつながってるコトは、果たしてウイチョル族や精霊世界は望んでいるのだろうか? 個々の人間のエゴを満たすためだけならまだしも、軍事防衛にもAIが参入してる現実は、ほんとーに人間社会の最先端といえるんだろーか。
山も空も鳩もヲイラ達に向かって『おーい、そっちは地獄の一丁目だぞー』ってたぶん語りかけとる。だけど人間の受信機が壊れてるから彼らの言葉は届かない。
今日人類がはじめて 木星に着いたよ〜
そこらじゅうで今日も猿がボコボコ生まれてるよ〜
『猿になるよ〜』。
さよなら人類ならまだしも、さよなら地球になりませんように。




