表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/22

第10話 言わない自由と、沈黙の文法

 週明けの月曜、教室は市報の話でざわざわしていた。

 貼り出された紙面には〈“公開ログ”で安全は作れるか?——高校の小さな実験〉と見出しが躍り、その下に棒グラフと名札とQR。人の顔は写っていない。壁だけが大きく写っている。


「お前ら、新聞デビューだな」

 如月が指で紙面の余白を叩く。

「余白が主役のデビューは珍しいね」

「お前が言うとキャッチになるな。——で、次は?」

「“言わない自由”の設計」

「ついにMCが歌わないライブか。二曲目で解散するやつ」

「拍だけ残る名盤もある」


 笑いがひとつ転がって、廊下へ逃げていった。

 言わない自由。

 僕らの条文に、いよいよ載せる時が来た。


***


 放課後。

 マンションのフックに付箋。〈“言わない自由”草案、投函〉

 ポストには、細い罫線の便箋が三枚。白波文体の、迷いの少ない字が並ぶ。


『“言わない自由”条(案)

 第1条 会っている時に、言わないことを選べる。

 第2条 言わない=拒絶ではない。合図は拍に置換できる。

 第3条 質問カードは“白紙提出”可。受け手は推測で埋めない。

 第4条 “あとで言う”は約束ではない。言わないの完成形を認める。

 第5条 沈黙の終了条件を拍数で宣言可(例:四拍)。

 付録:“見る先”の指定(水面・本・空・壁)。』


 読みながら、胸の中でメトロノームを回す。タ、タ。

 言わないが拒絶に見えないように、拍を置く。なるほど、文法だ。

 僕は余白に返事を書く。


〈賛成。第6条追加提案:“言わない”ログ(日付・拍数・見る先のみ)を壁に留める。顔は写らない〉


 扉越し一分。

 合図二回。返ってくる二回。

 白波の声は、いつもより輪郭が薄い。言葉を削る練習の声だ。


「明日、試す?」

「明日。水面。四拍」

「了解」


 合図はそれだけ。

 短い会話が、約束の重さに足りる日が増えた。重さは拍で持ち替えられる。


***


 火曜。公園の池。

 ベンチは斜め。視線は水面。

 **“言わない自由”**の初回テスト。

 ルールは簡単。

 ——四拍だけ名前を呼んでいい。あとは“言わない”。


「ななせ」

「みなと」

 タ、タ、タ、タ。

 四拍が流れる。

 それから、黙る。

 言いたいことはいくらでもあるはずなのに、黙る。

 黙っている間、視線は水面に置く。波紋が生まれて、ほどけて、どこへも行かない。


 五分、十分。

 沈黙の終了条件は決めてある。今日は二度目の四拍。

 合図なしで、胸の中でタ、タ、タ、タ。

 同時に、隣で小さくページを閉じる音。

 終了。

 交わした言葉は名前だけ。

 それなのに、会ったことの面積は、思ったより広い。


 帰り道は反対側歩行。

 僕たちは何も言わない。

 でも、言わないの中に意志がある。

 言わないを、放置にしないための拍。

 沈黙の文法が、体に入ってくる。


 夜、**“言わないログ”**を壁に留める。

 〈日付:火/拍:四+四/見る先:水面〉

 記録は最小単位。やったことだけ。顔は写らない。


***


 水曜。

 進路面談のフォロー面談が全員に入った。先生が一言ずつ輪郭の調整をする日。

 僕の番の前、白波の席に保護者説明文のコピーが置かれている。端に「了解」の青い丸。

 輪郭は、今日のところ守られているらしい。胸の奥の何かが軽くなる。


「佐伯」

 呼ばれて、席を立つ。

 先生は書類をめくらず、机の上で指先だけ動かして言った。

 「“言わない自由”、導入したな」

 「はい」

 「難しいやつから先に行く」

 「拍があります」

 先生は微笑に見える角度で口元を動かす。

 「拍は教育の盲点だな。……保護者説明、もう一段丸くできるか?」

 「角が立たない言い換え、考えます」

 「数字は角に、言葉は輪郭に。——忘れるな」

 忘れない。つまら判の出番だ。


***


 木曜は無音日。

 呼鈴は鳴らない。

 まとめログを書く。


〈起床 6:30/朝食 バナナ+牛乳/自習 80分(英語)/裏返し 23:00/作業:保護者文の言い換え検討/心:“言わない”の中に余白があると、予定外は静かに育つ〉

 今日の一行:沈黙は関係の“共有財産”〉


 深夜、ポストに白紙のカード。

 裏に小さく〈白紙提出=成功〉。

 言わない自由 第3条が、静かに立ち上がる。


***


 金曜。

 “言わない自由”は早くも誤解を生んだ。「冷めた」「距離を置いた」——教室の隅で、単語がひとり歩きする。

 如月が肩をすくめる。

 「説明する?」

「しない。“言わない自由”は外へ“言わない”も含む」

「おお、宗派が深くなった」

 説明しない代わりに、壁に小さな紙を一枚増やす。

 〈“言わない自由”ログ:言葉0/拍8/見る先=空〉

 見えるものだけ。

 噂は繊細だ。**“わからない”と“悪い”**を短絡に繋ぎがちだ。

 間に、拍の一拍を挟んでやれば、短絡はほぐれる。


 放課後、扉越し一分。

 合図二回。返ってくる二回。

 白波の声は、輪郭が戻っている。


「土曜、行ける?」

「行ける。“言わない自由・外部環境版”のテストしよう」

「本屋?」

「美術館。視線の置き場所が過密にある」

「了解」


***


 土曜。市立美術館。

 集合は時間のみ。合図はなし。

 ホールの時計が14:00を指す時、僕らは別の入口から同時に入った。

 チケットの半券をもぎられ、足音が樹脂床の上できしむ。

 展示は抽象画が多い。

 視線の置き場所が、壁一面に無数。

 言わない自由を発動するのに、これ以上の環境はない。


 最初の部屋で、僕は青の平面の前に立ち、四拍だけ胸で数える。

 タ、タ、タ、タ。

 名前は呼ばない。

 隣の壁で、別の平面の前に立つ人影が視界の端をかすめる。

 言葉の代わりに、足の重心で拍を作る。

 シューズのソールが、わずかに床を押す。押して、戻す。

 拍のモールス。

 返ってくる、押しと戻し。

 会話じゃない。対話でもない。

 合流に近い。


 二部屋目。

 線が密に重なる作品の前で、白紙カードを一枚、壁際のベンチにそっと置く。

 〈白紙提出〉

 ——十分後、カードは裏返って戻ってきた。

 裏には拍子記号のような三本線。

 〈三拍〉

 沈黙の終了条件が、楽譜みたいに指定される。

 胸でタ、タ、タ。

 終わり。

 次へ進む。


 三部屋目。

 立体作品。金属が輪を重ねて、空間に拍を作っている。

 近づくほど、輪の影が床に落ちて、二重の拍になる。

 影の拍に合わせて、僕らは置かれた椅子に斜めに座る。

 口を開かない。

 それでも、同じ時間を、同じ密度で過ごせる。


 出口手前のラウンジで、**“言わないログ”**を記す。

 〈日付:土/拍:三・四・三/見る先:平面・線・輪〉

 係員の人が不思議そうに覗き込み、「新しい鑑賞法ですね」と笑った。

 「丸い武器で見てます」

 説明になってないけれど、敵意の角を落とすには十分だった。


 外に出ると、光が濃くて少しまぶしい。

 言わないの圧がほどけて、身体に空気が入る。


「よかった」

 白波が、言葉を少しだけ使って言う。

 **“よかった”**は、言わないの出口としてちょうどいい。

 僕もひとつだけ言う。

「戻れた」

 彼女は頷く。

 戻れるは、いつだって評価軸になる。


***


 日曜。

 無音日と**“言わない自由”**が重なる。

 呼鈴は鳴らない。

 まとめログだけが壁に増える。


〈無音日ログ+“言わない自由”拡張

 起床 6:40/朝食 パン・スープ/自習 70分(数学)/裏返し 22:30/作業:市報感想の返信(輪郭ことば)/心:言わないは減点ではなく仕様。

 今日の一行:話さないで守れる距離がある〉


 深夜、ポストに角丸付箋が一枚。

 〈残:58日/“言わない”が増えたぶん、“見る先”を増やす〉

 “見る先”のリストに新項目が追加されていた。

 「信号機の黄」。

 止まるでも、進むでもない。待つの色。

 待てるは、たぶん、終わりを設計した人の動詞だ。


***


 月曜。

 朝のHRで、市報が正式に掲示板に貼られた。

 輪の写真。棒の写真。QR。

 黒板の前で成宮先生が短く言う。

 「続きは、もう学校の実験じゃない。各自の生活でやれ」

 実験は終わった。

 生活が始まる。

 生活は、ラボより散らかっていて、だからこそ手順が効く。


 昼休み、如月がパンをもぐもぐしながら親指を立てる。

 「“言わない自由”ライブ、アンコールは?」

 「“言わない”の外に一行**。それだけ」

 「何て?」

 「“怖いを方法に”」

 「バンド名、やっぱりそれだわ」


 放課後、扉越し一分。

 合図二回。返ってくる二回。

 白波の声が、透明で、迷いが少ない。


「次の無音日、“黄信号”で終わらせよう」

「いい。待てるで終わる」

「待てるは続けられるの友だち」

「うん。続けるの敵は、たいてい焦り」

「焦りは、拍で割る」

「割り算、得意になった」


 付箋が滑る。

 〈火曜:黄信号/四拍→解散〉

 ロジックが軽く、でも抜けなく絡む。

 沈黙の文法は、いつの間にか母語みたいになってきた。


 夜、可視化シートの余白に二行。

 〈言わない自由=沈黙の所有権。

 拍があれば、沈黙は共有地になる〉

 角に小さく、残:57日。


***


 火曜。

 放課後の交差点。

 黄信号が点滅する。

 僕らは向かい側に立ち、四拍だけ胸で数える。

 タ、タ、タ、タ。

 それで、解散。

 言葉はない。

 でも、約束はある。

 怖いは、方法の中に置かれたままだ。


 呼鈴は鳴らさない。

 壁にはログだけが増える。

 写真のない写真は、今日も紙面の上で長生きを約束する。


 生活は手順。恋は予定外。

 予定外は、言わないに育てられて、拍で見守られている。

 僕らはその文法を、今日も一つだけ増やして、眠りについた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ