第1話
わたしの人生は恥ずかしいことにあまりうまくいっていなかった。だから、異世界転生に夢を見ていた。
俗に言えば陰キャでコミュ障なくせに下手に正義感の強い、例えば虫を乱暴に扱うのを注意したりした人間だった。学校でも職場でもよく陰口を叩かれたり濡れ衣を着せられたりしていた。ものがなくなるのは日常茶飯事、規則を守っていなかった相手を注意すれば規則を守っていたわたしが謝罪をさせられたことは数知れず。
そんなわたしは今日、死んだ。自殺ではない。数少ない友人に会うため夜の山道で車を走らせていたら熊にぶつかり、崖から落ちたのだ。
『虫が大好きなんだよな?おら!そこで死んでたムカデでちゅよ〜』
『……やめてください!』
『今回はおまえが悪いな、ほら、謝りなさい』
これは、悪夢だ
『おい!今日締め切りの書類が出てないぞ!』
『そんな、提出したはずです』
『クスクス……あいつの書類捨ててやったのよね、慌てふためく姿面白いわー』
もう、やめてくれ……
「うっ、ぐ、ハァ、あ……」
目を覚ますと、森の中にいた。見たことのない植物があちこちにある。周りがこれだけ見える今は、昼か。いやそれよりも。
「死んだはずでは……たしかにそう確信したというのに」
体中が痛いが、体表面だけの痛みだ。あちこち火傷をしている。車ごと崖から落ちたにしては奇妙な怪我の仕方だが助かったのか?車はどこだ?
左右を見ても愛車の姿は見えない。車が特別好きというわけではないが、理解者の少ないわたしは大きな愛着を抱いていた。
立ち上がると、頭の重みから自分の髪が長くなっていることに気がついた。
「なんでしょう、これ……」
触ってみると、まず全体的にとても毛が多く、後ろ髪の生え際は肩甲骨の上まで及んでいる。馬のたてがみのようだ。頭の上から側面までの毛は口の位置までの長さである。
前髪の中心は爆発したようにさらに毛が多い箇所となっている。そして肩にかかりそうな長いもみあげがある。
ワックスで固めてあるわけではなく、本当にこの癖がある髪のようだ。
他に身体の変化はない。顔を見ることはできないが歯並びに変化は感じられないし、服をめくれば自身の肋が浮き出たいつも通りの痩せた体があった。服はぼろぼろで、記憶の通りではなかった。外国の古いデザインに見える。
……いや、この服を着ていた?
さっき違和感のあった髪も、ずっとこうだった?それに特徴的だと思ったが珍しいものではない?
体中の怪我をただの傷じゃなく火傷だと分かっていたのはなぜ?
おかしい。記憶が2つある。前に見たヴォイニッチ手稿の内容を知っているというインターネット掲示板の書き込みと状況が似ている。2つの人生が融合したという感覚。
あの事例とは逆に、異世界側の肉体に現世の経験が足されている。残念だが我が車や友人とはもう二度と会えないことが確定した。目に涙が滲む。
なぜ人里離れた森にいるのか。記憶を整理してみたが、世界そのものについてから情報をまとめないと言葉にするのが難しい。
まずこの世界には魔法が存在する。そして魔法は主に魔力とスキルの合わせ技で発生するようだ。魔力は原料、スキルは加工担当である。魔力そのものを想像力で変化させることも可能なようだが、スキルのほうが効率はとても良い。
このスキルというのは生まれつき持っているものも、経験によって身につけることのできるものもある。そして稀に、偶然手に入る。この偶然手に入るスキルがわたしが人里離れた森にいることに絡んでいる。
こちらの世界のわたし、以下異世界のわたしはわたし、以下現世のわたしと同じように人との関わりがうまくない。加えてスキルを持っていなかった。
異世界ではスキルを持たないものは「無術者」と呼ばれ蔑まれている。異世界のわたしもその例に漏れず住んでいた街の職場でセオドアという名の貴族に嫌がらせを受けていた。そんな中、異世界のわたしは偶然スキルを授かる。