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ツーダウンツーアップ!

作者: 百日紅

 明るく栄えた街。人々の行き交う大通りの突き当たりにひっそりとその店はありました。看板もなく、呼び込みも居ません。ただ薄暗く湿った闇だけが客の後ろ髪を引いていました。


 闇に向かって歩く人間がいました。七尺ほどもある筋骨隆々な男です。ベルベットの短髪をワックスで固めた男の名を、ザタツ、といいました。


 ザタツはどうしても欲しかったのです。戦場で擦り切れたなけなしの良心は痛みましたが、それ以上に求めていました。

 家に帰ったとき、待っていてくれる人が欲しかった。

 無事に戻ったとき、おかえりと言ってくれる人が欲しかった。


 王宮騎士団、特攻隊隊長。聞こえはいいですが、戦場で最も死に近い肩書きでした。それは相手も、仲間も、自分も、同じことです。


 軋んで開いた扉の先は、ザタツが想像していたほど暗いものではありませんでした。天井から吊るされたオレンジ色の照明がぼんやりと店内を照らしています。薄暗くはありましたが、壁に沿うように並べられた品物が見えるほどでした。


「おや、珍しいお客さんだ。何をお求めで?」


 奥から鞭を手に出てきた店主が、手を拭いながら視線も交わさず言いました。


「…大人しく、従順なものを。小さい方が扱いやすいだろうか。」

「あぁ!それなら奥にいいのがいますよ。躾がまだだが…見ていきますか?」


 ザタツは、お客さんは特別だ、なんて店主が言った気狂いの言葉に頷いて温かみのある木造りから石畳に変わる地下への階段を進みました。持たされた蝋燭の光が壁を舐めるのが気持ち悪くてしかたありませんでした。


「これです。近頃仕入れたエルフの雄です。雄ですが、見目はいいでしょう?」

「エルフ?エルフは雄だけではないのか?」

「それが、これは随分と見目がいいからとっておいたんですよ。だが雄となると売れ残っちまうんでね。どうです?躾はまだですが、お客さんが買うならあんたがやったっていい。」


 ザタツは深く理解しないまま、店主に手渡された鞭を握りました。試してからでいい、と店主は足早に階段を登って行ってしまいます。ザタツは握らされた鞭と紹介されたエルフをただ見つめました。


 地下牢の扉は石の床と擦れてぎりぎり音を立てながら閉まります。ビクンと大きく反応して頭を抱えて蹲ったそれの頭から人間よりも大きく、尖った耳が見えました。ザタツが一歩近付くと、大袈裟なまでに飛び上がって逃げようとし、首輪の鎖に引っ張られてべちゃんと倒れてしまいました。


「や、やだ、ごめんなさいっ、痛いの、痛いのはやだぁ…」


そのエルフの蜂蜜色の髪は薄汚れていて、手足も枯れ枝のように細いのです。どうして繋がれているのか、鎖の存在意義が問われるほどでした。ぼたぼた床を濡らす水を落とした月の目は、明らかに人間とは違うものです。


「ザタツ。」


体を震わせたエルフがザタツを見上げました。


「俺の名だ。好きに呼んでくれて構わない。お前は。」

「うあ、えと、ホツレバ、です…」


戸惑っているのか、ホツレバは目線をあっちこっちへと忙しそうです。折れそうなほど細い腕を更にきつく握るのを見ていられず、ザタツはホツレバを無理矢理抱き上げました。


「え、え、」

「怖がらなくていい。」


 必死に服にしがみつくホツレバを片腕に、空いたもう片方の手に蝋燭を持ちます。溶けた蝋の量がホツレバと会話をするまでにかかった時間を雄弁に物語っていました。


 地下牢から戻ると、店主は別の客の相手をしていました。貴族でしょうか、随分といい服を着た子どもでした。


「店主。」


 一言声をかけると、店主は客と一言二言話した後に近寄ってきました。


「お客様、お決まりで?」

「あぁ、これを買いたい。」

「それは特別だから…ざっと300ゴールドだ。」


 きゅっと服に皺がよりました。ザタツはどうしたものかとホツレバを見ます。エルフにとって生き物をゴールドで取引するのは禁忌だったか、その対象が自身であるならば、更に恐ろしいに違いない、そう考えながらも言われた分のゴールドをカウンターに置くと、店主は機嫌良さげに硬貨を数え始めました。


「あぁ、ピッタリ300ゴールドだ。しかと受け取った。」

「…機嫌が良さそうだが、良いことでもあったのか。」

「そうだ、さっき売れ残りがようやっと売れたんだよ。買い手の坊っちゃんも真面目そうだった。処分なんてことにならなくてよかったよ。」

「そうか。ところで、これに服を買ってやりたいのだが、この辺りに店はあるか?初めてなもので、あまり詳しくないんだ。」

「あぁ、それなら。ちょうど大通りに派手に構えた店がある。そこで買うといい。」


 そこまで言うと、店主はホツレバの顔を覗き込みました。


「あんたが買ったんだ。責任もって飼えよ。」


 脅しのつもりか、低い声で言われた言葉に頷いて店を出ます。あの店主も生きにくいものです。こんな商売を生業として、品物を厳しく躾けるくせに、品物に対する愛はあるというのですから。面倒な男だ、ザタツがあの店主に思ったことはそるだけでした。


 勧められた店はザタツが想像していたよりも10倍は派手な店でした。色とりどりの衣装を着たトルソー代わりの首輪付きが楽しそうに遊び回っています。かわいいが詰め込まれたファンシーな空間で、ザタツとホツレバだけが異様に浮いていました。片や奴隷、片や鎧の大男、浮かないほうがおかしいというものです。やることがわからずただそこに立っているとザタツに気付いたのか、店員が愛想よく近付いてきました。


「新しいお洋服をお求めですかぁ?」


 ころころとそう言われて、ザタツは困惑しながも頷きました。


「ではぁ、ここに入れてあげてくださぁい。」


 店員が手を叩くと、ガラス製の水槽に取手をつけたような荷車を首輪付きが押してきました。その荷車すらレースやらフリルやらでゴテゴテに飾られています。これが…ゆめかわというものか…。ザタツの思考は既に宇宙へ飛んでいました。


 言われた通り入れようと屈むと、ホツレバがぷらんと宙に浮きました。ザタツは焦りましたが、店員はそれを見てあらぁ、なんて口元の笑みを手で隠しました。


「離れるのが嫌なんですねぇ。随分懐いてますよぉ。手を繋いで入っていただいても大丈夫ですよぉ。」

「…ホツレバ、怖いことはないはずだ…」

「サイズはかるだけですよぉ。大丈夫ですってぇ。」

「や、いやです、いや。」


 頑なにガラスに足をつけないホツレバをどうにか宥めてガラス製の水槽に入れます。結局ホツレバはザタツの腕にしがみついたままで測定を始めました。店員がガラス越しにメジャーを当てていきます。


「お客様のお洋服のサイズはおいくつですかぁ?」

「俺はXXLだ。ホツレバ、動いては測るものも測れないぞ。」

「この子は大体XSですねぇ。はぁい、もう大丈夫ですよぉ。」


 店員がそう言った途端、ホツレバはザタツの腕をよじ登るようにして元の位置に収まりました。人間のものより大きな耳がピルピルと震えています。


「…頑張ったな。」

「う、うぅ…」


 頭を潰さないよう気を付けながら撫でてやれば、ホツレバはすりすりと手に頭を擦り付けます。


「XSのお洋服はこちらですぅ。お好きなものをお選びくださぁい。」


 店員が持ってきたのは派手なランジェリーやフリルだらけのネグリジェやら、とにかくかわいいものばかりでした。ザタツはそれをつまみあげ、ホツレバを見ます。ホツレバはザタツの胸に顔を埋めて見もしないものですから、適当にいくつか選んで買いました。多少値は張りますが、財布が傷む様子は見られませんでした。


 服を着せてやり、ベッドに潜ればホツレバは少し慣れたようで、ザタツの胸に顔を擦り付けました。


「ご主人様、寒い、です。」

「あぁ、寒いな。」





 一緒に風呂に入って、食事をする。王宮から戻れば出迎えてくれる。ホツレバは相変わらず話すのが下手でしたが、3年も続けていれば、ある程度話せるようになってきました。怯えてばかりだったホツレバも笑顔が増えて、明日の話をするようになりました。ザタツはホツレバに影響されてしまったのです。


 いつからか。明日を疑うことを忘れてしまっていたのでした。


 [[rb:隣国に攻め入る > ・・・・・・・]]


 王の言葉を聞いて初めて、ザタツは自分が平和というものに慣れてしまったことに気づきました。いつも通りにドアから顔を出したホツレバの姿が酷く遠いものに思えました。とはいえ、作戦決行は今夜から。ホツレバにも伝えなくてはなりません。


「…ホツレバ。」

「?」


 きょとん、と首を傾げたホツレバに、ザタツは思わず言うのを躊躇いました。言わなくてはなりません。これが最後になるかもしれないのですから。


「ホツレバ、俺は戦争にいく。俺が死んだのなら近衛兵が来る。その指示に従うといい。」

「え、あ。戦争?やだ、嫌です。ねぇご主人様っ行かないでっ。」


 ザタツはフォークを投げ捨てて猫のように纏わりついたホツレバをそのまま抱き上げました。まるでホツレバを買ったあの時のよう。喚いて、泣き叫ぶホツレバをそのままにベッド近くの1枚だけ色の違う床板を思い切り踏み付けました。物々しい音を立てて、隠し階段が姿を現します。あぁ、あの時の逆再生みたいだ、ザタツは胸の内がじんわり冷えるのを感じて、危機感を覚えました。


 戦争です。それも、今まで経験したことがないほどの大規模な。あの店は無事でいられるでしょうか。商品たちも、戦争の余波にやられてしまうのでしょうか。ホツレバが腕の中で暴れています。きっとわかっているのでしょう。ザタツは到底理解し得ないものですが。顔をまともに見ることもせずに抱きしめる力を強くします。


 最大限、生きることのできる環境を整えました。石畳の床も、鉄の檻も、コンクリートの壁も、なるべく隠しました。部屋になるべく近付けること。ザタツにできる最大の配慮でした。食料も水も蓄えています。自室よりかは小さいベッドにホツレバを繋げました。どうしてでしょう、目が熱を持つのです。


「やだぁっやだっ!ご主人様!なんでっ!」


 頬が熱を持っています。ホツレバが魔法でも使ったのか、目の前がぐにゃぐにゃと形を保ちません。かつてザタツが身を守るために戦場で捨てたものでした。捨てたはずのものでした。


「待って!おいていかないで!なんでっやだぁ!」


 事務的に扉を閉めて、鍵をかけました。弱く扉が震えています。


「ずっと…いてくれるんじゃないんですかぁ…」


 拾ってしまいました。約束はしない主義でした。守れないことの方が多いものですから。でも、どうにも、無視ができなくて。


「…ホツレバ。帰ってきたら、お前の料理が食べたい。」


 まったくつまらない口約束です。生きて帰れると決まったわけでもないのに。


「…練習。してますね。」


 ホツレバの笑顔は扉に遮られて見えません。ザタツは寒い。寒いのです。ホツレバというあたたかさに触れた分、ザタツが身にまとった鉄の鎧は氷のように冷たいものでした。






 どれだけ時間が経ったでしょうか。ホツレバは、ただ彼、ザタツが食べたいと言ったから、音のないこの部屋で木の実を切っていました。いつ頃だか聞こえていた破壊音もすっかり収まって、まるで戦争なんてなかったみたいに子どもの声が聞こえます。


 その日もホツレバはいつも通りに木の実を持ちました。その時です。鍵のかかっていた扉が、何者かによって蹴り開けられたのです。ザタツとは違う色の鎧。顔まですっかり隠された男の姿に、ザタツの言葉がぼんやり浮かびました。


 あぁ、まさか。そんなはずは。


「王宮近衛兵、セネテェだ。ザタツ特攻隊隊長は戦没なされた。よって王の命令に従い、ホツレバの奴隷身分を取り消す。」


 セネテェはホツレバを見もせずに言います。ぽん、とホツレバの頭の中で何かが弾けました。目の前でセネテェと名乗った男の話なんて耳に入っては出て行くだけです。ホツレバにはもう何も聞こえていませんでした。ぐるぐると頭を占めるのは、約束を守ってくれなかった、それだけです。その約束に縋って生きてきたホツレバにとってそれはかつてエルフの村を焼かれたことと同義でした。


 首輪を取り上げられて街に放り出されたとき、ホツレバはようやくこれを現実だと認識しました。セネテェは既に去ってしまって、楽しげな声が飛び交う街の中で、ホツレバの時間だけが止まっていました。その時聞こえた声にばっと振り返ります。背の高いローブを着た男が行商人からドリンクを買っています。


「あ、これいくらだ?」

「10ゴールドだ。払えるか?」

「払えなかったら飲んでないさ。」


 男の動きが止まりました。大きく見開かれた三白眼がホツレバを捉えています。


「あーっと。僕、迷子かい?」

「っあ。」


 ホツレバの手が男のローブを握ってしまっていたのです。あぁ、彼は違う。ザタツは話すのがもっと遅かったし、こんなに綺麗に笑えないのですから。ホツレバが震える手でローブを離すと、男は困ったように言いました。


「あー、参ったな。1つ前の戦争で死んじまったのか?そうだ、街の外れにある教会。大切な人と再会できるんだとか。対価は大きいらしいが…。」


 ホツレバは一も二もなくその話に飛びつきました。そんな夢のような話があるのなら、行かないわけには行きません。


 男に言われた道を辿り、周り一面を木に囲まれた頃、石造りの教会がしんと建っていました。怖い。ホツレバは足の先からぶるりと身震いしました。でも、ここでザタツに会えるなら。いつの間にかホツレバの頭から恐怖はスッポ抜けていました。


 いざ、と扉を開けようとしたとき。


「新しい信者の方ですか…?」


 後ろからかけられた声にホツレバの体はびくんと跳ねましました。見てみれば、黒い神父服の男がこちらを見つめているではありませんか。神父の目は黒いレースに覆われてホツレバをどう見ているのかはわかりません。ホツレバは男の問いかけに慌てて首を振りました。


「ちっ違います…!大切な人と、もう一度会えると聞いたんです…」


 それを聞いた神父はあぁ、と1つ頷いて、ホツレバに奥に入るよう促しました。地下への階段を進む間、神父はホツレバに願い事の対価について語り始めました。


「無償で願い事が叶うわけではありません…前回のお客様は腕を捧げていかれました…」

「う、腕ですか…?ホツレバに捧げられるものはこの身しか…」

「身体全てを?御冗談を。わたくしはまだ、王宮に睨まれたくはありません…」


 こつん、神父が蝋燭を壁にかけると、そのままホツレバを振り返りました。


「おそらく、お客様がお望みの再会は両腕両足で足りるでしょう…」


 ホツレバは思わず自身の腕と足に目を落とします。自由になるため、逃げるために大切だった足。ザタツに料理を振る舞うための腕。ぐらりと天秤が傾いて、ホツレバは神父の言葉に頷きました。


「おっお願い、します…!」


 ホツレバの腕の付け根に斧が振り落とされました。3回繰り返された行為の後に悲鳴をあげるホツレバを見もせずに、神父は腕と足をもって奥にすっ込んでしまいました。ホツレバの目の前に祭壇を運んできた神父は祭壇に腕と足を乗せ、古い書物を開きました。


 神父が文字を読み上げると、ホツレバの腕足と共に祭壇がどろりと溶けました。立ち昇った煙は影となり、段々とその形を造り始めます。


「ぁ、ご主人、様…」


 形が出来上がったとき、ホツレバは床に伏せたまま目を見開きました。あれは本当にザタツなのか、だって、だって。彼の頭は…


「あぁ!成功だ!こんなに上手くいくなんて…!頭が潰れているのは御愛嬌ですね、仕方ありません。投石か何かで死んだんでしょう。さぁお客様、望んだ再会ですよ。」


 ホツレバは必死に顔を上げて[[rb:それ > ・・]]を目に入れました。


「あ"」


 影から発された声は確かにザタツのものでした。ザタツの身体がぐらりと揺れ、ホツレバの前に倒れます。神父は既に居らず、互いのか細い呼吸音が響くだけでした。


「ご主人様。」


 ホツレバはやっとの思いで話しかけました。声を出すにも辛かったのです。


「ご主人様、ホツレバは、ホツレバは料理が上手になりましたよ。走れるようにもなりました。…ご主人様。寒い、です。」


 ザタツの顔は見えません。


「あ"ぁ…寒い…寒い、なぁ"…」


 教会の地下室で、誰も知らぬ間に人間とエルフの式が挙がりました。祝う者などなく、二人だけの。





 光が降り注ぐ森の中に、1つ人影が揺れています。樹の下で花を摘んでいた彼は奥からの呼びかけに大きく返事をしました。花も、草もすり抜けて走ります。頭に傷のない彼の胸に飛び込んで、彼はころころ笑いました。難なく受け止めた彼はまんまるな頭をさらりと撫でて、自然に手を繋ぎました。


 草も、花も、風も、動物も。彼らを通り抜けて生きます。



 草原に、足跡は残っていませんでした。



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