目の保養どころではない体育の授業
「皆さん、まずは改めて入学おめでとうございます。皆さんの教育プランについてお話します。」
クロエが低い声で静かに語り始める。教室内には徐々に緊張感が漂い始めた。
「皆さんは6属性、もしくはまだ能力が未定の方もいます。」
「6属性にはよくあることなので気にしないでください。」
悪魔クロエの属性講義が始まった。彼の言葉には、どこか冷たい響きがある。
「まず、あなた達に残念なお知らせです。6属性は基本的に代償を必要とする能力です。代償の大きさは多少コントロールが出来ますが、代償を払うのが当たり前の能力です。主にはあなた方の寿命、生命力といったものを支払い、ユニークかつ強力な能力を発現するものです。」
一瞬、教室内の空気が変わる。その事実の重さが生徒たちの心にのしかかったのが分かった。
「イリスさんはもう既に自身の能力を把握し、扱うことも出来るでしょうね。」
クロエがちらりとイリスに目をやる。彼女は軽くうなずいてみせた。
「ですが、たとえ強力であっても、弱肉強食の塔に入ってしまえば、直ぐに能力を使いすぎて死ぬのがオチです。」
「そんなあなた達には固有能力を使わず闘う術、護身術とでも言いましょうか。近接戦闘のプロになっていただきます。」
「幸い皆さんは6属性なのに魔力量も多く、戦闘向きです。」
「なので今後の方針は、近接戦闘訓練と精神を安定させる術、のみを当分は行います。」
クロエの話を聞きながら、私は覚悟を決めるしかなかった。間違いなく、これからの訓練は地獄の日々になる。
「では初めにウォーミングアップです。」
クロエが軽く手を振ると、訓練室の壁が一気に広がり、部屋全体が何倍にも拡張された。
「50周、この部屋を走ってください。出来る者は魔力を纏って行ってください。」
「まてまてまて、魔力を纏う?そんなの習ってないだろ!」
驚きつつも、私はとりあえず走り出した。
**魔力を纏う?**
頭の中で何度もその言葉が反響する。どうやってやるのか分からないまま、私は走り続けた。
周囲を見渡すと、マナエリアを展開しているイリスと、まったく魔力を外に出していないエリーが目に入る。どちらが正解なのだろうかと考えていると、突然背後から強烈な衝撃が襲った。
「痛っ!」
振り返ると、クロエが淡々と言い放つ。
「考え事をしている暇があれば、実践しなさい。」
クロエの言葉に、私はようやく理解した。
**魔力を纏うというのは、体外ではなく体内で魔力を循環させることではないか?**
マナエリアの広げ方ではなく、逆に内側に収束させ、細やかにコントロールすることだ。
呼吸を整えながら、私は試してみる。自分の鼓動、呼吸、筋肉の動きに意識を向け、体内の部位を魔力で包み込むようなイメージだ。すると次第に、荒れていた呼吸が落ち着いていく。
「ハハッ、楽しいじゃん。」
思わず笑みがこぼれる。自分自身を完全にコントロールしている感覚。それはまるで自分が少しだけ超越的な存在になったような錯覚すら与える。
気が付けば、私は50周を息切れもせずに走り切っていた。
エリーは私より少し早くゴールしていたが、イリスは未だに走り続けている。彼女のマナエリアは広いが、どこか不安定で、以前の私と同じように見えた。
一方で、エリーは明らかに自分の体内を意識してコントロールしている。マナエリアはほとんど展開していないが、逆にそれが彼女の高度な技術を示しているように思えた。
「お二人のウォーミングアップはこの辺で良いでしょう。次は腕立て伏せの腕を曲げた状態で私が『良い』というまでキープしてください。もちろん、魔力は使っていいです。」
クロエが淡々と告げる。まるで当たり前のことを言っているかのように無表情だ。言い残すと、彼はまたイリスを魔力で叩く作業に戻っていった。
「魔力を使わないと30秒も持たないぞ……」
私は心の中で呟きながら腕を曲げ、指示通りの姿勢をキープする。幸いなことに、予想以上の時間耐えられているものの、少しでもフォームを崩すと背後からクロエの鉄拳が飛んでくる。
「イタッ!」
まるで背中に目でも付いているような正確さだ。この監視から逃れる術はなく、私はただ耐え続けた。
隣を見るとエリーもまた苦しそうな表情を浮かべながらも耐えている。限界はすぐそこだ。それでも、なんとか踏みとどまっていたその瞬間、ようやくイリスのウォーミングアップが終わった。
「では、イリスさんも同じ姿勢をキープしてください。」
イリスは息を整える間もなく腕立て伏せの姿勢を取り、必死にキープしようとする。しかし、彼女の腕は10秒も持たず地面にへたり込む。
容赦なくクロエの鉄拳がイリスを吹っ飛ばす。
「イリスさん、私は『休んでいい』など言っていませんよ。」
どこまでもドSなクロエの真骨頂だ。性別に関係なく、等しく鉄拳を食らわせるその姿勢には、ある意味で男女平等を感じさせられる。
「そこまで。次はスクワットの曲げた状態をキープです。」
一同、目を見開く。全員の体力は底をついている。それでもクロエに逆らえず、私たちはスパルタ教育に従うしかなかった。
「先生、メニューはこれで終わりでしょうか? 全員限界がきています。」
勇気を出して質問をしてみる。クロエはきょとんとした表情を浮かべた後、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「スクワットが終われば次は魔力を使わずに同じことを行います。」
驚愕。一同の間から弱音と愚痴が漏れる。それでも、クロエが冷たく一言告げるだけで全員が口をつぐんだ。
「もっとしたいですか?」
その一言に、全員が観念したように黙り込み、諦めた表情で訓練を再開する。初日からこれでは持たない――そう全員が感じていただろう。
***
「お疲れさまでした。皆さん、食堂で好きなだけご飯を食べて今日は休んでください。」
トレーニングが終わると同時にクロエが放ったその言葉に、一同は一瞬だけ救われたような気分になる。特にエリーとイリスは疲労を忘れたかのように笑顔を浮かべ、修練室を飛び出していった。
一方で、私は足が燃えているような感覚と小鹿のように震える足並みで、修練室を後にするしかなかった。
部屋を出るとき、先ほど冷たく告げられた言葉が頭をよぎった。
「死にたくなければ、最低この程度は毎日鍛えてください。」
私たちが完全に諦めかけたタイミングで放たれたその言葉は、私たちがこのままでは塔に挑むどころか生き残ることすらできないと言わんばかりの冷たい響きだった。それだけが、頭の中に残っていた。