地獄に舞い降りた天使
次の日の朝、ノースフェイスのカバンだけ置かれた状態でノースフェイスちゃんとのりおの姿がなかった。友花莉は二人の名前を呼びながら部屋を見渡した。カバンを見ると、昨日用意したであろう教科書や辞書が綺麗に整理された状態で入れられていた。でも、昨日まで二人は余計なものばかりを入れていたイメージだった。どちらにしろ二人の姿がない。まさか、昨日の浮かれ方からして、荷物を丸々置いて行ってしまったのか?友花莉はそう思いながら、自分の体の三分の一を占める大きさのカバンを背負って学校へ出かけることにした。急いで着替えて、スケッチブックをカバンに詰めると、いつも通り母親に朝の挨拶をして、友花莉は家を飛び出して行った。母親はあまりに一瞬の出来事に理解が追いついていない様子だったが、そんなことを友花莉は気にしている場合ではなかった。友花莉は自転車に乗り込んだ時、気がついた。
「あの子どうやって行ったんだろう?」彼女には交通手段がなかったのだ。今ここに自転車があるならば、歩いて行ったのかもしれない。友花莉はいろんな可能性を考えた。そもそもノースフェイスちゃんって言う人物が存在していなくて、友花莉の頭の中で起きている想像に過ぎないのかもしれないとまで思った。でも、だとしたら昨日の出来事も夢になってしまう。友花莉はとりあえず考えることを放棄し、学校へ向かうことだけを考えた。学校までの道のり、友花莉は何度か引き返すことも考えた。ノースフェイスちゃんがいないのなら、別に学校に行く必要がなかったからだ。ただマンガのネタ作りの参考にする必要はあっただけで、学校に行くことは重要ではないと考えていた。だがしかし、不思議と今日は引き返すという行動には至らず、淡白な雰囲気のまま学校を目指していた。学校に近づくと学生の群れが現れ始めた。この辺りからようやく引き返したいと言う気持ちが現れ始めていた。だがここまできてしまった以上、帰るのもしゃくだ。友花莉はそのまま校門をくぐり、自転車置き場に自転車を停めた。ここまでの道のりのお供にノースフェイスはなかなか重たかった。友花莉は大きなノースフェイスをどうにか背負うと、教室へと向かった。その道中はかなり気持ち的に億劫だった。それにだんだんと友花莉の中で、一昨日の学校での出来事が蘇ってきていた。友花莉は急遽、トイレに駆け込んだ。もうダメだ。マンガは最悪な学校という地獄に舞い降りた天使の物語にして、この地獄から手遅れになる前に抜け出そうと思った。
「あ、いたいたー。遅いよぉ〜。」友花莉は個室の上を見上げた。すると、どうやってか分からないが、ノースフェイスちゃんの笑顔が見えた。のりおも手を振っていた。友花莉は天からのお迎えが来たのかと思った。
「何でこんなところにいるの?早く教室行こうよ。」のりおもよく分からない暴れ方で急かしているようだった。友花莉が渋々個室の扉を開けると、ノースフェイスちゃんはノースフェイスのカバンを渡してほしいと言わんばかりに、両手を前に出した。友花莉はカバンのベルト部分を向けて持ってあげると、嬉しそうに小刻みに跳ねながら、片腕ずつベルトに通した。
「ほら、行くよ!」ノースフェイスちゃんはそう言うと、小動物のように跳ねながら教室へ向かって行った。友花莉は小さくため息をつきながら渋々トイレを出て、すぐ廊下を曲がり教室へ入っていくと、ノースフェイスちゃんはすで自分の席に座っていた。それは友花莉の後ろの席だった。友花莉は不思議に思った。なぜなら、友花莉の席は一番後ろのはずだった。だが宮城も、一個前の席に座っていた。ノースフェイスちゃん用の特別席?友花莉はますます頭が追いついていなかった。始業のチャイムが学校中に響き渡り、しばらくしてから大久保が元気よくガニ股で教室に入ってきた。
「おはよう。席につけみんな。」大久保はすぐに友花莉を見つけ、表情筋が上に上がった。
「廣坂!元気になったか!」
「あっはい。おかげさまで。」クラスメイトたちも嬉しそうな表情でこちらを見ているように見えた。だが、それよりも友花莉は自分の後ろが気になった。誰もノースフェイスちゃんについて言及しなかったのだ。一方のノースフェイスちゃんも、何事もなく先生の話を楽しそうに聞いていた。そんなことを考えているうちに朝のホームルームも終わり、一時間目の前の休み時間になった。
「ねぇ、先生はあなたのこと知ってるの?」
「うん。」ノースフェイスちゃんは当たり前のように頷いた。
「じゃあ、他のみんなも?」
「もちろん、なんで?」
「いや、だって・・・。」友花莉が何か言いかけた時、ノースフェイスちゃんが反対側にいる女子のカバンにつけているキーホルダーに目を向けていることに気がついた。
「ねぇ、それってもしかして・・・。」友花莉も見たことがあった。友花莉が小学生の時に流行っていたキャラクターだった。ノースフェイスちゃんと話しかけられた女子が後ろでガールズトークに花を咲かせている中、友花莉はスケッチブックを開いて、せっせとマンガを描いていた。今日から学校でのたわいのない出来事も気になれば、スケッチブックに描いて、そこから何か生まれるのを願った。そうすれば今のこの時間も無駄ではない。時間が進むにつれて、友花莉はどんどんとアイディアが浮かんできた。それをどんどんスケッチブックにおこす。
悪くないかもしれない。そしてノースフェイスちゃんはというと、気が付けばどんどんと輪が広がっていき、その中心で楽しそうに話をしていた。友花莉は、少しほっとしていた。ノースフェイスちゃんのおかげで、私はいろんな質問攻めに遭うこともなく、漫画に集中できた。だが、何か自分の中で変な感情が芽生えていた。詳しくは分からないけど、ただずっとざわついている感じがした。その時、急に後ろから肩を叩かれ、条件反射的に勢いよく振り返った。
「ねぇ、友花莉は何部に入るの?」
「え?私?」
「そう、テニスとかバドミントンやってたんでしょ?運動が得意ならやっぱり運動部?でも友花莉は絵も描けるし文化部もいいよね。」友花莉は、なぜそんなことをノースフェイスちゃんが聞くのか、分からなかった。「はぁ。迷っちゃうねぇ。」なぜかノースフェイスちゃんは嬉しそうだった。「ねぇねぇ、今日放課後、部活の見学に行かない?」もちろん友花莉は乗り気じゃなかった。そもそもあと半年もしないうちに、引退するのになぜ部活を選ばなくちゃいけないのか正直分からなかった。すると周りからノースフェイスちゃんの入部を望む声がき聞こえてきた。男子からもマネージャーとしての入部を求める声もあった。これはノースフェイスちゃんの保護者として行かない選択肢はなかった。
「行ってもいいけど、どこ行くの?」
「友花莉が行きたいところで良いよ?」
「いやだったら、行かないよ。私、別に部活入るつもりないし。そもそも運動とか好きじゃないし。」
「でも、足早かったじゃん。中学の時の体育祭のリレーで・・・。」
「分かった、分かった。じゃあ校庭ちょっと見て帰ろ。どうせ入部届出すのは、一週間後だし。」友花莉の額に一滴の汗が、勢いよく流れた。友花莉の慌てぶりを見て、ノースフェイスちゃんもこれ以上話を続けるのをやめた。その後もノースフェイスちゃんは、いろんな部活の勧誘を受けていた。
「私はお呼びじゃないってことね。」友花莉はつぶやいた。するととなりから声がした。
「へ?」声の主が宮城であることはかろうじて分かったが、教室の雑踏でなんて言っているか分からなかった。すると宮城はため息混じりの声で、再度言い直した。
「マンガ研究部。」宮城はこっちを向いているわけではなかった。友花莉とノースフェイスちゃんは不思議そうな顔で宮城を眺めた。そこの三人の間では、何とも気まずい空気が流れてしまった。それに居た堪れなくなったのは、当の本人だった。
「マンガ描いてるから興味あるかなぁ?と思って。」
「ありがとう。」友花莉は笑顔で返した。
「なんか宮城君って可愛いところあるわね。」ノースフェイスちゃんが、耳打ちすると再び始業のチャイムが、学校中に鳴り響いた。