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私の中のヒーロー  作者: マフィン
ノースフェイスとぬいぐるみ
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小さな物音

空腹の反動で友花莉は食べ過ぎてしまい、歩いてトイレに行くのもままならないほど、お腹がはち切れそうだった。華奢で細いお腹はさっき食べた分量だけ大きくなっていたが、友花莉はあまり気にしてはいなかった。何せこの後、こんなんじゃ足りないくらいエネルギーを使うつもりだったからだ。嫌いなお風呂と歯磨きをささっと終わらせると、自分の部屋で、唯一荷出しを終えている机の前に腰掛けた。そして先ほどとは別の大きな原画の用紙を広げ、さっそうと絵を描き始めた。明日は新学期初日だが、友花莉はそのさらに先に待つ、輝かしい未来に向かっていた。すると開けっぱなしの部屋のドアから母親が、大きなカゴを持って入ってきた。

 「友花莉。洗濯物はある?」

 「ううん。今のところは大丈夫。ありがとう。」友花莉が机から視線を外すことはなかった。

 「どう?順調?」母親は、扉から部屋に入らずに聞いた。

 「うん、ある程度キャラクターが決まってきたから、結構シナリオが・・・。」友花莉は大きなため息をつくと、強がるのをやめた。

「ダメ。全然ダメ。なんで私ってこんなダメなんだろう?どうしてこんなに才能がないんだろう?」

 「そんなことないって。あんな絵が描けるなんて。私からしたら羨ましいけど。私、絵なんか全く描けないし。」

 「いやもし才能があるなら、もっとちゃんと描けてるし。」

 「まだ時間はあるんだし、ゆっくり考えたら?」友花莉はようやく目線を外して、母親の方へ振り向いた。

 「ねぇ、ママ。もし私があの編集社に行けなくなったらどうしよう?」友花莉の目には、微かに涙が浮かんでいた。

 「大丈夫。友花莉ならできるって。」その瞬間、急に友花莉がえずき始めた。

 「大丈夫?」そう言いながら、母親は慣れた手つきで友花莉の背中全体を大きく摩った。

 「薬は?」

 「忘れてた・・・。あそこの巾着袋に入ってる。」友花莉の途切れ途切れ発せられる情報を頼りに、友花莉のお気に入りの巾着の中にあった薬を渡した。

 「ありがとう。」友花莉はそれを、水もなく飲んだ。

 「明日も早いんだから、今日のところは寝なさいよ。」

 「わかった。まだとりあえず無理だから、落ち着いたら寝るわ。」友花莉はそう言いながら机に向かい、粗い呼吸を整えながら再び絵を描き始めた。友花莉はどんなことがあっても、絵を描いている時だけは、無条件に集中できた。キャラクターの細かい設定やそれに付随した表情や動きを描いていると、現実逃避できるのだ。それに描いているキャラクターたちは、絶対に自分を裏切ることはなかったし、思うままに動いてくれる。友花莉は、その快感を満喫していた。次第に呼吸も整ってきて、だいぶ落ちついてきた。時計を見るともうすぐ真夜中だった。明日は朝早いし、慣れない環境というところからも、早く寝なければならないのは分かっていた。しかし、正直なところ友花莉は、行き詰まっていた。シナリオが全く浮かんでこないのだ。そういう時ほど、床についても眠りにつけないことは、分かっていた。友花莉の頭の中では、アイディアがまるでイワシに大群のように、大量にひしめき合っていた。ゾウのぬいぐるみが動くのはおもしろいし、主人公のアンバランス感も良い感じ。だが、友花莉がいま挑んでいる課題は漫画。絵を描くだけではなく、そのキャラクターに命を吹き込み、物語を綴らなければならない。それが編集社からの条件だった。友花莉は編集社の専属の漫画家としての仕事、漫画家とは言っても、その会社の何かイベントや宣伝用の絵を描く仕事を既に確約してもらっていた。ただし、その条件として今説明した事と、もう一つが、高校を卒業すること。これが出版社が友花莉に課した就職の条件だった。どちらも友花莉にとって、かなり厳しい挑戦ではあった。だが、自分の好きな事で食べていけるチャンスを逃したら、今後、なにを糧に生きていけば良いのか分からなくなってしまいそうだった。とりあえず友花莉は、キャラクターたちを自由に描き、絵コンテをいっぱい描くことにした。特にゾウののりおの絵コンテは、かなり筆を捗らせた。あまりの可愛さに、この生き物が実際に存在したら、どんなに人生が楽しくなるか想像した。

しばらくして、次第に睡魔が襲ってき始め、意識が朦朧とし始めた。いよいよ、明日が訪れようとしていた。友花莉は襲ってくる睡魔と、必死に争っていた。その時、ドアノブが音を立てた。

 「友花莉、まだやってるの?早く寝なさい。」母親の言うことは絶対だった。

 「ごめん、おやすみ。」友花莉は戦いに終止符を打ち、急いで電気を消して、床についた。だが、部屋を暗くしても、目を閉じても、漫画のことや明日の新学期のことが、頭の中でまるで夏の小さい蚊の群れみたいに飛び回っていた。

 「ダメだ。」友花莉は布団から起き上がった。いろんなことを考え過ぎて、眠れなかった。もしかしたら、新居の匂いが合わないのかもしれない。その時、微かに机で物音が聞こえた。

 「なに?」友花莉は声で威嚇した。部屋は真っ暗だったが、外の街灯の光のおかげで、ぼんやりと部屋を見ることができた。しかし、机の付近には何もいなかった。けれども、部屋を見渡すと荷出ししていない荷物が散財しており、どれが物音の正体でもおかしくはなかった。友花莉は少し怖くなった。そしてこれは逆に、寝てしまった方が、恐怖心から解放されるのではないか考えてみた。すると吉か凶か、みるみるうちにいろんな心配事がシャボン玉のように弾けていき、頭の中は今の物音一色になってしまった。友花莉はかけ布団を深く被り、目を閉じて明日が来るのを待った。だがしかし今度は、明らかに机から、色鉛筆が動く音が聞こえた。友花莉は、なんの音かもはっきり分かってしまった自分を恨んだ。隙間風?だが残念ながら、隙間風ひとつないほど暖かい空間だった。それにそもそも、隙間風ごときで色鉛筆など動くわけがなかった。そう、つまり絶対に何かが原因で、机の上の色鉛筆が動いたのは間違いない。この世で最も恐ろしいのは、恐怖への探究心かもしれない。友花莉は意を決して、布団から顔を出し、机の様子を確認することにした。急に顔を出してしまわないように、ゆっくりと、音を立てずに掛け布団を動かした。微かに掛け布団が動く音が部屋中に響いていたが、友花莉はなぜか、許容範囲かのように気にしなかった。そしていよいよ視界が机を捕らえる時が来た。友花莉はいつもと同じように、気のせいであることを祈った。だが、そうはならなかった。机には明らかにおかしなものが乗っていたのだ。丸み帯びたフォルムで、毛むくじゃらの何かだった。友花莉は即座に、何かのぬいぐるみであることは分かった。だが、そのフォルムはとても可愛らしく、こちらを向いて座っていた。顔を見ると、どこか見覚えがあった。

 「のりお?」右に少し曲がった短くて長い鼻と、顔の半分くらいの小さい大きい耳に、牙がないゾウさんが黒いつぶらな瞳で、どことなく首を傾げているかのようにこちらを見ていた。

 「のりおなの?」友花莉が声を少し張ると、つぶらな瞳のゾウのぬいぐるみは、短い右腕を上に挙げ、まるで挨拶をするような仕草をした。それに対して友花莉も表情はそのままで、ただ手を振った。

 「あー。早く寝ないとやばいかも。」そんなことを考えていると、知らないうちに朝を迎えていた。この感覚は寝起き、睡眠をとることはできたようだった。あれは夢か現実か。窓から差し込む朝日に照らされた机には、のりおらしきゾウのぬいぐるみはなかった。


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