お名前は?
「さてさて、大変な目にあったね……。」
そう言って、少女は目の前の切り株にこしかける。街はずれまで走って来たのに、息切れ一つしていない様子だ。かくいう私は、ぜえぜえと胸を押さえ情けない格好で地面にべったりと手をついている。
それにしても、見れば見るほどかわいい子だ。形のいい小さな頭に、大きくてくりくりとしたグレーの瞳がこちらを向いて輝いている。真っ白な肌と血色のいい頬と唇、小さめのツンとした鼻、何もかもこの子のために用意されたもののような感じがする。
「お茶でも出したいのだけど、あいにく何にも持っていなくってね。お嬢さん、お名前は?」
「あ、えっ、と。」
「モモさん、人に名前を聞くときは自分から、でしょ。」すました顔の猫が言った。
「ああそうだね。じゃあ私から自己紹介を。私は山田 百。72歳。家族は、娘家族が隣の県に暮らしているよ。だから今はこのミーちゃんと二人暮らしさ。よろしくね。」
「はあ、よろしくお願いします……え?72歳?」
「じゃあ次はぼくが。ぼくはミカ、黒猫の雄さ。ミーちゃんって呼んでもいいよ。」
私の疑問はなかったかのように、続けて黒猫が自己紹介をした。
「ミーちゃんはこの前5歳になったんだよ。」
「は、はあ。」
なんだか当たり前のようにしているけど、猫は日本語を話さない。それが私の中の常識だ。
「さあ、君の番だよ。」
黒猫に促され、戸惑いながらも自己紹介をする。
「あ、はい。すみません……。私は……私は、海野 さくらと言います。28歳です。会社員をしていました。一人暮らしです。どうぞよろしくお願いします。」
「さくらちゃんか、かわいい名前だね。あなたにぴったり!」
そういって少女は、胸の前で手を合わせにこにことほほ笑んでいる。
「さ、自己紹介も済んだことだし、一度この街を出たほうがいいかもねえ。」
ぱっぱとおしりの土をはらい少女はふわりと立ち上がる。
少女の目線の先を見ると、ざわざわとした人の賑わいの中に先ほど見た兵士のような人たちが見えた。まさか、私たちを探してる?
「あっちの方に町の子供たちの抜け道があるみたいなんだよ。そこから外に出て、これからのことを決めないとね。あ、そうだ。さくらちゃんも一応これを被って行こうか。」
そう言って少女は、カバンの中から茶色い布を取り出しこちらに差し出した。
「あのお城から貰ってきたんだ、ないよりはましだろうから羽織っておきなさいな。さ、行こう。」
その時初めて自分の格好に気が付いた。ひえ、と声を上げ、ぼろ布を巻いただけのワンピースの上から慌てて渡されたフード付きコートを羽織り、歩き出した少女の後ろを付いて行くのだった。