十二話
眼前で日本刀を構える蒼い瞳の少女は、俺から視線を外すことなく細かく呼吸をしている。
一方で俺は力任せの斬撃を全てかわされ、いなされた結果荒く白息を吐く始末。
それもそのはず、眼前の少女は常に攻撃を誘うよう、絶妙な位置関係を維持し、冰刀の切っ先を僅かに揺らす。
俺と一ノ瀬は常に一歩踏み込まなければならない位置。
つまり刀身から伝わる斬撃の重心を、一ノ瀬は任意のタイミングでズラす事が出来る。
かといって踏み込まなければ同じ体格の二人で、片や90cmの直刀二本、もう片方は120cm以上の日本刀ときた。
日本刀の最も切れる部分は切っ先だ。
この切っ先で俺の皮膚を薄く裂き、だが多くの出血を伴う為に、この異常な低温下では体力を大幅に削られる。
前述の事からなるべく懐へ入り主導権を握りたいのだが、一ノ瀬が仕組んだ事、そう簡単に入り込めず気づけば一方的な展開。
「一対一じゃこんなに差があるのかよ」
「……諦める?」
諦めとは即ち死だ。
「降参したら助けてくれるってのか?」
「……」
無言の沈黙が数秒、出会った頃にもした命乞いだ。
数日前と変わらず一ノ瀬は氷のように鋭い目を向け、表情は張り付いたように感情の機微をうつさない。
唯一わかるのは、俺に向けられた殺意が一切揺るがないことだけ。
そして今度は一ノ瀬から仕掛けてきた。
「ぐっ!」
強烈な速さの突きをすんでで回避し、今度はそのまま細い左足が飛んでくる。
素早いハイキックが俺の顔を狙ったと錯覚するほど素早い蹴りを防ぐよう、右腕を上げた瞬間、脇腹に激痛が走り、痛みに悶える間もなく半回転する一ノ瀬が俺の溝尾を穿つ。
ヨタヨタと後退しながら直刀を構え直すが、俺の反応を上回る速さで冰刀が肩口から真っ直ぐに袈裟斬る。
「…………」
だが一ノ瀬の刃は肩の骨で止まり、視界の端には赤い血が吹き出している。
痛い、痛いが一ノ瀬の冰刀はそれ以上深く抉る事はない。
一ノ瀬の口の端から漏れる白息を吐く量が僅かに増えた気がする。恐らく俺の骨に対しての力みだろう。
「いってぇんだよ!」
俺の反撃に一ノ瀬は一切の迷いもなく、刀を手放し飛び退いた。
痛みに耐えながら左手の『夕雲』を手放し、切り口に添って冰刀を引き抜くとダラダラと溢れ出る。
唐突な大量出血に意識が薄れていく、しかも一ノ瀬との戦い前に負った傷に、異常なほどの低温。
死ぬかもしれないって時に相場の姿は見えない、ってことは今度こそ終わりかもしれない。
素手で身構える一ノ瀬をよそに、背後で繰り広げられる能力バトル。
ローブに炎を纏うセレナと、その炎を防ぐ氷の壁を何度も形成する氷華先生、つまり後者の防戦一方なのだ。
「氷華先生、例の氷の剣は作れないんですか……」
荒い息を吐きながら氷華先生に問うと、俺の傷を見たせいか余計に眉をひそめる。
「これ以上温度を下げれば、貴方が凍傷で死ぬわよ? それにあの魔法のせいで上手く気圧を操作できないの」
「そうですか……なら、この刀あげますから、何とかしてください……俺は全力で一ノ瀬を止めますから」
冰刀を手渡し、俺は黒桐を鞘へ納める。
「あげるって……冰刀は元々私のよ。あの子が勝手に持っていただけで」
前に屋上で会った時から違和感があったが、鞘の無い刀を持った一ノ瀬と、刀の無い鞘を持った氷華先生。
ここに来てようやく文字通り『元の鞘へ収まる』ってことだ。
「頼みますよ氷華先生……正直俺は一分も持ちそうに無いんで……」
「それは困ったわね──」
刀と引き換えに氷華先生から寄越されたのは、前に見たナノマシン注射器だ。
「──今の貴方に効くかわからないけれど、使ってみなさい」
言われてすぐに一ノ瀬へ向き直り、首筋に注射器を宛がうとボタンを押して飛び出した針からナノマシンが体内へ流れ込んでくる。
すると視界の端に青白い光りが現れ、見るみるうちに身体中に出来た傷が塞がっていく。
左肩に出来た切り傷も、今や大きな痣になって出血は止まっている。
「第二ラウンド開始だ! 一ノ瀬!」
意気込みは良し、だが一ノ瀬に正面から体術を持って組敷こうというのは土台無理な話だ。
一ノ瀬はあらゆるマーシャルアーツを習得し、特に習得の難しい中国拳法の八卦掌を主に使ってくる。
片や俺は聞きかじりしたボクシングや、キックなんかのスポーツ格闘技。
爪先立ちしてウェービングも駆け引きすらしない、踵を地につけ目一杯握り拳を作り、デトロイトスタイルのまま一ノ瀬へ左のジャブを放つ。
っが伸びきった左手を手の甲で払われ、左手と同時に伸びた左足を狩られ、体勢の崩れた俺は軽々と投げられた。
軽い追撃を受けたが、何とか立ち上がり一ノ瀬と距離を置くと鼻血が吹き出る。
「チッ! どんだけ強いんだよ……」
「…………」
未だに傷一つ負わせられない一ノ瀬を前に、鼻血を拭って再び構えを取るがズシンと地鳴りのような音が天井から聴こえてきた。
「地震?」
俺の呟きに呼応するよう、地響きの間隔が徐々に短くなっていき、天井の石膏ボードがボロボロと崩れてきた。
突然の事態に右往左往する俺とは対照的に、一ノ瀬は静かに俺を睨み続けてくる。
そんな一ノ瀬の頭上に突如巨大な亀裂が走り、電灯が一斉に砕け始めた。
「一ノ瀬そこを離れろ!」
なぜか脳裏に過った天井崩落のイメージに危機感が募り、俺は叫ぶと同時に一ノ瀬へ駆けていた。




