三十九話
倉庫街を少し過ぎた場所にあるランドマーク『七浜グランドホテル』
七浜グランドホテルの従業員専用の通り道を抜けた先に、VIP御用達の裏口がある。
俺たち三人──エドゥアルドは車を見張っている──は明らかに分不相応な格好だ。
俺と一ノ瀬は制服の上にコート、アイリスに至ってはジーパンにダウンジャケット。そしてこれ見よがしにヒップホルスターには大型のリボルバーが覗いている。
「皆様お疲れさまです……わたくし当ホテルの支配人を任されております──」
俺たちを出迎えた壮年の小綺麗な男の挨拶を遮るよう、アイリスは口を挟んだ。
「自己紹介は結構です。組織に余計な肩入れをしても、あなた達の命が脅かされるだけですので」
「さ、左様でございますね。忠告、感謝いたします」
深々と礼をする支配人は、すぐそばのエレベーターへ淀み無い所作で案内する。
目的の階層を指定せずとも、支配人は最上階を押した。そして数分間の沈黙の末、エレベーターは小さな唸りを上げて止まった。
支配人だけはエレベーターに残り、俺たちは三人で降りると早速、ゴツい男たちに囲まれる。
「今日は来客の予約はないんですが……あんたらは一体?」
粗野で下品な三下連中とは違い、言語を介するようであくまで高圧的だが、ひとまず戦闘にはならないようだ。
「長尾組、組長の一人娘──本郷 恵さんに息子さんが会いたいそうよ」
母さんは組長の一人娘だったのか。そんな事すら知らないとは、俺は本当に息子なのかな……なんて自嘲気味な感想が漏れる。
「息子? ってことは……允人さんの子供だよな?」
初耳だったかのように周りの男たちは、口々に議論を交わし始めた。そして一人の男が制し、前へ出てくる。
アイリスと同い年くらいの若い男だが、顔に入った傷跡が痛々しい。
「允人のアニィも恵さんも……お前が出来てから変わっちまった」
物憂げな表情で俺を見下ろす。
「だからなんだ? 俺が出来たから、俺や母さんに暴力をふるって家をヤり部屋に変えて、お前らみたいなバカ共とラリってるって言いたいのか?」
「お前……なんて目してやがる」
アイツは俺を躊躇無く殺した。アレが夢だったとしても、俺の中にある憎悪という炎に薪をくべるには充分な材料だ。
「どけ……俺は母さんと話をしたい」
俺の言葉にたじろぐ男たちに道を開けるよう、スカーフェイスは指示を出すと、俺たちは三人連れ立って歩き始める。
道の端に寄った男たちを一瞥して、出てきた感想は『まるで俺は本郷允人の意を借るネズミだな』という自虐だ。
最奥のスイートルームの扉を三回ノックする。
「日向くん……私たちは外で待ってるね」
「ありがとう一ノ瀬」
喉が張り付き手汗が滲む。母親との再会は何年ぶりだろうか。もう顔すら朧気だ。
もう一度ノックをするが、まったく返事がない。
まさかと思いドアノブを回すと、簡単に扉が開いた。懐に手を入れていつでも銃を抜き取れるように、ホルスターの留め具を外しておく。
だがそんな嫌な想像も杞憂だったと分かる。
窓辺で黄昏る長い黒髪の女性は、20代後半の妙齢の女性──俺の母だ。
「母さん……」
俺の言葉に小さく肩を震わせ、恐る恐るといった様子で振り替える。俺と同じダークブラウンの濁った瞳に、生気を感じられない。
「あぁ恭助さん……久しぶりね。今日は……仕送りの事かしら?」
まるで他人行儀な話し方だが、この人は昔から誰に対してもこうだ。今思えばお嬢様気質だったのかもしれない。
「いや、仕送りは大丈夫だよ。アルバイトを始めて、なんとかなってるから……」
自然と嘘をついてしまった。最近出会う人間から、目付きが悪いだのと言われるので、母さんの前では努めて笑顔を絶やさない。
「そう、良かったわね──」
まるで興味が無いような言い草だ。中学生の頃から、親父は母さんや俺に暴力をふるっていた。
俺が殴られ、飽きたら母さんを殴る。拳で酒瓶でベルトで、笑いながらバットや鉄パイプを振って、あの細長いタバコの火種を押し付けてきた。
「──それで、恭助さんがここに来た理由は、なにかしら?」
「あの親父……いや、父さんって最近、家にいないみたいなんだけど……母さんはどこにいるかとか、知らないかな?」
「允人さんの居場所……そうねぇどこに居てもおかしくないでしょうけど、やっぱり事務所かしら?」
起伏の無い淡々とした言い方だが、その線は無い。なぜなら事務所は俺が襲われたあの日、一ノ瀬と龍一が襲撃していたからだ。
そして取り逃がした一人を、一ノ瀬が追ってたまたま居合わせた俺と出会った。
「いや、事務所には居なかったんだ。他に行きそうなところは?」
そう質問すると、起伏の無かった母親が眉をひそめ、ゆっくりと立ち上がった。
「事務所に行ったの? 今まで允人さんを避けてきた恭助さんがなぜ?」
明らかに何かを疑っているような言い方に変わった。
「さ、避けてなんか無いよ。俺は母さんに言われた通り、普通に生活してただけだ」
「私が恭助さんに言ったのは、ホテルと学校を往復するだけの平坦な生活よ! それがどうして允人さんを探しに、事務所へ行くの! どうして私の許まで来るの!」
鬼気迫る表情で突然、俺の胸ぐらを掴んだ。初めて向けられた母親の感情は、俺に対する明確な怒りの感情。
それに少なからず動揺し、内心は怯えた。
「ち、ちょっと待ってよ母さん──」
胸ぐらを捕まれ、目の端に涙を溜めながら必死に訴えようとするが、母親が俺のトレンチコートの下にあるホルスター。
そこに揺れる拳銃を目の当たりにして、顔が青ざめていく。
「ち、違う! これはただのオモチャなんだ!」
トレンチコートを掴んでいた手が外れ、よたよたと怯えながら後退る母親を安心させようと、ホルスターからM9を引き抜く。
「最近は精巧なんだ……」
まるで暴力をふるっていた父親に向けられるような目が、今度は俺を射抜く。
「それで允人さんを殺すつもり……なの?」
嘘を重ねるたびに胸が締め付けられるような思いだった。一度だけ小さく首を小さく横へ振ったが、尚も母親から恐怖の色が消えることがない。
「あのクズを生かしておいたら! 母さんみたいに傷つけられる人が増えるだけなんだ!!」
嘘に嫌気が差し、涼子の顔が脳裏を過った瞬間。俺は思いの丈を母親へぶつけた。
「允人さんはそんな人じゃないわ……あなたが! あなたたちがあの人を変えたんでしょ!!」
俺の激しい感情よりも一段も二段も上の憎悪や怒り、怨嗟が籠った言葉に、ぐらりと視界が歪む。
どこに持っていたのか、桐の鞘から引き抜いた小太刀を体へ密着させて、母親は肩幅に足を開いた。
「あなたが生まれて来なければ! 私たちは幸せだった!」
刀身は上を向き、牡牛のように獰猛な突進が、俺の腹へ深々と突き刺さった。
「あの赤髪の男が私たちの全てを奪った…………猛を返して……あなたは私の子供じゃない」
我が息子に刃を突き立て、涙を流しながら俺の胸に顔を埋める。
腹に刺さった小太刀以上に、俺の胸に空いた傷の方が痛かった。母親に『生まれて来なければ』なんて言われ、挙げ句胸のなかで泣かれたら俺はどうすればいい、寧ろ泣きたいのはこっちなのに。
「俺は母さんの息子だろ?」
「違うわ……あなたは赤髪に連れてこられただけよ」
「じゃあなんで、俺には母さんと父さんに育てられた記憶があるんだ……」
母親は何も答えずに首を横に振る。
そういえば一つか二つ、気になることがある。俺には中学三年から高校一年までの鮮明な記憶があるが、それ以前は朧気で知識程度しかない。
そしてもう一つ、俺の親友である赤井 龍一は親友であるにも関わらず、出会ったきっかけやアイツの趣味や嗜好、生年月日や住所すら知らないということだ。
「母さんがどれだけ親父を庇おうと関係ない! 俺は二度と母さん……いや、涼子のようにアイツに傷つけられる人を見たくないんだ!!」
母親を突飛ばし、腹に刺さった小太刀を引き抜いて床へ投げると、銃のセーフティを上げてトリガーに指を掛ける。
「アイツの居場所を言ってくれ! たとえ血が繋がっていないとしても、母さんを撃ちたくないんだ!」
腹に刺さっていた小太刀が内臓まで傷つけていたのか、口から血が吐き出された。
「私を母だと言ってくれるなら……私を撃ちなさい恭助さん──」
毅然とした顔つきで向き直る。
「──どのみち、赤髪を裏切ってあなたを刺したのだから、私は生かしておけない筈よ。せめて殺されるなら、憎い相手より恭助さんの方がいいわ」
あくまで話さないつもりなのか。信じられないのかもしれないが、少なくとも俺は情報さえくれれば撃たない。
「頼む……教えてくれよ。母さん……」
撃ちたくない。その一心が胸を掻きむしられるような痛みになる。
涙ながらの訴えは、母親にはまったく響かないのか、突然母親が組ついてきた。
「人を撃つ覚悟もないなら! こんなものは捨てなさい!」
「や、やめてくれ!」
揉み合いへし合い、銃を離すまいと力を込めた瞬間、聞き慣れた豪放が耳を劈く。
胸元に寄りかかるようにぐったりと膝を着く母親を抱き、手に持っていた銃を捨てた。
「母さん! ごめん……俺……」
母をだき抱える手は自分の血ではなく、母親の血で真っ赤に染まっている。
「恭助さん……お父さんを、允人さんを恨まないで……あの人、本当は優しい人なの……」
「優しいならなんで母さんを助けに来ない! 俺たちがアイツを追っていることは、アイツ自身がよく分かってる事だろ!」
「血は繋がって無いけれど……恭助さんに人殺しになってほしくないって……だからあなたを殺すって、泣きながら言ってたわ」
昨日の晩に会ったような気がしたが、あれは夢じゃなかったのか。
「お願い恭助さん……允人さんを憎まないで……」
血で汚れた母の目には大粒の涙が溢れ、それだけを言い残すと目に留まっていた光が消え失せた。




