三十話
一ノ瀬たちがカラオケで楽しんでいる間、俺は一人雑居ビルの向かいにある喫茶チェーン店に入り、格好をつけてブラックコーヒーを頼んだ。
「うげぇ……苦い」
ブラックコーヒーの苦味に負け、早速ミルクと砂糖をぶちこんだが、それでも焙煎コーヒー特有の酸味やえぐみがすごい。
ちなみに金に関しては一ノ瀬から金を借りるという、なんとも情けない話だが。
正式な組織のメンバーではないとしても、命の危険がある仕事を手伝っている以上、一ノ瀬が極力サポートしてくれる。
そんな一ノ瀬を待つこと数時間、昼間の喧騒が引いていき夕陽が差し込み、何杯目かのコーヒーの湯気がひいた頃。
腰が痛くなってきたなんて考え出していると、店の入り口で店内を覗く一ノ瀬と濱田 涼子の姿が見えた。
「…………うぐっ、にげぇ」
温くなったコーヒーを一気に嚥下し、空いたカップをゴミ箱へ放り、一ノ瀬の元へ向かった。
二人は若干汗ばんで上気した様子だ。当然、淫らな理由ではなく密室で複数人で騒げば、多少汗を掻くだろう。
「お待たせ日向くん!」
「ヒナタ? 誰それ?」
濱田の指摘はごもっともだが、ここで照れたりしたら寧ろ恥ずかしい。
「あのクズ野郎……親父と同じ名前を名乗るのは嫌いなんだ。濱田も日向と呼んでくれて構わない」
「そーなんだ。私も名字は嫌いだから涼子って呼んで、私は恭介って呼ぶから」
「うーん、まぁ苦手だがしょうがない」
女の子を下の名前で呼ぶなんて苦手というか、俺の人生で一度もない。
涼子の側で話を聞いていた一ノ瀬は露骨に顔をしかめ、俺が「どうした」と聞くと、顔を反らして頬を膨らませ「べつに」と吐き捨てた。
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涼子がさっそく俺と一ノ瀬に話があると言って歩き始めた。
歓楽街がネオンの光を灯し始め、人通りが一層多くなった頃、無言で先を行く涼子の後ろを追従する形で歩いていると、少し奥まった路地のある店の前で立ち止まった。
「ここ、私の彼氏の店だから」
だからなんだと言いたいが、それに続く言葉を発さずに階下へ繋がる階段を下りていくと、身を震わせるような音楽が聞こえてくる。
いわゆるクラブというやつだろう。
「ねぇ日向くん……」
ブレザーの袖を掴みながら、一ノ瀬が声を潜めて話し掛けてきた。
「どうしたんだ一ノ瀬」
「皆を呼ぶから、それまでは勝手に動かないでね」
いつものふざけた笑顔は無い。
そして左手に握らされた拳銃──ベレッタPx4ストームサブコンパクトモデル──がこの先向かう場所への危険が示唆されていることを物語る。
ポリマーフレームにブラッククロムのスライド、ティルトバレル式ショートリコイルという従来のシステムを持っている。
そして9mmルガー弾のフルメタルジャケット、予備のマガジンは一つというなんとも心許ない潜入だ。
拳銃を学生鞄へしまい、予備マガジンはブレザーのポケットへ。
先を行く涼子は入り口のガードマンらしき、仏頂面の男を一瞥し、次に一ノ瀬は会釈をして中へ入る。
俺も二人に続いて入ろうとするが、仏頂面の男は俺の両肩を押して止めてきた。
「なんの真似だ」
物怖じもせずに考えなしに相手の行動に不快感を示す。
「男は会費を払って入れ」
「はぁ?」
偉そうな物言いに青筋を立て、殴りかかりそうになるが、一ノ瀬の言葉を思い出して拳をおさめる。
それに俺よりも一回り上の体格、普通に殴りあったところで負けるに決まっているだろう。
「いくらだ」
「そうだな……一万だ」
絶対に今決めたであろう提示額に、不満を隠そうとせずに財布から一万円抜き取ると、カウンターに叩きつけて入り口へ進んだ。
扉を開けて真っ先に腹の底へ響く重低音と、陽気に騒ぐ酒乱たちの踊り、レーザー光線とミラーボールの眩い景色。
そしてバーカウンターに座る二人の姿を追って、人の波を避けながらスツールへ腰掛けた。
「っで、話ってなんだ」
涼子の隣に座り、聞こえているか不安になるような喧騒の中、俺は率直に問いただす。
「そんなの決まってるでしょ? さっきのアイスの話よ」
カクテルだろうか。原色の液体を飲み、頬を赤く染める涼子は迷いなく口を開く。
「品薄だって言っただろ」
俺の知っている限り、アイスやスピードはLSD──リゼルグ酸ジエチルアミド──の隠語のはずだ。少なくとも、この街の学生の認識はそのはずだ。
野菜を除き純度の高いクスリは、高校生が身売りした程度では稼げない。
せめて同じ売人の真似事をしなければならないが、俺たちが殺しているのでその数は激減しているはず。
「それは知ってる……でもマジでヤバイのよ。そろそろ無くなりそうなの、少しで良いから別けてよ」
あぁ完全に中毒症状のそれだ。
よくみれば化粧の下には、やつれた頬にクマが滲んでいる。
「はぁ……別けてもいいが、無料とはいかないぞ」
無論持ってなんていない。完全なブラフだが、チラリと一ノ瀬に視線を向けて、俺の誘導に問題無いか確認するが無反応ということは問題ないんだろう。
「分かってる……」
そう言うと苦々しげにスツールから腰を浮かせ、スカートの下へ手を伸ばすと、ピンク色の下着をテーブルの下で手渡してきた。
「お、おい……ブルセラなんて、金にならないだろ」
さすがに同級生の下着を、それもさっきまで履いていた、温もりが残ったままの下着を手渡されて動揺しないはずがない。
上擦った声を誤魔化すよう、努めて冷静に切り返したが涼子はアルコールで上気した顔を向けて今度はリボンに手を掛けた。
「はっきり言って、現金はあんまり無いから身体でなら払うよ。雪ちゃんにもそうしたんでしょ?」
「は──」
盛大な勘違いに呆れそうになるが、一ノ瀬が涼子にそう話していたとしたらどうだ?
一ノ瀬の顔を見るが、一ノ瀬も酒を飲んでいるのか真っ赤な顔をして俺の目から逃げるように逸らす。
「──あ、いや。そ、そうだ」
そうだってなんだ。そんなにはっきり肯定してもいいのか。
「ここの裏でも良いし、ウチの箱でもいいけど」
目的を忘れるな。俺は涼子がリンゴ隠しやポン引きを要求する黒幕を探すこと。
ゴクリと生唾を飲んで、未だ女性経験のない俺の余裕がない態度を必死に隠す。
「疑って悪いんだが、美人局って可能性があると怖いから、誰が裏にいるのか知りたい。それに親父と関係ないシノギにちょっかい掛けるほど、命知らずじゃないからな」
ヤクザの息子ならではの言い訳だろう。涼子も一瞬考えるような素振りを見せたが、納得した様子で口を開く。
「私の彼氏……中島 ケイタが元締めだよ。ケツ持ちは恭介のお父さん、長尾組の人たち」
ホカホカの下着を握り締め、怒りを覚えた。
目の前にいる俺と同い年のガキに売春させ、挙げ句に薬漬けにするクズを未だのさばらせているという事実に直面したためだ。
「そ、そうか……一応確認してみる」
そう言ってスツールを立ち上がると、目配せで一ノ瀬にも合図を送って、その場を後にしてトイレへと向かった。




