二十二話
逃げようとして絡まった網──いや有刺鉄線は、容易に顔、手、腕、肩を突き刺し、痛みを堪えながら体を引き剥がすと、有刺鉄線にこびりついた肉と血が真っ赤な薔薇の蕾のように路地を覆うよう、ドーム状に張り巡らされていた。
振り返れば電動チェーンソーが唸りを上げて簡単に、異能でできた鎖の壁を両断すると切れた瞬間に青白い光と共に霧散する。
「フフッ……」
不敵に笑いながら栫井は残った鎖を踏み越え、瞳に宿した赤い光を揺らしながらゆっくりと歩み寄ってくる。
「アハハ!! センパイ! やっぱり運命の相手だったんですね!!」
嘲笑は狂ったように甲高い笑い声に変わり、栫井は口角を吊り上げて喜悦の表情を見せる。
一日に二度も運命の相手だと、顔立ちが整った女に言われたが、どちらも共通しているのは『俺を殺そうとしている』事だな。
栫井は笑いながら髪をほどき、丸メガネをアスファルトへ落とすと、喉元まで締まったワイシャツのボタンを一つ一つ外して、その豊かな胸元を強調するような格好をする。
「な、なんの真似だよ」
ヤバい女に共通する理解不能な言動。まぁ、理解不能だからヤバいって話なんだが。
「私と同じように異能を持っているんですよ? これは運命! 私とセンパイは結ばれる宿命だったんです!」
運命とか宿命とは、俺が無神論者じゃなければ共感していたのだろうか。今は宗教勧誘のおばちゃん以上に気疎く思える。
「結ばれる宿命の相手を殺すのか……」
「『男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる。』ですよ。私がセンパイの最初の恋人で、最後の恋人なんです」
自信満々にどこからか引用してきた格言めいたことを言っているが、学の無い俺にはその発言者は皆目検討がつかない。
「これが運命ってやつなら、俺にとっては最悪の縁だな……」
「フフッセンパイにとっても、最高の縁にしますよ♪」
そう言ってチェーンソーの回転刃を地面へ向け、空いた手を俺へ向けてきた。
「荊……」
瞳の赤い光が眩く輝いた瞬間、栫井の腕から先ほどよりも赤黒く錆びた有刺鉄線が俺へ目掛けて伸びてくる。
「引き上げろ! 縁!」
ビル郡を覆っている有刺鉄線目掛けて、腕を向けると青白い光と共に腕に鎖が絡み付く感覚があるが、実体はなく腕から少し離れた位置から鉄鎖が有刺鉄線へ伸びる。
重力に逆らい鎖に引き上げられるように体が持ち上がり、ミチミチと筋繊維が引きちぎれる音と激痛。
すんでで栫井の有刺鉄線を避けられたが、スニーカーのゴム底を削られた。
「ぐぅ! いてぇ……」
ビル三階に相当する高さを一瞬で登った代償に、俺の右腕に力が入らず、激痛に耐えながら宙に浮いていた。
「アハハ! 流石センパイです!」
そう言いながら大樹の幹のように、太く絡み合う赤黒い有刺鉄線を吐き出した。
「そりゃどうも!!」
振り子のように少し揺られながら鉄鎖への意識を断ち、青白い光が視界の端から消えた瞬間。
俺は地上の栫井へ向けてビル三階に達する高さから急降下した。
「俺は頑丈! 俺は頑丈! 俺は頑丈だぁ!!」
言い聞かせるようにフラフラと力無く揺れる右腕をはためかせ、俺はアスファルトに叩きつけられた。
「がぁぁあ!!!」
銃弾を受けた時よりも、重力に逆らって浮いた時のが痛い。
グチャリとさらに右腕が曲がり、血肉が湿ったコンクリートを流れ、剥き出しの骨が肘から飛び出している。
それでもかろうじて動く左腕を支えに立ち上がり、震える足にムチを打って栫井に飛び付いた。
「え? なんですかセンパイ。抱きついて……」
もう一度、異能へ意識を向けて視界の端に青白い光を宿らせる。
「縁……」
目的は栫井の持つ電動チェーンソー。
それを地面と繋げるイメージで数本の鉄鎖が、栫井のチェーンソーの動きを止めさせる。
そして俺は絹のような黒髪からシャンプーが混じった香りを気にしつつ、左腕をくの字に折ってを栫井の喉へ絡めた。
「悪いな栫井!!」
なぜ謝ったのか。俺を殺そうとした女を絞めているというのに。
いわゆる頸動脈圧迫だ。
前のチンピラのように、下顎を殴って脳震盪っていうのも考えたが、足腰に力が入らず利き腕の右も砕けた為に断念した。
それにいくら俺を殺そうとする女でも、女子供の顔を振りかぶって殴るなんてできなかった。
「ぐぅ……がっはぁ……ゼ、ゼンバィ……」
悲痛な声が耳元に掛かる。ヒューヒュー言いながら、プリーツスカートの股の間に生暖かい液体を感じた。
絞め始めて十秒以上、これじゃただの呼吸困難だ。
知り合いを絞め落とす。殺す意思が無いとしても、耐えられない。
だがこの腕を離して、果たして逃げられるか? 答えは単純だ。
相手は俺以上に能力の使い方を知る異能者、しかも武器を持っている。対して俺はついさっき能力に目覚めて徒手空拳。
耳元の声を無視するように思考を巡らせ、気付けば栫井は青ざめて口の端から泡を吹いていた。
「わるい……」
俺の呟きを無視する栫井の身体をゆっくりと地面へ置き、栫井の意識が無くなったお陰か、有刺鉄線は赤い光に変わって消えていった。




