九話
一ノ瀬が一頻り語り終わる頃、俺の手にあったマグカップは冷たく、ココアの表面に薄い膜が張っていた。
「さっき日向くんが公園で言ってた。お父さんを殺したいって……ホント?」
「ん? あぁ、本当だ。アイツはクズだからな」
胸糞の悪い話だが、親父が俺や母さんにしてきた事、ヤクザって連中がいかに腐っているかを説く。
初めて誰かに身の上話するせいか、かなりちぐはぐで伝わっているのかすら怪しかったが、一ノ瀬は時折頷き同調してくれ、最後まで話を聞いてくれた。
「だからアイツは俺の手で殺したい……アイツが死ななきゃ、また誰かが悲しむから」
「うん……分かったよ。日向くん、私も協力する! だから二人で夢を叶えよ!」
マグカップをテーブルに置き、熱の籠った視線で目を見つめる一ノ瀬の冷たい手が、俺の拳を包む。
うすら寒く綺麗事だとしても『二人で夢を叶える』って言葉と、一ノ瀬の真摯な眼差しがとても心強く思えた。
***
俺はあの後、シャワーを借り、ソファーを借りて一夜を過ごした。もちろん何の過ちもなく。
一夜明けて朝、一ノ瀬が朝食を用意する音で目が覚め、顔を洗い穴の開いた制服を着てテレビを眺めていた。
もちろん内容なんて入ってない、顔を洗ったところでハッキリ目が覚めた訳じゃない。
「おはよう日向くん、ご飯できたよ」
「あぁ」
唸り声に似た低い寝起きの声を上げて返事をし、テーブルに置かれたトーストとベーコンエッグ、そしてホットココアをムシャムシャ食べて飲んだ。
登校時間なんて気にした事がない、一限目を遅れて行くのはザラだし、なんなら三限から行くこともある。
そんな怠惰な俺とは違い、一ノ瀬は早々に食べ終わると合鍵を俺に渡してきた。
「入り口は電子キーで開くから、部屋の戸締まりをお願いね! 私、今日が登校初日だから先に行くね!」
そう言ってパタパタと家を出ていった。
俺も他人の家に長居する趣味もないので、薄っぺらな鞄を持って一ノ瀬から少しだけ遅れて家を出る。もちろん戸締まりには用心をして。
***
マンションを出てトボトボと高校へ歩みを進め、歓楽街の近くまで来ると最悪な再開を果たした。
「あっ! てめぇ!」
そう背後から投げ掛けられ、恐る恐る振り返ると、昨日女子高生を襲っていたチンピラAとBだった。
「や、やっべぇ!」
慌てて駆け出し寝起き間もなくかけっことなった。
怒号を飛ばす二人のチンピラと、閑散とした歓楽街を舞台に競争なんて、ずいぶん洒落ているなどと考える暇もなく。
そしてそんな逃走劇も突然終わりを迎える。
「おっと、もう逃げられへんぞ」
進路を遮る二人の巨漢と、一人の派手な男。
「いやぁ~参ったわ。アホな子を持つと親は苦労するっていうけど、まさにその通りや」
明らかに親玉らしい尊大な口振り、追ってきた二人もすぐさま膝に手を突いて挨拶をする。
真っ赤なジャケットにヒョウ柄のワイシャツ、細身だが筋肉はしっかりついている男は、飄々としているが目付きの悪さは異様だ。
「シノギ邪魔されたって泣きついてきたあげく、やられたのは高校生やって……お前ら、俺の顔に泥塗ってそんなに楽しいか?」
冷徹さを隠しきれない男の静かな叱責に、恐怖の色を見せる二人のチンピラ。
そして今度は俺に白羽の矢が立った。
「てなわけで、ちょっと顔貸してくれるかぁ? にいちゃん」
そう言って巨漢の男二人に引き摺られるようにして、なにかと縁のある路地裏へと連れてい行かれた。




