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ホットケーキ、優しさは見返りとセットで。

 今年度の始業式の翌日は土曜日で、ふゆは少しゆっくり寝て目を覚ました。


 居間では体調が戻って起き出してきた明菜が待っていた。

 そして、真っ白い髪に白いローブを纏った青年、エルランディアと睨み合っている。


 昨日のことは夢じゃなかったんだ。ふゆは不思議な出来事に戸惑うばかりだったが、明菜は違った。


「じゃあどうしよっか、ふゆ。コイツ警察に突き出す?」

「えっ」


 明菜はニコニコしたままエルランディアを指差していた。明菜の分のお粥を彼が食べてしまったのもあるかもしれない。

 ふゆに対して優しく朗らかなイメージが強かったが、酷い扱いを受けた親戚たちには容赦がなかった人だ。あたふたしながら説明する。


「あ、明菜ちゃん。信じられないかもしれないけどね、この人、実は……」


 信じられないような話だが、明菜はふんふんと頷きながらふゆの話に耳を傾けた。


「違う世界から来たって。うさんくさいなー」


 腕を組みながらも、少しは信じているみたいだ。


「まあ、あんたみたいなイケメンがこんな頭おかしいカッコしてんのも説明がつかないし。ただし信用してあげるには、条件がある!」




「そうそう、もうちょっと右! あ、左下がってる! 揺れてる! もっとちゃんと持ちなさいよ!」

「腕も震えるわ! さっきから何時間この額を持たされてると思ってる!」

「たった一時間じゃん。貧弱なやつ〜」


 エルが白皙の顔をひきつらせてワナワナと唇を振るわせる。今にも明菜に対して文句を言いたそうだが、家に置いてもらう条件があるから反抗は賢い選択ではない。


 そうしてしばらくあと、荷ほどきのほとんど終わった部屋の壁に大きな絵をいいところに飾れて、明菜は満足そうに腕組みした。


「やっぱり絵があるだけで雰囲気が華やぐ〜!」

「俺にはただの点と線の群れにしか見えんが……」


 やれやれと自分の肩を叩くエル。おじいさんみたいな仕草だ。明菜はにっこりしながら振り返った。


「さて、次は玄関の電球取り替えてもらうよ」

「まだあるのか!?」

「何言ってんの。年季だけは入ってる家だからね。男手がいるところはまだまだたっくさんあるの!」


 確かに。屋根の修繕も、ガラス戸の取り替えも、立て付けの悪い戸の鉋がけも、軋む廊下の修繕まで、全部父の仕事だった。


「仕方ない、恩義に礼を欠いてはならぬし……」


 脚立を担がされて、エルは深いため息とともに明菜の後について行った。


 居間をドタドタと通り過ぎる二人を見送って、ふゆは時計を確認する。

 電球を取り替え終わったら、二人にお昼ご飯でも用意しよう。

 何がいいだろう。エルはお箸は使えなさそうだったので、フォークやスプーンで食べれるものがいいだろうか。

 考えながら頭上の戸棚を開けると、大きなホットケーキミックスの袋があった。


「あ……」


 家族で食べようと思って買い置きしていたんだった。

 たくさん焼いて、お腹いっぱい食べて、残った分は冷凍してとっておく。

 メープルシロップもあったはず。隣の調味料の棚を探るとプラスチックのボトルが出てきた。琥珀色の液体はたぷんと揺れる。


「……」


 玉子と牛乳。常備しているので冷蔵庫を開けるとすぐに見つかった。


 フライパンでホットケーキを焼くにはちょっとだコツがいる。

 ホットケーキ生地のタネを落とす前に濡らした布巾の上にフライパンを押し付けて、温度を均一にする。そうすると綺麗な焼き色が付く。

 ……でもそんなことをしなくても、ホットプレートで綺麗なパンケーキは作れる。


 今度は足元の戸棚からホットプレートを取り出した。居間のちゃぶ台の上に置く。

 ちょっと新しいのは、長年使っていたものが古くなって使えなくなり、買い替えてもらったからだ。


 キッチンに戻って生地を作る。粉に牛乳、玉子を混ぜて、電子レンジで溶かしたバターを少しだけ混ぜる。


「仕事が遅いって。電球取り替えたことないの?」

「文句を言うな。あんなもの見たことも触ったこともない」


 エルと明菜が出て行ったときと同じように賑やかに戻ってきた。


「お疲れ様」

「ただいま〜。聞いて、ふゆ。この人電球も取り換えらんないの! こんなでっかい図体して!」

「身体の大きさは関係ないだろう」


 座布団の上に勢いよくお尻を下ろした明菜はエルを指さす。彼はムッとしながら下座に座った。


「お昼、ホットケーキにしようと思うんだ」

「やった!」

「ホットケーキ?」


 首を傾げるエルに明菜はバシンと肩を叩いた。


「まあ見てなさいって。美味しいものが出てくるから」


 責任重大だ。ふゆは気を引き締めてホットプレートに向かった。


 鉄板を温めて、バターをひく。まったりした匂いが広がって、焦げてしまう前にボールからおたまで生地をすくって落としていく。

 シュワ、と焼ける音と共に黒い鉄板にもったりしたクリーム色の生地がまるく広がった。


 じっと眺めていたいけどここで蓋をする。


「あー! お腹すいた〜!」


 目の前で焼いているとワクワクする。にぎやかなのは随分久しぶりな気がした。

 最後に両親と一緒にホットプレートを囲んだのはいつだったろう。

 二人のことを思い出すと、昨日までは胸が痛くてしょうがなかったけど、今日は不思議と優しい気持ちになれる。

 きっと、昨日エルランディアがかけてくれた言葉のおかげだ。両親がふゆに与えてくれていたものに気付かせてくれた。


「たくさん作って、食べきれなかったらラップで包んで冷凍するから」

「残らないかもよ〜?」


 茶目っ気たっぷりの返事に、ふゆはクスリと笑う。

 家族三人で何度も作って、お腹いっぱい食べても毎回余っていたのだ。

 知らない明菜は爛々と目を輝かせている。蓋を開けてひっくり返す。こんがり綺麗なきつね色に焼けた表面。香ばしくて甘い湯気が立って期待が高まる。


 もう一度蓋を閉めて数分後、完成だ。


「焼けたよ!」

「いただきまーすっ!」


 すかさずフォークが伸びる。明菜は真ん中の一番まるく焼けたものを選んだ。

 ちゃぶ台の上のメープルシロップを彼女に向かって押し出すと、ウキウキしながらありがとうと受け取った。


 フカフカに焼き上がった生地にナイフが入る。表面はさっくりとした手応えで、一口に切り分けられてシロップがかかるとじんわりと染み込んでいく。


 頬張った明菜は天井を仰いだ。


「おいしぃ〜! あま〜い!」

「ちゃんと焼けてる?」

「焼けてる! おかわりするから今からもう一枚焼いといて!」

「りょうかーい」


 うまくできたみたいだ。鉄板から残りのホットケーキを皿に移して、エルランディアの前に置く。


「エルもどうぞ」

「いいのか?」

「あったかいうちに食べて」


 すすめると、ナイフとフォークを手に取って探るように茶色い表面に切り込んだ。ナイフで押さえるだけで切れる柔らかさに驚きながら、フォークで大きなひとかけを口に運ぶ。


「!」


 夜空色の目が大きく見開かれた。頬袋ができるほど口の中に詰め込んでいる。モグモグと咀嚼にしっかり顎が上下する。

 よかった。美味しいみたいだ。横目で確認しながら、焼く作業に再び取り掛かった。




 ホットケーキの甘くもったりした匂いで居間がすっかりあたたまった。

 家の中とはいえ、古い日本家屋は木造で夏を旨に造られている。初春のまだ肌寒い空気を窓の向こうに、三人でお腹いっぱいになるまで食べた。


「こんなの初めてだよ……」


 ふゆは呆然としてちゃぶ台の上を見つめた。


「すまない、つい……まともな食事は久しぶりで」


 申し訳なさそうにうなだれるエルランディアの前には、何もない。

 何枚かは残るはずだったホットケーキは一枚も残らなかった。それこそ皿まで食べ尽くす勢いだった。

 あんまりにも気持ちのいい食べっぷりだったので、最後の方はもう一枚焼いてやれないかとボウルに残った生地を何とか集めてどら焼きくらいの大きさのを作ったくらいだ。


「そんなに美味しかった?」

「このうえなく!」


 思い切りよく頷いた彼に、明菜がそっくりかえるほど笑い出した。


「あー、おかしー!」

「男の人って、たくさん食べるんだね」


 感心して呟くと、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながら叔母はエルランディアを指差した。


「たくさん食べるけど、これは特殊」


 食後は二人に手伝ってもらって洗い物をする。ホットケーキを作ると道具がたくさん出るので手伝いは助かる。

 エルランディアがスポンジで洗い、ふゆがそれを水ですすぐ。シンクの前に並んで連携プレーをとりながら、どうやったら異世界に帰れるのか心当たりはあるのか訊ねた。意外にも簡単かもしれないという予想が返ってきた。


「『扉』には現在地と星の描かれた『扉』を繋ぐ性質がある」

「でもうちにはそんなのないよ?」

「俺が来たということは、あるんだろうな」


 そう答えた彼には何か確信があるのだろう。楽観的だった。

 それから、ちょっと歯切れの悪い調子で切り出した。


「食事まで世話になっておいて図々しいとは承知のうえで、ひとつ、頼みがあるんだが」

「なに?」

「あちらに帰る前に、こちらの世界を見ておきたい」

「えーと、見ておきたいってことは……」


 両翼大陸とかいうあちらの世界に帰る前に観光がしたいということか。


「いーんじゃない?」


 洗い終わった皿を明菜が布巾で拭きながらこともなげに答える。

 もう一度エルランディアを頭から爪先まで見下ろした。


「まずは服を買わなきゃだね。こんだけのイケメンなら着せ替えも楽しいだろうし、写真撮らせてね」


 叔母の言葉はあまりにあっけらかんとしていて、ふゆはぽかんと口を開けてしまった。


 そうと決まれば話は早かった。あの真っ白なマント姿では職質待ったなしなので、怪しまれないように一般人に擬態させる必要がある。


 明菜が自分の服から使えそうなオーバーサイズのスウェットを出してきて、靴だけは身体の大きなエルランディアに合うものがなくてサンダルになってしまった。

 ふゆの地元は日本でも暖かい方だが、それでも少し季節外れでちぐはぐな格好だ。明菜はコンビニ前でたむろしてたヤンキーみたい、と表現したが着ている本人の佇まいが姿勢が良いのでいまいちなりきれていない感がある。

 どんなに素材が良くても、似合わないものもあるのだなとくすりと笑ってしまった。


 そんなヘンテコな格好も、商店街にあるファストファッションブランドの店で着替えるまでだった。


「どうだ?」


 ふゆの両サイドで黄色い悲鳴が起こった。それも複数のだ。

 試着室の前は狭い通路になっている。他の客に迷惑がかからないように試着する客とその連れ添い以外は入るのを制限されていた。

 にもかかわらず、女性の姿が多い。ここは男性服の試着室のはずなのに。

 彼氏や夫、兄弟の試着待ちの間にエルランディアを見かけて、見物客が押し寄せてきたのだ。


「似合ってるじゃん!」

「本当に! よくお似合いですっ!」


 明菜と店員がテンション高めに褒める。きゃあきゃあと華やかな声をあげながら他の女性客も同意している。


「着方がわからない。これで合ってるか?」

「合ってる合ってる。あ、そのまま一枚撮らせて!」


 すかさず明菜がスマホで撮影する。シャッター音が止まらない。

 撮られている張本人はただただ不思議そうな顔をしている。


 異世界のズルズルした白衣装ではよくわからなかったが、現代的な服装になってエルランディアが極めてスタイルがいいことが発覚した。


 顔立ちが並外れて整っているだけじゃなくてスタイルまでいいなんて、神様はエルランディアを創るときさぞ楽しかったことだろう。


 広い肩の上にのった顔はとても小さくて、首も長い。白いハイネックのニットが似合う。ボア生地のついた襟のジャケットはキャメル色のコーデュロイだ。びっくりするくらい腕が長い。

 脚も長い。きちんとしたトップスの印象を和らげるため、ベージュのコットンジョガーパンツと茶色のスニーカー。膝下がこんなに長い人見たことがない。


 なにを着ても似合ってしまうので明菜も店員も一緒になってあれもこれもと彼にすすめては着替えさせていた。さっき知り合ったばかりなのに、写真をやり取りすることをもう決めてしまったみたいだ。

 最初の一着目の時は一宿一飯の恩を返そうと真摯に従っていたエルランディアだが、五着目くらいから可哀想なくらい憔悴した顔で試着室から出てくる。着替えるのも結構大変だろう。


「エル、休憩する?」


 隙を見てふゆは訊ねた。

 五着目は明るい色のデニムシャツの上にグレーグリーンのカーディガンだ。一本入ったストライプのラインが爽やかで似合っている。服装とは反対に顔色は酷いものだった。


「できればそうしたい……」

「だってさ、明菜ちゃん」

「えーっ! もうちょっとだけ──」


 急に陽気な曲が流れたと思ったら、叔母のスマホの着信音だったらしい。

 通話ボタンを押して短い会話をした後、こっちに向かって手を合わせた。


「ごめん、急に打ち合わせが入っちゃった!」

「お仕事?」

「うん、下見に行かなきゃいけなくて。さっきの服と今着てるやつ、これで払っといて。残りでお茶してきていいからね」

「わかった。いってらっしゃい」

「ごめんねふゆ。あとは頼んだ!」


 数枚のお札を預かって明菜を見送り、くたびれてよろけるエルランディアの背中を押してお会計を済ませる。

 幸いすぐ近くにエルランディアが座ってひと休みできそうなコーヒーチェーンがあった。ドアを開けて店内に入ると、足が止まってしまった。


「どうした、フユ?」


「あっれ〜? 北原チャンじゃん」


 不思議そうなエルランディアの問いかけを甲高い声がかき消した。

 ふゆの前に並んでいたのはメイクの濃い目の少女だ。茶色く染めたパーマ髪をツノヘアーに結いあげている。蛍光色のトップスがやけに目に刺さる。

 ふゆの中学時代の同級生で、いじめっ子のひとりだった。同じ高校に上がったが、運よくクラスメイトにはならずに済んでいたのに。

 細く吊り上がった目でふゆを検分して、鼻で笑う。


「相変わらずだね。まだ白井に助けてもらってんの、こないだ見たよ?」

「マッシー、誰と話してんの?」

「コイツ中学の同級生。すげー陰キャでつまんないやつでさ〜」

「フユ、知り合いか?」


 エルランディアに肩を叩かれて、自分の身体がどれだけ強張っていたが気づいた。

 ぎこちなく振り向いてなんとか頷こうとすると、無遠慮に腕を引っ張られた。


「やだかっこいい!」

「北原チャン知り合い!? 紹介してくれるでしょ!」


 さも当然のような口ぶりで、ぎりぎりと腕を掴んでくる。痛みで顔を顰めた。


「やめろ、フユが嫌がっている」


 今度はエルランディアに引き寄せられる。

 助けてくれたのはありがたかったけど、情けなかった。大きな背中で庇われると、自分がちっぽけに思えてしまう。


「その子とどういう知り合いですかぁ?」

「まさか彼氏なんて、あるわけないですよねぇ?」

「地味子に彼氏って、ないない」


 耳を塞いでしまいたかった。エルランディアを巻き込んでしまったことも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 この場を去ろうと言うために彼を見上げると、怜悧な横顔の中、目だけが険しく細められる。


「お前たちが何を言っているのか一切理解できん!」


 凛とした声が店内に響き渡り、当事者以外の人たちもこちらへ視線が向いた。


「だがお前たちがフユを嘲笑っているのはわかるぞ。今のお前たちの顔がどんなものか知っているか?

 歯を剥き出したアカホホサルにそっくりだ。どんな醜さか後で鏡で確かめてみることだな!」


 そのままエルランディアは店を飛び出した。

 ふゆも後を追って出ると、道の真ん中で長身が仁王立ちしている。

 重い足取りで並び、カクンと首を折るように俯いた。


「ごめんね、エル」


 つむじに視線が刺さる。


「なぜ謝る?」

「嫌な気分にさせちゃって……」


 中学時代、どうしてこんな目に遭うのか、理解はできた。

 けれどどうやっても相手はふゆのことを笑う。

 ふゆに関わる人を馬鹿にして、傷付ける。

 ふゆの顔や身体、境遇や成績、変えられるもの変えられないもの、彼らにとっては何でもいいのだ。

 少しの瑕疵を取り上げて、自分より下だと見下せればいいのだ。


「俺は、苛立っている」

「うん……ごめんね」

「お前がそういう目に遭うのは、お前自身の優しさのせいだ」


 思わず顔をあげた。夜空色の目は深い色でふゆを映す。


「お前の優しさに昨日俺は助けられた。温かい食事で命が繋がった。

 だが、優しさを持たない人間からすれば認めたくないものだ。

 お前と同じようには他人に与えられないからだ。だからお前を否定して、侮り、嘲る。それが、歯痒い」


 首が痛くなるほど高い位置にある顔は硬いまま、目の奥が哀しげに揺らぐ。

 出口のないふゆの苦しさをエルランディアは見通しているようだった。


「フユ、したたかになれ。それがお前と、お前を愛する人たちを守ることになる。自分を守るために怒りなさい」

「怒る……」


 そのフレーズを口の中で反芻していると、頭上から大きな手がワシッと押さえつけてきた。


「手始めに、いいことを思いついたぞ」

「何?」

「さっきの服屋へ戻ろう」




 帰ってきた明菜がふゆを目にして、開口一番叫んだ。


「どうしたの!? 可愛い!」

「あ、あの、ごめんね、明菜ちゃん……」

「なんで謝るの?」

「預かってたお金、ほとんど服に使っちゃって……」


 気まずげに視線を落とす。視界にはさっき着替えたばかりのワンピース。膝上丈なんて着たのは小学生以来だ。脚がスースーするし、しかもピンク色だ。


 明菜は嬉しそうに頰を緩めた。


「全然いいよ! 似合ってるし!」

「フユには服が必要だったんだ。フユに似合う、フユらしい服だ。服は鎧だ。他人を威嚇するものでもある。宮廷ではよく貴族どもが……」

「うんうん、よくやったエル(なにがし)!」


 エルランディアの話をそっちのけにしてふゆの両肩を掴んでうんうん頷く明菜に、どうやら似合っているらしいとホッとした。


 あのあと、エルランディアに促されるまま今度はレディースファッションのフロアへ行った。

 そして店員とエルランディアの監督の元、ふゆらしい服を選ぶというミッションが始まった。

 ファストファッションとはいえ、流行をいち早くキャッチして落とし込むことも売りにしているブランドだ。

 ふゆにはお洒落すぎて気後れしていたが、そんな中で目に止まったワンピースを眺めていたら、強引に試着、そのまま購入、着て帰ることになってしまった。


 フード付きのジャージ地のワンピースで、シンプルな形が可愛い。


「その服だと、ちょっと前髪整えたらもっと可愛くなりそう。カットしてもいい?」

「明菜ちゃん、できるの?」

「こう見えても手先は器用なんですー」


 唇を尖らせた明菜に、ふゆは嬉しくなって笑った。

 親戚とはいえ、出逢ってそんなに経ってないのに、ふゆの変化を自分のことのように喜んでくれる。

 エルランディアの言葉の意味が、乾いた土に水が染み込むように響く。

 きっと明菜は、ふゆが今日のように誰かに笑われていたら悲しむ、そして怒るだろう。

 思えば友達の百合だって、ずっとふゆの代わりに悔しがって、腹を立ててくれていた。


 そのくり返しを終わらせるために、まずはふゆが怒らなければならない。




 それから、エルランディアは夜になってから、書斎の扉を調べ始めた。


「この扉の模様だ」

「模様?」


 首を傾げるふゆに、エルランディアは長い指で指し示す。


「これは両翼大陸の星座だ。導き星を中心に作られる、不死鳥座という」

「それ、義兄さんが買ってきたんだって。若い頃はアンティークに凝っててさ。

 結婚してこの家を継いで、ここを改装するときに取り付けたって、姉さんが言ってた」


 コーヒー片手に今から廊下に明菜が身を乗り出した。


「こっちとあっちに繋がりがあったってこと?」

「さあ……確かなことはわからない。だが、これで帰れる」

「そっか……」


 考えてみれば、この不思議な異世界人とは昨日出会ったばかりだ。

 とても長い時間を過ごしたように感じる。


 さっきまで着ていた服を着替えれば、いよいよ帰り支度が整ってしまった。


「世話になった。元気で」

「うん、……あ、そうだ。これ、お腹空いたら食べて」


 アルミホイルと紙のランチボックスで包んだおにぎりを差し出すと、エルランディアは受け取って(ほど)けるように笑った。


「フユ、その優しさはお前の持っている尊いものだ。だが、今度からは、そうするときは見返りを求めなさい」

「そんなの、変じゃない?」

「金銭や高価な品物でなくていい。優しくするかわりに、あなたと仲良くしたいんだ、そう言えばいい」

「そっか……」


 ふゆは少し考えながら頷いた。おにぎりの具はおかかとシャケで、玉子焼きとたくあんをおまけしている。


「じゃあ、エル。怪我したり、困ったことがあったらまた来てよ。

 私、したたかになれるように、頑張るから。それで、私のこと褒めて」


 我ながらいい返事ができたと得意げに胸を張るふゆを、異世界の星読みは微笑ましいものを見るように目を細めた。


「ああ、そうする」

「ありがとう。怪我したらなんて言ったけど、元気でね」

「そちらも、息災で」


 ゆっくりと扉の前のエルランディアから離れる。


 よく通る声で何か呪文を唱え、扉の四辺から光の筋が漏れるように輝いた。

 窓が開いているわけでもないのにマントがはためいて、扉の中心に吸い込まれるように消えていった。


 徐々におさまっていく風と光に、明菜が呆然と呟いた。


「やば、あいつの言ってたこと、嘘じゃなかったんだ」


 おかしくてふゆは目尻に涙が滲むほど笑った。




 月曜日は静かだった。

 するりと目が覚めて、制服に着替えて、身だしなみを整えて、いつも通り朝ごはんを作る。

 トーストとスクランブルエッグと、切ったトマトだ。トマトのみずみずしさを久しぶりに感じた気がする。

 トーストにマヨネーズを塗って、スクランブルエッグをのせるのが好きだった。少しケチャップをかけるのも美味しい。

 そうやって久しぶりに楽しい朝食を終えて、まだ欠伸をしながら食べている明菜を置いて家を出た。


「おっはよ、ふゆ!」

「おはよう、百合ちゃん」

「あれ、どしたの。前髪可愛い!」

「本当? 明菜ちゃんにね、教えてもらったんだ」

「明菜ちゃんって、ふゆのおばさんでしょ? センスいい!」


 あまりに手放しに褒められるので、照れ隠しに耳に髪をかける。

 市松人形のように重たいボブだったふゆの髪を、明菜は少し切ったり梳いたりして、頭頂部から襟足にかけて柔らかな丸みを帯びた、軽い前髪のボブに直してくれた。

 驚くほど手先が器用で、しゃべりながらハサミを操ってあっという間に切り終えていた。

 スタイリングのやり方も一緒に教えてくれて、毛先をカールさせてオイルで整えるだけでいいと教えてもらった。今朝は見様見真似でやってみたのだ。


 百合から編み込みや他のアレンジについてのアドバイスを聞いてあれこれ話しながら教室までたどり着くと、入り口の前でマッシーが待ち構えていた。

 この間までふゆがどのクラスにいるかなんて知ろうともしなかった癖に、よく来れたものだ。


「北原チャン、聞きたいことあんだけど〜」

「アンタ、どの面下げて──」


 目尻を吊り上げて文句を言おうとする百合の腕を引いて止めた。心配そうな顔で振り返る。

 ずっと一緒にいてくれた友達のために、したたかになる。


「私に対して失礼な人に、どうして教えてあげなきゃいけないの?」

「はあ? そんなクチ聞いていいと思ってんの?」

「アンタだれ?」

「は?」

「私のことバカにして笑って楽しんでる。私のこと大事にしてくれる友達じゃない。私にとってはアンタ、何の関係もない」

「北原のクセに、ムカつく──」

「ああ、その顔! 本当だね! 歯剥き出したサルそっくり!!」


 大声で叫ぶと、周囲からどっと笑いが起こった。


「よく言った、ふゆ!」


 百合に力強く肩を叩かれる。罪悪感はあるけど、これでおあいこだ。

 まだ何か言い返そうとする彼女の前に、ピンク色のカーディガンが踊り出してきた。


「北原ちゃん、めっちゃ面白い!」


 勢いよく手を握られてギョッとした。

 始業式の日に、校門の前で夏樹に群がっていた女子のひとりで、今年度クラスメイトになった女の子だ。

 同級生の中でも目立って華やかなグルーブの中心的存在だとは、一年生の頃に遠目で見ていてもわかった。


「え、えっと、蒼井さん?」

「春香でいいよ。知らなかったよ、北原ちゃんってそんな子だったの?」

「いや、その、そんな子って、努力中というか……」

「いいじゃん! あたし好き、そういう子!」

「ちょっと、ハルカ……」


 マッシーと彼女は知り合いだったらしい。自分ではなく昨日今日知り合ったばかりのふゆを優先するのに苛立って声を荒げる。

 春香は振り返ってちらりと彼女を見た後、カーディガンの袖で口元を隠しながら可愛く小首を傾げた。


「誰だっけ?」

「何、言ってるの? ハルカ」

「ああ、そっか。思い出した。人のことバカにするとかダサいことやってる、サル女」


 ころころと可憐な声で言うだけで、周囲からはクスクスと忍び笑いが起こる。


 ふゆが一大決心して怒ることでひっくり返した空気を、春香は愛らしく振る舞うだけで容易く従えてしまった。


「早く自分のクラスに帰りなよ?」

「ッ!」


 春香の振る舞いはいたいけな女の子のはずなのに女王様のようだった。

 彼女は気圧されるように逃げ出した。


「あースッキリした! あたしもあの子嫌いだったんだよね」


 彼女はこっちに向き直って、にっこりと笑った。

 目が楽しいおもちゃを見つけたみたいにキラキラ輝いている。


「これからよろしくね、北原ちゃん!」


 したたかになるって、難しい。

──けれど、エルと約束したんだ。

 握られた手をギュッと握り返し、震える声で応じた。


「よ、よろしく」

お久しぶりです。ご無沙汰していました。

ホットケーキ、ふわふわにするためにいろんなアレンジがありますが、マヨネーズを大さじ2杯加えるだけでふかふかになると言うやつ、友達は成功してたんですけど、私はどうしてもマヨネーズの味を感じてしまって成功なのか失敗なのか判別できませんでした。ちょっとだけ溶かしバターを入れるとリッチなお味というのは、テレビで見たんですけど、どの番組だったかなあ。カロリーなんて考えちゃいけない。

トッピングにアイス乗せたり、色々楽しい美味しい、ホットケーキ。

文中にもあるように、均一で綺麗な焼き目をフライパンで作るのってなかなか難しいですよね。綺麗な丸にするのも難しいですが、タネをちょっとだけ高いところから落とすようにすると結構な確率で形整います。セルクルとか、色々使ってみましたが、側面がポロポロになったり洗い物が増えたりするので、結局手で一枚一枚やるのが今のところ一番なんですよね。うーん……。


優しいだけでは馬鹿にされる世の中にはうんざりしますね。ふゆにはそんな愚か者とやりあえるしたたかさを持って育ってほしいです。優しさは優柔不断とも言われますが、しなやかで芯のある、そんな人こそが本当に優しい人なんだろうなと思います。

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